かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

愛知大学第2体育館/旧陸軍教導学校大講堂(愛知県豊橋市)

2012-01-31 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その9~愛知大学第2体育館(旧陸軍教導学校大講堂)

建物の構造は、アングル材を組み合わせた柱と小屋組みによる鉄骨造ですが、壁は木造、外壁は下見板張りになっています。
玄関のある西側の妻は真壁、細部意匠にセセッションの影響がみられます。


◆愛知大学第2体育館(旧陸軍教導学校大講堂)/愛知県豊橋市町畑町1
  竣工:昭和2年(1927)
  構造:鉄骨造
  撮影:2011/10/09
 

 


細部の装飾にセセッション風の幾何学的造形が見られる

 


愛知大学総合郷土研究所・中部地方産業研究所/旧陸軍歩兵第60聯隊将校集会所(愛知県豊橋市)

2012-01-30 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その8~愛知大学総合郷土研究所・中部地方産業研究所(旧陸軍歩兵第60聯隊将校集会所)

峻工時は歩兵第60聯隊将校集会所として使われ、将校の集会室や食堂、休憩室があり、ビリヤード台も設置されていました。
木造平屋建てアメリカ下見板貼り、外周部分の基礎は煉瓦造で、出入り口の上のペディメントや屋根の鬼瓦には、陸軍の☆のマークが今も残っています。 
現在は大学の研究所施設として使用されています。 


◆愛知大学総合郷土研究所・中部地方産業研究所(旧陸軍歩兵第60聯隊将校集会所)/愛知県豊橋市町畑町1
  竣工:明治41年(1908)
  設計:臨時陸軍建築部
  施工:大林組
  構造:木造平屋建
  撮影:2011/10/09


 
入口上のペディメントには陸軍の☆マークが 


愛知大学記念館/旧陸軍第15師団司令部(愛知県豊橋市)

2012-01-29 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その7~愛知大学記念館(旧陸軍第15師団司令部)

 今回からの豊橋建築散歩は、愛知大学豊橋キャンパスと周辺に残る旧陸軍第15師団関連の建物を紹介していきます。

 豊橋の中心部から南に3キロほどの郊外(豊橋鉄道渥美線・愛知大学前下車)に、愛知大学豊橋キャンパスがあります。豊橋キャンパスは、明治41年に配備された旧陸軍第15師団の施設の遺構を終戦後からそのまま活用、歴史的建造物が醸し出す重厚さと深みのある景観は、いかにも大学のキャンパスにふさわしい伝統と潤いを与えています。
 
 現在旧陸軍関係の建物として、第15師団司令部、第二機銃廠、歩兵第60聯隊将校集会所、豊橋陸軍教導学校大講堂、養生舎がキャンパスの敷地内に、大学の所有する別の敷地には第15師団長官舎が残っています。これだけの旧軍関係の施設がまとまって再利用されているケースは全国的にも稀で、近代建築の再生活用例として特筆に値します。

 明治41年に竣工した 旧陸軍第15師団司令部は、戦後長らく愛知大学の本部として使用、現在は愛知大学記念館として国の登録文化財に指定されています。建物は木造2階建、白ペンキ塗りのドイツ下見板張り。平面は東西に長い中廊下式で、両翼が後方に突き出たコの字型になっています。

◆ 愛知大学記念館(旧陸軍第15師団司令部)/愛知県豊橋市町畑町1
  竣工:明治41年(1908)
  設計:臨時陸軍建築部
  施工:大林組
  構造:木造2階建
  撮影:2011/10/09
  ※国登録有形文化財



南側中央玄関~前方に張り出した入口上部と玄関上部にペディメントを設ける


建物東側~赤煉瓦の基礎に白く塗られた下見板、上げ下げ窓が並ぶ明治の洋館らしい雰囲気
 


東側出入り口


記念館案内図
 

 
玄関脇に設けられた建物説明板

 


 


小鷹野浄水場旧ポンプ室(愛知県豊橋市)

2012-01-25 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その6~小鷹野浄水場旧ポンプ室

 豊橋市電の終点赤岩口で下車し北へ200mほどの所に豊橋市上下水道局・小鷹野浄水場があります。小鷹野浄水場には昭和4年に建設されたポンプ室と濾過池、すぐ近くには同時期につくられた多米配水場が現存しています。
 
 現在ポンプ室は本来の役目を終え、薬品注入機室として使われており、敷地の外から正門の左手に古い鉄筋コンクリートの旧ポンプ室が確認できます。戦前の上下水道施設は、建設当時に流行していた建築様式を採用したものが多く、昭和初めに造られた旧ポンプ室は彫の深い重厚な外観で、角を丸くして塊り感を強調した表現主義的意匠も見受けられます。
 
