かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

宇治山田駅~近畿日本鉄道山田線・鳥羽線(三重県伊勢市)

2015-10-11 | 三重の近代建築

伊勢神宮への鉄道は明治中期以降、亀山から南下する参宮鉄道が唯一のものでしたが、昭和6年に前身の参宮急行宇治山田駅が建設され、大阪の上本町と伊勢が結ばれました。

近鉄宇治山田駅はJR参宮線をまたぐ高架駅で、3階のプラットホームに列車が入ります。
現在は新幹線をはじめ多くの駅がこのスタイルですが、当時としては鉄道が建物の中を通るという駅舎は前例がなく、まさに現在の駅舎の先駆けとなりました。

外宮側に向いた長大なファサードはクリーム色のタイルに覆われ、スカイラインの赤いスペイン瓦とあいまって、伊勢神宮の表玄関にふさわしい品のある柔らかい雰囲気を醸し出しています。
設計は多くの鉄道駅舎を手がけた建築家の久野節。
久野は元鉄道省の建築課長で、旧南海難波駅や高島屋大阪店などを設計しています。


■細長いファサードの右端の塔屋が外観のアクセントになっています



■中央玄関部分には草花の模様をあしらったテラコッタ(陶板)を多用しています



■タイル張りの壁面に連続する縦長の窓と装飾テラコッタやスペイン瓦がクラシカルで重厚な雰囲気を演出
現代の機能一点張りの金太郎飴的駅舎などにもぜひ見習ってほしい外観です





■御影石を使った豪華な玄関廻りはデパートやホテルを思わせます





■塔屋の上にはあんどんを思わせる細長い照明灯を設置



■2階部分まで吹き抜けの開放感のある1階コンコース





■八角形の高窓から優しい光がそそぎこみます



◆宇治山田駅~近畿日本鉄道山田線・鳥羽線/三重県伊勢市岩淵2丁目1-43
 竣工:昭和6年(1931)
 設計:久野節
 施工:大林組
 構造:RC造3階建
 撮影:2015/09/21


神宮文庫(三重県伊勢市)

2015-10-03 | 三重の近代建築

神宮文庫は倉田山の神宮徴古館の東、県道を隔てた皇學館大学の敷地内にあります。
当初は神宮所蔵の古文書、図書類を収めるために五十鈴川川岸に設置されましたが、五十鈴川の氾濫を逃れて大正14年現在の倉田山に移転しました。

文庫主屋は和風の外観ながら窓割りなどに洋風のデザインを取り入れた近代和風建築で、同時期に建てられたRC造4階建の書庫が背面に併設されています。


■建物正面外観













◆神宮文庫/三重県伊勢市神田久志本町171
 竣工:大正14年(1925) 
 施工:北岡組
 構造:木造平屋
 撮影:2015/09/21 


神宮農業館(三重県伊勢市)

2015-09-30 | 三重の近代建築

神宮徴古館のすぐ隣に建つこじんまりとした和風の外観の建物が神宮農業館です。

この建物は神苑会により神宮徴古館にさきがけ、農業の啓発と発展を目的として明治24年外宮前に創設されました。
38年に現在地に移転、大部分が新築され中庭を囲むロの字型の平面になりましたが、現在は望楼のある前半部のみに縮小されています。

広い展示空間を確保するため小屋組みは洋風トラスを採用、外観は真壁構造の白壁や長押、舟肘木など和風の建築様式でまとめています。設計は神宮徴古館と同様片山東熊で、和洋の外観の博物館がセットで残っているのは貴重です。


■建物正面全景



■望楼から左右に翼部を配したシンメトリーの平面



■和を基調に巧みに洋風意匠も取り入れた外観







■神宮農業館/三重県伊勢市神田久志本町1754-1
 竣工:明治38年(1905)
 設計:片山東熊
 構造:木造平屋
 撮影:2015/09/21
 ※国登録有形文化財 


神宮徴古館(三重県伊勢市)

2015-09-27 | 三重の近代建築

外宮と内宮の中間にある倉田山に明治~大正期に神苑会によって建てられた近代建築が現存しています。
神苑会は明治になって国家神道の中心的存在になった伊勢の地を、神都として整備するために明治19年に設立されました。
内・外宮周辺の民家撤去、山林買収などで神苑を整備し、倉田山に神宮徴古館、神宮農業館、神宮文庫などの文化施設を建設しました。

