かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

春日井市立郷土館・明治天皇下原新田御小休所跡(愛知県春日井市)

2014-01-27 | まちかどの20世紀遺産

春日井市立郷土館はJR春日井駅の北側、下街道沿いの鳥居松町にある江戸時代末期に建てられた木造の純和風建築です。実は昨年秋、すぐ向かいにある下見板張りの洋風建築、旧梶田医院(大正9年築)を訪れたのですが、残念ながら一歩及ばず、取り壊されたばかりの敷地には、ちょうど新築の住宅が建設中でした。

春日井市立郷土館の建物は、いわゆる明治以降の洋風近代建築ではないので、本来なら守備範囲外ですが、すぐ隣に「明治天皇下原新田御小休所跡」の石碑を見つけたので、一緒に紹介したいと思います。春日井市教育委員会の説明文によると、この建物は明治13年(1880)明治天皇御巡幸の際に休憩所としても使用され、市の文化財に指定されました。とにかく明治天皇は全国各地を御巡幸しているようで、その時の休憩所はほとんどが史跡となって現在に残されています。


◆春日井市立郷土館(旧飯田重蔵離れ)/愛知県春日井市鳥居松町7丁目5
 竣工:江戸末期
 構造:木造2階建
 撮影:2013/10/13


■郷土館と明治天皇下原新田御小休所跡の石碑





こんな所に「猿岩石」!(岐阜県大垣市)

2014-01-25 | まち歩き

大垣城の東側の路地で、昭和レトロなビリヤード場を見つけすかさず撮影。その時偶然、前の建物のショーウインドーに、ファッション関係の古いポスターが貼ってあるのを見つけたのですが・・・

なんとその一枚が、ただ今ブレイク中の有吉クンが所属していたお笑いコンビ「猿岩石」のポスターでした。今では飛ぶ鳥を落とす勢いの(というかCMではすでに鳥になっていますが)有吉クンですが、ポスターではセーターのモデルとして、デビューして間もない若かりし頃の初々しい表情を見せています。猿岩石はお笑いコンビですが、ファッションモデルとしてポスターになるくらいですから、当時はアイドル並の人気があったようです。
ポスターには二人のプロフィール(趣味・特技・好きなものなど)が書いてあるのですが、有吉クンが好きな季節として冬をあげ、理由は「暑くないから」というのには笑えました。ちなみに元相方の森脇クンは今どうしているのでしょうか?

となりは当時読売ヴェルディ所属の永井秀樹選手のポスターで、甘いマスクとルックスでモデルとしても活躍していたようです。ちなみに永井選手に関してちょっと調べてみたのですが、1998年横浜フリューゲルスで10番をつけ、リーグ戦で12得点をあげ天皇杯でも優勝していますから、サッカー選手としてもなかなかたいしたものです。







■ポスターの貼ってあった建物の前にあるレトロなビリヤード場エグロ

撮影:2013/11/23


大垣散策~その2(ちょっと気になる建物編)

2014-01-21 | まち歩き

大垣散策で見つけたちょっと気になる建物たちです。

■レトロな建物を再利用したお洒落な洋菓子店



■向かって左側の建物の側面にうっすらと「大垣ドレスメーカー女学院」とあるイタリア料理店



■県道18号沿い、奥の細道むすびの地記念館の前で和洋混在の建物を見つけました



■よく見ると古い町屋の真ん中に唐突に建っているのは、ファサードだけ洋風の看板建築でした



■かなりの年代物の建物は、看板建築としてもかなりの本格派で、何かの店舗に使われていたと思われます。
屋根の上の小さな赤い二つの塔がご愛嬌で、なかなかに愛らしい外観です。



■大垣城の東側にある昭和レトロな雰囲気が漂う「ビリヤードエグロ」

撮影:2013/11/23


大垣散策~その1(水門川界隈編)

2014-01-19 | まち歩き

大垣市街の中心部、大垣城をを囲むように流れる水門川は、1630年代大垣城の外堀として築かれましたが、大垣の船町港と桑名宿を結ぶ運河の役割も果たしていました。水門川界隈で出会った風景などを紹介します。


■船町に設置された美濃路と水門川界隈の散策案内マップ



■水門川沿いの景観~四季の広場



■住吉灯台のある船町港跡界隈









■水門川の住吉港跡にある「奥の細道むすびの地」の碑と芭蕉像
芭蕉は旅を終え、ここ(船町)から船で水門川を下り桑名宿へ向かい江戸に戻った。
最後の句は~蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行く秋ぞ~





