かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

名古屋第一赤十字病院旧本館玄関(名古屋市中村区)

2012-10-30 | まちかどの20世紀遺産

2009年11月のブログで、保存工事中の中村日赤の玄関車寄の記事をアップしましたが、3年ぶりに現地を訪れました。
病院の建て替え工事はすべて終了し、ピカピカの病院の前にポツンと旧本館の玄関車寄部分が保存されていました。
説明プレートには「病院の象徴として、過去から未来へ歴史を繋ぐ遺産」とありますが、かつての病院の記憶をとどめるものが小さな車寄一つになってしまいました。
道路側に面した特徴的な意匠を持つ旧本館部分の一部だけでも残してほしかったのですが、市内最古のRC造病院建築は車寄を残しただけで永久に姿を消しました。





撮影:2012/09/22


名古屋市演劇練習館アクテノン/旧稲葉地配水塔(名古屋市中村区)

2012-10-28 | 名古屋の近代建築

名古屋市には戦前に建てられた配水塔が現在も2つ残っています。千種区にある旧東山配水塔(昭和5年)と中村区の稲葉地公園にある旧稲葉地配水塔です。

旧東山配水塔は、現在災害時の応急給水施設、東山給水塔として再利用されていますが、旧稲葉地配水塔は、演劇練習館という非常にユニークな形で生まれ変わり市民に活用されています。

稲葉地配水塔は、名古屋市西部への配水を目的として昭和12年に竣工しましたが、昭和19年に大治浄水場が完成し、給水がポンプ圧送に変わったため、わずか7年で配水塔としての役目を終えました。その後は昭和40年に中村図書館に転用されましたが、平成7年名古屋市演劇練習館として二度目の再生を果たしました。


◆名古屋市演劇練習館アクテノン(旧稲葉地配水塔)/愛知県名古屋市中村区稲葉地町1-7
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:名古屋市水道局
 構造: RC造地下1階、地上5階建
 撮影:2012/09/22
 ※名古屋市都市景観重要建築物


■建物北側正面~古代ギリシャの円形神殿を思わせるスケール感のある外観は、地域のランドマークとして抜群の存在感


■水槽の周縁部を16本の円柱で支える



■建物入口



■建物南側







旧稲葉地配水塔は、配水塔としてはわずか7年の命でした。
70年以上の時を経た現在、「演劇練習館アクテノン」という新たな命を吹き込まれた配水塔は、地域のランドマークとして多くの人々に親しまれ、幸せな余生を送っています。
これからも時代を超えて、人々の記憶に残る建物として、末永く愛されていくことでしょう。


下之一色の建物散歩(名古屋市中川区)

2012-10-26 | まち歩き

下之一色は江戸末期から昭和30年代頃まで漁師町として栄え、入り組んだ狭い路地は当時の町割を残していて、町を歩くと今も当時の町並みの雰囲気を感じることができます。


■本町通り沿いにある消防団の建物~ファサードのデザインがモダン



■本町通りの古い商店~外壁がトタン張りになっていますが、戦前物件と思われます




■浅間社前のタイル張り住宅



■北ノ切の和風住宅(明治24年)
木造2階建ての大きな住宅で、2階半分は出格子、残り半分は連子格子。



■北ノ切の2階建の蔵


旧ヱビス湯(名古屋市中川区)

2012-10-24 | 名古屋の近代建築

下之一色の中心街本町通沿いに、すでに廃業(2003年頃)した旧ヱビス湯の建物が現在も残っています。外観は新元湯と同様の洋風銭湯ですが、とにかく建物のスケールが大きく、下之一色でも最大級の大きさの銭湯だったと思われます。

この大きなヱビス湯に、大勢の入浴客が連日訪れたわけで、漁でにぎわう当時の下之一色の様子を彷彿とさせるものがあります。もう二度と暖簾が架かることのないヱビス湯の前に立ちながら、7軒の銭湯が建ち並んでいた頃の下之一色の町を訪れ、銭湯めぐりができたらどんなに素晴らしいだろうと、かなわぬ夢に思いをはせるのでした。

2004年頃まではアールデコ風の栄湯も営業していたらしいですが、現在建物は取り壊され駐車場になっています。栄湯が営業中の頃の様子が、「レトロタウン下之一色の名古屋型銭湯」というブログに詳しいので、興味のある方はどうぞ。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091090930684.html?_p=1 


◆旧ヱビス湯/愛知県名古屋市中川区下之一色町西ノ切57
 竣工:昭和4年(1929)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/09/22


■もう暖簾が架かることもないヱビス湯の玄関


■右から書かれた屋号が過ぎ去った時代を語っているようです


新元湯(名古屋市中川区)

