かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

ステンドグラス(4)~オフィス編

2014-02-27 | まちかどの20世紀遺産

 今回は戦前のオフィスのステンドグラスです。大正~昭和初めにかけて建てられた事務所、オフィスビルには結構ステンドグラスがあるものが多いようです。大正期は動植物や自然の風景をモチーフにしたアールヌーボー風、昭和に入ると表現主義などのモダニズムの影響でシンプルな幾何学模様が多くなるようです。映画やドラマではよくレトロなオフィスが舞台になっていますが、ステンドグラスがあるような年代物のオフィスで、優雅に仕事がしてみたいものです。


名古屋陶磁器会館/昭和8年(名古屋市東区)
映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」で、茶川さんが連載している少年誌の出版社のオフィスとして使われていました。
外観も内部もまさに昭和レトロな雰囲気が漂うオフィスビルで、まだまだ現役で頑張っています。







石原美術(旧日下部合資会社事務所)/大正2年(岐阜市)
岐阜市内で唯一大正期のオフィスの姿をとどめる貴重な建物。



■武田五一のデザインともいわれていますが定かではありません。
竹のほかに燕に藤の花などをモチーフにした、数種類のステンドグラスが現存しているようです。
 


ステンドグラス(3)~洋館編/その2

2014-02-25 | まちかどの20世紀遺産

 前回に引き続き洋館のステンドグラスを紹介します。名古屋市東区橦木町にあるその名も橦木館は、大正~昭和期に見られる典型的な洋館+和館の邸宅で、現在は文化のみち橦木館として一般公開されています。橦木館の見どころは、邸内に保存展示されている多様なデザインのステンドグラスで、特に2階の欄間のトランプをモチーフにしたステンドグラスは、大正期のモダンな洋館を象徴する優れたデザインです。


橦木館/大正15年(名古屋市東区)




    



旧諸戸清六邸(六華苑)/大正2年(三重県桑名市)
有名な鹿鳴館を設計したコンドルが手がけた洋館で、国の重要文化財に指定されています。
広大な敷地に、和館と洋館が併設されていて、いかにも戦前の財閥の豪邸といったたたずまいです。



■邸内にステンドグラスは玄関の一か所だけで、外観に反して意外にシンプル。


 


ステンドグラス(2)~洋館編/その1

2014-02-22 | まちかどの20世紀遺産

 明治~昭和初期(戦前)の本格的洋館には、煙突(暖炉)とステンドグラスがつきものです。訪れた洋館で、本格的な暖炉と趣味の良いステンドグラスを見つけると、これぞまさに近代建築探訪冥利に尽きるというもので、もうそれだけで思わず顔がほころんでしまいます。戦前の本格的洋館建築は、維持するのが大変でどんどん取り壊されて行きますが、今回は地元の愛知県を中心に、一般公開されている内部見学が可能な洋館のステンドグラスを集めてみました。


芝川又右衛門邸/明治44年(愛知県犬山市明治村内)



■玄関脇にある花の図柄のステンドグラス。建物の設計者で、工芸意匠家としても知られる武田五一の作品か?





文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)/大正9年~平成17年現地に移築復元(名古屋市東区)



■館内には竣工当時の杉浦非水デザインのアール・ヌーヴォー調のステンドグラスが修復復原されています









ステンドグラス(1)~教会編

2014-02-16 | まちかどの20世紀遺産

 近代建築探訪の楽しみは、まず実際に現地に出かけ建物の外観をじっくり見ることから始まります。特に大きな建物は全体に目を奪われがちですが、屋根、壁、柱、玄関、窓など細部(ディテール)にこだわると、これが見どころ満載なのです。そこで「美の神」が宿る建築の細部に注目して、建築ウォッチングの見どころ(ツボ)を紹介して行きたいと思います。

 まず最初は建物の窓にスポットを当て、その美しい造形ををじっくり紹介します。近代建築は外観だけではなく、できれば内部も見たいところですが、個人住宅や現役で使用中の建物などは非公開のところがほとんどで、通常内部見学はできません。そこでおすすめなのが一般公開されている建物で、内装や照明、家具など細部に時間をかけじっくり見学できるので、近代建築探訪の楽しみも倍増です。

 特に建物の中に入らないと、まったくその美しさが分からないものにステンドグラスや色ガラスがあります。ガラスを通した外光が陰影をつくり、その美しさを際立たせるステンドグラスは、建物内部から見て初めてその素晴らしさが堪能できます。ステンドグラスと言えば、まず教会が頭に浮かびますが、わたしたち一般人がいきなり見学・撮影というわけにもいきません。