■水門川にかかる橋~ちょっとレトロな造形が良い雰囲気です





■船町道標~文政年間(1818~1830)に大垣城下京口御門の南、美濃路沿いに建立されていたもの(説明文より)

撮影:2013/11/23

 


つちや俵町本店(岐阜県大垣市)

2014-01-17 | まちかどの20世紀遺産

近代洋風建築ではありませんが、旧美濃路を歩いていて見つけた俵町にある和菓子の「つちや」さんの店舗が、大変風情があり素晴らしいので紹介します。

柿羊羹で有名な「つちや」は、創業250年になる和菓子の老舗で、大垣市の俵町の店舗が本店になります。西濃名産の柿を使い、縦に半分に割った青竹に流し込んだ「柿羊羹」は大垣を代表する銘菓として知られています。柿羊羹を美味しくいただいた後は、青竹踏みに再利用するのが最もポピュラーですが、わたしは机の上に置いて筆記用具入れにして使っていました。

旧美濃路の街道沿いに建つ店舗は、歴史の重みを感じさせる塗り込め造りの町屋建築で、屋根の中央に鎮座する「柿羊羹」の大きな手彫りの木製看板からは、江戸時代から続く老舗の心意気が伝わってきます。


■旧美濃路沿いに建つ昔ながらの風情を残す店舗





■看板の周りの柿と竹の木彫細工はまさに芸術品



撮影:2013/11/23


大垣消防組員頌徳碑(岐阜県大垣市)

2014-01-15 | まちかどの20世紀遺産

大垣城に隣接する大垣公園内にある消防組員の頌徳碑です。イオニア式柱頭のエンタシスがぎっしりと隙間なく並び、上の石碑を支えている姿はなかなか壮観です。大垣市民のために身を挺して消防活動に従事してきた組員の功績をたたえるために昭和7年に建立されたもので、現在も公園の片隅で市民の安全を見守り続けています。


◆大垣消防組員頌徳碑/岐阜県大垣市新町2丁目
 竣工:昭和7年(1932)
 設計:藤井安蔵
 施工:藤井寅吉
 構造:石造
 撮影:2013/11/23

■12本のエンタシスが並ぶ姿は、神殿を思わせる荘厳さが漂います





大垣市守屋多々志美術館/旧大垣貯蓄銀行ビル(岐阜県大垣市)

2014-01-13 | 西濃の近代建築

大垣城の東側、南北に走る美濃路(県道57号線)と東西に走る県道237号線の郭町交差点の北東角に真っ白に塗られた3階建のビルがあります。外観からは銀行のようなイメージを受けますが、元々は昭和初めに大垣貯蓄銀行の本店として建てられたものです。大垣貯蓄銀行→名鉄マルイ百貨店→大垣共立銀行と変遷し、現在は大垣市出身の日本画家、守屋多々志美術館として再生活用されています。

昭和に入り、建築デザインは極力装飾を排除したモダニズムへ向かいますが、この建物はまだ壁面や1階の柱などに様式建築の名残ともいえる幾何学模様の装飾をまとっています。近代建築ファンにとっては、だだの四角い箱(インターナショナル・スタイル)のトーフ建築ではあまりに見所が少なく面白みに欠けるので、ある意味戦前の近代建築の見どころを残してくれているおいしい作品なのが嬉しいところです。

設計は岐阜を代表する建築家河村鹿市で、彼の代表作である表現主義の傑作岐阜教育会館が取り壊されたため、県下でも現存する数少ない貴重な作品となってしまいました。この建物は岐阜教育会館に比べると見た目は地味ですが、様式とモダニズムのはざまを駆け抜けた表現主義の名手、河村鹿市の名人芸がいかんなく発揮された傑作です。


◆大垣市守屋多々志美術館(旧大垣貯蓄銀行ビル)/岐阜県大垣市郭町2-12
 竣工:昭和3年頃(1928)
 設計:河村鹿市
 施工:大林組
 構造:RC造3階建
 撮影:2013/11/23


■2階以上の壁面に全く開口部がないので、(後に改築か?)まさにコンクリートの箱のような外観ですが、壁面を立体的に仕上げて柱が並んだような効果を出し、随所にある簡略化された装飾がアクセントになっているので、細部を見る楽しみは残されています。








東外側町の洋館M邸(岐阜県大垣市)

