かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

名城大学農学部付属農場本館/旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製作所本館(愛知県春日井市)

2016-09-22 | 尾張の近代建築

8月の朝日新聞愛知地方版に「戦争遺産を訪ねて 戦後71年」という記事が連載されました。愛知県に残る戦争遺産を紹介する特集なのですが、そのなかの旧陸軍造兵廠鷹来製作所(鷹来工廠)の記事を見て、以前に訪れすっかりブログにアップするのを忘れていていたことに気づきました。

訪れたのは10年ほど前になるので、このブログで紹介するにあたり現存確認のため再訪しようと思っていたのですが、そのままになっていました。新聞記事には写真も掲載されていたので、わたしの訪れた10年前と同様の状態で現存しているのが確認できました。

鷹来工廠は、1939年に創設された名古屋陸軍造兵廠鳥居松製造所(鳥居松工廠)に続き41年に創設されました。戦時中は第1~第8工場まであり、九九式小銃の実弾や風船爆弾などを製造、地元や中部地方を中心に学徒や女子工員、女子挺身隊員ら4千人が動員されました。

現在も残る建物本館は地下1階、地上2階建の鉄筋コンクリート造りの全く装飾の無いモダニズム建築で、大きな庇のある玄関の上に時計塔を設け、その下には旧陸軍のマーク星印の跡が今も残ります。
また戦争当時から空襲を避けるため屋上に植物を植え、カモフラージュしていたそうで、現代の屋上緑化の先駆け的存在といえる建物です。
戦後その役目を終えた造兵廠の建物は、名城大学農学部として再利用され、若い学生たちの学び舎として幸せな余生を送っています。


■ズラリと並んだ縦長の窓や文字盤の残る時計塔、突き出した庇の玄関などに昭和初期のモダニズムの香りが感じられます



■旧陸軍の☆マークの跡が残る時計塔~針の無い文字盤は終戦で時が止まっているかのようです



◆名城大学農学部付属農場本館(旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製作所本館)/愛知県春日井市鷹来町菱ヶ池4311-2
 竣工:昭和16年(1941)
 構造:RC造2階建、地下1階
 撮影:2005/10


旭サナック本館/旧旭兵器製造本社事務棟(愛知県尾張旭市)

2015-02-28 | 尾張の近代建築

 名鉄瀬戸線旭前駅で下車し、北へ200mほどの所に旭サナック株式会社があります。この会社の敷地内に昭和14年に建てられた事務棟が残っています。元々は工作機械の製造を手がけていた大隈鐵工所が、機銃弾を製造するための工場をこの地に建設、大隈鐵工所旭兵器製造所として開設後、旭兵器株式会社となりました。

 現存する建物は木造2階建、屋根は寄棟造、鉄板葺、当初は外壁を下見板張としていましたがが、現状はモルタル吹付に変更されています。戦前期の洋風を基調とする事務所建築の好例で、平成15年に耐震補強が施され国の登録文化財に指定されています。


■工場敷地が傾斜地のため道路より高く、敷地外からでは外観全体が撮影できませんでした


◆旭サナック本館(旧旭兵器製造本社事務棟)/愛知県尾張旭市旭前田新田洞5050
 竣工:昭和14年(1939)
 施工:北川組
 構造:木造2階建
 撮影:2015/01/25
 ※国登録文化財 

 


瀬戸永泉教会礼拝堂(愛知県瀬戸市)

2015-02-07 | 尾張の近代建築

 旧蔵所交番から瀬戸川沿いの道路をにさらに東へ向かい、宮脇橋から南へ入ったところに木造下見板張りの小さな教会建築があります。明治33年に創建された瀬戸永泉教会礼拝堂は、西側に玄関ポーチを設けた木造平屋建、切妻造桟瓦葺の建物で、現在の外観は昭和5年に改修された当時の面影をとどめています。

 屋内天井部分の小屋組みは、洋風建築に見られるトラス構造と和小屋の構造が組み合わされた和洋折衷で、創建当初の明治時代の古い形式がそのまま残されています。愛知県下では、名古屋市東区のカトリック主税町教会礼拝堂(明治37年)とともに、現存する明治期の教会建築として貴重な存在です。


