かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

天埜家洋館(愛知県半田市)

2012-07-10 | 知多の近代建築

亀崎駅の南、国道366号線沿いの緑に囲まれた広大な敷地に天埜酒造社長の邸宅、天埜家洋館があります。
知多半島は気候風土と水質、海運にも恵まれ、江戸から明治にかけて醸造業が非常に盛んで、28の業者が酒造場を経営していました。
戦後は酒類の多様化により日本酒の売り上げは激減、亀崎の酒造会社も次々に廃業し、天埜酒造は亀崎で営業する最後の酒造会社になりました。
天埜家洋館は酒造業の全盛期の明治期に建てられた洋館で、内部には当時の繁栄を物語るかのようなマントルピースや水洗式のトイレなども現存しています。

◆天埜家洋館/愛知県半田市亀崎町
 竣工:明治34年(1901)
 構造:木造平屋建
 撮影:2006/06/04
 


■深い木立に囲まれた天埜家洋館玄関


 


旧中埜家住宅/紅茶専門館T's CAFE(愛知県半田市)

2012-07-03 | 知多の近代建築

名鉄河和線知多半田駅より北東へ100mほどの小高い丘の上に、第10代中埜半六が明治44年、別荘として建てた山荘風の瀟洒な洋館が現存しています。
この住宅は中埜半六が英国留学中に親しんだヨーロッパの住宅を手本とし、アール・ヌーヴォー様式を取り入れたイギリスのチューダー様式の住宅で、設計は名古屋高等工業の教授鈴木禎次が担当しています。

外観は絵本からそのまま飛び出てきたような、誰もが『西洋館』として描くイメージそのままで、寄棟造りの大屋根に複数の切妻屋根、白壁にハーフティンバーが織りなす幾何学的模様など、これぞ西洋館という演出がてんこ盛りです。
建物は木造2階建、屋根は天然スレート葺で1階の腰壁部には大理石の石片を埋め込み、2階部分は柱や梁などの構造材をそのまま化粧材として外に見せる、ハーフティンバー仕上げとしています。

戦後は桐華学園本館として利用され、昭和51年には国の重要文化財に指定、平成13年からは紅茶専門館『T's CAFE』として活用されています。
5月の連休に訪れた時はお客さんでいっぱいで、まち歩きの途中で疲れたからだを休めながら、100年前の明治の洋館でゆっくりおいしい紅茶をいただきました。
本物の西洋館と紅茶専門店の取り合わせは相性抜群で、お好みの紅茶(30種類以上から選べます)と一緒に自家製のスコーンやケーキを味わえば、至福のひと時を過ごせます。


◆旧中埜家住宅(紅茶専門館T's CAFE)/愛知県半田市天王町1-30
 竣工:明治44年(1911)
 設計:鈴木禎次
 施工:志水正太郎
 構造:木造2階建
 撮影:2012/05/04
 ※国重要文化財