2014-01-11 | 失われた建物の記憶

大垣駅と大垣城のちょうど中間、水門川に沿って東西に走る通りにある東外側駐車場の西隣にタイル貼りの瀟洒な洋館が建っています。外観は非常に美しい状態に保たれているので、とても昭和初期竣工の建物には見えませんが、東海地方でも現存する数少ない戦前の鉄筋コンクリート造の洋館住宅です。


◆M邸/岐阜県大垣市東外側町2丁目
 竣工:昭和初期
 構造:RC造2階建
 撮影:2013/11/23
※多数の近代建築関係の書籍に実名で掲載されていますが、個人住宅のためイニシャルの表示にとどめました。


■建物外壁は全面茶褐色のタイルに覆われ、南側正面の玄関廻りと腰壁は御影石をあしらう
通りに面した南側と西側の2階の窓と玄関は、櫛形アーチになっている



■建物南西側~屋上には一段高くなった手摺付の展望台が設けられている



■建物西側~軒先と庇、窓の手すりのラインで水平線を強調するデザインは当時流行の表現主義風



■建物北西側~北側の2階窓の上部はアーチではなく普通の縦長に処理している



■2階窓の庇や手すり部分には細かい装飾が見られる



イビデン(株)西大垣変電所(岐阜県大垣市)

2014-01-06 | 西濃の近代建築

大垣駅の南西、養老線の西大垣駅のすぐ北側に大正期に建設された煉瓦造の変電所が残っています。そのレトロな外観から受けるイメージとは異なり、正門の脇には「イビデン(株)西大垣変電所エネルギー統括部・イビデンエンジニアリング(株)メンテナンス事業部」といういかにも現代風の名称がつけられています。大正期の煉瓦造の建物が、発電所の遠隔操作など、エネルギーを統括する集中センターとして有効活用されている様子は、近代建築ファンにとっては嬉しい限りです。旧鐘紡の煉瓦倉庫と同様、赤煉瓦の建物にはノスタルジーをかき立てる魅力があり、いつまでも街角の原風景として残してほしい建物のひとつです。


◆イビデン(株)西大垣変電所エネルギー統括部/岐阜県大垣市西崎町4-1
 竣工:大正10年(1921)
 構造:煉瓦造2階建
 撮影:2013/11/23


■屋根などは葺き替えられ改修を受けていますが、煉瓦造の外壁は竣工時のままで美しい姿を保っています











三甲テキスタイル(株)事務所・倉庫(岐阜県大垣市)

2014-01-04 | 西濃の近代建築

大垣は10年以上前に一度訪れていますが、今回は現存確認と画像の更新もかねて、JR大垣駅周辺の徒歩圏内の近代建築を訪ねました。

まずは大垣駅の北西、県道18号線(赤坂街道)沿いにある旧鐘紡大垣工場に向かいました。大垣駅から線路沿いに西へ向かい、県道18号で東海道本線の下をくぐると左手に白い洋風建築の事務所と赤煉瓦の倉庫らしき建物が見えてきます。元々は大正2~3年頃に後藤毛織の大垣工場として建てられたものですが、昭和11年に鐘淵紡績(後のカネボウ)に合併され、その後売却され現在は三甲(サンコー)テキスタイルの所有となっています。

岐阜県西濃地方は、豊富な地下水と水力発電所による安定した電力、東海道線沿いという好立地条件から、大正期以降多くの繊維工場が進出しましたが、その頃の建物は戦災を受けたり、その後取り壊されてほとんど残っていません。現在残る事務所と倉庫は、大正期の織物工場の様子を今に伝える貴重な近代化遺産で、また後藤毛織関連の建物としては、木曽川別邸と長良別邸(後関の孫六苑「阿房宮」)が取り壊されたため、県内では最後の遺構になってしまいました。


◆三甲テキスタイル(株)事務所・倉庫(旧鐘紡大垣工場・後藤毛織大垣工場)/大垣市室村町3-74
 竣工:事務所/大正2年(1913)、倉庫/大正3年(1914)
 構造:事務所/RC造2階、倉庫/煉瓦造
 撮影:2013/11/23


■街道沿いに建っているのでよく目立ちます



■外壁が白く塗られた事務所棟
軒先の蛇腹や窓廻り、壁面、隅の柱、玄関の装飾などに大正期の洋風建築らしさがうかがえます



■玄関の庇はむくり屋根風で、鉄骨の支えは蔦草をあしらったアール・ヌーボー風



■赤坂街道沿いに南北に建つ煉瓦造の倉庫
当初は南北二棟の倉庫が残されていましたが、現在は南棟のみが現存しています