2012-10-23 | 名古屋の近代建築

下之一色の南端、新川の堤防道路の脇に、この地域で唯一営業する昔ながらの戦前の銭湯が残っています。大正13年創業の新元湯で、多くの銭湯が廃業するなか、下之一色の最後のボイラーの火を今も守っています。 

元々下之一色には戦前から銭湯が多く、最盛期には町内だけで7軒の銭湯があり、どこの銭湯も漁のあとで汗を流す漁師で大盛況だったそうです。当時銭湯は漁師たちの社交場でもあり、風呂に入って疲れを癒しながら、その日の漁獲高など漁の情報交換の場として、銭湯は欠かせないものでした。

現在はほとんどの銭湯が廃業し、ここ10年ほどで、延命湯(明治34年)、栄湯(大正14年)、アルプス湯(昭和9年)など、戦前の銭湯もすべて取り壊されました。新元湯のほかには、本町通にあるエビス湯が廃業後も取り壊されず、かろうじて往時の姿をとどめています。
 

◆新元湯/愛知県名古屋市中川区下之一色町南ノ切54-1
 竣工:大正13年(1924)
 構造:RC造平屋建
 撮影:2012/09/22


■洋風の外観の新元湯。名古屋でも初期のRC建築の一つで、アールデコ風の意匠の装飾が見られます。









■建物上部の装飾





■営業日が決まっていますので、入浴希望の方はあらかじめ確認してからお出かけください。
 

今回は営業時間外の訪問だったため、入浴できず内部の見学はかないませんでした。
新元湯は銭湯マニアには有名な銭湯らしく、検索をかけるとたくさんの訪問記事がヒットします。
内部のレトロな下駄箱、脱衣場、タイル装飾なども紹介されていますので、興味のある方は「新元湯」で検索してみてください。 


正色市場(名古屋市中川区)

2012-10-21 | 名古屋の近代建築

中川区下之一色は名古屋市の南西部、新川と庄内川にはさまれた一帯で、昭和30年代までは漁師町として栄えました。
漁港の町らしい細い入り組んだ路地を歩くと、町が漁業で栄えた当時の大正~昭和の面影を残す町並みが随所に残っています。

国道1号線の下之一色の信号を南へ入ると、メインストリートの本町通にある下之一色商店街で、その中央あたりに正色市場があります。
正色市場は市内に残る公設市場としては最古級のもので、破風のアールデコ風の装飾が時代を物語っています。


■市場の「正色」というのは下之一色の「下之一」の文字を組み直した略称。近くには「正色小学校」もあります。


 

◆正色市場/愛知県名古屋市中川区下之一色町北ノ切10
 竣工:大正10年(1921)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/06/22


瑞穂通三丁目市場(名古屋市瑞穂区)

2012-10-20 | 名古屋の近代建築

瑞穂区役所から環状線を隔ててすぐ西側にある看板建築風商店です。
建築年は不明ですが、瓦屋根の店舗の前面に立ち上げた大きな看板風の山型の壁に「公認 瑞穂通三丁目市場」と大きく描かれた店構えは昭和の香りがぷんぷんしてきます。
ところで「公認」とあるのは名古屋市公認ということでしょうか?
名古屋市の公設市場というのは市内に8か所あり、古いものは大正期に開設され現在も営業しています。



撮影:2012/09/22


瑞穂区役所界隈の一部洋館住宅(名古屋市瑞穂区)

2012-10-19 | 名古屋の近代建築

大正中期から昭和初期にかけて、名古屋市周辺にも都市化が拡がり、いわゆる新市街地と言われる地域(千種・昭和区・瑞穂・天白区)に計画的に郊外住宅地が開発され、西洋式の外観を持つ住宅が急激に普及しました。

この地域で最も多く建てられた新しい形の住宅が『一部洋館住宅』と呼ばれるもので、本格的な洋館を建てるのは、費用面でも使い勝手の面でも難しいが、せめて一部屋だけでも洋室に、という中流庶民のささやかな夢を形にしたのが『一部洋館住宅』です。この時期に建てられた『一部洋館住宅』は、大都市の郊外だけではなく地方都市にも拡がりをみせ、大都市圏ほど数は多くありませんが、日本中どこの町にも見かけることができます。
この「せめて一部屋洋室」にという住宅形式は、戦後昭和40年代頃まで受け継がれ、私の実家も玄関脇の一部屋だけを洋室にして応接間として使用していました。時代は変わり、最近の住宅は全部屋フローリングというのも珍しくなく、「せめて一部屋和室に」というのが間取りの定番になっています。

