かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

TVの洋画劇場にマカロニがやって来た!~荒野の用心棒(1965年)

2014-08-10 | 映画

 1971年、中学2年生のときに映画(おもに洋画)の面白さを知り、映画館にも行くようになった。しかし中学生のこづかいでは毎度映画館で見るわけにもいかず、そこで頼りになるのがテレビの洋画劇場である。ちなみに70年代当時各テレビ局が放送していた洋画劇場を番組名、放送局、放送開始年、解説者の順に紹介すると

・日曜洋画劇場~テレビ朝日、67年4月、淀川長治
・月曜ロードショー~TBS、69年10月、荻昌弘
・ゴールデン洋画劇場~フジ、71年4月、前田武彦
・水曜ロードショー~日本テレビ、72年4月、水野晴郎

 ビデオもDVDもこの世に存在しなかった当時、テレビの洋画劇場は名作からB級まで多くの作品を供給してくれる唯一の存在だった。ぼくのような経済的な事情で、あまり映画館へ行けない中学生にとって、毎週4回放送される洋画枠は本当に楽しみな時間だった。中学~高校生の時期にこの洋画劇場で見た多くの作品は、ぼくの血となり肉となり、オッサンになった今もぼくの体に脈々と受け継がれているのである。


■初めて洋画劇場で見た映画はマカロニ・ウエスタン
 さてぼくがテレビの洋画劇場で最初に見たのは、マカロニ・ウエスタンと呼ばれる『荒野の用心棒』という西部劇だった。放送日は1971年1月10日。ぼくがちょうど洋画に興味を持ち始めた中学1年のときに放送されたこの作品は、オープニングの『さすらいの口笛』の哀愁を帯びた音楽とともに、今もぼくの記憶に強烈に焼き付いている。

 マカロニ・ウエスタンというのは、60~70年代につくられたイタリア製西部劇のことで、『荒野の用心棒』で監督のセルジオ・レオーネがその基本的スタイルをつくりあげたと言われている。『荒野の用心棒』が黒沢明監督の『用心棒』を無断でリメークしたのは有名な話だが、セルジオ・レオーネはクロサワの『用心棒』のストーリーを借りて、彼独自の西部劇「マカロニ・ウエスタン」をつくりあげた。

 それまでのジョン・フォードに代表される西部の男たちを詩情豊かに謳いあげる西部劇を正統派とするなら、レオーネのマカロニ・ウエスタンンは、まさにアウトローたちの西部劇だった。このB級の臭いがプンプンする西部劇は、それまでの西部劇のフォーマットをすっかりぶち壊し、新しい形のアクション映画としてひとつの時代をつくっていく。


■映画のストーリー
 ニューメキシコの小さな町に流れ着いた凄腕のガンマン、ジョー(名無しの男)。この町ではメキシコ系ギャング一味と白人保安官一家が激しく対立、争いが絶えなかった。両者の相打ちを狙い金儲けをたくらむジョーは、保安官一家の下っ端を簡単にうち殺し、メキシコギャングに取り入る。その一方保安官一家にも裏で情報を流し、両者の対立を煽りながら一儲けの機会をうかがう。ギャング一味が軍から強奪した金塊を探すべく、一味のアジトに潜入したジョーはそこで大ボスのラモンに無理やり愛人にされている女を発見、同情したジョーは、亭主、子どもともども逃がしてやる。一方ラモン一味は対立する保安官一家と全面対決、一家を皆殺しにする。ジョーが女を逃がしたことを知ったラモンは、ジョーに手ひどい拷問を加え女の行方を追及するが、辛くも脱出したジョーは葬儀屋の助けでラモンとの最後の決闘に備える。ラモンに痛めつけられボロボロになりながらも、ジョーは最後のラモンとの決闘に臨む。ジョーはライフルの名手ラモンに対抗する最後の手段を、文字通り胸に秘めていたのであった。


■DVD再見
 映画のキモであるガン・ファイトのシーンは、今の映画のアクションシーンのスピード感になれた眼にはなんとも冗漫、いかにも時代を感じさせる。しかしそれを補って余りあるのが、クリント・イーストウッド演じるジョーのカッコよさだ。イーストウッドが演じるジョーのヒゲヅラに葉巻、ポンチョというスタイルにちょっとクールなイメージは、この映画を見た中学生の時からぼくの中では忘れられない存在になった。

 この映画の主演にはヘンリー・フォンダやチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンなども候補に挙がったそうだが(結局全員に断られている)、結果的にクリント・イーストウッドで大正解だった。ひょうひょうとしてとらえどころがなく、ワルなのにワルになりきれない、そんな決して正義のヒーローではない流れ者のガンマンのイメージに、イーストウッドはまさにはまり役。結果的に演技があまりうまくないのも、無表情でクールな主人公役のイメージにぴったりだった。

 この映画が世界中で大ヒットし、続いて『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン』が製作された。主演のイーストウッドはこれをきっかけにハリウッド・スターへの扉を開き、のちの『ダーティー・ハリー』シリーズでその人気を不動のものにした。(ハリー刑事が44マグナムのリヴォルヴァーを撃ちまくる、まさに現代のマカロニ・ウエスタン!)