 豊橋市の上水道施設では、今回は残念ながら訪問できませんでしたが、インディアンの顔の装飾がある下条取水場電気室(昭和4年)も現存しており、毎年6月の水道週間にあわせて上水道施設の一般公開が行われています。

 ◆小鷹野浄水場旧ポンプ室/愛知県豊橋市東小鷹野2-9-3
  竣工:昭和4年(1929)
  設計:豊橋市水道局
  構造:RC造平屋
  撮影:2011/10/09


正門の外から旧ポンプ室が確認できます



小鷹野浄水場のすぐ東隣に多米配水池の門がありますが立入禁止の看板がかかっています



豊橋市民俗資料収蔵室/旧豊橋市立多米小学校(愛知県豊橋市)

2012-01-23 | 東三河の近代建築

 

豊橋建築散歩 その5~豊橋市民俗資料収蔵室/旧豊橋市立多米小学校

 豊橋駅前から市電に乗り終点の赤岩口を下車、さらに県道4号線を東へ2キロ程行ったまだ山里の風景が残る田園地帯に、旧豊橋市立多米小学校の木造校舎が残っています。この校舎は豊橋に現存する唯一の木造校舎で、太平洋戦争の戦局も厳しさを増した昭和19年多米国民学校として建てられました。
 
 昭和53年からは豊橋市民俗資料室収蔵室に転用され、市内および東三河地区の民俗資料の保管展示を行っています。木造校舎を利用した展示室では、「農林業」「漁業」「養蚕」「製糸」「生活」「昭和30年頃の教室」というテーマ別に近代の生活道具から当地で発展した産業の機械・道具などを展示紹介しています。
 
 また豊橋市制施行100周年記念映画「早咲きの花」(浅丘ルリ子主演)で、主人公が少女時代に通った国民学校としてドラマの舞台に使われています。(残念ながら私は見ていません)

◆ 豊橋市民俗資料収蔵室(旧豊橋市立多米小学校)/愛知県豊橋市多米町字滝の谷34-1-1
  竣工:昭和19年(1944)
  構造:木造平屋
  撮影:2011/10/09




収蔵室玄関


廊下に沿って展示室が並ぶ


昭和30年代の暮らしを再現したコーナー


校庭の片隅には戦前の小学校の定番「二宮金次郎像」がたたずむ

 


サーラ住宅(株)豊橋支社/旧中部瓦斯本社(愛知県豊橋市)

2012-01-22 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その4~サーラ住宅(株)豊橋支社(旧中部瓦斯本社)

豊橋駅西口すぐの所に中部瓦斯の本社として昭和5年に建てられた、2階建ての事務所ビルが現存しています。
現在はサーラ住宅の関連会社の支店として使われており、すぐ隣にサーラ住宅本社があります。

建物外観はスクラッチタイル張り、2階窓の上下に庇を設け水平性を強調し、角を丸くするのは当時流行の表現主義の影響です。
社褐色の重厚な外観は、隣に建つ真っ白な本社建物と対照的で、80年の歴史を感じさせます。

◆ サーラ住宅(株)豊橋支社(旧中部瓦斯本社) /愛知県豊橋市白河町100
 竣工:昭和5年(1930)
 設計:坂野鋭男
 施工:大津工務所
 構造:RC造2階
 撮影:2011/10/09


玄関廻りと庇の下に装飾が施されています


スクラッチタイルと丸みを強調した壁面が重厚な印象を与えます


中京銀行豊橋支店/旧名古屋銀行豊橋支店(愛知県豊橋市)

2012-01-20 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その3~中京銀行豊橋支店(旧名古屋銀行豊橋支店)

豊橋駅の東、旧東海道に面した札木町の交差点角に中京銀行豊橋支店があります。
昭和の初めに名古屋銀行豊橋支店として建てられた銀行建築で、建物外観はルネサンス様式を基調としながら、列柱や古典様式的な要素をなくし、玄関、窓周りは彫りを深くして外観に変化を持たせています。

◆中京銀行豊橋支店(旧名古屋銀行豊橋支店)/愛知県豊橋市札木町70
 竣工:昭和2年(1927)
 構造:RC造2階
 撮影2011/10/09


建物西側


建物南側~旧東海道に面した南側に正面玄関を設ける

   
建物南側窓の面格子と南側正面玄関

 


豊橋市公会堂(愛知県豊橋市)

2012-01-18 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その2~豊橋市公会堂

ハリストス正教会のすぐ西側、豊橋市役所の南に豊橋市公会堂があります。
私の好みで言わせていただければ、三河地方に現存する数ある近代建築の中でも、スケール、様式美、ランドマーク性、保存活用状態、どれをとってもまさに特Aランクの名建築といえるでしょう。

