かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

中京倉庫(株)/名古屋市熱田区

2012-02-29 | 名古屋の近代建築

JR東海道線か名鉄本線に乗り、金山~熱田(神宮前)間を通ると、線路のすぐ脇(東側)の赤煉瓦の倉庫が目につきます。
倉庫は東西に長く北側が道路に面しているため、縦長の窓が並んだ美しいイギリス積みの壁面を見ることができます。
当初は熱田砲兵工廠として造られ、囚人を集め兵器を製造していたそうです。
煉瓦倉庫が当初のまま完全に保存されているのは北側の一棟だけですが、敷地内には一部煉瓦造の倉庫が見られます。 

◆中京倉庫(株)/愛知県名古屋市熱田区六野町2
 竣工:明治37~40年(1904~1907)
 施工:一部有馬組
 構造:煉瓦造平屋建
 撮影:2010/02/11
 


北側道路から望む
 


倉庫南側
 


北側壁面~窓はコンクリートで埋められています
 


西妻側の丸窓


 
敷地内のほとんどの倉庫は煉瓦の上からコンクリートが塗られ、一部だけが煉瓦のまま残っています
 


名古屋市上下水道局熱田ポンプ所(名古屋市熱田区)

2012-02-27 | 名古屋の近代建築

◆名古屋市上下水道局熱田ポンプ所/愛知県名古屋市熱田区神宮4-4-24
 竣工:昭和元年(1926)
 設計:名古屋市保健部下水道課
 構造:RC造2階地下1階
 撮影:2012/02/11

 名鉄神宮前駅の南、大津通りに面した熱田郵便局を東へ入ると名古屋市上下水道局熱田ポンプ所があります。
一見何の変哲もないどこにでもありそうな古びた鉄筋コンクリートの建物なので、とても昭和元年に建てられたとは思えません。
外観はほとんど装飾がなくなりただの四角い箱になっていますが、2階の窓の上の庇状の水平線と付け柱の垂直線が昭和のモダニズム建築の雰囲気を漂わせています。
 




屋上の一部3階部分にドーム状のものが載っています

 


龍影閣/旧名古屋博物館品評所(名古屋市熱田区)

2012-02-26 | 名古屋の近代建築

熱田神宮の敷地内にある龍影閣は、明治11年に開催された愛知県博覧会の名古屋博物館の品評所として大須に建てられ、明治天皇の休憩所としても使われました。
その後建物は昭和43年に明治100年を記念して熱田神宮に寄進され、現在地に移築されました。
木造2階建ての純和風建築で、2階には明治天皇巡幸の際の御座所も当時のまま保存され、1階は錬成道場として活用されています。
今回訪問時は残念ながら改修工事中で立入禁止だったため、平成19年に撮影した画像です。



◆龍影閣(旧名古屋博物館品評所)/愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
 竣工:明治11年(1878)
 施工:棟梁 鈴木幸右衛門
 構造:木造2階建
 撮影:2007/02/11
 ※国指定登録有形文化財



夜寒町の洋館(名古屋市熱田区)

2012-02-25 | 名古屋の近代建築

十六銀行熱田支店のある新尾頭の交差点から伏見通を南へ向かい、西高蔵の交差点を東へ入ると、「夜寒町」というなかなか文学的な地名の町があります。
閑静な夜寒町の住宅街を熱田神宮目指して南へ歩いていると、旗屋小学校の前で偶然戦前物件らしい住宅を発見しました。
木造2階建で基本は和風の住宅ですが、窓の手摺や玄関の軒下、角の柱の装飾などに洋風の意匠が見受けられます。
日本近代建築総覧に掲載物件で、昭和10年竣工と判明しました。

◆夜寒町の洋館/愛知県名古屋市夜寒町4
 竣工:昭和10年(1935)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/02/11









建物の角の柱に施された装飾ですが意味不明です



玄関廻りは改築されていますが、保存状態は大変良好
年代物の住宅を大切に住まわれている様子が伝わります



近くの料亭にはかなり古そうな煉瓦の壁が残っていました




しんしんと冷える冬の夜、夜回りの声と遠くでは犬の遠吠えが・・・
思わずそんな情景が浮かぶ夜寒町です



十六銀行熱田支店(名古屋市熱田区)

2012-02-24 | 名古屋の近代建築

住吉橋を渡り八熊通を東へ、伏見通と交差する新尾頭の交差点の角にある十六銀行熱田支店はちょっと気になる建物です。
全体の印象から戦後物件と思われますが、外壁に垂直線を強調した付け柱を並べるデザインは、歴史様式のオーダーを簡略化したもので、昭和のモダニズム建築の名残が感じられます。
竣工年が気になったので調べてみると昭和34年と判明、高度成長期前夜の昭和30年代、古き良き時代の最後のモダン建築です。
昭和30年代の建物も築後半世紀、三丁目の夕日の時代もはるか遠い古きよき時代になってしまいました。

※ブログをご覧になった方からの情報で、設計は分離派として京都大学楽友会館などを手がけた森田慶一と判明しました。(kikuchiさん、どうもありがとうございました!)

