かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

浄心界隈のレトロ商店(名古屋市西区)

2012-04-30 | まち歩き

堀川の橋めぐりの時に、地下鉄の浄心駅から中土戸橋まで歩きました。
浄心の交差点から弁天通の交差点までの道路沿いには、まだまだ昭和の匂いが漂う私好みの古い商店が残っていました。

 


■ファサードだけ石貼り風にした『看板建築風金物店』
隣のレディスヨシダもおそろいです



■画像では分かりにくいですが、ファサードは総豆タイル貼り
ドイツ語の屋号がいかにも昭和してます



■「羊屋洋服店」ですから文字通り、すべてウールマークの高級品
店の奥では頑固な仕立て職人のオヤジさんがどっかりと腰を下ろしています



■履物、洋品、雑貨、金物は昭和レトロな店の定番です
左手の靴店の方はシャッターではなく、まだ木製の雨戸を使用中


犬山祭本町車山蔵(愛知県犬山市)

2012-04-24 | 尾張の近代建築




車山蔵は犬山祭の際にくりだす車山の格納庫で、13町内にそれぞれの車山蔵がありますが、現在当時の木造のまま残っているのは本町と新町の2町内のみになっています。

本町の蔵は小屋組みは和風ながら、筋違やボルト締めなどに洋風建築技術が見られます。


◆犬山祭本町車山蔵/愛知県犬山市東古券779
 竣工:明治42年(1909)
 施工:市橋清次郎(棟梁)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/04/21
 ※国指定登録文化財


小弓の庄/旧加茂郡銀行羽黒支店(愛知県犬山市)

2012-04-23 | 尾張の近代建築

私の地元犬山市には国宝犬山城があり、城下町には江戸末~明治期に建てられた町屋が多数現存しています。
また博物館明治村には、9件の国の重要文化財を含む60を超える明治~大正期の近代建築(西洋館)が全国から移築保存されていますが、もともと犬山に建てられた洋風の近代建築はほとんど現存していません。

そんな中で名鉄小牧線羽黒駅のすぐ近くに、犬山唯一の現存する明治期の擬洋風建築、「小弓の庄」(旧加茂銀行羽黒支店)という銀行建築が移築保存されています。
現在小弓の庄として再活用されている建物は、明治40年代に加茂郡銀行羽黒支店として建てられた建物で、その後東濃銀行、七十六銀行、大垣共立銀行の羽黒支店を経て、昭和5年に支店が廃止になるまで銀行建築として使用されました。
銀行廃止後は個人が購入し、昭和8年頃道路拡幅により移築された後、昭和18年からは愛北病院羽黒診療所として利用され、近隣の人々から親しまれてきました。
近年は住宅として使用されていましたが解体されるのを機に、平成11年犬山市が羽黒のまちづくり拠点施設「小弓の庄」として現地に移築復原しました。

明治期に多く建てられた、いわゆる「擬洋風」と呼ばれる和風建築に洋風を取り入れた建築様式で、唐破風の鶴の彫り物や竜の鬼瓦、漆喰の鏝絵装飾など職人の技が光る見どころがいっぱいです。
また内部も1階は吹き抜けのホールになっていて、回廊や欄間など明治期の地方銀行の特徴をよく残しています。

※小弓の庄~旧丹羽郡の犬山地区は藤原氏領の荘園で「小弓庄」と呼ばれ、羽黒がその中心といわれています。


◆小弓の庄(旧加茂郡銀行羽黒支店)/愛知県犬山市大字羽黒字古市場53-1 
 竣工:明治40年(1907)代→平成11年(1999)移築復原
 構造:木造2階建
 撮影:2012/04/15

 〈参考資料〉小弓の庄パンフレット、旧加茂郡銀行羽黒支店建物復原の概要 




■建物正面~寄棟造桟瓦葺、外壁は漆喰塗仕上げの明治期の典型的な擬洋風の銀行建築





■正面入り口の唐破風~鶴の彫物と龍の鬼瓦が見所



■壁の出隅と一階窓下の腰部分は隅石積を模した洗出し仕上げ
一・二階窓の間と軒廻りには蛇腹が廻る



■窓廻りには漆喰仕上げのペディメント、笠木、持送りのある窓台が付く



 

