かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

木曽街道の琺瑯看板

2014-08-24 | まちかどの20世紀遺産

お盆休みはずっと天候が悪く、大好きな町歩きやポタリングもできないまま終わってしまいました。
今年は夏らしい青空が長続きせず、東海地方も突然のゲリラ豪雨に悩ませられる毎日です。
日本各地でも大雨による災害に見舞われ、毎日当たり前のように家族と過ごせる日常がどんなに幸せか、あらためて考えさせられました。

今日も朝からどんよりと曇って今にも雨が落ちてきそうですが、久しぶりに自転車で散歩に出かけました。
自転車で出かけるのは2週間ぶり、やっぱり風を感じて走るのは気持ちがいいもんです。
いつもとちょっとコースを変え旧木曽街道を走っていると、なんと古い自転車店の壁に新種の琺瑯看板を発見! 
どうも最近となりの建物が取り壊され、今まで隠れていた看板が運良く姿を現したようです。
最近は町を歩いてもとんと姿を見なくなった昭和の絶滅危惧種、琺瑯看板。 
こういうラッキーな偶然が無いと、もうなかなか出会えなくなってしまいました。
久しぶりのポタリングと琺瑯看板の発見で心身ともリフレッシュ、小さな幸せをしみじみ感じた日曜でした。


■手前の建物が取り壊され、側面の壁に生息していた琺瑯看板が数十年ぶりに姿を見せました。
自転車店は廃業しているようなので、これから先建物ごと撤去されるのが心配です。



■ブリヂストンタイヤ(三連発)と岐阜の地酒「菊川」、サイン毛糸の分割看板は初めて見ました。
タイヤ、酒、毛糸、縫糸と種類も豊富、看板の色も赤、青、黄色とカラフルで往時の姿をとどめているのが嬉しい限りです



■エアコンの室外機に隠れている「ミヤタの自転車」。上半分が見えないのが残念。
室外機はかなり新しそうなので、建物の取り壊しは当分大丈夫?

採集場所:愛知県犬山市(2014/8/24) 


TVの洋画劇場にマカロニがやって来た!~荒野の用心棒(1965年)

2014-08-10 | 映画

 1971年、中学2年生のときに映画(おもに洋画)の面白さを知り、映画館にも行くようになった。しかし中学生のこづかいでは毎度映画館で見るわけにもいかず、そこで頼りになるのがテレビの洋画劇場である。ちなみに70年代当時各テレビ局が放送していた洋画劇場を番組名、放送局、放送開始年、解説者の順に紹介すると

・日曜洋画劇場~テレビ朝日、67年4月、淀川長治
・月曜ロードショー~TBS、69年10月、荻昌弘
・ゴールデン洋画劇場~フジ、71年4月、前田武彦
・水曜ロードショー~日本テレビ、72年4月、水野晴郎

 ビデオもDVDもこの世に存在しなかった当時、テレビの洋画劇場は名作からB級まで多くの作品を供給してくれる唯一の存在だった。ぼくのような経済的な事情で、あまり映画館へ行けない中学生にとって、毎週4回放送される洋画枠は本当に楽しみな時間だった。中学~高校生の時期にこの洋画劇場で見た多くの作品は、ぼくの血となり肉となり、オッサンになった今もぼくの体に脈々と受け継がれているのである。


■初めて洋画劇場で見た映画はマカロニ・ウエスタン
 さてぼくがテレビの洋画劇場で最初に見たのは、マカロニ・ウエスタンと呼ばれる『荒野の用心棒』という西部劇だった。放送日は1971年1月10日。ぼくがちょうど洋画に興味を持ち始めた中学1年のときに放送されたこの作品は、オープニングの『さすらいの口笛』の哀愁を帯びた音楽とともに、今もぼくの記憶に強烈に焼き付いている。

 マカロニ・ウエスタンというのは、60~70年代につくられたイタリア製西部劇のことで、『荒野の用心棒』で監督のセルジオ・レオーネがその基本的スタイルをつくりあげたと言われている。『荒野の用心棒』が黒沢明監督の『用心棒』を無断でリメークしたのは有名な話だが、セルジオ・レオーネはクロサワの『用心棒』のストーリーを借りて、彼独自の西部劇「マカロニ・ウエスタン」をつくりあげた。