 また忘れてならないのが、メキシコ系ギャング一味の大ボスを演じたジャン・マリア・ヴォロンテ。金塊を強奪するためにガトリング銃を撃ちまくり軍隊を全滅させるは、命乞いする保安官一家を容赦なく皆殺しにするは、その非情な極悪ぶりは正統派西部劇にはなかったまさにマカロニ・ウエスタンの世界。ジョーはこのボスに一度はボコボコニされながら、最後の決闘に挑み、ボスの自慢のライフルに拳銃で対向する。

 爆発の煙の中からジョーが登場し、ひとりで悪党一味に対峙するシーンは、この手のアクション映画の定番だが、今見ても十分にカッコいい。ライフルの名手のボスに「心臓を狙え」と挑発するジョー。そこには一発逆転の秘策が隠されていた。ここであのトレードマークのポンチョが、ただのファッションではなかったのが分かるあたりはなかなかの演出だが、これは見てのお楽しみということで・・・

 マカロニ・ウエスタンという新しいスタイルで、アクション映画のひとつのスタイルを築いた『荒野の用心棒』。本家黒沢監督の時代劇アクション映画『用心棒』とともに、のちの映画やTVドラマ、アニメ、マンガなどに与えた影響ははかり知れない。最近の大ヒット映画『るろうに剣心』にも、マカロニ臭が漂うような気がするのはぼくだけ?


■日本公開時のポスター
 


■このスタイルが後のガンマンのイメージを決定づけた



■荒野の用心棒
 公開:1965年
 監督:セルジオ・レオーネ
 音楽:エンニオ・モリコーネ
 出演:クリント・イーストウッド、ジャン・マリア・ヴォロンテ、マリアンネ・コッホ他
 TV放送:日曜洋画劇場(テレビ朝日)1971/1/10


ジュリエットはボイン!~ロミオとジュリエット(1968年)

2014-08-06 | 映画

 1971年は『小さな恋のメロディ』と『ある愛の詩』の2本を地元の映画館で見たと記憶していたのだが、ほかにもう1本見ていたことを思い出した。これが1968年に公開された『ロミオとジュリエット』という映画なのだが、わざわざリバイバル上映を見に行った記憶がないので、どうやらどちらかの映画の併映作品として見ていたらしい。当時はメインのロードショー作品と一緒に、ちょっと昔の作品やB級作品をセットにして必ず2本立て以上にして上映していた。リバイバル上映では3~4本立てなんていうのもあり、当時ビートルズの全作品4本立てなんてのを名古屋の映画館まで見に行った記憶がある。
 
 あまり期待もせず2本立ての併映ということで見た『ロミオとジュリエット』だったが、これがなかなか素晴らしい作品だった。もちろんシェイクスピアの原作は読んでいないので、どれだけ原作に忠実かは知る由もなかったのだが、中学生でも世界で一番有名な古典的ラブストーリーの作品世界を十分楽しむことができた。当時主演を務めたレナード・ホワイティングは16歳、オリビア・ハッセーは15歳という若さで、とにかくふたりともイキがいいのだ。シェイクスピアの作品なのに全裸のベット・シーンがあったのも驚きで、ウブな中学生は15歳とは思えぬオリビアのボイン(もはや死語)に完全に魅了されたのだった。


■DVD再見
 45年前の映画ということを考慮すれば、画像の色彩は良好で十分鑑賞に耐えうるレベル。物語の背景になっているヴェロナの町のシーンは、トスカーナとローマ郊外で撮影され、その当時とほとんど変わらない古い建物や風景は、映画の舞台になった15世紀半ばのイタリア(原作は1570年代エリザベス朝のイギリス)の雰囲気を伝えてくれる。衣装や美術も映画的な視覚効果が最大限に引き出せるよう、監督フランコ・ゼフィレッリのこだわりが画面に伝わってくる。キャスト・美術・音楽が高度の次元で融合した『ロミオとジュリエット』映画の決定版で、ぼくたちの世代にとって、『ロミオとジュリエット』といえば「やっぱりこれでしょう!」というくらい、このシェイクスピアの古典的名作のイメージを決定づけた映画と言えるだろう。
 
 主役の若いふたりは、この映画1本でぼくたちの記憶に永遠に残ることになった。とくに当時15歳のオリビア・ハッセーの美しさは鮮烈で、少女らしい清楚で可愛らしい顔立ちと、成熟した女性の肉体を持つ新しいタイプのジュリエットは、ぼくにとっての永遠のジュリエット像を決定づけてくれた。またニーノ・ロータによる音楽も素晴らしく、キャピュレット家の祝宴で切々と歌うグレン・ウェストンのテーマ曲はあまりに有名で、今聴いても思わず引き込まれる。個人的にはもう一度大きなスクリーンで見てみたい作品のひとつである。


■1972年リバイバル上映時のパンフレット

 

■有名なバルコニーのシーン
やっぱり今でもジュリエットの胸元に目がいきます
 


■当時購入した4曲入りドーナツ盤のサントラ(¥700)
ニーノ・ロータによるキャピュレット家の祝宴で歌われるテーマ曲はあまりに有名


世に恋愛モノの種は尽きまじ~ある愛の詩(1970年)

