かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

旧百五銀行大門町支店玄関(三重県津市)

2015-06-27 | 三重の近代建築

オーデン大門ビルの左向かいにある百五銀行大門出張所に、大正13年大門町支店として建てられた当時の玄関部分が保存されています。現在はアーチ形の出入り口部分を利用したディスプレー用ウインドーとして使われていますが、これと言って特徴のない現在の建物の外観には効果的なアクセントになっています。

玄関部分だけですが、大正期の古典様式を簡明にアレンジした新しいデザイン傾向がうかがわれ、オーデン大門ビル(旧四日市銀行津支店)とともに、大門商店街の歴史を感じさせる景観に一役買っています。


■木に竹を接いだ感はぬぐえませんが、玄関だけでも残していただいた百五銀行さんに感謝です。
できれば旧支店の写真と部分保存された旨の説明看板を設置いただけるとさらに良いのですが・・・



■ピラスター(付け柱)は平面的で、装飾モチーフも幾何学化され絵画的です





■旧百五銀行大門町支店玄関/三重県津市大門11-13
 竣工:大正13年(1924)
 撮影015/05/03
 ※玄関のみ部分保存 


オーデン大門ビル/旧四日市銀行津支店(三重県津市)

2015-06-24 | 三重の近代建築

津市は三重の行政と教育の中心地として、明治の近代化とともに多くの公共建築が建てられました。戦災を免れた近代建築の中では、なんといっても、地元の大工清水義八が手がけた県庁舎(明治12年)と尋常師範学校(明治21年)が白眉の存在でしたが、現在は明治村に移築され現地には残っていません。津の中心街にはもう横綱級の物件はありませんが、戦前から繁華街として賑わった大門地区の商店街には、奇跡的に戦災を免れた数件の近代建築が現存しています。

大門商店街は国道23号線の東側を通る旧伊勢街道沿いに発展した商店街で、現在は津観音の南からフェニックス通りまでが「だいたてアーケード街」として昔ながらの昭和の商店街の風情を残しています。フェニックス通りに面したアーケード南口から入り、100mほど北へ進むと左手にクラッシクなファサードを前面に押し出した石張りの建物が見えてきます。

この建物は当初は大正11年に四日市銀行津支店として建てられたもので、現在はオーデン大門ビルと言う名称で、文化教室や多目的ホールとして利用され、市街活性化運動の拠点になっています。端正な古典様式の外観は、大正~昭和期に見られる銀行の定番で、かつては地方都市の商業地として栄えた地区でも良く見かけたものですが、最近は現存する建物も少なくなってきています。


■正面にオーダー(列柱)をどーんと構えて玄関にペディメントをいただく造りは、まさに古典様式銀行建築の王道!
アーケードに隠れてファサード全体が見えないのが残念なところ。



■柱に継ぎ目がありますが、これが大都市の大手銀行本店クラスだと大理石削りだしの一本柱になります。


■オーデン大門ビル(旧四日市銀行津支店)三重県津市大門10-21
 竣工:大正11年(1922)
 構造:RC造2階建
 撮影:2015/05/03


■同時期に建てられた旧名古屋銀行一宮支店(一宮市役所西分庁舎)/大正13年竣工
こちらの方が様式は簡略化されていますが、オーダーが4本でファサードの印象もそっくりです。
ちなみに設計は中部の近代建築の雄、鈴木禎次。



 


三重大学レーモンドホール(三重県津市)

2015-06-20 | 三重の近代建築

三重大学の南門を入ってすぐ右手にある木造平屋建の細長い建物です。外壁は木の質感を残したままのバンガロー風で、室内は構造体である丸太材をあえて露出させた構造になっています。当初は三重県立大学の図書館として昭和26年(1951)に建設され、昭和44年(1969)現在地に移築され三重大学移管後も食堂として利用されました。

設計者のアントニン・レーモンドは、大正8年(1919)帝国ホテル建設のためライトの事務所員として来日、翌年には独立し日本のモダニズムのリーダーの一人として、戦後も日本に事務所を構え設計活動を展開しています。特に大正13年(1924)建設の自邸レーモンド邸は、コンクリート打ち放しの直角の箱で構成された建物で、同時期のコルビュジェやグロビウスの作品に肩を並べる、日本のモダンデザインの先駆的作品として建築史にその名を遺しています。


■建物北側外観





■玄関脇には登録有形文化財のプレートが掲げられています





◆三重大学レーモンドホール/三重県津市上浜町1515
 竣工:昭和26年(1951)
 設計:アントニン・レーモンド
 施工:大成建設
 構造:木造平屋建
 撮影:2015/05/03
 ※国登録有形文化財
  


三重大学三翠会館/旧三重高等農林学校同窓会館(三重県津市)

2015-06-17 | 三重の近代建築

寺の町一身田をあとに、旧街道を40分ほど歩き三重大学に向かいました。三重大のキャンパスには、三重高等農林学校の開校10周年事業として昭和11年に建設された洋風の同窓会館が現存しています。お目当ての建物は正門を入り右手奥の公園に隣接した木立に囲まれた一画にひっそりと建っていました。

建物外壁は下見板張りで、爽やかなクリーム色に塗られた外観はいかにも学校建築らしく、当時の高農時代の雰囲気を伝えています。2階建の本館は正面中央に大きな切妻破風と車寄を配し、かなりファサードを強調した造りになっています。また外壁に施された幾何学模様の装飾や、車寄の庇、持送り、照明などにも当時流行のセセッションや表現主義風のモダニズムの影響がうかがわれ、昭和初期の典型的な木造学校建築の姿を見ることができます。

