かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

青年は荒野をめざす。おじさんは・・・

2012-12-30 | ありふれた日常

今年は現存確認と画像のリニューアルのため、数年前に訪れた近代建築を再訪しました。
自分でも意外でしたが、同じ場所を二度訪ねて初めてわかることがありました。
それは町歩きの楽しさで、近代建築探訪を始めたころはひとつでも多くの建物を見たくて、急ぎ足で建物から建物を巡り、町歩きを楽しむ余裕がありませんでした。
今回は二度目の訪問ということで、前回の教訓を生かし、時間に余裕を持って建物を巡りました。
ゆっくり町歩きを楽しみながらの建物巡りは、前回は気づかずに見落としていた色々なものが見えてきて、今回は町歩きの本当の醍醐味を知ることができました。
来年も近代建築探訪、町歩き、路上観察の三本柱を中心に、私好みの面白物件を勝手に紹介して行きたいと思っています。

ということで、それでは皆さん良いお年を。


■辰から巳へ、来年もよろしくお願いします


(愛知県江南市報光寺)


マンホール紀行(16)~愛知県刈谷市

2012-12-26 | ご当地マンホール紀行

市の花(カキツバタ)がメインにデザインされたご当地マンホールの定番です。
花の名前に非常に疎いので、最初見た時はどうしても名前が思い出せませんでした。
ちなみにカキツバタとアヤメの違いがいまだに判りません。
どちらも池などの水辺に生えているイメージですが、ショウブもそうでしたっけ?
 

■KARIYAのロゴデザインがおしゃれでなかなか良いです



■消火栓の蓋にもカキツバタ


依佐美送信所本館・機械棟(愛知県刈谷市)

2012-12-24 | 失われた建物の記憶

 刈谷市の近代建築としては表現主義風の大中肇の作品が良く知られていますが、刈谷市には東海地方では珍しいドイツ表現主義の影響を色濃く受けた建築様式を持つ依佐美送信所がありました。過去形なのは残念ながら2006年に取り壊されてしまったからで、その半年前に現地を訪れる機会があり、なんとか最後の姿をこの目に焼き付けることができました。

 まず目に入るのは、建物の正面中央に飛び出した異様な形の庇のある玄関と、その上ににょっきり突き出したアーチ屋根の塔屋で、見る者に忘れることのできない強烈なインパクトを与えます。この可塑性の高い鉄筋コンクリート造の彫塑的造形が、当時ドイツを中心に流行した表現派と呼ばれるスタイルで、鉱物結晶や放物線を基にした新しい建築形態として日本でも多くの建物に採用されました。

 現在跡地は「フローラルガーデンよさみ」という公園施設として整備され、公園内に設けられた依佐美送信所記念館では、通信所の送信機器類が貴重な産業遺産として保存展示されています。


◆日本無線電信(株)依佐美送信所本館・機械棟/愛知県刈谷市高須町山ノ田1
 竣工:昭和4年(1929)
 設計:竹内芳太郎
 施工:大林組
 構造:鉄筋コンクリート造2階建
 撮影:2005/10/09
 ※2006/04取り壊し

※訪問時の詳細はこちらのHPにアップしてありますので興味のある方はどうぞ
http://www.me.ccnw.ne.jp/machikin/kaitai1.html 



■送信所本館正面~使われなくなってから月日が経つようで、草木も伸び放題、荒涼とした雰囲気が漂っていました



■長波送信室(機械棟)外観



 ところで依佐美通信所が建てられる少し前の大正末頃、同じ東海地方の岐阜市で表現主義風の建物が竣工しています。岐阜で建築事務所を開いていた河村鹿市と佐藤信次郎が手がけた岐阜県図書館で、この建物の外観が依佐美通信所に瓜二つなので驚きます。
 偶然と言うにはあまりに似ているので、依佐美通信所を設計した竹内芳太郎が、数年前に竣工した岐阜県図書館を参考にしたとも考えられます。ただ私の知る限りでは、近代建築関係の書籍で岐阜県図書館と依佐美通信所の関係に触れたものを見たことが無いので、本当のところは藪の中です。