 それまでのジョン・フォードに代表される西部の男たちを詩情豊かに謳いあげる西部劇を正統派とするなら、レオーネのマカロニ・ウエスタンンは、まさにアウトローたちの西部劇だった。このB級の臭いがプンプンする西部劇は、それまでの西部劇のフォーマットをすっかりぶち壊し、新しい形のアクション映画としてひとつの時代をつくっていく。


■映画のストーリー
 ニューメキシコの小さな町に流れ着いた凄腕のガンマン、ジョー(名無しの男)。この町ではメキシコ系ギャング一味と白人保安官一家が激しく対立、争いが絶えなかった。両者の相打ちを狙い金儲けをたくらむジョーは、保安官一家の下っ端を簡単にうち殺し、メキシコギャングに取り入る。その一方保安官一家にも裏で情報を流し、両者の対立を煽りながら一儲けの機会をうかがう。ギャング一味が軍から強奪した金塊を探すべく、一味のアジトに潜入したジョーはそこで大ボスのラモンに無理やり愛人にされている女を発見、同情したジョーは、亭主、子どもともども逃がしてやる。一方ラモン一味は対立する保安官一家と全面対決、一家を皆殺しにする。ジョーが女を逃がしたことを知ったラモンは、ジョーに手ひどい拷問を加え女の行方を追及するが、辛くも脱出したジョーは葬儀屋の助けでラモンとの最後の決闘に備える。ラモンに痛めつけられボロボロになりながらも、ジョーは最後のラモンとの決闘に臨む。ジョーはライフルの名手ラモンに対抗する最後の手段を、文字通り胸に秘めていたのであった。


■DVD再見
 映画のキモであるガン・ファイトのシーンは、今の映画のアクションシーンのスピード感になれた眼にはなんとも冗漫、いかにも時代を感じさせる。しかしそれを補って余りあるのが、クリント・イーストウッド演じるジョーのカッコよさだ。イーストウッドが演じるジョーのヒゲヅラに葉巻、ポンチョというスタイルにちょっとクールなイメージは、この映画を見た中学生の時からぼくの中では忘れられない存在になった。

 この映画の主演にはヘンリー・フォンダやチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンなども候補に挙がったそうだが(結局全員に断られている)、結果的にクリント・イーストウッドで大正解だった。ひょうひょうとしてとらえどころがなく、ワルなのにワルになりきれない、そんな決して正義のヒーローではない流れ者のガンマンのイメージに、イーストウッドはまさにはまり役。結果的に演技があまりうまくないのも、無表情でクールな主人公役のイメージにぴったりだった。

 この映画が世界中で大ヒットし、続いて『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』が製作された。主演のイーストウッドはこれをきっかけにハリウッド・スターへの扉を開き、のちの『ダーティー・ハリー』シリーズでその人気を不動のものにした。(ハリー刑事が44マグナムのリヴォルヴァーを撃ちまくる、まさに現代のマカロニ・ウエスタン!)

 また忘れてならないのが、メキシコ系ギャング一味の大ボスを演じたジャン・マリア・ヴォロンテ。金塊を強奪するためにガトリング銃を撃ちまくり軍隊を全滅させるは、命乞いする保安官一家を容赦なく皆殺しにするは、その非情な極悪ぶりは正統派西部劇にはなかったまさにマカロニ・ウエスタンの世界。ジョーはこのボスに一度はボコボコニされながら、最後の決闘に挑み、ボスの自慢のライフルに拳銃で対向する。

 爆発の煙の中からジョーが登場し、ひとりで悪党一味に対峙するシーンは、この手のアクション映画の定番だが、今見ても十分にカッコいい。ライフルの名手のボスに「心臓を狙え」と挑発するジョー。そこには一発逆転の秘策が隠されていた。ここであのトレードマークのポンチョが、ただのファッションではなかったのが分かるあたりはなかなかの演出だが、これは見てのお楽しみということで・・・

 マカロニ・ウエスタンという新しいスタイルで、アクション映画のひとつのスタイルを築いた『荒野の用心棒』。本家黒沢監督の時代劇アクション映画『用心棒』とともに、のちの映画やTVドラマ、アニメ、マンガなどに与えた影響ははかり知れない。最近の大ヒット映画『るろうに剣心』にも、マカロニ臭が漂うような気がするのはぼくだけ?