 そこで誰でも気軽に見学できる一般公開されている建物、愛知県犬山市にある明治村内の教会のステンドグラスを紹介します。村内には美しいステンドグラスがある教会が2棟移築されています。特に京都から移築された聖ザビエル天主堂のステンドグラスは、中世ヨーロッパのカトリック教会を思わせる本格派で、ゴッシク教会の荘厳な雰囲気が体験できます。


■聖ザビエル天主堂/明治23年(愛知県犬山市明治村内)



■ゴッシク様式の高い天井からは、ステンドグラスからの優しい外光が降り注ぎ、キリスト教徒でなくても荘厳な雰囲気に癒されます



■聖人像の上にはゴシック様式の尖頭アーチのステンドグラスがずらりと並ぶ





■正面入口上部には大きな円形のローズウィンドー(薔薇窓)が輝く





■建物両側面にある出入り口上部の薔薇窓



■側廊のステンドグラス
 





■聖ヨハネ教会堂/明治40年(愛知県犬山市明治村内)



■聖ザビエル天主堂と比べると落ち着いた色使いでデザインも繊細






主税町カトリック教会礼拝堂/明治37年頃(名古屋市東区)



■礼拝堂内の色ガラス~中央に十字架がデザインされています
 


やっぱり洋館にはツタでしょう!

2014-02-11 | まち歩き

町を歩いていて、良い具合にツタの絡まるお店や住宅を見かけると「いいなあ~」と思います。
以前自宅の壁にツタを這わせてみたくて、奥さんに相談してみたのですが、「うっとおしいから絶対ダメ!」の一言で却下、取り付く島がありませんでした。
やはり一番ツタが似合うのは、古い洋館や歴史のあるキャンパスの学舎で、特に赤煉瓦やタイル貼りの壁に緑のツタの組み合わせは、もうそれだけで絵になります。


◆ツタが似合う洋館・近代建築◆

■愛知大学公館/明治41年(愛知県豊橋市)



■鍋屋上野浄水場・第1ポンプ所/大正3年(名古屋市千種区)



■愛知学院楠本学舎1号館/昭和3年(名古屋市千種区)



■旧東山給水塔/昭和5年(名古屋市千種区)



■六供浄水場配水塔/昭和9年(愛知県岡崎市)






◆町で見つけた緑化住宅◆

■窓から屋根まで緑化が進行している良い雰囲気の喫茶店(愛知県岡崎市)



■思わず入りたくなる「赤煉瓦にツタ」の最強の組み合わせの居酒屋(愛知県豊橋市)



■かなり気合の入った緑化住宅(愛知県安城市)



■究極の緑化住宅(名古屋市緑区)




日本放送協会桶狭間ラジオ放送所旧正門(名古屋市緑区)

2014-02-09 | まちかどの20世紀遺産

 5年ほど前に名古屋市緑区有松界隈を探訪した時に見つけた、日本放送協会桶狭間ラジオ放送所旧正門です。撮影当時、すでに建物はきれいさっぱり取り壊され、広大な敷地だけになっていました。かろうじて正門だけは残っていましたが、現在も残っているかどうかは未確認のため定かではありません。

 愛知県近代化遺産報告書には、現存当時の放送所の写真は掲載されていましたが、竣工年など詳細は一切不明になっています。建物は表現主義的なデザインで、竣工年は昭和一桁と言ったところでしょうか?正門のデザインはいたってシンプル、装飾などは一切ありませんが、角にアールを付けたデザインからは昭和初期のモダニズムの香りが漂ってくるようです。


■撮影当時門の中は更地でしたが、現在は宅地などに転用され門も取り壊されている可能性が高いと思われます。





(撮影:2009/06/09)


オペラ座の夜/クイーン(1975年)

2014-02-05 | 音楽・オーディオ

 ぼくが中学~高校時代に洋楽(特にロック)にハマるきっかけは、その道の師匠ともいえる友との出会いがあったからだが、高校時代にはロックの第2の師匠ともいえるK君との出会いがあった。高2の時に同じクラスになったK君は色白の細面、髪をビートルズのマッシュールームカットのようにしたいわゆる優男、今で言う草食系男子の典型のようなタイプだった。ひょんなことからK君が大のロック好きと分かり、中学時代にヒロシ(第1の師匠)の影響で洋楽にハマっていたぼくは、すぐにK君と意気投合したのだった。