岐阜教育会館(旧岐阜県図書館兼会館)~こちらは現存していますので見学可能です


 


刈谷の琺瑯看板(愛知県刈谷市)

2012-12-22 | まち歩き

刈谷城跡の東側、刈谷市郷土資料館周辺は、古い住宅街で所々に旧城下町の風情を残す町並みが残っています。
古い町屋の残る路地で年代物の琺瑯看板を見つけました。
かなり小さいので遠くからは分かりにくいですが、下の写真に写っています。
 




■出入り口の脇に「太田胃散」の細長い琺瑯看板を発見。「薬病胃」と右から書いてあるので戦前ものと思われます。
 


■こちらは琺瑯製の町名案内板。昭和30年代頃のものと思われます。

撮影:2012/10/08


愛知県立刈谷高等学校正門(旧愛知県立第八中学校正門)

2012-12-20 | まちかどの20世紀遺産

 名鉄刈谷市駅から東へ300mほどの所に愛知県立刈谷高等学校があります。刈谷高校の前身は大正8年(1919)に開校された愛知県立第八中学校で、その時の校舎は愛知県営繕課の建築技手、大中肇が設計・監督しています。 大正13年(1924)には刈谷高等女学校の設計・監督も手掛け、刈谷に縁のできた大中はその年に営繕課を退職、刈谷に大中建築設計事務所を開設し地元を中心に活躍しました。

 現在刈谷高校の正門として使われているのは、大正8年に校舎が竣工した際に造られた門で、竣工時に撮影された写真には校舎と正門が一緒に写っていますが、校舎の方は昭和48年に取り壊され現存していません。

 門柱のデザインは、大正末から昭和初頃に県営繕課が手掛けた旧制中学に共通する意匠で、柱頭の装飾に若干の違いが見られものの、現存する旧愛知商業津島(三中)一宮(六中)西尾小牧はすべて同タイプとなっています。




 
撮影:2012/10/08 


愛知県立一宮高等学校正門(旧愛知県立第六中学校正門)

2012-12-18 | まちかどの20世紀遺産

 10月に苅谷高校を訪れ、愛知県内の現存する旧制中学時代の校門はほとんどこのブログで紹介できたと思っていましたが、一宮高校(旧制第六中学)を忘れていたことに気づきました。実は一宮高校は2006年に訪れ、旧制中学時代の校門を確認、撮影もしていたのですがブログにアップするのをすっかり忘れ、今回遅ればせながらの紹介となります。画像は6年ほど前のものになるので、本来なら新規に取り直すところですが、今さら校門だけを新しくするということはちょっと考えにくいので、今回はその時の画像をそのまま使わせていただきました。

 愛知県立一宮高等学校の前身は、いわゆるナンバースクールと言われる旧制中学の一つで、名古屋を除く尾張地方では明治33年開校の津島(第三中学)についで大正8年(1919)に愛知県立第六中学校として開校されました。苅谷(第八中学)も同じ大正8年開校ですので、大正末~昭和初めにかけて愛知県内各地で新しい中学が設けられたようです。

 現在の正門はその当時に校舎と一緒に造られたものですが、校舎はすでに建て替えられ現存していません。大正から昭和にかけて建てられた旧制中学の校舎は愛知県営繕課が担当しており、その当時の校門で現存確認できたのは、旧愛知商業、刈谷、津島、小牧、西尾と一宮で、デザインはほとんど同じ意匠で統一されています。


 
撮影:2006/05/21 

 


旧刈谷浴場/旧田鶴の湯(愛知県刈谷市)

2012-12-16 | 西三河の近代建築

刈谷市郷土資料館(旧亀城小学校)の前の通りを東へ向かうと、通り沿いに昔ながらの商店が残る銀座、新栄町に出ます。
この界隈は名鉄刈谷市駅から北に500mほどの距離で、戦前から刈谷市の中心として栄えた地域ですが、現在市の中心はJRと名鉄の刈谷駅周辺に移っていて、刈谷市駅周辺はちょっとさびれた旧市街の風情が漂います。

