かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)その3

2008-02-25 | 名古屋の近代建築

今回は旧貞奴邸2階の紹介です。
2階の洋館部分は4つの部屋があり、郷土ゆかりの文学資料の展示室になっています。



◆階段を中心に部屋が配置されています



◆和室へ続く廊下



◆旧寝室   城山三郎(直木賞作家)の仕事場が再現されています



◆旧書斎のステンドグラス



◆旧支那室換気口


 
◆旧書斎の換気口と照明

 ~文化のみち二葉館探訪記~

 
 今回訪れた「文化のみち二葉館」は、創建当時の姿に復元されていますが、洋館部分は移築というよりは、ほとんどの部分が新築されたようです。外観はきれいすぎて、どこかよそよそしく、テーマパークの洋館のようでした。せっかく本物の洋館を復元したのですから、時代の重みを感じさせる演出があっても良いのではと思いました。
 わたしは10年ほど前ですが、取り壊される前の川上貞奴邸を訪れたことがあります。創建当時と比べると大幅に改修され、外観もかなり老朽化が進んでいましたが、古い建物には桃介と貞奴の暮らしていた頃の面影を十分感じ取ることができました。  
 建物の中に入ると、洋館部分は最新のディスプレイや展示物が並んでいますが、貞奴と桃介が暮らした頃の様子をうかがうものがほとんどありません。当時の二人の暮らしが偲ばれる家具や調度品を復元して、各部屋を再現すると言う演出もありではないかと思うのですが。
 復元された洋館の大広間やステンドグラスより、創建当時のままの和室にある2畳の書斎に、貞奴の当時の暮らしぶりをうかがうことができました。和室の一番奥にある質素な小部屋には、貞奴が使った机や火鉢などが、当時のままの様子で置かれています。その小さな空間は、まるで彼女の隠れ家のようで、彼女が一番くつろげる場所であったことを肌で感じることができました。   
 創建当時からそこにある古い建物には、住人や、かかわった人々の記憶が刻まれています。人々はそこに歴史の重みと建物の持つ存在感を感じます。歴史的建造物を移築復元するということは、それにかかわった人々の記憶も一緒に復元しなければ意味がありません。  
 今回二葉館を訪れて、わたしは同じように明治村に移築復元された、森鴎外・夏目漱石邸を思い浮かべました。こちらは和風の質素な町屋ですが、玄関を入ると漱石が「吾輩は猫である」を執筆した当時の様子が、眼に浮かんでくるようでした。明治村に移築された建物は、歴史的建造物が持つ独特の重厚さと、雰囲気を大切にし、できるだけ手を加えず、当時のままの姿を再現しています。周囲の自然に溶け込みひっそりとたたずむ建物は、それだけで訪れる人に何かを語りかけてくれます。  
 二葉館が文化のみちの拠点として復元されたことは大変素晴らしいことですが、本物の洋館の魅力が伝わってこないのは、近代建築ファンにはちょっと残念でした。

※ステンドグラスに関しては、“名古屋のモダニズム/INAXBOOKLET”を参考にしました。  

 次回は撞木館を探訪します


文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)その2

2008-02-24 | 名古屋の近代建築
 今回は旧貞奴邸内部の紹介です。
 玄関を入るとまずスリッパに履き替えて、受付のお姉さんに入場料(200円也)を払います。玄関ホールから大広間に入ると大きなステンドグラスが目を引きます。戦前の本格的な洋館には、ステンドグラスがつき物で、旧貞奴邸でも杉浦非水デザインのアール・ヌーヴォー調のステンドグラスを見ることができます。



◆大広間 
 パネルや映像などで文化のみちを紹介しています



◆大広間のステンドグラス(1) 
 邸内で一番大きいステンドグラス。植物がモチーフ



◆大広間のステンドグラス(2)
 楽器を演奏する女性と踊り子をモチーフにした貞奴邸らしいデザイン


◆展示室1(旧食堂)のステンドグラスと出窓
 自然の風景をモチーフにしています



◆和室(旧婦人室・茶の間)に続く廊下



◆展示室2(旧婦人室)の床の間
 和室は創建当初のままで、貞奴の愛用品や当時の調度品が展示してあります。


◆展示室4(旧書斎)
 和室の一番奥にある2畳ほどの隠れ家的スペース。個人的にはこの部屋が一番気に入りました。


◆大広間から2階へ続く螺旋階段
 階段の親柱のランプは珍しいです


 次回は2階へ続きます

                