■瀬戸川沿いの南側道路からさらに一本南に入った旧道沿いに北面して建つ



■建物北西より望む



■上部が半円の上げ下げ窓と、玄関上の六角形のステンドグラスは、昭和5年の改修時のもの





■門の脇に設置された国登録文化財の掲示板



◆瀬戸永泉教会礼拝堂/愛知県瀬戸市杉塚町5番地
 竣工:明治33年(1900)/昭和5年(1930)改修
 構造:木造平屋建
 撮影:2015/01/25
 ※国登録有形文化財

 


案内処・集い処らくちん/旧瀬戸警察署蔵所交番(愛知県瀬戸市)

2015-02-04 | 尾張の近代建築

 丸一国府商店から瀬戸川沿いの道を東へ向かうと、記念橋南の交差点にタイル張りの和風の小さな建物が建っています。すぐ東隣りには記念橋交番がありますが、この建物は元々昭和14年に交番として建てらたものです。反り返った切妻の屋根と唐破風の玄関は、伝統的な寺社建築を思わせる外観で、当時としてもかなり珍しい近代和風建築の交番でした。
 
 建築当初は現在の位置から道路を隔てた西側の蔵所町にあり、蔵所交番として蔵所ミュージアム建設(平成17年開館)のため現在地に移築されるまで現役の交番として使われていました。現在建物は建築当時の外観を保ったまま移築復原され、観光案内所「案内処・集い処らくちん」として再活用されています。


■建物北面~特徴的な外観を残したままきれいにリニューアルされ、観光案内所として活用されています



■建物西面



■建物南面~手前の平屋部分は移築復元時に増築された模様



■建物東面~隣は記念橋交番です



■蔵所交番として現役だった頃の外観(平成13年撮影)



■正面妻壁の中央、大屋根の鬼瓦、玄関のむくり屋根に警察の桜のマーク(旭日章)が掲げられています



◆案内処・集い処らくちん(旧瀬戸警察署蔵所交番)/愛知県瀬戸市末広町1丁目
 竣工:昭和14年(1939)
 構造:木造
 撮影:2015/1/25


丸一国府商店/旧丸一商店(愛知県瀬戸市)

2015-02-01 | 尾張の近代建築

 名鉄尾張瀬戸駅の東、瀬戸川に架かる窯神橋のたもとに、天守閣のような望楼がひときわ目を引く近代和風建築があります。この建物は明治5年創業の瀬戸でも老舗の陶器店で、瀬戸電が堀川まで延長された明治44年に丸一商店の陶器部として建てられたものです。元々丸一商店は、明治4年の廃藩置県で失業した犬山藩の武士たちが、藩主から家臣救済のため貸与された資金で起業したのが始まりで、丸一の屋号も犬山藩主成瀬家の家紋に因んだものです。いわゆる「武家の商法」というやつですが、陶器販売のほか印刷業などいくつかの事業を手がけ、なんと6年後には主君に全額返済したというのですから大したものです。

 建物全体は2階建の町屋建築に望楼を載せた形で、犬山城の天守を模したものと伝えらています。平成15年の道路拡張工事にともない、保存のため曳家、改修が行われ、1階は耐震壁などの補強が施され旧状をとどめませんが、2階以上は創建当初の外観を復元保存しています。


■外観南面~向かって左の白い土蔵造りの建物は店舗増築部分



■店舗の1階は改変が大きいが2階より上は旧状を保つ
 曳家改修時に古写真をもとに創建当初に近い外観に改修され、2階窓前面にも格子が復元された



■4階部分の望楼~東面の鉄製の手摺は創建当初のもの
 望楼の正面に大きく書かれたマルイチのマークに、創業者の犬山藩士たちの思いが伝わります



■平成13年訪問時の外観~この外観が瀬戸の往時をしのぶランドマークとして保存されたのはなによりです


◆丸一国府商(旧丸一商店)/愛知県瀬戸市榮町41
 竣工:明治44年(1914)
 構造:木造2階建一部4階建
 撮影:2015/01/25


瀬戸陶磁器会館/旧瀬戸陶磁器工業組合綜合共同販売所見本陳列所(愛知県瀬戸市)