そんな新栄町の古い商店街の一角に残る、上天温泉と同じ1920年代に建てられた湯刈谷浴場を訪れました。市内で唯一残る現役の銭湯ということでしたが、10月8日訪問時は完全に閉店状態で、玄関の上にあった温泉マークと刈谷浴場の屋号はペンキで塗りつぶされていました。
刈谷浴場は銭湯界では知る人ぞ知る超有名な銭湯らしく、ネットで検索すると銭湯マニアの方々の訪問記が多数ヒットしますが、少なくとも昨年(2011年)の5月頃までは営業していたようです。
在りし日の刈谷浴場の姿→http://blogs.yahoo.co.jp/nao104to3ko/4355936.html

刈谷浴場は上天温泉と同様、当時としては珍しい最新の鉄筋コンクリート造の銭湯ですが、現在の建物は大幅な増改築を受けており、竣工時の面影はほとんどありません。
特徴的な無国籍風デザインのファサードも昭和27年に増築されたもので、竣工時の外壁はほとんど隠されて上部が少し見えるだけになっています。

ところで刈谷市内で大正末~昭和初の4年の間に2軒のRC造の銭湯が建てられたのは果たして偶然でしょうか?
刈谷浴場に関しては設計者は不明ですが、上天温泉を設計した大中肇がどこかでかかわっていたと考えるのが自然なような気がします。
今となっては、竣工当時の刈谷浴場が見られないのは非常に残念です!


◆旧刈谷浴場(旧田鶴の湯)/愛知県刈谷市新栄町6丁目6
 竣工:大正12年(1923)
 構造:鉄筋コンクリート造地上1階
 撮影:2012/10/08


■昭和27年(1952)に増築された木造のファサード部分は、銭湯らしい豆タイル貼りの無国籍風デザイン



■タイルがかなり崩落しており建物の行く末が案じられます。脇のドアのタイル模様はどこかイスラム風?
 


■温泉マークの透かし彫りが入った欄間風の窓



■タイル貼りのファサードの奥に竣工時の鉄筋コンクリート造の建物が残っています



■竣工時の外壁に残る幾何学模様の装飾





司町の洋館(愛知県刈谷市)

2012-12-12 | 西三河の近代建築

刈谷市郷土館の前でちょっと気になる洋風住宅を見つけました。
コンクリートの塀で囲まれた広い敷地の中の建物は、装飾もなくいたってシンプルな外観ですが、歴史を重ねた建物だけが醸し出す独特の雰囲気が建物全体から漂っています。
白く塗られた木製の窓枠や小屋裏換気用のガラリ、門周辺のモダンな造りから戦前、昭和初頃の竣工と思われますが詳細は不明です。
 
 
■門の両脇の壁はアールがつけてあり、表現主義風のモダンなデザイン。


■北側道路から望む~深い切妻屋根と二つ並んだ換気用ガラリ、白い窓枠が洋館らしい演出です。



■窓枠は木製で白色に塗られ、窓の大きさや分割の仕方がそれぞれ違うのが面白いところです。





■こちらの窓は縦長で、両開きタイプのようです。


刈谷市郷土資料館/旧亀城尋常高等小学校本館(愛知県刈谷市)

2012-12-09 | 西三河の近代建築

名鉄刈谷市駅のすぐ西、旧上天温泉と竹内産婦人科のある御幸町からさらに北西へ向かうと、刈谷城跡のある城町があります。
刈谷城跡のすぐ東側にある亀城(きじょう)小学校の校舎の南側に、大中肇の代表作として知られる旧亀城尋常高等小学校本館が刈谷市郷土資料館として再利用され保存されています。
大中の作品は表現主義的作風で知られていますが、この建物は大中肇流の表現主義を体現したもので、彫の深い装飾が施された「かたまり感」のあるデザインは、まさに大中ワールド全開です。
また旧本館の東側にあった講堂は、旧本館よりもさらに装飾性の強い大中流表現主義の代表作と言えるものでしたが、惜しくも1986年に取り壊されました。
在りし日の講堂の姿が白半建設さんのHPでご覧になれます→http://www.hakuhan.com/profile2/