今回訪れた桜山の名古屋市大病院から瑞穂区役所にかけての一帯も、和風住宅に一部洋室を持つ住宅が数多く建てられましたが、最近は建て替えが進み、戦前の住宅は急速にその姿を消しつつあります。


■和風の母屋にボウウィンドー風の張り出し窓がある洋館を設けています



■入母屋造の純和風住宅に洋館が付属する戦前の典型的な一部洋館住宅



■現代の建売住宅風に、同じ間取りの一部洋館住宅が2軒並んでいます



撮影:2012/09/22


愛知県立瑞陵高等学校校門/旧愛知商業学校校門(名古屋市瑞穂区)

2012-10-17 | まちかどの20世紀遺産

瑞穂区役所方面から瑞陵高校の前の通りを西へ向かい正門を過ぎると、北へ入る狭い道があります。その突き当たり、旧講堂の東側に、旧愛知商業学校時代の校門がひっそりと建っています。
デザインは大正末~昭和初にかけて、県営繕課が手掛けた一連の旧制中学の校門と同じなので、旧講堂が竣工した大正13年頃に建てられたと思われます。

名古屋市内では旧制中学時代の講堂と校門がセットで現存する唯一の例で、愛知県内では津島高校、小牧高校、西尾高校(講堂ではなく武道館)がセットで現存しています。
学校の歴史を語る古い建物や校門を時代を超えて大切に受け継いでいくことは、その学校の在校生や卒業生はもちろん、地域にとっても大きな財産になるに違いありません。


 
撮影:2012/09/22


愛知県立瑞陵高等学校旧講堂(感喜堂)/旧愛知県商業学校講堂(名古屋市瑞穂区)

2012-10-14 | 名古屋の近代建築

以前ブログをご覧いただいた方から、名古屋市瑞穂区にある愛知県立瑞陵高校に旧制中学時代の講堂と校門が現存しているという情報をいただき、今回やっと訪問することができました。
 
愛知県立瑞陵高等学校は明治40年(1907)愛知県立第五中学校として開校されました。その後大正11年(1922)愛知熱田中学校に改称、昭和23年(1948)の新制高校発足に伴い熱田中学は熱田高校に改称(現在の熱田高校とは無関係)され、同じ年に名南高校、貿易商業高校、愛知商業高校と統合され現在の愛知県立瑞陵高等学校になっています。

瑞陵高校のある瑞穂区北原町は、もともとは旧愛知商業があった場所で、現存する旧講堂は大正13年(1924)に愛知県商業学校の講堂として建てられたものです。講堂は昭和23年4校が統合され、現在の瑞陵高校になってからも引き続き使用され、昭和39年(1964)新たに講堂兼体育館(瑞光館)が竣工したため、図書館として改修された後、昭和54年(1979)からは定時制給食室(感喜堂)として現在も使用されています。
旧講堂は木立に囲まれた校庭の南西角にあり、東側の校舎と渡り廊下でつながっています。建物外観は各面中央部に小屋根が架けられているのが特徴で、同じ県営繕課設計の津島高校(第三中学)旧講堂(大正12年)と大変よく似た外観になっています。
 
わたしが今までに、県内の高校の現存する戦前の講堂として確認できたのは、旧竜城学園(第二中学/岡崎高校/明治40年)、津島高校、瑞陵高校、小牧高校(昭和4年)、東海高校(昭和6年)、滝高校(昭和8年)、金城学院高校(昭和11年)、西尾高校(昭和4年)の8校になります。(注:西尾高校は武道場)
名古屋市内では大正期竣工の講堂は瑞陵高校のみで、市内最古の現存する高校の講堂と思われます。(県内最古は旧第二中学講堂)


◆愛知県立瑞陵高等学校旧講堂(旧愛知県商業学校講堂)/名古屋市瑞穂区北原町2-1
 竣工:大正13年(1924)
 設計:愛知県営繕課
 撮影:2012/09/22

■建物西側



■建物東側出入り口~東西に2か所づつ、計4か所の出入り口があるようです
 


ちょっと怪しいイルカの遊具(岐阜県郡上市)

2012-10-12 | まち歩き


長良川鉄道、郡上大和駅前の小公園には車やウサギ、ペンギンなどの遊具が設置されています。





どこにでもある遊具ですが、その中のイルカの目つきがちょっと変なんです。
子供の遊具と言えば無邪気で可愛らしいものですが、このイルカの目つきはどう見ても下心がありそうです。
子供たちを背中にのせながら、いったい何を考えているのか?(-_-;) 

 



郡上大和駅~長良川鉄道 越美南線(岐阜県郡上市)