2014-08-03 | 映画

 1971年、中学2年生のときに映画館で見た映画は、『小さな恋のメロディ』と『ある愛の詩』の2本だった。今思うと少ない気もするが、中2の少ないこづかいからすると、まあこんなものだろうか。なにしろ当時の毎月のこづかいでは、2000円のLPレコードが買えなかった記憶がある。本やレコードも買いたいぼくにとって、映画代(500円くらいか?)はばかにならない金額だったのだ。

 ところで見に行った映画が2本ともラブストーリーだったのにはわけがある。一緒に映画を見に行ったI君とぼくは、ふたりともこの当時デビューしたばかりの南沙織の大ファンだった。中2になって急に色気づき始めたぼくたちは、日本のアイドルのほかに外国の女優も話題に上るようになっていた。当時読み始めた「明星」や「平凡」、「スクリーン」などで紹介される映画情報で、当時人気のあったトレーシー・ハイドとアリ・マッグロー見たさに映画館へ行ったのである。特に『ある愛の詩』の主演女優アリ・マッグローは、ストレートのロングの髪に濃い眉が印象的な南沙織タイプで、ぼくたちは迷わずなけなしのこづかいをはたいて映画館へ直行したのであった。

 地元の小さな映画館で『見た『ある愛の詩』は、同じ時期に見た『小さな恋のメロディ』とは対照的なラブストーリーで、格差婚とヒロインの不治の病という「悲恋モノ」だった。能天気な中学2年生にはちょっと重かったが、主人公が雪のスケート場の観覧席で、若くして逝った妻の死を悼むラストシーンは、今もしっかりと心に残っている。

■映画のストーリー
 ストーリーはいたってシンプルだ。ハーバードの学生オリバー(ライアン・オニール)は、図書館でバイトをしているラドクリフ大学の学生ジェニーに一目ぼれ、やがてふたりは恋に落ち結婚を誓い合う。オリバーは名家の四世、ジェニーはイタリア移民の菓子屋の娘という身の上の違いのため、オリバーの父に結婚は反対されるが、オリバーは反対を押し切り結婚する。父からの送金を止められたオリバーは、弁護士資格を取るためハーバードの法律学校へ入学、学費と生活費のためジェニーは働き、オリバーもバイトをする貧しい暮らしだったが、愛し合う二人にとっては決して苦しいものではなかった。ジェニーの支えで法律学校を優秀な成績で卒業したオリバーは、ニューヨークの法律事務所に就職、ふたりの希望に満ちた新しい生活が始まったかに思えたのだが・・・

■DVD再見 
 今回40年ぶりにDVDを鑑賞し、中学生からオトナになった眼で見た率直な映画の感想を少々。
 この手の悲恋モノは、どれだけ登場人物に感情移入できるかが映画のポイント。身分や貧富の差など幾多の障害を乗り越え一緒になり、幸せをつかんだと思った瞬間、どちらかの突然の死でラストは不幸のどん底に叩き落される。この幸せと不幸のふり幅が大きいほど、映画を見た人はしばし日常を離れ、悲劇の主人公に感情移入しカタルシスを味わえる。いわば悲恋モノ映画のキモは、ラストの不幸のどん底に向かうまでの道のりを、いかに丁寧に描いていくかに尽きる。
 
 その点ではこの映画は少し食い足りないなあ~と思ってしまう。まず映画の終盤になって突然判明するジェニーの病気(白血病)は、それまでの予兆がまったくなかっただけに、悲劇のラストに向けてのやや帳尻合わせの感がまぬがれない。映画の序盤、オリバーがジェニーにひと目ぼれし、大学周辺でデートを重ね愛を育んでいくくだりも、いつのまにか気がついたらベットインしてていたという感じだ。ぼくとしては、お坊ちゃまオリバーの少々強引なアタックに、徐々に惹かれていくジェニーの心の動きをもう少し丁寧に描いて欲しかったのだが。

 昔からある定番の悲恋物語を70年代を舞台に、当時としては新しいタイプのヒロイン、アリ・マッグローが演じた『ある愛の詩』。今見るとちょっとベタすぎる展開が気になるものの、随所に出てくる美しい雪のシーンは、フランシス・レイの音楽とあいまって、この映画をより印象深いものにしている。このどちらかが先に逝ってしまうタイプの悲恋モノは、日本でもパターンを変えながら映画、TVドラマで毎度おなじみである。特に売出し中のアイドルや俳優が演じるこの手の純愛・悲恋モノは、うちのかみさんや娘も含め、世の女性たちには今も絶大な人気を誇っているようだ。古今東西女性がいる限り、「世に恋愛モノの種は尽きまじ」ということらしい。
 

■1976年リバイバル上映時のパンフレット
  


■映画でのジェニーのセリフ、「愛とは決して後悔しないこと」のフレーズは当時流行しました


小さな恋のメロディ/音楽編(8)~『ティーチ・ユア・チルドレン/Teach Your Children』

2014-07-30 | 映画

 この映画のラストシーンに流れるのは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの『ティーチ・ユア・チルドレン』だ。この長いユニット名はCSN&Yと略されることが多く、デヴィット・クロスビー、スティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュ、ニール・ヤングという、そうそうたるメンバーで構成されている。『ティーチ・ユア・チルドレン』は、CSN&Yの最大のヒット曲で、ダニーとメロディが鉄道の廃墟で結婚式を挙げ、トロッコで走り去るシーンに使われている。美しいハーモニーで親子の絆を歌うこの曲は、ダニーとメロディがトロッコに乗り去っていくラストシーンを、より印象深いものにしてくれている。