建物の構造は、柱や梁、外壁を鉄筋コンクリート造、屋根は瓦葺きの木造とした鉄筋コンクリート造の初期の構造で、1920年代(大正末~昭和初)の愛知県の地方都市では多く見られる手法です。
屋根を木造の瓦葺きにするのは理由があり、現代では鉄筋コンクリート造のビルの屋上は平面(陸屋根)なのが当たり前ですが、当時は防水技術が未発達で工事が大変だったため、費用も安く工期も短くできる従来通りの瓦葺きの屋根が採用されたようです。

建物の平面は南側に教室、北側が廊下の「片廊下式」と呼ばれるもので、現在の学校もほとんどがこの配置になっています。
直接関係のない話ですが、学校の教室は冬場の南の窓側はぽかぽか天国、北の廊下側はツンドラ地帯で、まさに席替えが運命の分かれ道だったのが思い出されます。(わたしの時代は暖房が無かったので、冬場の席順はみんなの一大関心事でした)

◆刈谷市郷土資料館(旧亀城尋常高等小学校本館)/愛知県刈谷市城町1-25-1
 竣工:昭和3年(1928)
 設計:大中肇
 施工:岡本宇吉・杉浦惣太郎
 構造:鉄筋コンクリート造地上2階
 撮影:2012/10/08
 ※国指定登録有形文化財


■外観は左右対称凹型で、正面中央に玄関車寄、両翼は屋根の妻面を見せ手前に張り出し強調するバロック建築風



■東翼妻面外観~軒、柱頭、腰壁などにシンプルな幾何学模様の装飾を施す。
柱を強調したデザインで、2階部分には亀城の「キ」の文字が浮き彫りになっていて、大中肇の遊び心を感じます。





■正面玄関車寄~中央の小さな二つの窓がかわいい



■玄関入口~ホールの奥に見えるのは中央階段



■旧本館の説明立て看板と登録有形文化財のプレート



■玄関ホール~鉄筋コンクリート構造を示す柱を結ぶ天井の大梁が良く分かります



■中央階段~親柱のデザインに注目
 


■中央階段吹き抜けと東側2階廊下を望む



■中央階段照明



■2階廊下~大きな窓の上部には欄間を設け採光・換気に配慮しています



■東階段
 


■当時の教室が再現された展示室



■黒板にも装飾が



■昭和30年代の再現展示~最近の昭和ブームで昭和30年代の暮らしを展示する郷土館・博物館が多くなりました



■懐かしの「昭和のおもちゃ」コレクション



今回昭和3年に建てられた旧刈谷小学校本館を訪れて、小学校が白くて四角いトーフ建築になる前の、まだ学校建築に生き生きとした個性が存在した大正~昭和という時代の良さをあらためて感じました。
最近は公立の小中学校も個性のある校舎が増えてきたようで、鉄筋のトーフから木造に建て替えるケースもあるようです。
時代は繰り返すとはよく言ったもので、経済性と効率性重視ではなく、子ども(人間性)重視の校舎がこれからもどんどん増えて、現代版旧亀城小学校のような個性的な小学校の校舎も増えると良いですね。 
ちなみに私の通った小学校は戦前に建てられた木造校舎で、玄関の丸窓やワックスの匂いのする古い板張りの廊下、木製の手摺のある広い階段などが大好きで、卒業と同時に鉄筋の校舎に建て替えられた時はすごく残念で、寂しかったのを今でも良く覚えています。

 

 


竹内産婦人科(愛知県刈谷市)

2012-12-04 | 失われた建物の記憶

旧上天温泉とは通りを一本挟んですぐ斜め向かい側にも大中肇の設計による医院が現存しています。
大中肇は刈谷市を中心に学校建築に代表される公共建築や個人住宅、医院など生涯70棟以上の建物を設計しています。
刈谷市内でも数件の病院・医院を設計していますが、現在残っているのは竹内産婦人科だけになってしまいました。

この建物は近代建築総覧やガイドブックなどには記載がありませんが、平成17年に刈谷市郷土博物館開館25周年記念展でいただいた資料に大中肇の作品として紹介されていました。
昭和3年竣工という以外建物の構造など詳細は不明ですが、上天温泉で見せた表現主義風の大中スタイルはぐっと押さえ、医院らしい歴史様式を加味したクラッシクなおちついた外観にまとめています。
玄関車寄の破風は古典様式建築に見られる立派な三角ペディメント風で、妻の中央に円形の装飾が施されています。
ただ三方向に開く車寄入口上部が、表現主義風のゆるやかな半円アーチなのは、上天温泉と同様大中肇流のこだわりが感じられるところです。