◆十六銀行熱田支店/名古屋市熱田区新尾頭3丁目1-1
 竣工:昭和34年(1959)
 設計:森田慶一
 構造:RC造2階建
 撮影:2012/02/11


八幡湯(名古屋市中川区)

2012-02-22 | まちかどの20世紀遺産

カトリック八熊教会のすぐ南に立派な煙突を発見。煙突を目当てに歩いていくと八幡湯という銭湯でした。
入り母屋造りの日本建築に、ファサードは現代的な玄関がくっついているいわゆる看板建築風の銭湯で、営業時間前で入浴できないのが残念でした。
全国的にその数が激減中の銭湯、いつまでも昭和の風情を残してほしいものです。


銭湯としてはかなり立派な煙突です
タオルや座布団が干されていて営業準備中のようです 


金印わさび(株)本社北館(名古屋市中川区)

2012-02-19 | 名古屋の近代建築

久しぶりに名古屋の建築探訪です。尾頭橋~金山~熱田神宮界隈を、これまで訪れた近代建築の現存確認をしながら散策しました。
尾頭橋から佐屋街道を西へ向かうと五女子というちょっと変わった地名がありますが(隣には二女子もあり)、そこにある金印わさびの本社にいかにも洋館らしい戦前の住宅建築が残っています。
この建物は昭和15年に現地にあったものを金印わさびが購入、事務所として現在まで使用されています。
もとはドイツ人宣教師が建てたものと言われており、ファサード両翼を八角柱状にしてその真ん中に玄関を設けた外観は、洋館らしさを演出した意匠になっています。












◆金印わさび(株)本社北館(旧ドイツ人宣教師邸)/愛知県名古屋市中川区五女子1-61
 竣工:昭和15年(1940)以前
 構造:木造2階建
 撮影:2012/02/11 


旧愛知県立第四中学校正門(愛知県豊橋市)

2012-02-18 | まちかどの20世紀遺産

愛知大学の西、田原街道沿いに愛知県立時習館高等学校があります。
1872年吉田藩校時習館として創設され、私立補習学校時習館、愛知県立第四中学校、愛知県豊橋中学校を経て、戦後は現在の愛知県立時習館高等学校に改称されました。
第四中学時代の明治38年に竣工した木造校舎は、戦災で焼失し残っていませんが、その時の正門が時習館高校の校庭に移築保存されています。
大正末~昭和初の県営繕課デザインの旧制中学の校門とは一味違う、赤煉瓦造の明治洋風建築らしい意匠になっています。
 

◆旧愛知県立第四中学校正門/愛知県豊橋市富本町
 竣工:明治38年(1905)頃
 構造:煉瓦造
 


歩兵第18連隊営門(愛知県豊橋市)

2012-02-12 | まちかどの20世紀遺産

豊橋市公会堂を訪れた時にすぐ北側の豊橋公園入口で古い門を見つけました。
調べてみると明治19年(1886)に豊橋に移駐し、吉田城址(現豊橋公園)に兵営を置いていた歩兵第18連隊の営門と分かりました。
営門がいつ造られたかは定かではありませんが、戦前なのは間違いなく、現在も豊橋公園の正門として保存再活用されています。
老若男女が集う公園に残る旧陸軍の遺構は、戦争の記憶を風化させないで、後世に伝える役割を果たしているに違いありません。
ちなみに歩兵第18連隊は、昭和19年(1944)サイパンからグアムに転進、最後は玉砕して大部分の兵士が戦死したそうです。



 
営門の脇に残るコンクリート製の立哨小屋
豊橋市役所の西側にも連隊の煉瓦造の門が移築保存されています  


柳生橋駅~豊橋鉄道 渥美線(愛知県豊橋市)

2012-02-11 | 木造駅舎の旅

豊橋建築散歩~その13

 豊橋鉄道渥美線の柳生橋駅には開業当時の大正時代の木造駅舎が残っています。現在は田原街道に面した線路際に改札口がありますが、当初は駅舎の裏側にある玄関が出入り口として使われていたようです。
 駅舎の屋根はマンサード風、外壁はモルタル塗りですが、裏手の玄関廻りは腰壁風にスクラッチタイルが貼られています。