倉田山に残る近代建築で、最も規模が大きく見ごたえのある建物が神宮徴古館です。
神宮徴古館は明治42年に建てられた神宮の歴史・文化に関する博物館で、広大なヴェルサイユ宮殿を思わせる前庭を持つルネサンス様式の外観からは、歴史的な建造物が持つ威厳と気品が伝わってきます。

創建時はコの字型の平面中央ホールには銅板葺の角ドームが上げられていましたが戦災で大破、その後RC造にして2階を増築したため屋根の形は当初の面影をとどめていません。
白色の花崗岩と花崗岩風に加工した煉瓦石で化粧された外壁は当時のままで、全体的に上品で端正なイメージでまとめられています。

設計は宮廷建築の第一人者片山東熊で、同じ年に明治の洋風建築を代表する壮麗なネオ・バロック様式の東宮御所(赤坂離宮)をてがけています。



■正面外観~洋風庭園と一体になったシンメトリーな外観はまさに威風堂々、博物館にふさわしい重厚な雰囲気



■明治42年創建当時の外観



■ドームがなくなり2階に屋根が増築されたため、近代和風テイストが強くなりました



■改修のため博物館は閉館中、工事車両がとまっています









■三連アーチの窓のあるペディメントは戦後の増築部分





◆神宮徴古館/三重県伊勢市神田久志本町1754-1
 竣工:明治42年(1909)
 設計:片山東熊・高山幸次郎
 構造:煉瓦造・RC造2階(もと平屋)
 撮影:2015/09/21
 ※国登録有形文化財
 


ボンヴィヴァン 伊勢神宮外宮前店/旧山田郵便局電話分室(三重県伊勢市)

2015-09-22 | 三重の近代建築

シルバーウイークの連休、お伊勢参りもかねて伊勢神宮周辺の近代建築を巡りました。

伊勢神宮外宮の正面に、北欧風の民家を思わせる洋風建築が建っています。
外観はモルタル塗りの白壁に赤い瓦屋根の大きなドーマー(屋根窓)が特徴で、現在はフランス料理店として使われています。
この建物は旧山田郵便局電話分室として建てられましたが、元々東隣には現在明治村に移築されている本棟の宇治山田郵便局(明治42年)がありました。
設計は逓信省営繕課技師の吉田鉄郎。
旧山田郵便局電話分室は彼の初期の作品で、のちに東京中央郵便局や京都中央電話局、大阪中央郵便局などモダニズムの数々の傑作を残しています。



■建物北面~欧州の民家の雰囲気を醸し出しながら、日本の伝統的な神社建築の要素も感じられます





■北側入り口



■南側入り口~敷地が南北の道路に接しているので出入り口を2か所に設けています



■中庭を囲むコの字型の平面は、フランス料理店にぴったりなヨーロッパの雰囲気が漂い、とてもお堅い逓信省の建築とは思えません







■中庭に設けられた廊下が開放的な雰囲気を演出



■伊勢神宮の地元だけに随所に神社建築建築を思わせる造りを取り入れ、屋根には破風を多用し軒に向かって反りが入っています



■ボンヴィヴァン 伊勢神宮外宮前店(旧山田郵便局電話分室)/三重県伊勢市本町20-24
 竣工:大正12年(1923)
 設計:吉田鉄郎
 施工:志水組
 構造:煉瓦造平屋
 撮影:2015/09/21


日本キリスト教団阿漕教会/旧阿漕講義所(三重県津市)

2015-07-08 | 三重の近代建築

今回の津市建築探訪の最後は、JR紀勢本線阿漕駅から東へ1kmほどの所にある大正時代に建てられた日本キリスト教団阿漕教会です。住宅街にひっそりと建つ教会堂は、爽やかな淡いグリーンに塗らた下見板張りで、とても80年前に建てらたとは思えないほど手入れが行き届いています。

教会のHPによると現教会堂の創建は大正14年。当初は阿漕講義所として伝道を開始、戦災でも焼失を免れ、戦後も津の町でただひとつ焼け残った阿漕教会に人々が集まり礼拝が続けられたそうです。
教会堂と宣教師館(現存せず)の設計図はヴォーリズがアメリカから持ち帰ったと言われていますが(教会HPによる)、ヴォーリズの作品リストにも記載がないため真偽のほどは定かではありません。
そう言われれば特に旧宣教師館の外観は、ヴォーリズっぽい雰囲気も感じられるような...
旧宣教師館の外観は→https://church.ne.jp/akogi/history.html(阿漕教会の歴史)