 ところで、この頃から洋楽にも興味を持ち始めたぼくは、翌年ニール・ヤングがソロで発表した『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』と『ハーヴェスト』を聴いてすっかり彼のファンになってしまった。ちなみに初めて買った「ミュージック・ライフ」という音楽雑誌の表紙がニール・ヤングだった。その年(1972年)に大ヒットした『孤独の旅路』は、今でも心に残るぼくの思い出の一曲である。
 

 『ティーチ・ユア・チルドレン』

 人生を歩む君たち 君たちには生きていく決まりがある
 だから自分をしっかり持って 過去なんてさよならさ
 君たちの子どもたちによく教えておくがいい
 父親の苦しみはゆっくり過ぎていくんだ
 そして君たちの夢を子どもたちに語るんだ
 子どもたちに共感されようとされまいと
 なぜと聞かないで
 それを聞いたって嘆くだけだ
 じっと顔を見つめ ため息ひとつ
 子どもたちが親を愛してるってわかる

 君たちは若いから 
 親たち世代が年老いていく恐れがわからないだろう
 だから君たちの若さで彼らに力を貸すんだ
 彼らは死ぬまで真実を探求するだろう
 君たちの親によく教えておくがいい
 子どもたちの苦しみはゆっくり過ぎていく
 そして君たちの夢を親に語るんだ
 親たちに共感されようとされまいと
 なぜと聞かないで
 それを聞いたって嘆くだけだ
 じっと顔を見つめ ため息ひとつ
 親が君たちを愛してるってわかる
  
  
 
■クラス全員の前で結婚式を挙げるダニーとメロディ



■それを阻止すべく先生たちが乱入



■クモの子を散らすように逃げる生徒たち



■先生と生徒が入り乱れて大乱闘



■一人の生徒が手製爆弾を投げる



■ダニーのお母さんの車が大爆発



■一斉に逃げ出す大人たち



■トムはダニーたちをトロッコで逃がそうと思いつく



■トムに見送られトロッコをこぐダニーとメロディ





■ダニーとメロディを乗せたトロッコは遠ざかっていく



小さな恋のメロディ/音楽編(7)~『ギヴ・ユア・ベスト/Give Your Best』その2

2014-07-27 | 映画

 愛を誓いあったダニーとメロディは、しめしあわせて学校をさぼり日帰りで海岸沿いのリゾートへ出かける。遊園地や海辺でふたりだけのデートを楽しむのだが、そのときバックに流れるのが『ギヴ・ユア・ベスト』だ。この曲はダニーとトムがウエスト・エンドへ行った時にも使われた、いわばトムのテーマ曲。アップテンポで軽快な曲は、海岸リゾートでの初デートシーンを盛り上げるのに一役買っている。

■学校をさぼり電車で海岸リゾートに来たふたり














結婚を誓い合ったふたりだったが、11歳の子どもには越えられない厳しい現実が待っていた・・・・


小さな恋のメロディ/音楽編(6)~『若葉のころ/First Of May』

2014-07-26 | 映画

メロディはダニーの帰りを待って、初めてふたりで下校する。
誰もいない墓地で、ふたりはお互いの思いをうちあけ、永遠の愛を誓う。
バックに『若葉のころ/FIRST OF MAY』の美しい旋律が流れる。


『若葉のころ/FIRST OF MAY』

 ぼくが小さく クリスマスツリーが大きかったとき
 ぼくたちは恋をささやいた
 ぼくに聞かないで なぜ時が過ぎ去ったのか
 何かが遠くからやってきたんだ

 今ぼくたちが大きく クリスマスツリーは小さくなった
 そして誰も過ぎ去った日々を聞かない
 だが君とぼくと 二人の愛は永遠に消えない
 誰かが泣くだろう 五月が訪れたとき

 君とぼくのために育ったリンゴの木
 リンゴが落ちていく ひとつずつ
 そしてぼくは思い出す すべての一瞬一瞬を
 君の頬にキスして 君が去っていった日を 


■トムの必死の誘いを背に受けながら、ダニーはメロディとともに歩き出す
いつの時代も恋する気持ちは男の友情にまさるのだ
 














■お互いの気持ちを確かめるように見つめ合うふたり
このシーンはポスターやDVDのパッケージにも使われている






小さな恋のメロディ/音楽編(5)~『ラヴ・サムバディ/To Love Somebody』

2014-07-23 | 映画

ダニーとトムは学校の運動会で、苦手な徒競走に出るはめになり、ふたりで文句を言いあう。
しかしダニーは本番で、メロディのことを思いながら走り、見事1位になる。
バックに流れる『ラヴ・サムバディ』はまさにダニーのテーマ曲にふさわしく、いじらしくも切ない恋する男心を歌っている。