■建物背面の出隅部分には漆喰塗の鏝絵の装飾が施されている





■一階吹き抜けの玄関ホール~上部には回廊がめぐり、二階和室の欄間を見ることができる



■二階和室欄間の透かし彫り




東急鯱バス(株)社員寮(名古屋市北区)

2012-04-22 | 失われた建物の記憶



■角の柱を見るとイギリス積みの煉瓦の様子が良く分かります


名古屋市内では珍しい明治期の煉瓦造建築です。
元々は製糸工場として建てられたものですが、現在は民間会社の施設として再利用されています。
築100年以上も前の古い建物が、取り壊されることなくリフォームして再活用されているのは素晴らしいことです。
貴重な明治の近代化遺産、東急鯱バスさんが少しでも長く保存活用されることを願います。

◆東急鯱バス(株)社員寮(旧製糸工場)/愛知県名古屋市北区柳原3
 竣工:明治28~30年(1895~1897)
 構造:煉瓦造2階建
 撮影:2012/03/20

※残念ながら2012年取り壊しとの情報をいただきました 

 


黒川樋門(名古屋市北区)

2012-04-18 | まちかどの20世紀遺産

黒川樋門は明治初期、矢田川の地下にトンネル(伏越)を掘り庄内用水から分岐して黒川(堀川)へ水を入れるための水量調整用の水門として設けられました。
明治末には石造りの樋門に改修されましたが、昭和53年取り壊されその後現在の形に復元されました。
ちなみに堀川の水源は庄内川ですが、流域で通称(呼び名)が異なっています。
一般的に河口~朝日橋までが堀川、朝日橋から黒川樋門までが黒川、黒川樋門~庄内用水元杁樋門までが庄内用水と呼ばれています。


◆黒川樋門/名古屋市北区辻町字古新田
 竣工:明治末→昭和55年(1980)復元
 構造:石造
 撮影:2012/03/20
 ※名古屋市都市景観重要建築物等



■3連の石造の水門で、巻上機のある上屋は木造で復元され、樋門の上を人が通行できるよう手すりもついています


 


今年最後の桜

2012-04-15 | ありふれた日常

私の地元犬山の桜も満開を過ぎ、桜の花びらが風に舞っています。
自転車で春の風を感じながら、ふらっと今年最後の桜をめでに行ってきました。

しかし世間でこれだけ桜がもてはやされるようになったのは、いつごろからでしょうか? 
私の子供の頃の昭和40年代は、桜の下で弁当を広げ花見をしている人を見たことがありません。
実家の近所の堤防に「日本さくら名所100選」に選ばれている千数百本の桜並木があるのですが、昭和50年頃から市主催の桜まつりが開催されるようになったようです。 
高度成長期を過ぎ、生活と心に少しゆとりができたこの頃から、レジャーとしての花見が世間で定着し始めたようです。

今年も日本各地の桜の名所には大勢の人が訪れました。
いくら冬が寒くても必ず春が来て、今年もまた桜を見られる、そんな当たり前のことにあらためて幸せを感じる今日この頃です。
来年も今年と同じ普通の生活の中で、普通にいつもの桜を見たいものです。 








五条川の桜~川面は桜の花びらでいっぱいです



小口城址公園の桜



菜の花と一本桜




 
桃の花が満開です 


庄内用水元杁樋門(名古屋市守山区)

2012-04-13 | まちかどの20世紀遺産

先月から堀川の橋を紹介してきましたが、堀川の源流である庄内川の取水口にも明治期に造られた庄内用水元杁樋門が現存しています。
庄内用水元杁樋門は、明治10年の黒川開削により庄内川からの取水口として造られました。

水分橋の西側の庄内用水頭首工でせき止められた水は、庄内用水元杁樋門より取水され、矢田川の下を通り黒川分水池に貯めて庄内用水(農業用)と分岐、黒川樋門を経て黒川~堀川から伊勢湾に注ぎます。
明治19年、木曽川~新木津用水~八田川~庄内川~庄内用水~黒川~堀川~名古屋港を結ぶ運河が開通し、犬山から堀川までの船運により陸路と比べ大幅な輸送時間の短縮が可能になりました。犬山から名古屋港まで4~5時間の行程だったそうで、犬山在住の私にとっては、まさにご近所の用水から名古屋港まで船で行ける時代があったことに新鮮な驚きを感じました。