■建物南面~向かって左西側から、寝室・食堂・居間・客室(出窓付)が並ぶ。1、2階の中央には手摺付のベランダを設ける



■本来の玄関は建物東側ですが、喫茶店の玄関は南側ベランダから入る旧食堂に設けられています



■1階ベランダには5本の列柱が並び、エンタシス形の柱の上部にはアールヌーヴォー風装飾を施す



■南面東側の切妻屋根部分(旧客室)とベランダ
 


■現在カフェの玄関として使われている旧食堂。当時のアールヌーヴォー様式の暖炉がそのまま残っています



■旧客室の漆喰装飾がある天井。カフェとしては1階の居間・客室(南側)・北東側の広間部分が使われています



■建物南東部~出窓のすぐ右側の窓のテーブルで紅茶をいただきました。
 1~2階の壁の出っ張りは暖炉の煙突部分ですが、屋根から上の煙突は撤去されています。



■建物東面~玄関の奥、東北隅には大きな広間が設けられています



■玄関扉の円形の組子やハーフティンバーの斜材の微妙な曲線にアールヌーヴォーの影響が見られ、小さな丸窓が可愛らしい表情を見せています



■建物南西側~壁面に飛び出した寝室の暖炉の煉瓦煙突が西洋館らしさを醸し出します



日本福音ルーテル知多教会半田礼拝所

2012-07-01 | 知多の近代建築

新見眼科医院旧館の前に道を一本隔てて日本福音ルーテル知多教会半田礼拝所があります。
ルーテル教会は1517年、マルチン・ルターの宗教改革(そういえば昔世界史で習ったような・・・?)により生まれた古い伝統のあるプロテスタント教会で、日本では1892年に宣教が始められました。(名古屋市東区徳川の日本福音ルーテル復活教会ホームページより)
外観はルーテル教会に共通する、グリーンに塗られた小さな尖頭を持つスタイルで、築年は不明ですが戦後の建築と思われます。
ゴシック教会のような荘厳な重厚さはありませんが、質素で明るい雰囲気の教会は親しみやすく、洋風建築の新見眼科医院とともに半田の町の景観に彩りを添えています。

◆日本福音ルーテル知多教会半田礼拝所/愛知県半田市堀崎町1-29
 竣工:戦後?
 構造:木造2階建
 撮影:2012/05/04
 




新見眼科医院旧館(愛知県半田市)

2012-06-30 | 知多の近代建築

半田市堀崎町界隈は「紺屋海道」が通る昔からの町並みが残る古い住宅街です。
純和風の神社仏閣や蔵が点在する細い路地の奥に、淡いピンク色で塗られた木造下見板張りの古い洋風建築が残っています。
大正4年に建てられた旧新見眼科医院の建物で、木立の中にペディメントを載せた2階のバルコニーが印象的な外観を見せています。
オーナーの方が大切に保存されている様子で、築後100年になる建物とは思えないくらい美しい姿をとどめています。

◆新見眼科医院旧館/愛知県半田市堀崎町1-28
 竣工:大正4年(1915)
 設計:小栗半右エ門
 施工:江原新助(棟梁)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/05/04


 
■洋風のファサードの奥に桟瓦葺の和風の屋根が見えます




 
■柱やバルコニーの手すりには木彫の装飾が施されています
 


半田の近代和風建築

2012-06-27 | 知多の近代建築

半田市内には明治~戦前にかけて建てられた近代和風の優れた建築が残っています。

◆小栗家住宅(蔵のまち観光案内所)/愛知県半田市中村町1-18
 竣工:主屋~明治3年(1870) 
 構造:木造2階建
 ※国登録文化財

半田運河沿いの小道に面して建つ小栗家住宅は、万三商店として醸造業、肥料、米穀などの問屋を手広く営んだ豪商で、事務所として使われた1階部分は現在「蔵のまち観光案内所」として利用されています。
道路に面した主屋のほか、表門、辰巳蔵、書院、茶室、渡り廊下、北座敷、離れ(竹の間)が国登録文化財に指定されています。
 




◆料理旅館末廣/愛知県半田市御幸町87
 竣工:大正期
 構造:木造2階建

JR半田駅前通りにある末廣は明治15年創業の半田市内でも有数の料亭で、2階には105畳の大広間があります。
 


 

 
撮影:2012/05/04 


ミツカングループ本社中央研究所/旧中埜銀行本店(愛知県半田市)

2012-06-25 | 知多の近代建築

ミツカンサンミ(旧第一工場)半田工場、博物館「酢の里」から一本道を挟んですぐ西側に、ミツカングループ本社中央研究所(旧中埜銀行本店)があります。
中埜銀行は中埜一族が経営する企業のための銀行として明治34年に設立されました。設立当時は伝統的な木造の町屋風で「酢の里」の西南(上の写真向かって右側の木立に覆われた部分)にありましたが、第一工場の火災や、関東大震災(大正12年)を受けて、西向かいの敷地に鉄筋コンクリート3階建の新しい銀行が大正14年に竣工しました。

建物の角を丸くして玄関を設け、1階外壁の白の御影石と上部の淡いブルーのモルタル塗り部分が印象的な外観を演出しています。
設計は県内でも数多くの銀行建築を手がけている巨匠鈴木禎次。

◆ミツカングループ本社中央研究所(旧中埜銀行本店)/愛知県半田市中村町2-6
 竣工:大正14年(1925) 
 設計:鈴木禎次
 施工:志水建築業務店
 構造:RC造3階建
 撮影:2012/05/04


■建物の角にすっぽり円柱を組み込んだような外観
 ミツカンマークのある最上部は屋上に飛び出る格好で、まるでヘルメットかこけしの頭のよう



■1階外壁は御影石貼り



■縦長の窓の上部にアーチ窓を設け、表現主義風の簡略化した装飾を施しています



■1階窓の金属製グリル



■屋上は城壁のような凸凹に金属製の柵が巡ります



半田運河沿いの醸造蔵~キッコウトミ第二工場(愛知県半田市)