2015-01-28 | 尾張の近代建築

 今年になって初めての近代建築探訪は、2006年以来ほぼ10年ぶりになる愛知県瀬戸市です。瀬戸は江戸時代から尾張藩の保護を受けた陶磁器産業が栄え、明治以降は石炭窯の発達もあり「せともの」といえば陶磁器の代名詞といわれるほどになりました。名鉄尾張瀬戸駅の南西瀬戸川沿いには、昭和10年に瀬戸陶磁器工業組合綜合共同販売所見本陳列所として建てられたRC造総タイル張り3階建の立派な建物が今も残っています。

 昭和61年に建物の西側に隣接し新館が増築され、外壁タイルやアルミサッシを新館に合わせて改修しましたが、建物北面の玄関廻りは当時の面影をそのまま残しています。特に玄関廻りを囲むように張られた陶板のテラコッタ装飾は、陶磁器の町らしい華やかな雰囲気で、この建物の最大の見どころになっています。内部は1階廻りが大きく改変されていますが、3階の大ホールや2階の理事長室、廊下階段周りに竣工当時の旧状をとどめています。


◆愛知県陶磁器工業協同組合(旧瀬戸陶磁器工業組合綜合共同販売所見本陳列所)/愛知県瀬戸市陶原町1-8
 竣工:昭和10年(1935)
 設計:丹羽建築事務所(丹羽英二)
 施工:北川組
 構造:RC造3階建
 撮影:2015/1/25


■瀬戸の町を東西に流れる瀬戸川沿いに建つ瀟洒なタイル貼りの建物はとても戦前築とは思えません



■玄関より西側(向かって右側)は昭和61年に増築されたもので、窓割りなどが異なっています



■釉薬のかかった黄瀬戸(きぜと)の陶板で門型に囲った玄関廻りは竣工時のままで華やかな印象です
 外壁のタイルがすべて張り替えられたため、建物全体から受ける印象はかなり現代的



■旧字体の看板が昭和レトロな雰囲気を演出



■2006年訪問時の玄関廻り
 竣工時の金属製グリルが当時のまま残っていましたが、その後現在のものに変更されたようで残念です



■玄関両脇にある藤の花を図案化した陶製の照明シェード
 釉薬のかかったテラコッタは、竣工時から80年を経過した現在も当時の艶やかな質感を保っています!
 

 


昭和横丁/旧村瀬銀行犬山支店(愛知県犬山市)

2013-10-15 | 尾張の近代建築

犬山城から南へ延びる本町通り沿いに、土蔵造の洋風銀行建築の遺構が残っています。犬山城下町の中心、本町通りには近世の町屋が比較的多く残っていますが、洋風の近代建築は珍しく、現在は外観を当時の状態に復元して、「昭和横丁」という屋台形式の飲食店が集まる施設として再利用されています。

旧村瀬銀行犬山支店は大正2年竣工、戦後は郵便局、パチンコ店、服地仕立屋と変遷し増改築が著しく、本町通りに面した東側は、ほとんど銀行として営業していた頃の外観をとどめていませんでした。犬山市による専門家の調査により棟札が発見され、現存する旧村瀬銀行萩原支店と同様、棟梁鈴木仁蔵の手によることが判明、竣工時の上げ下げ窓が3つ並ぶ正面外観意匠が復原されました。


◆昭和横丁(旧村瀬銀行犬山支店)/愛知県犬山市大字犬山西古券60
 竣工:大正2年(1913)
 設計・施工:棟梁鈴木仁蔵
 構造:土蔵造2階建~2012年復原
 撮影:2013/10/14
 旧村瀬銀行犬山支店の復原/日本建築学会東海支部研究報告書

 
■犬山観光の拠点施設「どんでん館」の向かいに位置し、大勢の観光客でにぎわっています



■復原された東側正面


堀尾史蹟顕彰会館(丹羽郡大口町)