 K君はこの当時すでに、輸入盤を中心に洋楽アルバムを300枚以上所有していて、ハードからプログレまであらゆるジャンルのロックに精通していた。今思うと高校生で300枚ものアルバムを持っていたのだから、かなりの良いところのお坊ちゃまということだが、彼は月々のこづかいはもちろん、昼飯代もほとんどレコード購入につぎ込んで、メロンパン1個でがまんしていたかなりのツワモノでもあった。そんなK君からの薫陶もあり、ぼくは増々ロックにハマっていったのだが、一般庶民の息子だったぼくは、当時月1枚のペースでレコードを買うのが精いっぱい(当時レコードは高価で2000円以上した)、K君から借りるレコードはまさに頼みの綱だった。

 ある日そのK君が、「これ聴いてみ」と貸してくれたのが、リリースされたばかりのクイーンの3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」だった。今でこそクイーンといえばロック界の大御所、洋楽ファンでなくても知らない人はいないビッグネームだが、この当時日本では一部の熱狂的なファンはいたものの、まだそれほど認知されていなかった。ぼくは一度もまともに聞いたことがないのに、どうせビジュアル重視のキワモノバンドくらいに高をくくっていたのだ。

 どうせ大したことはないだろう、と軽い気持ちでレコードに針を落とし全曲聴き終わると、これがまさしく「ムムムッ」なのである。曲はポップでキャッチー、バライティーに富んでいるのだが、音の厚みもあり、何より既成のロックバンドにはないクイーン独自の美学の世界をしっかりと構築していた。楽曲、テクニック、ビジュアルと三拍子そろったロックバンドは稀有な存在で、ツェッペリンやパープル、イエスなどの大御所に次に来る、新しい世代のロックバンドを渇望していた高校生のぼくには、はまさしく「ビンゴ!」だったのだ。翌年リリースされた「オペラ座の夜」の大貫憲章氏のライナーによると、デビュー当時はイギリス国内でもかなり酷評され、「ションベン桶」とか言われていたようだが、あらためてメロンパン1個でロック道を究めていた師匠K君の慧眼には感服するばかりだった。


■オペラ座の夜/クイーン(1975年)
 4枚目にして彼らの70年代黄金期を代表する1枚。たとえるならビートルズの「アビーロード」のようなアルバムで、メンバー4人全員が楽曲を提供し、曲想も変化に富んでいるが、トータルアルバム的な味わいもあり、ぼくの中では文句なしの彼らのベストアルバム。
 
 ブライアン・メイのカッコいいギターフレーズが印象的な「デス・オン・トゥ・レッグス」に始まり、最後のイギリス国歌「ゴット・セイヴ・ザ・クイーン」まで捨て曲なしで一気に聴かせる。当時このアルバムを初めて聞いたときの印象は、「カッコいい!」の一言に尽きた。特に今は亡きフレディ・マーキュリーがピアノの弾き語りで歌う「ボヘミアン・ラプソディー」は何度聴いてもトリハダもので、ぼくの中ではツェッペリンの「天国への階段」と並び、ロック史上に燦然と輝く不朽の名曲。






■クイーン・ライヴ・キラーズ(1979年)
 「オペラ座の夜」と並びぼくのお気に入りの1枚で、70年代最後を飾るクイーン初のライヴ盤。音質は今一つだが、70年代黄金期の楽曲が彼らの絶頂期のライヴ・パフォーマンスで堪能できる。
 クイーンと言えばやはりフレディ・マーキュリーの存在が絶大で、1991年彼の死によってクイーンの実質的なバンド活動は終焉を迎えたのである。


公園の老ライオン(名古屋市中区)

2014-02-02 | まち歩き

名古屋市中区の外堀通り沿いの公園に住むライオンです。向かいの日本郵便東海支社(昭和13年)探訪の際に偶然見つけたのですが、テニスコートの脇に行儀よくお座りしている姿はなかなか愛らしいものがあります。

市街地に住むライオンと言えば、マンションの玄関脇に座っているのをよく見かけますが、こちらのライオンはそれとは関係がないようで、台座には「ライオンヘルスパーク」の銘が入っています。これとそっくりなライオンを東山動物園のライオン舎の前で見かけた覚えがあるのですが、確か台座には「ライオン歯磨」と入っていたようです。

この公園のライオンと「ライオン歯磨」との関係は定かではありませんが、かなり年季の入った姿から察すると、昭和30~40年代生まれの老ライオンとお見受けしました。これからも公園の片隅で、長生きしてくれるのを望むばかりです。





■口を開け鋭い眼光で睨む姿はなかなか勇壮で、タテガミやヒゲ、爪など細部にわたりしっかり造り込まれています