 『ラヴ・サムバディ』

  ひとすじの光 
  その光は決して 
  ぼくを照らさない
  この長い人生を 
  ぼくは君と生きたい
  生きていきたい
  
  人はいう 
  どんなことにも
  ひとつのやり方がある
  だが何になる 
  君がいないなら

  ぼくの頭の中に
  君の面影がよみがえる
  ぼくの心は決まっているのに
  君はわかってくれない
  ぼくは夢中さ
  こんなにも夢中なのさ

  ぼくは男だ
  君にはそれがわからない
  ただ君のために生きている
  でもそれが何になる
  君なしでは
     
  君にはわかりはしない 
  誰かを愛するという事が どんな事なのか
  ぼくが君を愛するように



■徒競走ですでに「負け組」が確定している足の遅いふたり
トムはそれをたとえて人生哲学を語る
 


■ダニーはメロディとのことをトムに尋ねる。トムはクールに答える「神様がもう決めてる」



■ダニーの気持ちをよそに、友人たちと談笑するメロディ
女という生き物は、もうこの歳から男心を惑わすすべを心得ているのだ
 


■ダニーはメロディのことを思いながら走り、なぜか1位になってしまう(妄想パワー爆発!)



■ゴールしたあと妄想パワーを出しすぎて気絶してしまうダニー



■ダニーの頭の中でフラッシュバックするメロディの姿
好きな女子を思うだけでこんなにがんばれる、男ってホント可愛いい生き物です





小さな恋のメロディ/音楽編(4)~『ギヴ・ユア・ベスト/Give Your Best』その1

2014-07-22 | 映画

 この映画の中心はもちろんダニーとメロディのラブストーリーだが、ダニーとトムの男の友情も細やかに描かれている。少年軍で知り合い同じクラスのふたりは親しくなり、いつも一緒に行動するようになる。ある日の下校時、ダニーはトムに誘われ家へ向かうバスとは反対方向のウエスト・エンドへ向かうバスに乗りこむ。

 ウェスト・エンド(ダニーたちが住むのはロンドン南部下町のランべス地区)はロンドンの娯楽の中心地で、商業施設や映画館、劇場が軒をならべる。トラファルガー広場やピカデリー・サーカス周辺で無邪気に遊ぶふたり。その姿は男同士のデートを楽しんでいるようで、この少年期ならではの男のつきあいは、男子なら誰でも思い当たるものがあるに違いない。もちろん当時女子とつきあったことがないぼくも、男友達のグループや友人とふたりで映画や繁華街へ遊びに行き、男の友情を満喫したものである。(もちろんみんな女子と遊びに行くのはやぶさかではないのだが、クラスにはそんな甲斐性のある男子はいなかった)

 この男ふたりでウエスト・エンドへ繰り出すくだりは、同世代のぼくにはに心惹かれるものがあり、バックに流れるアップテンポの軽快な曲『ギヴ・ユア・ベスト』とともに印象深いシーンだった。トムのテーマとも言えるこの曲は、ヴァイオリンやバンジョーを使ったカントリーテイストのにぎやかな曲で、元気でやんちゃなガキ大将トムのキャラにぴったりハマる。明るい曲調の反面、歌詞は道化師の悲哀を綴っているのだが、このあたりも陽気さの中に孤独な影を引きずる淋しがりやのトムを彷彿とさせる。またこの曲は、ダニーとメロディの海岸リゾートのデートシーンでも使われ効果を上げている。



『ギヴ・ユア・ベスト/Give Your Best』

 オイラはしがない道化者
 昔は友だちをごまんと持っていた
 オイラの出番はみんなの最後
 でもオイラは友だちにベストを捧げた

 ショーもやってきたよ 
 みんなが知ってる
 着てるものもほとんど売っぱらった
 与える者がいれば 貸すやつもいる
 だからオイラは友だちにベストを捧げる
 
 たとえ人生に光がないと思えても
 毎日いつも真っ暗っていうわけじゃない
 夜が開ければ朝が来る
 平和があれば 今度は闘うときだ
 友だちにベストを捧げて


■帰りのバスを待つ学生たちの列に、トムたちのグループが強引に突っ込み大騒ぎ



■ダニーをウエスト・エンドに誘うトム



■学友たちを尻目に、反対側の停留所からバスに乗り込んだふたり



■トラファルガー広場で大はしゃぎ





■こういうおちゃらけなヤツ、クラスに一人はいました



■中学生のぶんざいでオトナの店をひやかし、お兄さんに追い払われる



■ホームレスのおじいさん、あなた生きてます?