2013-04-03 | 尾張の近代建築

愛知県丹羽郡大口町を流れる五条川沿いの堀尾跡に木造下見板張りの洋風建築が建っています。
外壁は縦長の窓廻りを横板下見板張り、その下は縦張りの羽目板にして変化をつけ、窓の上下には木骨を見せる戦前の洋風下見板建築の定番様式です。
建物の中央に玄関を設けたシンメトリーな外観から、当初は公民館などの公共の建物として建てられた可能性もありますが、築年など詳細は一切不明で、現在は堀尾史蹟顕彰会館として使用されています。
大口町は堀尾一族発祥の地で、豊臣秀吉に仕え、後に松江藩主となった堀尾吉晴は特に有名で、邸宅跡は「堀尾跡公園」として整備されています。
また公園内には、小田原征伐で18歳の若さで死去した吉晴の子金助と母の物語で有名な裁断橋が復元されています。 


◆堀尾史蹟顕彰会館/愛知県丹羽郡大口町堀尾跡1丁目
 竣工:不詳(大正~昭和初期?)
 構造:木造平屋建
 撮影:2013/01/27








 


一宮市建設部維持課分室倉庫/旧伝染病隔離病棟(愛知県一宮市)

2013-03-29 | 尾張の近代建築

一宮駅から西へ1km、八幡5丁目交差点南側に東西に長い木造平屋建の古い建物があります。
資料によると、大正8年に伝染病隔離病棟として建てられた建物で、現在は一宮市建設部維持課が倉庫として使用しています。
建物は瓦葺寄棟、横板張りの木造平屋建で、玄関のある北側には出窓や大きなガラスの引き戸を設け、開口部を大きくとっているのが特徴です。
北側に大きなガラス窓や戸を設けるのは当時の病棟建築ではよく見られる形式で、日当たりのよい南側に病室、暗い北側の廊下に欄間付の大きなガラスの引き戸を設け、採光や風通しを配慮した設計になっています。

ところでなぜ敷地の中央あたりに1棟だけポツンと大正の建物が残っているのか、その理由をわたしなりに勝手に推理してみました。
敷地の広さから、竣工当初から病棟が1棟だけというのは考えにくく、現存する病棟の南北に複数の病棟が存在し、現存する1棟を残し他の病棟は取り壊されたと考えるのが最も妥当なのではないでしょうか。
玄関だけが増築したような外観で、大正期の病棟とアンバランスなのが気になっていましたが、病棟をつなぐ渡り廊下の部分を途中でちょん切って玄関に改築したとすればつじつまが合います。
一宮市の施設として再利用されなければ、おそらく取り壊されていたであろう大正時代の病院建築、これからも末永く現役で使われると良いですね。


■外観はまったく装飾がなく実用一点張りの質素な造り。
近代建築としての面白みはありませんが、県下でも数少ない戦前の病棟建築を伝える貴重な建物です。




◆一宮市建設部維持課分室倉庫/旧伝染病隔離病棟(愛知県一宮市神山3丁目7-2)
 竣工:大正11年(1922)
 構造:木造平屋建
 撮影:2013/03/03


■明治村に移築保存されている日本赤十字社中央病院病棟(明治23年築)
こちらも中庭を囲み南北に病棟を配置する分棟式で、北側の廊下は全面ガラス張になっています。
一宮市の隔離病棟とは対照的に、下見板張りにハーフティンバー風の装飾を施し明るい雰囲気を演出しています。


■明るいガラス張の廊下~右手は病室


旧起第二尋常小学校奉安殿(愛知県一宮市)