明治10年当時の樋門は木造でしたが、明治43年に人造石(たたき)工法により作り直され、昭和63年に新しい樋門ができるまで長い間使われました。
人造石工法は三河の服部長七が考案したもので、安価なこともあり明治時代の大規模な土木工事に良く用いられましたが、鉄筋コンクリート工法の普及とともに廃れていきました。
庄内用水元杁樋は名古屋で唯一現存する人造石の樋門で、平成5年市の都市景観重要建築物等に指定されています。


◆庄内用水元杁樋/名古屋市守山区瀬古2
 竣工:明治9、10年(1876、1877)開削、明治43年(1910)改修
 設計:愛知県土木工手 石黒亀吉
 施工:栗田末松
 構造:人造石・切石積
 撮影:2012/03/20



■人造石の樋門が確認できる南側~舟の通行のためアーチの背が高くなっています



■明治43年5月改築時の銘板が埋め込まれています



■取水量の調整のためのゲート操作部


 
■大正3年にねじと歯車を使って船の舵輪状のもを回してゲートの上げ下げをする方式に改造されました 


ぶらっと犬山祭り

2012-04-08 | ありふれた日常

春の陽気に誘われて、花見がてらぶらっと自転車で地元の犬山祭りに行ってきました。
5年ぶりくらいですが、ちょっと見ぬ間に城下町が観光地らしく? 整備されているのに驚きました。
最近は城ブームで犬山城も人気上昇中とかで、天気に恵まれ犬山祭りも大勢の人でにぎわっていました。
 


からくりを針綱神社に奉納後、車山は城下町を巡行します



圓明寺の枝垂桜がちょうど満開でした



小栗橋/中川運河(中川区)

2012-04-07 | 近代橋めぐり

中川運河と堀川をつなぐ東支線の分岐点のすぐ下流にあるのが小栗橋です。
上流の運河橋より古い昭和4年竣工で、幾何学模様の鉄製高欄や鋳鉄製の装飾を持つ親柱などが当時の面影を残しています。


◆小栗橋(おぐりはし)/名古屋市中川区月島町(右岸)~中川区広川町(左岸)
 竣工:昭和4年(1929)
 構造:鋼PG(プレートガーダー)
 撮影:2012/02/26


■右岸下流側(月島町)より撮影



■東橋詰(広川町側)



■鉄製高欄に施された立体的な幾何学模様



■西橋詰のコンクリート壁


 
■鋳鉄製の装飾が施された石造りの親柱 


運河橋/中川運河(名古屋市中川区)

2012-04-05 | 近代橋めぐり

堀川の西側を並行して流れる中川運河は、名古屋港と笹島貨物駅(現:あおなみ線ささしまライブ駅)を結ぶために掘られた運河で、昭和5年(1930)に竣工しました。
中川運河の竣工により鉄道で運ばれた貨物を船によって名古屋港に運び、同時に松重閘門(現在は使用停止)を設けて堀川とも行き来が可能になりました。
近代の名古屋の物資輸送の要として経済の発展に貢献してきた中川運河も、昭和30年代からは輸送手段が陸路に変わり、現在は忘れ去られた存在になっています。
運河橋は中川運河の最も上流に架かる橋で、多くの船舶が橋の下を往来した戦前の頃の面影を今も残しています。


◆運河橋(うんがはし)/名古屋市中川区月島町(右岸)~中川区運河通1(左岸)
 竣工:昭和6年(1931)
 構造:RC
 撮影:2012/02/26



■下流の猿子橋より撮影~後ろの高架道路は名古屋高速5号万場線



■西橋詰(下流側)~橋の四隅には立派な石造の親柱、欄干の中央には背の高い橋灯も設置されています



■東橋詰(下流側)



■親柱は当時流行の表現主義風のデザイン
 


向野跨線橋(名古屋市中村区~中川区)