■映画「パットン大戦車軍団」の看板のポーズをとるトム(こんなこと、やったよなあ~)



■トムは複雑な家庭の事情をダニーに打ち明け、ふたりの友情はさらに深まっていく


ウエスト・エンドのシーンは、ガキ大将トムの独壇場。
こんなヤツが友達にいると、毎日の学生生活がホント楽しくなります。 


 ところで、この映画には2階建ての赤いバスがよく登場する。この時代(1970年代)のロンドンを走っていたのは「ダブルデッカー」という旧式のバスで、通称ルートマスターという愛称で親しまれていた。運転手のほかに車掌がいるのが特徴で、オープンになった最後部から乗り降りする。 2005年、ルートマスターは50年の歴史に幕を下ろし、現在はロンドン市内を観光用バスとして運行している。


■ルートマスターに飛び乗りウエスト・エンドへ向かうダニーとトム
 


■酒場に向かうメロディのシーンにも登場
 


■ダニーとメロディは初めて一緒に下校し、バスの間を横断しメロディの家へ向かう

〈参考〉映画でわかるイギリス文化入門/板倉巌一郎他/松柏社/2008 


小さな恋のメロディ/音楽編(3)~『スピックス・アンド・スペックス/SPICKS AND SPECKS』

2014-07-20 | 映画

 『スピックス・アンド・スペックス』は、この映画の主人公たち、ダニー、トム、メロディの通う学校の放課のシーンで使われている。本編ではビージーズではなく、子どもたちのハミングとオーケストラヴァージョンになっているが、ぼくの買ったビージーズのレコードでは彼らの原曲が収録されていた。

■授業が終わり一斉に教室から飛び出す生徒たち
中央は後にダニーと親友になるトム



■ダニーはまだクラスに親しい友人がいない



■思い思いの放課を過ごす生徒たち



■ロンドンの中学生の日常を見て、日本の田舎の中学生はただただ驚くばかりだった



■友人と話しながら校庭を歩くメロディ



■仲間たちとふざけあうトム


小さな恋のメロディ/音楽編(2)~『メロディ・フェア/MELODY FAIR』

2014-07-19 | 映画

 この映画のためにビージーズは、オリジナルの楽曲を6曲提供している。どの曲も名場面を彩る素晴らしい曲ばかりだが、やはり『小さな恋のメロディ』といえば日本でも大ヒットした『メロディフェア』に止めを刺す。この曲はメロディの初登場シーンで流れるいわば彼女のテーマソングだが、原曲はビージーズの2枚組アルバム『オデッサ』(1969年)に収録されていたものだ。彼女が金魚を手に父親を酒場に迎えに行くシーンは、今も鮮明に心に焼きついていて、当時ぼくの一番のお気に入りだった。

 アパートを出て酒場まで行くメロディの表情を、カメラは遠近取り混ぜ様々なアングルからとらえる。きらめくような少女らしい笑顔から、時にはちょっと憂いを含んだ大人っぽい表情まで、少女と女のはざまで揺れ動く11歳のメロディ。ぼくと一緒に映画に行ったI君を含め、当時この映画を見た多くの中学生は、メロディ登場のこのシーンに完全に魅了されたのだった。

 『メロディ・フェア/MELODY FAIR』

 泣き顔のあの娘は誰だろう
 あれこれ心を悩ませている 
 あの娘にはわかっている
 人生は競走だって
 でも顔にはださないで

 メロディ・フェア 髪をとかしてごらん
 君も美しくなれるんだ
 メロディ・フェア 
 忘れちゃだめだよ 君はひとりの女
 メロディ・フェア
 忘れないで 君は女の子なんだ

 窓辺のあの娘は誰だろう
 降る雨を眺めてる
 メロディ、人生は雨じゃない
 メリー・ゴー・ラウンドのようなものさ

 メロディ・フェア 髪をとかしてごらん
 君も美しくなれるんだ
 メロディ・フェア 
 忘れちゃだめだよ 君はひとりの女
 メロディ・フェア
 忘れないで 君は女の子なんだ


■母親の洋服と勝手に交換した金魚を手に酒場に向かうメロディ
小さな子供たちがもらった金魚を恨めしそうに見つめる


■馬用の水桶に金魚を放しちょっと寄り道



■泳ぐ金魚を見つめ彼女は何を思う





■11歳の女の子らしい屈託のない笑顔



■酒場に向かうメロディ



■酒場の窓越しに父を探すメロディ
父のいる壁の向こうはオトナの世界、今はまだ11歳の少女にこの壁は越えられない



■なかなか父が見つからず不安そうな表情



■壁にもたれ父を待つ





■父が酒場から出てきてほっと表情を崩す


父親を迎えに行く短いシーンだが、『メロディ・フェア』の歌詞が字幕で流れ、それが各場面にぴったりはまる。
映像と音楽がひとつになったこの名シーンは、40年経った今もぼくの心に刻まれていて、この映画を忘れがたいものにしてくれた。


小さな恋のメロディ/音楽編(1)~『イン・ザ・モーニング/IN THE MORNING』

2014-07-16 | 映画

 『小さな恋のメロディ』で忘れてならないのは、ビージーズによる映画音楽である。これだけ映画のシーンと音楽が見事にマッチングした例はめったにない。映画公開当時、ちょうど洋楽を聴きはじめていたぼくは、この映画でビージーズを知り、映画に使われた曲が入った彼らのレコードを繰り返し聴いたものだ。今ならDVDやTV録画でいつでも好きなだけ見ることができるが、当時は音楽を聴いて映画の雰囲気に浸るくらいしかすべがなかったのである。あとはいつになるかわからないリバイバル上映かTV放映を待つしかないので、こんな時代もあったのが今にして思うと懐かしい。当時はそれだけ映画を見るということ自体が特別な時代だったのである。まあそれゆえ、感銘を受けた映画への思いも深いのだが・・・