文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)その1/東区橦木町

2008-02-22 | 名古屋の近代建築
 東区白壁にあった旧川上貞奴邸が、撞木町に移築復元され、「文化のみち・二葉館」として公開されています。二葉館は、日本の女優第一号とした名をはせた川上貞奴が、木曽川の電力王として名高い、福沢桃介と暮らした豪邸で、当時は二葉御殿と呼ばれていました。その後、桃介が社長をしていた大同特殊鋼の所有となり、建物は昭和13年に一部改築されましたが、老朽化が激しく、寄贈を受けた名古屋市が解体保存して、平成17年「文化のみち」の拠点施設として創建時の姿に復元されました。 
 外観は洋風ですが、居室部分は和室の和洋折衷の建築で、現存していた洋館部分は改修が著しく、創建時の姿にもどされました。創建時の姿をとどめる和室部分と蔵が国の登録文化財に指定されました。



◆解体前の大同特殊鋼二葉荘/大正9年(1920)/あめりか屋
 左手に円形の改修された応接室が見えます。 撮影:1999/5/5



◆創建時に復元された文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)
 複雑な屋根の構成と立体的な外観が、洋館らしさを漂わせます。グレーのドイツ壁とオレンジの瓦屋根がおしゃれです。



◆建物西側 
 中央の張り出した部分から向かって左手が和館(登録文化財)



◆建物南側 太い石柱が目を引く山荘風の玄関



◆登録文化財に指定された創建当時のままの蔵


 次回は建物内部に続きます。


名古屋大学医学部付属病院門・外塀(昭和区鶴舞町)

2008-02-16 | まちかどの20世紀遺産

鶴舞公園の北側に道路を挟んで、名古屋大学医学部付属病院があります。
病院の建物はすべて建て替えられましたが、大正時代の門と外塀の一部が当時のまま残っています。
新しい現代的な病院建築の一角に、時代の記憶をとどめる唯一の遺産で、国の登録有形文化財に指定されました。


◆西側(鶴舞駅寄り)の門 大正3年(1914)/昭和5年改修
 花崗岩の門柱と、その上の土星のような球体をあしらったアイアンワークが面白い。



◆東側の門 西側の門と同様のデザイン



◆鶴友会館前の門と外塀
 釉薬仕上げのスクラッチタイルとテラコッタ装飾は、昭和5年改修時のもので、現在も当時の質感を保っています。


鶴舞公園の近代建築(昭和区鶴舞)

2008-02-13 | 名古屋の近代建築
 2月10日、雪の残る名古屋を散策しました。息子と二人で、鶴舞公園から旧川上貞奴邸~撞木館~市政資料館までゆっくり歩き、久しぶりに気持ちのよい時間を過すことができました。





◆名古屋市公会堂 昭和5年(1930) 
 茶褐色のタイル貼りで、重厚な印象。直線とアーチの組み合わせが絶妙です。


アーチの奥に玄関扉があります


壁面上部の装飾


◆奏楽堂 明治43年(1910)/鈴木禎次 平成7年復元
 戦前に改修されましたが、創建時の姿に戻されました。周囲の金属製の手摺は五線譜になっていて、音符は「君が代」のメロディーです。その他、鳥やハーブなどの装飾が施され、奏楽堂にふさわしい楽しいデザインです。


◆噴水塔 明治43年(1910)/鈴木禎次
 ローマ様式の噴水塔で、周囲に池や自然石を配し、奏楽堂と共に公園のシンボルになっています。


◆加藤高明像台座 昭和3年(1928)
 名古屋大学付属病院に面した一角に、まるでロケットのような形の石碑があります。当初は愛知県出身の内閣総理大臣、加藤高明の銅像がこの上に建っていたのですが、昭和19年に銅像が供出され、台座だけがひっそりと時の流れを刻んでいます。