2013-03-27 | 尾張の近代建築

美濃路の起宿から一宮市街へ向かう途中、三条小学校の隣に国登録有形文化財に指定された戦前の奉安殿が残っているということで寄ってみました。
そもそも奉安殿とは何ぞや?という基本的な疑問を解決するためにネットで調べたところ、「戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物」(ウィキペディア)とありました。
当初は講堂や校舎内に奉安所として設けらましたが、御真影と教育勅語を天災や火災から守るために、耐火耐震構造の鉄筋コンクリート造や煉瓦造の独立した奉安殿が建築されるようになりました。
また御真影を納めているため、おのずとその外観は荘厳重厚なデザインになり、洋風のギリシャ建築風から日本古来の神社風建築まで意匠を凝らした物が建てられました。
戦後はGHQの指導により、奉安殿の多くが廃止、解体されましたが、一部は神社などに移築されその姿を現在に伝えています。

旧起第二尋常小学校奉安殿は昭和4年に落成、戦後隣接する三条神社境内に移築され取り壊しをまぬがれました。
神社本殿の脇に建つ純和風の奉安殿の建物は、何の違和感もなく神社の一部として周囲に溶け込んでいて、これからも神社の境内の片隅で静かに時を刻んで行くことでしょう。




◆旧起第二尋常小学校奉安殿/愛知県一宮市三条苅2
 竣工:昭和4年(1929)/昭和22年(1947)頃移築
 構造:RC造
 撮影:2013/03/03
 ※国登録有形文化財 

 

旧村瀬銀行萩原支店(愛知県一宮市)

2013-03-16 | 尾張の近代建築

旧美濃路萩原商店街沿いには旧萩原郵便局とともに、大正期の銀行建築の貴重な遺構、旧村瀬銀行萩原支店が現存しています。
村瀬銀行は明治31年(1898)名古屋で開店、昭和初期の金融恐慌により昭和7年(1923)に休業になりました。
尾北地方では布袋支店、萩原支店、犬山支店が現存しており、萩原支店と犬山支店は同じ棟梁の手によるもので、外観は明治期によく見られる和洋折衷の土蔵造の銀行建築になっています。
大正期に入ると都市の銀行はほとんどRC造の洋風建築が採用され、和風の土蔵造の銀行建築は姿を消して行きますが、地方ではまだまだ和洋折衷の土蔵造の銀行が建てられたようです。
建物外観は白黒のツートンにきれいに塗装され、最近まで店舗として再利用されていましたが、現在は閉店しています。


◆旧村瀬銀行萩原支店/愛知県一宮市萩原町萩原下町
 竣工:大正8年(1919)
 設計:棟梁 鈴木仁蔵
 構造:木造2階建塗籠造
 撮影:2013/03/03


■2階の開口部は洋風縦長の上げ下げ窓(現在はサッシの引き戸に改変)、内部にはカウンターを設けた吹き抜けの客溜が残っています。

撮影:2013/03/03


旧萩原郵便局(愛知県一宮市)

2013-03-14 | 尾張の近代建築

旧街道美濃路沿いの萩原商店街に大正期に建てられた2軒の洋風建築が現在も残っています。
まず1軒目は萩原下町の交差点を西へ向かってすぐ左手に見える、街道沿いの建物のなかでもひときわモダンな雰囲気の建物旧萩原郵便局です。
使われなくなってかなりの年数が経過していると思われますが、ほぼ当時の大正モダンな面影(窓や玄関などは一部改変あり)を残しています。
とはいえこのまま朽ち果ててゆくのは個人的には誠に残念で、昭和レトロな商店街活性化の拠点として再活用される日が来るのを心より願っております。

◆旧萩原郵便局/愛知県一宮市萩原町串作女郎花1649
 竣工:大正15年(1926)
 構造:木造2階
 施工:清水組
 撮影:2013/03/03


■ファサードには歴史様式の名残のオーダーを配しつつ、玄関上のアーチは当時流行の表現主義風のモダンなデザイン
縦長の窓は上下に分割されサッシに変更されていますが、当初は上げ下げ窓だったと思われます



■玄関扉は撤去されガラスブロックがはめ込まれています。
アーチ中央部の縦筋の入った立体的な装飾は、まるで絞り出した生クリームのようでおいしそうです。 


一宮建築散歩(9)~駅東口の銀行建築

2013-02-25 | 尾張の近代建築

一宮駅東口に昭和30年代頃に建てられたと思われる銀行建築が残っています。
戦前に建てられた銀行建築の重厚な様式美はありませんが、現在の銀行建築とは一味違った昭和のモダニズムが感じられます。