『イン・ザ・モーニング』

 朝がきて 月が消えると 
 ぼくの大好きな時刻(とき)がくる
 七色の虹が 太陽に踊って
 水たまりの水が 夜の冷たさにまだ凍っている
 ぼくの人生の朝よ

 陽がのぼったら いつものように
 君を待っている あの波打ちぎわで
 うつり変わる砂に 城をきずきながら
 世界がどうなっているのか 誰もわかっていない
 ぼくの人生の朝よ

 夜になったら 君を月につれていく
 ぼくの部屋の天井の 右側の片隅で 
 二人で待っている
 太陽がふたたびかがやいて 
 物干しのひもを躍らせ あくびが出てくるまで 
 ぼくの人生の朝よ 



■映画のオープニング(主人公たちの住むロンドンの下町の朝の情景)に流れる『イン・ザ・モーニング』




■映画の原題は『Melody』







■ダニエルとトムが入隊している少年軍の行進
 


■音楽担当のビージーズとクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのクレジット
 


■擦り切れるまで聴いたビージーズのレコード


メロディに首ったけ~小さな恋のメロディ(1971年)

2014-07-13 | 映画

 前回から突然始まった「映画少年漂流記」。「プレイバック70年代」の映画編ということで、ぼくが70年代中学~大学卒業までに映画館やTVの映画劇場でリアルタイムで観たお気に入りの作品を、その時代のエピソードも交えながら紹介していく予定なので、気楽にお付き合いいただきたい。どの映画もぼくにとっては思い入れの深いものだが、この頃見た映画は思いっきり個人的趣味が反映していて、世間で名作と言われる映画はほとんど見ていないので、あしからずご了承ください。

 さて1969年、小6の冬にぼくは映画館デビューを果たしたのだが、中学生になった1970年は映画館へ一度も足を運ばず過ぎてしまった。中学生になると同時に、親友のM君は転校してしまい、新しくできた部活(ハンドボール部)仲間の友人たちの中には、一緒に映画を見に行くような映画好きはいなかったのである。

 年が明けいよいよぼくにとってはあらゆる意味でエポックメーキングな年、1971年が訪れた。中学2年生になって同じクラスになったI君が、またぼくを映画の道へと導いてくれたのだ。ぼくの洋楽のお師匠さんであるI君は(洋楽巡礼参照)、もちろん洋画にも造詣が深く、そのI君イチオシの映画ということで誘われて見に行ったのが『小さな恋のメロディ』だった。とにかくヒロインのメロディ役を演じたトレーシー・ハイドが抜群に可愛くて、彼女はこの映画1本で、ぼくたち多くの日本の少年たちの純真な男心を鷲づかみにしてしまったのである。

 スクリーンの上のメロディ(トレーシー・ハイド)にすっかり恋してしまったぼくは、彼女の記事が載るスクリーン(映画雑誌)を購入し、映画で使われた曲が入ったビージーズのレコードを擦り切れるほど聴いて、映画のシーンを心に描く毎日だった。I君とはいつも映画の話で盛り上がり、2人でメロディのような可憐な少女が突然転校してくる妄想にふけっていた。ニキビ面の自分たちのことは棚に上げ、同じクラスの女子とは比較にならない現実にため息をつき、ロンドンから遠く離れた日本の片田舎に住む中2の1971年は、何事もなく過ぎていくのであった。
 

■映画のストーリー
 舞台は1970年代初頭のロンドンの下町にあるキリスト教系の厳格な中学校。同じクラスの11歳の2人の少年、ダニエル(マーク・レスター)とトム(ジャック・ワイルド)は、少年軍も同じだったことがきっかけで親しくなる。ミドルクラスの家庭に育つ内気でシャイなダニエルと、労働者階級の貧しい過程で育つやんちゃなガキ大将のトム。性格も家庭環境も対照的なふたりだが、なぜか意気投合し友情を深めていく。 
 
 ある日トムに誘われ、たまたま女子バレエのクラスを覗き見したダニエルは、そこで踊るひとりの可憐な少女メロディにすっかり心を奪われてしまう。ダニエルとメロディはお互いに惹かれあい、ふたりの愛を育んでいく。そろって学校をさぼりデートに行った海辺のリゾート地で、ついにふたりは結婚の約束をかわす。 
 
 最初トムはふたりの友情に突然入ってきたメロディにとまどい、自分との友情よりメロディへの愛を優先するダニエルにつらくあたるが、やがてダニエルとメロディが真剣に結婚を望んでいることを知り、ふたりを応援する。はじめはからかっていたクラスメイトたちも、真剣なふたりの愛を成就させようと一致団結し、ふたりは駆け落ちを決心をする。
 
 授業を抜け出したクラスメート全員に見守られ、秘密の遊び場の鉄道の廃墟で、トムが神父になり結婚式が行われた。それを阻止すべく駆け付けた先生や親をクラスメイトの協力で振り切ったふたりは、トムの見送るなか廃線跡のトロッコに飛び乗り、どこまでもまっすぐに伸びる線路を遠ざかって行った。