2012-10-10 | 木造駅舎の旅

郡上八幡駅からさらに156号線を北上、大和町に入り下剣の交差点を左折すると突き当りが郡上大和駅です。
駅構内は2面のホームがあり、複線になっているため行き違いが可能で、駅舎側のホーム中央にある踏切で対向ホームに連絡しています。
駅舎には喫茶店が併設され、外壁や窓がログハウス風に改築されていますが、玄関部分や構内は開業当時の様子を残しています。
駅前の旧街道沿いに大正時代に建てられた鶴来医院がありましたが、残念ながらつい最近になって取り壊された模様です。(2012/09/16確認)


◆郡上大和駅~長良川鉄道 越美南線/岐阜県郡上市大和町剣字小倉
 竣工:昭和7年(1932)開業時は美濃弥富駅
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/09/06


■開業時の姿をとどめる玄関



■駅舎内の待合室



■駅舎側ホーム



■郡上八幡方面を望む



■郡上八幡方面に向かうかわいいマーキングの列車





郡上八幡駅~長良川鉄道 越美南線(岐阜県郡上市)

2012-10-09 | 木造駅舎の旅

「郡上おどり」で有名な郡上八幡は、奥美濃を代表する観光地で、毎年8月13日~16日に開催される徹夜踊りには25万人の踊り手と観光客が訪れます。
郡上八幡駅も長良川鉄道を代表する駅にふさわしく、2面3線ホームの規模があり、駅前にもタクシー乗り場のある広いのロータリーが設けられています。
駅舎は開業当時のまま残る木造駅舎で、今となっては建て替えられなかったのが幸いし、歴史のある郡上八幡にふさわしいシンボル的存在になっています。

◆郡上八幡駅~長良川鉄道 越美南線/岐阜県郡上市八幡町稲成
 竣工:昭和4年(1929)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/09/16


■郡上おどりの提灯が下がる玄関。乗降客も多く活気があります。



■駅舎の中には「ふるさとの鉄道館」が併設されています



■1番線ホーム(美濃市・関・美濃太田方面)



■1番線ホームより美濃市方面を望む



■1番線ホームより北濃方面を望む。2番線(北濃方面)とは跨線橋で連絡しています。



■現在未使用の3番線ホームに停車している列車


深戸駅~長良川鉄道 越美南線(岐阜県郡上市)

2012-10-08 | 木造駅舎の旅

美並苅安駅を後にして、さらに156号を郡上方面へ北上します。
駅舎のないホームだけの赤池駅を通過してしばらく走ると、道路からすぐ右手に深戸駅があるのですが、駅への出入り口が狭く案内看板もないので、うっかり通り過ぎてしまいUターンする羽目になりました。

深戸駅も昭和3年開業以来の木造駅舎ですが、ステーション深戸という喫茶店が駅舎内に併設されているのがユニークなところです。
喫茶店には常連のお客さんも来店しているようで、人気のない静かな大矢駅や美並苅安駅に比べると、駅界隈に活気が感じられます。
 

◆深戸駅~長良川鉄道 越美南線/岐阜県郡上市美並町三戸
 竣工:昭和3年(1928)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/09/16





■駅舎玄関~すぐ脇には喫茶店の入り口があります



■古い木製の長椅子が置かれた待合室



■今も残る木製の改札口





■駅ホームから郡上方面を望む
 


美並苅安駅~長良川鉄道 越美南線(岐阜県郡上市)

2012-10-07 | 木造駅舎の旅

今回は車で、長良川鉄道と並んで走る156号線を郡上方面へ向かいながら、順番にお目当ての木造駅舎を訪ねました。
本来なら列車に揺られながら、ゆっくり旅を楽しみたいところですが、駅舎訪問は途中下車を繰り返すことになるので、列車本数が少ないローカル線ではどうも効率が悪いようです。

大矢駅を後に156号を北上、駅舎がないホームだけの福野駅を過ぎると次は美並苅安駅です。
駅周辺は郡上市制前の郡上郡美並村の中心で、小学校、市役所美並庁舎、JA、美並インターチェンジなどがあります。
駅舎の向かって左側の旧駅務室に会社の事務所が置かれ、出入り口が新設されています。


◆美並苅安駅~長良川鉄道 越美南線/岐阜県郡上市美並町白山
 竣工:昭和3年(1928)苅安駅として開業
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/09/16


■駅舎玄関~大矢駅よりちょっと小さめです



■待合室には昔懐かしいまきストーブ



■ホームへの出入り口



■かつては大矢駅同様2面のホームがありましたが、現在は駅舎側のホーム1面のみ使用。
 ホームをつないでいた跨線橋が、駅のすぐ隣にある小学校の通学用に残されています。

美濃市方面を望む