2012-06-24 | 知多の近代建築

半田運河左岸、半田ミツカン第二工場の北側にキッコウトミ第二工場があります。
キッコウトミ(亀甲富)は明治11年創業の老舗で、現在も戦前の古い黒板張りの醸造蔵が残っています。








■半田市内で見つけたキッコートミの琺瑯看板~トミー坊やから漂う昭和30~40年代の雰囲気が良いです






半田運河沿いの醸造蔵~ミツカン半田工場(愛知県半田市)

2012-06-23 | 知多の近代建築
旧カブトビール工場の見学を終え247号線を東へ向かうと半田運河と阿久比川に架かる半田大橋に出ます。
半田大橋の手前を運河沿いに南下すると、両岸にはミツカンや旧万三商店(現ミツカン)、亀甲富(キッコウトミ)の黒板塀の醸造蔵が建ち並び、「蔵のまち半田」と呼ばれる特徴的な景観をつくりだしています。


■半田運河の右岸沿い(写真向かって左側)に建ち並ぶミツカンの醸造蔵群。
 ひときわ背の高い現代的な黒っぽいビルはミツカングループ本社。(船方橋より上流を撮影)



■ミツカンサンミ(旧第一工場)半田工場
 大正12年に第一工場が火災で焼失し、大正末~昭和初年にかけて再建された当時の工場が今も残っています。

 

■その時に建てられた鉄筋コンクリート造の4号醸造庫





■旧第一工場の車庫と粕倉(大正~昭和)~防火対策としてレンガ造の防火壁などが設けられました



■明治期に建てられた旧第一工場の事務所が、博物館「酢の里」として再活用されています



■半田ミツカン第三工場
 旧第一工場の南側には木造の11、12、14号醸造庫(明治22年以前)と9、10号醸造庫(大正~昭和)が現存しています







■第三工場の南側にある旧万三(現ミツカン)の醸造庫







■第三工場の対岸(左岸)にあるミツカン半田第二工場~江戸時代から戦前にかけての工場、倉庫が残っています。





■運河沿いに続くコールタールを塗った黒板塀の蔵は、戦前の半田の景観を今に伝えています







撮影:2012/05/04



半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)2階公開

2012-06-19 | 知多の近代建築

今回の赤レンガ建物公開は、「第11回半田赤レンガ建物公開 秘密の扉がまた一つ開かれる!赤レンガ建物2階初公開!」ということで、10時からの公開に合わせて15分前に到着しましたが、工場の周囲はもうすでに多くの見学者でいっぱいです。
2階の見学は先着順に15分間隔20人ずつの出発とのことで、見学受付で整理券をもらうとすでに11時45分の集合時間でした。
集合時間に合わせて集合場所の建物南側に行くとすでに多くの見学参加者が集まっており、係の人の説明後ガイドの方のあとについて建物南西側の2階入り口に向かいました。


■2階入り口のある南西側の建物。建物向かって右側に入り口があります



■2階入り口付近で見学に参加する人たちが順番を待ちます


■建物が傾斜地に建つため階段を少し上がると直接2階に入ることができます



■ガイドの方の後について順路を進みます



■途中要所でガイドの方の説明があります。見どころの一つ、発酵室の大きな断熱扉の説明を受ける見学者の皆さん。



■断熱材としてコルクを使用した壁。船舶の冷蔵室や冷凍室に用いられた手法だそうです。



■内部の壁はコンクリートが塗られていますが、増築時外壁だった部分はコンクリをはがすと赤レンガが出てきます。



■2階は発酵室や樽置き場に利用されていた部屋が通路に沿って並んでいます。
 温度を一定に保つため開口部がほとんどなく、増築を繰り返した工場内はまるで迷路のようです。














2階部分の工場内は当時のままで、まるで廃墟を歩いているようでした。
窓が少ないので外光がほとんど入らず、同じ構造の部屋や通路が続くので、歩いていると方向感覚があやしくなります。
このまま廃工場として映画のシーンに使えそうで、レンガ建物を積極的に映画のロケ地として誘致し半田の町おこしにするのもありなのでは?と勝手に想像してしまいました。