■パステルトーンのグリーンに塗られた教会堂は、軽井沢などの高原が似合いそうな雰囲気



■なかなかメルヘンチックな外観です







■尖頭アーチの窓がリズミカルに並ぶ



■現在の宣教師館の建物。手前のイギリス積の煉瓦塀はかなりの年代物と思われます。



■日本キリスト教団阿漕教会(旧阿漕講義所)/三重県津市下弁財町津興1267
 竣工:大正14年(1925)
 設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ?(伝承)
 構造:木造2階建
 撮影:2015/05/03


大門観光/旧大門百貨店(三重県津市)

2015-07-04 | 三重の近代建築

百五銀行大門出張所のすぐ北側、一階にパチンコ屋さんの店舗が入った見るからにレトロなビルがあります。ちょっと見はどこにでもある年代物のビルですが、タイルに覆われた隅丸の外観からは昭和戦前期の近代建築が持つ独特のオーラがビンビン伝わってきます。

このビルは昭和11年に大門百貨店として建てられたもので、設計者丹羽英二建築事務所のHPによると、開店初日から3日間の入場者が実に20万人を超えるという大盛況ぶりでした。(ちなみに当時の津市の人口7万人)
丹羽英二の作品としては、下呂湯之島館や瀬戸陶磁器会館が現存しており、現在も丹羽英二建築事務所として数多くの設計を手がけています。
丹羽英二建築事務所ホームページ→http://www.niwa-ae.com/ourworks/old_daimon.htm

戦災でも焼け残った建物は、戦後も津市唯一の百貨店として多くの市民に親しまれ、昭和38年百貨店移転後も大門観光ビルとして存続しました。現在は1階のパチンコ店のみが営業、2階~4階は全く使用されておらず、今後いつまでこのビルが生き長らえるか、予断を許さないところです。


■建物外観は昭和戦前期に見られる直線を基調とし装飾を排したモダンデザイン



■タイル張りの外壁に各階を区切る水平線、コーナーは丸みを持たせ屋上に塔屋、ああ昭和モダンここにあり



■昭和のモダニズム建築に過ぎ去った時代を偲ぶ





◆大門観光(旧大門百貨店)/三重県津市大門18-11
 竣工:昭和11年(1936)
 設計:丹羽英二
 構造:RC造地上4階地下1階塔屋付
 撮影:2015/05/03

 


旧百五銀行大門町支店玄関(三重県津市)

2015-06-27 | 三重の近代建築

オーデン大門ビルの左向かいにある百五銀行大門出張所に、大正13年大門町支店として建てられた当時の玄関部分が保存されています。現在はアーチ形の出入り口部分を利用したディスプレー用ウインドーとして使われていますが、これと言って特徴のない現在の建物の外観には効果的なアクセントになっています。

玄関部分だけですが、大正期の古典様式を簡明にアレンジした新しいデザイン傾向がうかがわれ、オーデン大門ビル(旧四日市銀行津支店)とともに、大門商店街の歴史を感じさせる景観に一役買っています。


■木に竹を接いだ感はぬぐえませんが、玄関だけでも残していただいた百五銀行さんに感謝です。
できれば旧支店の写真と部分保存された旨の説明看板を設置いただけるとさらに良いのですが・・・



■ピラスター(付け柱)は平面的で、装飾モチーフも幾何学化され絵画的です





■旧百五銀行大門町支店玄関/三重県津市大門11-13
 竣工:大正13年(1924)
 撮影015/05/03
 ※玄関のみ部分保存 


オーデン大門ビル/旧四日市銀行津支店(三重県津市)

2015-06-24 | 三重の近代建築

津市は三重の行政と教育の中心地として、明治の近代化とともに多くの公共建築が建てられました。戦災を免れた近代建築の中では、なんといっても、地元の大工清水義八が手がけた県庁舎(明治12年)と尋常師範学校(明治21年)が白眉の存在でしたが、現在は明治村に移築され現地には残っていません。津の中心街にはもう横綱級の物件はありませんが、戦前から繁華街として賑わった大門地区の商店街には、奇跡的に戦災を免れた数件の近代建築が現存しています。

大門商店街は国道23号線の東側を通る旧伊勢街道沿いに発展した商店街で、現在は津観音の南からフェニックス通りまでが「だいたてアーケード街」として昔ながらの昭和の商店街の風情を残しています。フェニックス通りに面したアーケード南口から入り、100mほど北へ進むと左手にクラッシクなファサードを前面に押し出した石張りの建物が見えてきます。