現在建物は「三重大学三翠会館」と呼ばれ、集会や校史関係資料展示室として利用しながら大切に保存されており、戦前の三重大の歴史を語る唯一現存する建物として登録有形文化財に指定されています。


■西側正面外観~正面中央に切妻破風、その下にも立派な車寄を設けてファサードを強調。
向かって右側(南側)には平屋の会議室が付属する。



■外壁の幾何学模様の装飾や、車寄の細部の意匠が見どころ。
妻壁の三連の六角形や窓枠のデザインが面白い。





■北側外観~大きな車寄が洋館らしさを演出


■西側正面~玄関・車寄廻りデザイン

    


    


■南側会議室(多目的ホール)外観
    



■説明看板



◆三重大学三翠会館(旧三重高等農林学校同窓会館)/三重県津市上浜町1515
 竣工:昭和11年(1936)
 設計:的場久壽雄
 施工:加藤組 加藤要作
 構造:木造2階建、鉄板葺(旧スレート葺) 
 撮影:2015/05/03
 ※国登録有形文化財 

 


津市一身田散策~その2

2015-06-11 | まち歩き

江戸時代からのお寺を中心に町屋や蔵など、いわゆる和モノ建築が建ち並ぶ町を散策するのはもちろんそれはそれで楽しいのですが、路上の目玉(藤森先生的表現)は無意識にひと味違う好物の洋モノ物件を求めさまよっているのでした。

そして古い町屋の隣にお目当ての洋モノオーラを放つ戦前物件を発見すると、これはもう一気にハイテンション、町歩きの醍醐味は最高潮に。これだから町歩きはやめられません


■丸ポストが残る旧一身田郵便局の建物
説明看板の写真を見ると、昔は下見板張りの洋風局舎だったのですが、外壁は完全にリフォームされ原形をとどめません。
しかし良く見ると軒下の装飾はそのままで、当時の面影を残しています。





■戦前の昭和の記憶をとどめる一部洋館付住宅







■コンクリートの防火壁に残る幾何学模様は過ぎ去った時代の記憶を今に伝えます
 


■一身田小学校の校門にも昭和モダンなデザインが残されていました

撮影:2015/05/03


津市一身田散策~その1

2015-06-09 | まち歩き

一身田は高田本山専修寺を中心に発展した戦国時代から続く歴史ある寺内町で、広大な寺院の敷地の外周には排水や外敵に備えた水掘『環濠』が現在もほぼ完全な形で残されています。専修寺の広大な境内に建ち並ぶ建造物はほとんどが重要文化財、宝物館には親鸞聖人直筆の書をはじめ国宝・重文の収蔵品が多数集められています。

現在も寺内町の町並みには、江戸末~明治期に建設された切妻造・平入り・桟瓦葺の町屋が多数残っていて、
ちょっと前まで日本各地に残っていた懐かしい街角の風景を思い起こさせてくれます。


■高田本山専修寺山門(1704年築/重文指定)
境内には御影堂や如来堂など10棟以上の重文に指定された建造物が建ち並んでいます



■蔵が並ぶ町を歩いていると、しみじみ日本を感じます...







■古い町屋が残る環濠沿いの町並み







撮影:2015/05/03


(有)落合運送(三重県津市)

2015-06-07 | 三重の近代建築

一身田駅前を専修寺のある町の中心へ向かう旧街道が通りますが、駅前の旧街道沿いにひと目で戦前モノと分かる洋風建築が建っています。建物は昭和初期によく見られる装飾がほとんどない直線を基調としたモダンな外観で、資料によると昭和12年(1937)頃の竣工です。

町はずれの一身田駅前は行きかう人もなく、ひっそりとたたずむ昭和の洋風建築は、大正の駅舎とともに今日も静かに時を刻んでいます。


■箱型の端正な外観ながら、外壁は石張り風に目地を切り縦長の窓を並べモダンな雰囲気を演出。
軒下に設けた古典様式建築に見られる水平線の出っ張り(コーニス)が効いています。




■旧街道沿いに日本家屋と並んで建っています。右手奥に見えるのは一身田駅のホーム。





◆(有)落合運送/三重県津市大里窪田町863-3
 竣工:昭和12年(1937)頃
 撮影:2015/05/03 


一身田駅~JR東海 紀勢本線(三重県津市)

2015-06-06 | 木造駅舎の旅

松阪散策を終えJR紀勢本線亀山行の普通列車に乗車、津のひとつ先の駅一身田に向かいました。
一身田駅は真宗高田派の専修寺のための乗降駅で、大正12年(1923)に建てられた駅舎は瓦屋根に漆喰の白壁という寺院風の日本建築です。一身田は真宗高田派の総本山として、伊勢街道の宿場町として江戸時代から栄えた寺内町で、専修寺を中心に江戸末期~明治期に建設された古い町屋が建ち並ぶスケールの大きな町並みは、ちょっと他では見られないなかなかの景観です。

現在南紀方面への快速や特急は伊勢鉄道経由になり、紀勢本線の一身田駅は普通列車しか停車しないローカル線の駅になってしまいました。一身田は決して有名な観光地ではありませんが、大正時代の姿をとどめる木造駅舎から続く古い町並みは、旅の途中でふらりと途中下車したくなる魅力にあふれています。


■90年以上も前に建てられた駅舎とは思えないくらい手入れが行き届いています



■古い木造駅舎と丸ポスト、ローカル線の旅ならではの風景に心がなごみます・・・・



■1番線ホームから亀山方面を望む



■松阪・伊勢市方面ホーム~昔ながらの木造ベンチが嬉しい





■大正期の開業当時のままの石積のホーム



◆一身田駅~JR東海 紀勢本線/三重県津市大里窪田町861
 竣工:大正12年(1923)
 構造:木造平屋建
 撮影:2015/05/03