2012-04-03 | 近代橋めぐり

名古屋駅の南西にJR東海の関西線と名古屋車両区をまたぐ、いかにもクラッシクな跨線橋が残っています。
この鉄橋は名古屋で現存する最も古い橋で、明治19年京都鉄道(現JR山陰本線)の保津川鉄橋として米国で造られたものを道路橋として転用、昭和5年現在地に向野跨線橋として架橋されました。
当時は鉄の長いトラス橋は貴重で、撤去後もスクラップにはせず道路橋や跨線橋などに再利用されるのが普通でした。
当初の役目である保津川の鉄橋としては30年と短命でしたが、その後名古屋の地で第2の長い余生を送ることになり、現在でも110歳を超えてなお現役バリバリで頑張っています。
現在は老朽化により車両の通行は禁止されていますが、地域の生活に密着した身近な橋として人々に親しまれています。


◆向野跨線橋(こうやこせんきょう)/名古屋市中村区長戸井町~中川区百船町
 竣工:明治32年(1899)製造→昭和5年(1930)転用 
 製作:A&Pロバーツ社ペンコイド工場(米国)
 構造:鋼プラットトラス
 撮影:2012/02/26



■中川区百船町側より撮影



■中村区長戸井町側より撮影



■跨線橋からはJR東海の名古屋車両区が見渡せ、電車ウォッチングのスポットとして絶好です



■名古屋駅周辺の高層ビル群も見渡せます



■「昭和五年六月竣工」の銘板があるコンクリート製のシンプルな親柱


 


堀川の橋(15)~住吉橋(名古屋市中川区~熱田区)

2012-04-02 | 近代橋めぐり

堀川の近代橋めぐりもいよいよ最後、日置橋から松重橋、山王橋、古渡橋、尾頭橋と堀川を下り、金山駅の南西、県道中川~中村線に設けられた住吉橋です。
上流の古渡橋、尾頭橋は堀川七橋の一つですが、戦前の橋は架け替えられ当時の面影は残っていません。
住吉橋は堀川最下流に位置する戦前の面影を留める橋で、架橋時と変わらぬ三連アーチの外観が美しい表情を見せてくれます。

関東大震災の復興に際し、橋梁や小学校などの公共建造物に震災復興モデルが採用され、住吉橋にも震災復興デザインが取り入れられています。
学校建築でも、昭和初めに建てられた都市部の小学校には、耐火耐震を重視したRC造の復興小学校建築が採用されました。
名古屋市でもRC造の復興小学校が建てられましたがほとんど姿を消し、現在では筒井小学校だけが当時の姿をとどめています。


◆住吉橋(すみよしはし)/愛知県名古屋市中川区柳川町・八熊1(右岸)~熱田区新尾頭1、2(左岸)
 竣工:昭和12年(1937)、昭和59年高欄改修
 構造:鋼ソリッドリブ・アーチ(上路)、ラーメン橋台
 撮影:2011/02/11 



■下流左岸側(熱田区新尾頭)より撮影~中央の大きな鋼製アーチの両脇にコンクリート製アーチがあるので三連アーチに見える



■上流左岸より撮影~橋の四隅にかなり立派な橋灯付親柱が設置されています~





■下流東詰の親柱と橋灯~昭和モダンな雰囲気が漂う





■幾何学模様が美しい金属製の欄干


 

堀川の橋(14)~日置橋(名古屋市中川区~中区)

2012-04-01 | 近代橋めぐり

岩井橋をさらに下ると堀川七橋の一つ日置橋です。
日置橋界隈は江戸時代花見の名所として賑わったところで、当時の様子が『名古屋名所団扇絵集』や『尾張名所図会』に描かれています。
橋の外観は五条橋と同様和風のデザインで、石造りの擬宝珠を載せた親柱と高欄は当時のままで、両脇に和風の欄干で統一した歩道を新設しています。


◆日置橋(ひおきはし)/名古屋市中川区松重町3、4(右岸)~中区松原1、2(左岸)
 竣工:昭和13年(1938)
 構造:RCラーメン
 撮影:2012/02/26


■下流右岸側(中川区松重町)より撮影



■西橋詰(中川区松重町)~西日置商店街から続く通りですが、行きかう人も少なく静かな佇まい



■西詰の親柱~「明治十四年九月」と「昭和十三年九月改築」の銘があります
 明治期の親柱を昭和の改築時に再利用したものと思われます





■橋のたもとに『堀川花盛』と題して、江戸時代の日置橋の賑わいを紹介したプレートが設置してあります