■みずほ銀行一宮支店(旧第一勧業銀行一宮支店)
装飾がほとんど排除された昭和のモダニズム建築ですが、2階の窓の上にキャタピラー状の装飾が唯一施されています



■いちい信用金庫一宮支店(旧住友銀行一宮支店)
外壁には様式建築のオーダーを思わせる簡略化した溝付きの付け柱を並べ、垂直線を強調しています。

(撮影:2013/01/20)


一宮建築散歩(5)~洋風ファサード商店編/その1

2013-02-17 | 尾張の近代建築

一宮駅周辺には近代建築ガイドブックに掲載されるような、いわゆるA級物件としては、一宮市役所本庁舎北棟(解体決定)、西分庁舎(改修保存)、尾西繊維協会ビルなどがありますが、今回は駅周辺のガイドブックには載らないB級洋風建築を紹介します。
A級物件のような本格的な近代建築は数えるほどですが、戦前から繊維の街一宮を支えてきた多くの洋風商店建築が、現在の駅周辺の一宮の歴史的景観をつくりだしています。

真清田神社のすぐ南を通る国道155号線、大宮1丁目交差点西付近に、数軒の古い洋風の商店建築が残っています。
これらの建物は一見RC造の洋風建築に見えますが、基本的には木造瓦葺きの建物を通りに面したファサードだけ洋風テイストのモルタル外壁で覆った、いわば「お手軽洋風建築」で、現存する市内の商店建築はこのタイプが多く見られます。


■丸八(株)~2階屋上に和風の瓦屋根が見えています。玄関上の「〇八」マークが良い感じです(大宮1丁目)


■このアングルで見ると堂々とした近代的オフィスビルに見えるかも?



■丸八(株)の東隣にある野田商会。廃業してから年数が経つようで、建物は荒れ果てた雰囲気(大宮1丁目)



■看板の屋号も錆がひどくてほとんど判別できません



■昭和な雰囲気の手すりと面格子



■丸八(株)のすぐ北側にある商店。洋風ファサードを切妻屋根の建物にくっつけています(大宮1丁目)



■丸八(株)の155号線を挟んで向かいにある(株)オサカツ。この建物も屋根は瓦葺です(栄1丁目)

(撮影:2013/02/03)


解体迫る一宮市役所旧本庁舎(愛知県一宮市)

2013-02-15 | 尾張の近代建築

一宮を代表する近代建築に一宮市役所旧本庁舎(北棟)がありますが、すでに新庁舎の建設にともない解体取り壊しが決定しており、久しぶりに訪れた現地では、新庁舎の建設が急ピッチで進められていました。
旧本庁舎の隣にあった公園と駐車では、すでに新庁舎の1期工事が始まっており、現在はまだ健在の旧本庁舎も、2期工事開始時に解体される予定です。

前回2009年に訪れたときには、歴史的建造物の旧本庁舎と西分庁舎(旧名古屋銀行一宮支店)の保存に関して、新聞紙上などでも取り上げられ、当時はかなり話題になりましたが、結局旧本庁舎は内装材などの一部保存活用にとどまり全面解体、なんとか西分庁舎は解体をまぬがれ改修後再活用が決まりました。

激動の昭和を80年以上も生き抜いてきた旧本庁舎は、一宮の街角の原風景ともいえる存在で、特徴的な玄関周りだけでも一部保存して、新庁舎と共存する手法もあったのではと思いますが、残念ながらその姿を消すことになりました。

解体目前の旧本庁舎を前に、今年は鬼籍に入る近代建築が1件でも少ないことを祈りながら、最後の姿をカメラに収めました。


■建設中の新庁舎の脇で、解体の日を待つ旧庁舎。この姿も、もう見納めです。



■新庁舎の完成予想図(平成26年3月完成予定)~残念ながら旧庁舎の姿はありません

(撮影:2013/02/10)