■日本公開時のポスター
 


■このスタイルが後のガンマンのイメージを決定づけた



■荒野の用心棒
 公開:1965年
 監督:セルジオ・レオーネ
 音楽:エンニオ・モリコーネ
 出演:クリント・イーストウッド、ジャン・マリア・ヴォロンテ、マリアンネ・コッホ他
 TV放送:日曜洋画劇場(テレビ朝日)1971/1/10


ジュリエットはボイン!~ロミオとジュリエット(1968年)

2014-08-06 | 映画

 1971年は『小さな恋のメロディ』と『ある愛の詩』の2本を地元の映画館で見たと記憶していたのだが、ほかにもう1本見ていたことを思い出した。これが1968年に公開された『ロミオとジュリエット』という映画なのだが、わざわざリバイバル上映を見に行った記憶がないので、どうやらどちらかの映画の併映作品として見ていたらしい。当時はメインのロードショー作品と一緒に、ちょっと昔の作品やB級作品をセットにして必ず2本立て以上にして上映していた。リバイバル上映では3~4本立てなんていうのもあり、当時ビートルズの全作品4本立てなんてのを名古屋の映画館まで見に行った記憶がある。
 
 あまり期待もせず2本立ての併映ということで見た『ロミオとジュリエット』だったが、これがなかなか素晴らしい作品だった。もちろんシェイクスピアの原作は読んでいないので、どれだけ原作に忠実かは知る由もなかったのだが、中学生でも世界で一番有名な古典的ラブストーリーの作品世界を十分楽しむことができた。当時主演を務めたレナード・ホワイティングは16歳、オリビア・ハッセーは15歳という若さで、とにかくふたりともイキがいいのだ。シェイクスピアの作品なのに全裸のベット・シーンがあったのも驚きで、ウブな中学生は15歳とは思えぬオリビアのボイン(もはや死語)に完全に魅了されたのだった。


■DVD再見
 45年前の映画ということを考慮すれば、画像の色彩は良好で十分鑑賞に耐えうるレベル。物語の背景になっているヴェロナの町のシーンは、トスカーナとローマ郊外で撮影され、その当時とほとんど変わらない古い建物や風景は、映画の舞台になった15世紀半ばのイタリア(原作は1570年代エリザベス朝のイギリス)の雰囲気を伝えてくれる。衣装や美術も映画的な視覚効果が最大限に引き出せるよう、監督フランコ・ゼフィレッリのこだわりが画面に伝わってくる。キャスト・美術・音楽が高度の次元で融合した『ロミオとジュリエット』映画の決定版で、ぼくたちの世代にとって、『ロミオとジュリエット』といえば「やっぱりこれでしょう!」というくらい、このシェイクスピアの古典的名作のイメージを決定づけた映画と言えるだろう。
 
 主役の若いふたりは、この映画1本でぼくたちの記憶に永遠に残ることになった。とくに当時15歳のオリビア・ハッセーの美しさは鮮烈で、少女らしい清楚で可愛らしい顔立ちと、成熟した女性の肉体を持つ新しいタイプのジュリエットは、ぼくにとっての永遠のジュリエット像を決定づけてくれた。またニーノ・ロータによる音楽も素晴らしく、キャピュレット家の祝宴で切々と歌うグレン・ウェストンのテーマ曲はあまりに有名で、今聴いても思わず引き込まれる。個人的にはもう一度大きなスクリーンで見てみたい作品のひとつである。


■1972年リバイバル上映時のパンフレット

 

■有名なバルコニーのシーン
やっぱり今でもジュリエットの胸元に目がいきます
 


■当時購入した4曲入りドーナツ盤のサントラ(¥700)
ニーノ・ロータによるキャピュレット家の祝宴で歌われるテーマ曲はあまりに有名


世に恋愛モノの種は尽きまじ~ある愛の詩(1970年)

2014-08-03 | 映画

 1971年、中学2年生のときに映画館で見た映画は、『小さな恋のメロディ』と『ある愛の詩』の2本だった。今思うと少ない気もするが、中2の少ないこづかいからすると、まあこんなものだろうか。なにしろ当時の毎月のこづかいでは、2000円のLPレコードが買えなかった記憶がある。本やレコードも買いたいぼくにとって、映画代(500円くらいか?)はばかにならない金額だったのだ。