◆柳生橋駅~豊橋鉄道 渥美線/愛知県豊橋市南松山町 
 竣工:大正14年(1925)
 構造:木造平屋建
 撮影:2011/10/09 
 




道路に面した現在の改札口~駅舎の後ろに豊橋鉄道の本社があります


木製の窓枠とカウンターが懐かしい出札口



裏に回ると大正時代の駅舎らしいレトロな雰囲気が漂います
 


駅舎裏手の立派な玄関~かつてはこちらが正面だったようです(ちなみに理容所は営業していません)



コンドーパン南栄蟹原店(愛知県豊橋市)

2012-02-08 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩~その12

 豊橋鉄道渥美線南栄駅の北、田原街道沿いにコンドーパン南栄蟹原店があります。愛知大学と時習館高校がすぐ近くで、学生がちょっと寄って気軽に買い食いできる、昔からある古いパン屋さんです。
 大きな看板がかかった店舗は普通の民家ですが、隣の古い煉瓦造の建物が気になります。煉瓦造の蔵のような外観で、屋根にかわいい煙突があるので、さしづめパン工場といったところでしょうか。竣工年は不明ですが明治~大正物件と思われ、長手と小口が一列ごとに交互に積まれたイギリス積みの赤煉瓦が今も美しい表情を見せています。
 店舗の奥には畳敷きの座敷があり、店で購入したパンや飲み物をその場でいただけるのはうれしい心遣いです。遠い青春の日、部活帰りに寄ったパン屋を思い出しほっこりとした気分になりました。明治創業のコンドーパン、いつまでも変わらずにいてほしいパン屋さんです。 

◆コンドーパン南栄蟹原店/愛知県豊橋市南栄町蟹原21-36
 竣工:不明
 構造:煉瓦造
 撮影:2011/10/9
 



 


愛知大学周辺の取り壊された旧陸軍物件(愛知県豊橋市)

2012-02-05 | 失われた建物の記憶

今回の訪問で(平成23年10月)取り壊された旧陸軍物件を確認しましたので、かつて平成12年に建築探訪した際に撮影した往時の姿を紹介します。

◆偕行社
 竣工:明治42年(1909)
 構造:木造2階建 

 旧陸軍第15師団関係の建物で戦後は愛知大学短大部の本部事務局として使われました。平成12年に訪れた時は倉庫になっていて、建物も老朽化でかなり傷んでいるようでした。
 平成23年の夏ごろに建て替えが完了した模様で、旧偕行社の建物は残念ながら取り壊されました。



 



◆旧騎兵第25聯隊炊事場/愛知県豊橋市橋良町向山
 竣工:明治41年(1908)
 構造:煉瓦造平屋建

 泰東製鋼(株)豊橋工場として再利用されていましたが、平成15年頃取り壊され現在跡地にはマックスバリュの店舗が営業しています。




  


愛知大学公館/旧陸軍第15師団長官舎(愛知県豊橋市)

2012-02-03 | 東三河の近代建築

豊橋建築散歩~その11

 愛知大学から北へ500mほど離れた県道405号線沿いの小高い丘の上に旧陸軍15師団長官舎があります。建物は明治~大正期に見られる洋館に和館を併設したタイプで、洋館部は寄棟桟瓦葺き、軒周りに蛇腹持送りをつけ、白く塗られた下見板張りで基礎の赤煉瓦がアクセントになっています。洋館は公的スペース、和館はプライベートな居住スペースとして使われました。 戦後は愛知大学学長公館や教員宿舎として利用されましたが、現在は使われている様子はありません。

 深い木立に囲まれた蔦の絡まる古びた洋館は、現代の喧騒から隔離された別世界で、100年前からこの一角だけ時が止まっているようです。

◆愛知大学公館(旧陸軍第15師団長官舎)/愛知県豊橋市高師石塚町22
  竣工:明治45年(1912)
  設計:臨時陸軍建築部
  施工:大林組
  構造:木造平屋建
  撮影:2011/10/09
  ※豊橋市指定有形文化財 

 


当時のままの門柱~左手奥に洋館が建っています





正面玄関車寄せ~向かって右手西側に和館部分が見えます



竣工時の木製ドアが残る玄関



正面玄関脇の出入り口



蔦の絡まる張り出し窓



アーチ型の床下換気口~グリルの格子のデザインも凝っています




庭に残る古井戸~左奥に見えるのが和風住宅部分