この建物は当初は大正11年に四日市銀行津支店として建てられたもので、現在はオーデン大門ビルと言う名称で、文化教室や多目的ホールとして利用され、市街活性化運動の拠点になっています。端正な古典様式の外観は、大正~昭和期に見られる銀行の定番で、かつては地方都市の商業地として栄えた地区でも良く見かけたものですが、最近は現存する建物も少なくなってきています。


■正面にオーダー(列柱)をどーんと構えて玄関にペディメントをいただく造りは、まさに古典様式銀行建築の王道!
アーケードに隠れてファサード全体が見えないのが残念なところ。



■柱に継ぎ目がありますが、これが大都市の大手銀行本店クラスだと大理石削りだしの一本柱になります。


■オーデン大門ビル(旧四日市銀行津支店)三重県津市大門10-21
 竣工:大正11年(1922)
 構造:RC造2階建
 撮影:2015/05/03


■同時期に建てられた旧名古屋銀行一宮支店(一宮市役所西分庁舎)/大正13年竣工
こちらの方が様式は簡略化されていますが、オーダーが4本でファサードの印象もそっくりです。
ちなみに設計は中部の近代建築の雄、鈴木禎次。



 


三重大学レーモンドホール(三重県津市)

2015-06-20 | 三重の近代建築

三重大学の南門を入ってすぐ右手にある木造平屋建の細長い建物です。外壁は木の質感を残したままのバンガロー風で、室内は構造体である丸太材をあえて露出させた構造になっています。当初は三重県立大学の図書館として昭和26年(1951)に建設され、昭和44年(1969)現在地に移築され三重大学移管後も食堂として利用されました。

設計者のアントニン・レーモンドは、大正8年(1919)帝国ホテル建設のためライトの事務所員として来日、翌年には独立し日本のモダニズムのリーダーの一人として、戦後も日本に事務所を構え設計活動を展開しています。特に大正13年(1924)建設の自邸レーモンド邸は、コンクリート打ち放しの直角の箱で構成された建物で、同時期のコルビュジェやグロビウスの作品に肩を並べる、日本のモダンデザインの先駆的作品として建築史にその名を遺しています。


■建物北側外観





■玄関脇には登録有形文化財のプレートが掲げられています





◆三重大学レーモンドホール/三重県津市上浜町1515
 竣工:昭和26年(1951)
 設計:アントニン・レーモンド
 施工:大成建設
 構造:木造平屋建
 撮影:2015/05/03
 ※国登録有形文化財
  


三重大学三翠会館/旧三重高等農林学校同窓会館(三重県津市)

2015-06-17 | 三重の近代建築

寺の町一身田をあとに、旧街道を40分ほど歩き三重大学に向かいました。三重大のキャンパスには、三重高等農林学校の開校10周年事業として昭和11年に建設された洋風の同窓会館が現存しています。お目当ての建物は正門を入り右手奥の公園に隣接した木立に囲まれた一画にひっそりと建っていました。

建物外壁は下見板張りで、爽やかなクリーム色に塗られた外観はいかにも学校建築らしく、当時の高農時代の雰囲気を伝えています。2階建の本館は正面中央に大きな切妻破風と車寄を配し、かなりファサードを強調した造りになっています。また外壁に施された幾何学模様の装飾や、車寄の庇、持送り、照明などにも当時流行のセセッションや表現主義風のモダニズムの影響がうかがわれ、昭和初期の典型的な木造学校建築の姿を見ることができます。

現在建物は「三重大学三翠会館」と呼ばれ、集会や校史関係資料展示室として利用しながら大切に保存されており、戦前の三重大の歴史を語る唯一現存する建物として登録有形文化財に指定されています。


■西側正面外観~正面中央に切妻破風、その下にも立派な車寄を設けてファサードを強調。
向かって右側(南側)には平屋の会議室が付属する。



■外壁の幾何学模様の装飾や、車寄の細部の意匠が見どころ。
妻壁の三連の六角形や窓枠のデザインが面白い。





■北側外観~大きな車寄が洋館らしさを演出


■西側正面~玄関・車寄廻りデザイン

    


    


■南側会議室(多目的ホール)外観
    



■説明看板



◆三重大学三翠会館(旧三重高等農林学校同窓会館)/三重県津市上浜町1515
 竣工:昭和11年(1936)
 設計:的場久壽雄
 施工:加藤組 加藤要作
 構造:木造2階建、鉄板葺(旧スレート葺) 
 撮影:2015/05/03
 ※国登録有形文化財 