 ところで見に行った映画が2本ともラブストーリーだったのにはわけがある。一緒に映画を見に行ったI君とぼくは、ふたりともこの当時デビューしたばかりの南沙織の大ファンだった。中2になって急に色気づき始めたぼくたちは、日本のアイドルのほかに外国の女優も話題に上るようになっていた。当時読み始めた「明星」や「平凡」、「スクリーン」などで紹介される映画情報で、当時人気のあったトレーシー・ハイドとアリ・マッグロー見たさに映画館へ行ったのである。特に『ある愛の詩』の主演女優アリ・マッグローは、ストレートのロングの髪に濃い眉が印象的な南沙織タイプで、ぼくたちは迷わずなけなしのこづかいをはたいて映画館へ直行したのであった。

 地元の小さな映画館で『見た『ある愛の詩』は、同じ時期に見た『小さな恋のメロディ』とは対照的なラブストーリーで、格差婚とヒロインの不治の病という「悲恋モノ」だった。能天気な中学2年生にはちょっと重かったが、主人公が雪のスケート場の観覧席で、若くして逝った妻の死を悼むラストシーンは、今もしっかりと心に残っている。

■映画のストーリー
 ストーリーはいたってシンプルだ。ハーバードの学生オリバー(ライアン・オニール)は、図書館でバイトをしているラドクリフ大学の学生ジェニーに一目ぼれ、やがてふたりは恋に落ち結婚を誓い合う。オリバーは名家の四世、ジェニーはイタリア移民の菓子屋の娘という身の上の違いのため、オリバーの父に結婚は反対されるが、オリバーは反対を押し切り結婚する。父からの送金を止められたオリバーは、弁護士資格を取るためハーバードの法律学校へ入学、学費と生活費のためジェニーは働き、オリバーもバイトをする貧しい暮らしだったが、愛し合う二人にとっては決して苦しいものではなかった。ジェニーの支えで法律学校を優秀な成績で卒業したオリバーは、ニューヨークの法律事務所に就職、ふたりの希望に満ちた新しい生活が始まったかに思えたのだが・・・

■DVD再見 
 今回40年ぶりにDVDを鑑賞し、中学生からオトナになった眼で見た率直な映画の感想を少々。
 この手の悲恋モノは、どれだけ登場人物に感情移入できるかが映画のポイント。身分や貧富の差など幾多の障害を乗り越え一緒になり、幸せをつかんだと思った瞬間、どちらかの突然の死でラストは不幸のどん底に叩き落される。この幸せと不幸のふり幅が大きいほど、映画を見た人はしばし日常を離れ、悲劇の主人公に感情移入しカタルシスを味わえる。いわば悲恋モノ映画のキモは、ラストの不幸のどん底に向かうまでの道のりを、いかに丁寧に描いていくかに尽きる。
 
 その点ではこの映画は少し食い足りないなあ~と思ってしまう。まず映画の終盤になって突然判明するジェニーの病気(白血病)は、それまでの予兆がまったくなかっただけに、悲劇のラストに向けてのやや帳尻合わせの感がまぬがれない。映画の序盤、オリバーがジェニーにひと目ぼれし、大学周辺でデートを重ね愛を育んでいくくだりも、いつのまにか気がついたらベットインしてていたという感じだ。ぼくとしては、お坊ちゃまオリバーの少々強引なアタックに、徐々に惹かれていくジェニーの心の動きをもう少し丁寧に描いて欲しかったのだが。

 昔からある定番の悲恋物語を70年代を舞台に、当時としては新しいタイプのヒロイン、アリ・マッグローが演じた『ある愛の詩』。今見るとちょっとベタすぎる展開が気になるものの、随所に出てくる美しい雪のシーンは、フランシス・レイの音楽とあいまって、この映画をより印象深いものにしている。このどちらかが先に逝ってしまうタイプの悲恋モノは、日本でもパターンを変えながら映画、TVドラマで毎度おなじみである。特に売出し中のアイドルや俳優が演じるこの手の純愛・悲恋モノは、うちのかみさんや娘も含め、世の女性たちには今も絶大な人気を誇っているようだ。古今東西女性がいる限り、「世に恋愛モノの種は尽きまじ」ということらしい。
 

■1976年リバイバル上映時のパンフレット
  


■映画でのジェニーのセリフ、「愛とは決して後悔しないこと」のフレーズは当時流行しました