公会堂はロマネスク様式と呼ばれる意匠の建物で、正面の列柱に連続するアーチや、上部のロンバルジアバンド、半円アーチの窓などが特徴です。
なかでも大階段の両脇には、四羽の鷲に囲まれたイスラム風の半球ドームを頂く階段室塔屋が設けられ、正面の連続する6本の列柱とあいまって見るものに圧倒的存在感を与えます。
とにかくこれぞ近代建築といえる見どころいっぱいの楽しい建物で、玄関ホールの交差ボールト天井や、階段室の有機的造形とステンドグラスなど、設計者のこだわりが満載です。

建物外壁は平成12年に改修工事を受け保存状態も良好、私の訪問時も「歌と踊りの祭典」を開催中で大勢の人が訪れていて、公会堂が市民に身近に親しまれている様子がよく分かります。

この公会堂をバックに八町通を路面電車が走る風景は、昭和初めにタイムスリップしたようで、昭和から平成、次の時代へと豊橋の原風景としていつまでも受け継がれていくことでしょう。


◆豊橋市公会堂/愛知県豊橋市八町通2-22
 竣工:昭和6年(1931)
 設計:中村與資平(中村工務店)
 施工:松村組
 構造:RC造3階
 撮影:2011/10/09
 ※国指定登録有形文化財





公会堂正面



2階にある正面エントランスのコリント式オーダー



 
当時のまま残る鋳鉄製の面格子と門扉




 
エントランス脇の小窓とホールのボールト天井





大階段の下にある1階入り口 





1階玄関脇にある案内板



2階ロビー


 

 


階段室はセセッションや表現主義の影響を感じさせるデザイン
貝や有機体を思わせる曲線はガウディの建築を連想させます

 


階段室丸窓のステンドグラス

 


ステンドグラスから2階玄関ホールを望む



建物東側



東側出入り口



創建当時の鷲の彫刻が取り外され建物脇に保存されています



建物北側



建物西側



イスラム風ドームの四隅に集う鷲たち


 

 


豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂(愛知県豊橋市)

2012-01-09 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩 その1~豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂


愛知県三河地方の建築散歩第2弾ということで、平成12年以来ほぼ10年ぶりに豊橋の近代建築を巡りました。
豊橋市は東三河を代表する中心都市で、江戸時代から三州吉田藩の城下町として栄え、現在は三河港を中心とした臨海工業地帯の整備が進み、特に自動車の輸出入は国内トップクラスで、日本を代表する国際貿易港として発展しています。
市内にはハリストス正教会や豊橋市公会堂など名建築が現存しており、豊橋駅を中心とした街の中心部、上水道施設のある東部、かつて軍の師団司令部の置かれた愛知大学周辺に点在しています。

まず初めは吉田城跡のある豊橋公園のすぐ南側に建つ、これぞ教会建築といっても過言ではない、 大正2年竣工の豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂 です。
日本各地には現在もロシア正教会の古い聖堂が残っていますが、その中でも函館、東京ニコライ堂、豊橋、京都の聖堂は、その外観から非常に美しく絵になる教会の代表にあげられます。
豊橋ハリストス正教会聖堂も、白の下見板と淡いグリーンの銅板の錣(しころ)葺き宝形屋根には ロシア正教会お約束のネギ坊主形ドームが載り、聖堂の玄関に八角形の鐘塔がそびえる姿はいかにも絵になります。

この聖堂の設計者はロシア正教の建築担当の聖職者河村伊蔵で、プロの建築家ではない彼は見よう見真似で函館、豊橋、白河、修善寺の教会の設計を手掛けています。
特に函館と豊橋の聖堂は評価が高く、教会建築の傑作として国の重要文化財にも指定されている名建築です。


建物北側~屋根にドームを頂く聖所の東端の出っ張った部分が至聖所


建物南側~西から東へ、玄関・啓蒙所(控室)・聖所・至聖所が一直線に並ぶのがハリストス正教会の形式


西側の玄関上には八角形の鐘塔が建つ


啓蒙所へ続く主玄関



聖所北側玄関


聖所南側玄関


聖所の屋根にはネギ坊主形ドームを頂く小八角塔が載る






玄関脇に設置された説明板

◆豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂/愛知県豊橋市八町通3-15
 竣工:大正2年(1913)
 設計:河村伊蔵
 構造:木造平屋鐘塔付き
 撮影:2011/10/09
 ※国指定重要文化財

 


マンホール紀行(7)~愛知県西尾市

2012-01-02 | ご当地マンホール紀行

愛知県西尾市は2011年4月から幡豆郡3町(一色町・吉良町・幡豆町)を編入合併したため、それぞれのオリジナルマンホールが存在します。
今回は西尾市と旧幡豆郡吉良町のマンホールが採取できました。



西尾市の市章とクスノキ(市の木)
市の花はバラですが汚水のマンホールには見当たりません




中央に吉良町のキをデザイン化した町章、 キリ(町の木)とツツジ(町の花)がしっかり入っています