見学を終えて早速、限定生産のカブトビールを一杯と思い売店に行くとついさっき売り切れたとのこと・・・・これが楽しみだったのに!
次回は7月7・8日の七夕と28・29日の生カブトビールフェスタで一般公開の予定とか。
特に生カブトビールフェスタは赤レンガの特設ビアガーデンで生のカブトビールが味わえるそうで、これはリベンジせねばと今から楽しみです


半田赤レンガ建物/旧カブトビール工場(愛知県半田市)

2012-06-17 | 知多の近代建築

 5月の連休を利用して久しぶりに半田市を訪れました。半田は江戸時代から醸造業で栄えた知多半島の中心都市で、皆さんおなじみのミツカングループの本社があり、関連の工場、研究所、住宅や旧カブトビール工場など質の高い近代建築が今も残っています。お目当ては毎年連休の3~5日に行われる旧カブトビール工場の一般公開で、今回の目玉は2階部分の初公開です。

 名鉄河和線住吉駅を下車、国道247号線沿いに東へ5分ほど歩くと、大きな5階建赤煉瓦のビール工場として使われた建物が見えてきます。近くまで来るとまさに「赤煉瓦の大きな塊」という形容がぴったりで、そのスケール感と歴史のある赤煉瓦の建物が持つ重厚な雰囲気が見る者を圧倒します。
 現在は半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)として国の登録文化財の指定を受け、地元半田市により保存管理されていますが、明治から昭和戦前にかけてこの工場でカブトビールのブランド名で本格的なドイツビールが製造されていました。

 半田のビール製造の歴史は、中埜酢店(現ミツカン)四代目中埜又左衛門と甥の盛田善平(敷島製パン創業者)が明治22年に創業した丸三麦酒にさかのぼります。その後明治29年に丸三麦酒株式会社が設立され、増産体制に入るべく新しい煉瓦造の醸造工場が現在地の榎下町に建設され、「丸三ビール」から「カブトビール」にブランド名を変更、地元東海地方を中心にシェアを拡大しました。
 しかしその後、明治末のビール業界は企業の再編が進み、丸三麦酒(株)は日本第一麦酒(株)に吸収合併(明治39年)されます。その後は加冨登麦酒(明治41年)、大日本麦酒との合併(昭和8年)を経て、中島飛行機製作所資材倉庫(昭和19年)として使用され、カブトビール工場はその役目を終えました。

 建物設計は明治建築界の巨匠妻木頼黄(岐阜県土岐市妻木町出身)で、旧カブトビール工場のほか、横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)、横浜新港埠頭倉庫(現横浜赤レンガ倉庫)、内閣文庫(明治村に移築)、東京日本橋(意匠設計)などそうそうたる作品が現存しています。
 妻木が設計担当した明治31年竣工時の建物で現存するのは、南東部に位置する木骨煉瓦造(ハーフティンバー)部分で、それに続く東側翼部とドイツ人技師が使用したレンガ造住宅は平成7年に取り壊されています。建物は丸三麦酒(株)醸造工場として建設以来3回の増築を繰り返しており、その際の設計は東海建築界の巨匠、まいどおなじみの鈴木禎次が担当しています。 

◆半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)/愛知県半田市榎下町8
 竣工:明治31年(1898)
 設計:妻木頼黄、増築設計:鈴木禎次
 施工:清水組
 構造:煉瓦造地上5階建
 撮影:2012/05/04
 ※国登録有形文化財


■建物東北外観~中央5層の塔屋から北側は明治40年第一次増築部分

 

■建物東南外観~煉瓦に木骨が入るハーフティンバーの部分は創建時明治31年妻木頼黄の設計による



■北側の増築部分はイギリス積みですが、建物南側のハーフティンバー部分は一部フランス積みが見受けられます


■建物東側中央の塔屋部分~東側壁面に付属していた創建時の建物を取り壊した痕跡が残る
 


■建物北側外観~入口上部の壁面にP51ムスタングの機銃掃射の跡が残る



■建物南側外観~西側(向かって左)の建物は第二次増築(大正7年)部分




■北側壁面のキーストーンの装飾が施された丸窓と工場入口
 


■工場内の展示スペース~カブトビールに関する資料や当時の宣伝ポスター、琺瑯看板などが展示されている
 


■建物東側の窓と国登録文化財指定のプレート
 

旧カブトビール工場2階見学ツアーに続く・・・カブトビール飲みたい!