◆竹内産婦人科/愛知県刈谷市御幸町1丁目77
 竣工:昭和3年(1928)
 設計:大中肇
 撮影:2012/10/08
※2015年ブログをご覧の方から取り壊し情報をいただきました


■玄関車寄の柱とペディメント中央に幾何学模様の装飾があしらわれています




 

 


旧上天温泉(愛知県刈谷市)

2012-12-02 | 西三河の近代建築

今回は7年ぶりに愛知県刈谷市の近代建築を訪れました。刈谷市の主な近代建築は、大正~昭和初めにかけて刈谷を中心に活躍した大中肇という建築家が設計したもので、刈谷市郷土資料館(亀城小学校旧本館)、旧上天温泉、竹内産婦人科医院が現存しています。

名鉄三河線刈谷市駅を下車、駅前のロータリーから西へ3分ほど歩いた御幸町に旧上天温泉があります。現在はファサードから脱衣場部分まで建物一部が現存していますが、建物の外観だけを見てこれが85年前に建てられた銭湯だと分かる人はまずいないでしょう。建物正面のデザインはかなり個性的というか、インパクトがあります。ファサードはゆるやかな半円を幾何学的に分割した窓で覆われ、建物上部中央には小さな塔屋がちょこんと飛び出ています。この手法は半円や塔をモチーフにした当時流行の表現主義風デザインを取り入れたもので、当時の地方都市刈谷では超モダンな銭湯だったと思われます。

外観のデザインもさることながら、旧上天温泉のもう一つの特徴は、当時の銭湯としては全国的にも珍しい鉄筋コンクリート造という最新の構造を用いていたところです。昭和の初め頃は、関東でよく目にする入母屋造りの和風銭湯が一般的で、洋風の外観の銭湯もほとんどは木造でした。わずかに関西では浴室のみ鉄筋コンクリート(脱衣場は木造)の銭湯は見られたようですが、銭湯をすべて鉄筋コンクリートで造ったのは当時としては大変珍しかったようです。関東大震災(大正12年)以後、学校や役所など公共の建物は鉄筋化が急速に進められましたが、昭和2年に地方都市の銭湯をすでに鉄筋で造っていた大中肇という建築家、どうもただ者ではないようです。

■大中肇とは~
愛知県刈谷市を中心に活躍した建築家。熊本県で生まれ福岡県立工業学校建築科を卒業、八幡製鉄所に就職後、明治42年愛知県営繕課建築技手になる。県営繕課では初期のRC造による学校建築など公共建築に多くに携わり、刈谷中学(大正7年)や刈谷高等女学校(大正13年)の設計・監督をしたのが縁で刈谷とのつながりができ、県営繕課を退職後刈谷市内に大中建築設計事務所を開設。大正13年から昭和10年代までに刈谷を中心に、碧南、東浦町などで多くの設計・監督に携わり、特に表現主義風のデザインが特徴。
※代表作品~亀城小学校本館・講堂、上天温泉、竹内産婦人科医院、山中従天医館、刈谷高等女学校、刈谷中学校、小高原小学校、富士松村役場など

■表現主義とは~
歴史主義からモダンデザインへの流れの中で生まれてきた新しいスタイルのひとつで、日本ではドイツ表現派の影響を受けて、大正9年(1920)に分離派というグループが生まれ、1920~30年代にかけて表現主義は公共建築を中心に瞬く間に建築界を席巻しました。


◆旧上天温泉/愛知県刈谷市御幸町1丁目215
 竣工:昭和2年(1927)
 設計:大中肇
 構造:RC造1階建、塔屋付き
 撮影:2012/10/08


■建物は凸形で天井の中央部分を高くして、換気と採光のための高窓を設けています



■壁面のアーチ部分には右から「上天温泉」の文字が浮き出ています



■壁面の随所に幾何学模様の装飾が施されています