 


(有)落合運送(三重県津市)

2015-06-07 | 三重の近代建築

一身田駅前を専修寺のある町の中心へ向かう旧街道が通りますが、駅前の旧街道沿いにひと目で戦前モノと分かる洋風建築が建っています。建物は昭和初期によく見られる装飾がほとんどない直線を基調としたモダンな外観で、資料によると昭和12年(1937)頃の竣工です。

町はずれの一身田駅前は行きかう人もなく、ひっそりとたたずむ昭和の洋風建築は、大正の駅舎とともに今日も静かに時を刻んでいます。


■箱型の端正な外観ながら、外壁は石張り風に目地を切り縦長の窓を並べモダンな雰囲気を演出。
軒下に設けた古典様式建築に見られる水平線の出っ張り(コーニス)が効いています。




■旧街道沿いに日本家屋と並んで建っています。右手奥に見えるのは一身田駅のホーム。





◆(有)落合運送/三重県津市大里窪田町863-3
 竣工:昭和12年(1937)頃
 撮影:2015/05/03 


殿町の洋館(三重県松阪市)

2015-05-24 | 三重の近代建築

松阪工高のすぐ東側の住宅地で偶然見つけた洋館です。
外観のデザインからすると戦前物件、それも個人住宅としてはかなり本格的なグレードの高い西洋館です。
文献等未掲載ですが、多彩な屋根の表情や玄関廻りの装飾に、戦前の洋風住宅ならではのこだわりが感じられる優良物件です。









三重県立松阪工業高等学校資料館(赤壁校舎)/旧三重県立工業学校製図室(三重県松阪市)

2015-05-20 | 三重の近代建築

松阪城跡の南側に隣接する御城番屋敷(江戸時代末松阪城の警護にあたった紀州藩士の屋敷)の石畳を抜けると、県立松阪工業高等学校があります。古い御影石の校門のすぐ左手に、白い壁に朱色の下見板が映える建物がすぐ目に入ります。

この建物は明治41年旧三重県立工業学校製図室として建てられたもので、建物は木造平屋建瓦葺き、外観はコンクリート基礎の上を赤く塗られた下見板で張り、上部は白い漆喰塗りに木骨を見せハーフティンバー風に仕上げて洋館らしい雰囲気を演出しています。

平成20年に経済産業省の近代化産業遺産(三重県立松阪工業高等学校関連遺産)の認定を受け、現在は県立松阪工業高等学校の資料館(赤壁校舎)として大切に使われています。


■建物南面



■出入り口の脇に「近代化産業遺産」の認定プレートが掲げられています



■建物西面
ハーフティンバー風に仕上げた妻側壁面がこの建物の見せ所。白と赤のコントラストが美しい。



■赤壁校舎の説明看板



■建物北面~赤壁校舎には赤い丸ポストが良く似合います



■北側校門から赤壁校舎を望む~門扉もちゃんと赤で統一されています



◆三重県立松阪工業高等学校資料館・赤壁校舎(旧三重県立工業学校製図室)/三重県松阪市殿町1417
 竣工:明治41年(1908)
 構造:木造平屋建
 撮影:2015/05/03
 ※経済産業省認定近代化産業遺産


松阪市立歴史民俗資料館/旧飯南郡図書館本館・倉庫(三重県松阪市)

2015-05-16 | 三重の近代建築

松阪市文化財センターから東へ向かうと松阪城跡があります。ここには明治45年に建てられた旧飯南郡図書館本館と倉庫が現存しており、現在は松阪市立歴史民俗資料館として使われています。

皇太子行啓記念事業として飯南郡各町村共同により、松阪城跡公園の北端に建設された図書館本館は、木造2階建、玄関を中心に左右に翼部を配した左右対称の構造で、明治期の近代和風建築の好例です。本館の東に隣接して建つ2階建の土蔵は、漆喰壁を下見板で覆い、外観の意匠を本館とあわせ統一感を出しています。







■本館の東隣に建つ土蔵造りの倉庫






■資料館前の説明看板



■建物全景(Network2010:名古屋をとりまく歴史街道より


◆松阪市立歴史民俗資料館(旧飯南郡図書館本館・倉庫)/三重県松阪市殿町1539
 竣工:明治45年(1912)
 設計:清水義一
 構造:本館(木造2階建)/倉庫(土蔵造2階建)
 撮影:2015/05/03
 ※国登録有形文化財