■ぼくのイチオシ 
 公開当時この映画に夢中になり、ぼくは少ない小遣いをはたき地元の町の映画館へ2度も見に行ったのだが、その当時はメロディの可愛さにばかりに気を取られ、この映画の本当の魅力に気づいていなかった。今回久しぶりにDVDをじっくり見直して、ラブストーリーとは別に、登場する少年少女たちの日常が実に生き生きと自然に描かれているのが印象に残った。

 映画の冒頭は、夜が明けたばかりのロンドンの町を行進する少年軍(BB)のシーンから始まる。入隊したばかりの優等生ダニエルと、ひと目で悪ガキと分かるトムが親しくなるきっかけの場面なのだが、ロンドンに住む同世代の彼らの日常を初めて目にした当時のぼくは、新鮮な驚きと興味で、のっけからぐいぐい映画に引き込まれてしまった。

 映画の前半は環境の違う主人公3人の家庭と学校での普通の日常を、ディテールにこだわり丁寧に描くことに専念している。 3人は同じ学校に通いながらも、その暮らしぶりはずいぶんと違っている。ダニエルはミドルクラスの家庭で育ち家は一戸建て、母親は派手な身なりでオープンカー(ただしかなりくたびれているところがミソ)を乗り回し、会話の端々からも上昇志向が垣間見える有閑マダム。一方トムとメロディが住むのは低所得者向きの古い集合住宅で、トムは祖父と2人暮らしのため、家事をしに決まった時間に帰宅しなければならない。メロディは母親に頼まれて昼間からパブに入り浸る父親を迎えに行くのが日課で、祖母を含めた4人家族の決して裕福ではない暮らしぶりが透けて見える。 

 後半からはダニエルと親友トムとの男の友情と、ダニエルとメロディのラブストーリーが絡み合って急テンポで物語が進行していく。全編に流れる淡いトーンの映像には、カメラを通して彼らを優しく見守る監督の思いが伝わってくるようだ。トロッコに乗りふたりだけの世界に旅立つラストシーンは、見終わってからも単なるファンタジーでは終わらない深い余韻を残していく。その他にもメロディが金魚を持って街角を歩くシーンや、ダニエルとメロディが手を取り合って下校するシーン、雨の墓地で2人がより添うシーンは、美しい映像と音楽とともにいつまでもぼくの心に残っている。


■DVDパッケージは逆光に浮かび上がるふたりの姿が印象的なシーン


■翌年に出版された原作本


■原作本掲載の映画のワンシーン
楽器の演奏テストの順番待ちの間、自然に始まった即興演奏で、ふたりの心は急速に接近する


■小さな恋のメロディ
 公開:1971年
 監督:ワリス・フセイン
 出演:マーク・レスター、トレーシー・ハイド、ジャック・ワイルド他

次回はこの映画にはなくてはならない名曲の数々を、名シーンとともに紹介します・・・


空中戦に酔い、車に酔った洋画初体験~空軍大戦略(1969年)

2014-07-05 | 映画

 皆さんは映画館で初めて見た洋画を覚えているだろうか。もちろんこの場合の洋画とは、親に連れられて見に行った子供向けの映画ではなく、一般向けのオトナが見る洋画のことである。ぼくは小学6年生の冬、友人と一緒に名古屋の映画館で見たのが洋画初体験だった。

 その映画は『空軍大戦略』と言う第二次大戦での英独による空の戦い『バトル・オブ・ブリテン』を描いた戦争映画だった。映画に誘ってくれたM君とぼくは元々航空機ファンで、特に第二次大戦で活躍した戦闘機が大好きだった。ぼくたちは当時、その時代の少年たちが一度はハマるプラモデルづくりに熱中していた。もちろん第二次大戦の航空機や戦車が中心なのだが、ただ組み立てるだけでは飽き足らず、『航空ファン』や『丸』という雑誌に載っている各国部隊の資料を参考に、改造やカラーリングを施して悦に入るかなりマニアックな小学生だった。そんなぼくたちにとって、実機によるメッサーシュミットとスピットファイアの壮絶な空中戦が売りのこの映画は、まさに見逃せない作品だったのだ。

 そもそもこの『空軍大戦略』は秋に公開されたばかりで、ぼくたちの町の映画館で上映されるのは来年の春、へたをすれば夏ころまで待たなければならない。そんな時、M君は彼のお兄さんが自動車で名古屋の映画館へこの作品を見に行くことを知り、ぼくたちが便乗できるよう頼んでくれたのだった。かくして生まれて初めて、それも自動車に乗って名古屋の映画館へ行けるとあって、ぼくは期待と興奮に胸を膨らませ、一日千秋の思いでその日を待っていた。

 待ちに待ったとある冬の日曜の朝(正確な月日は記憶にない)、クラスメイトのF君も加わった小学生3人組は、M君のお兄さんの自動車で名古屋駅前にある映画館へ向かった。この当時ぼくの家にはクルマが無く、自動車に乗ること自体が珍しかった。おまけに生まれて初めて名古屋という大都会へ映画を見に行くという、期待と緊張が入り混じった変な高揚感で胸は高まるばかりだった。

 名古屋で見た映画は期待通り、いやそれ以上の面白さだった。プラモや写真でしか見ることがない英独の航空機が、スクリーン上を飛び回る姿に我を忘れ、気がついたら2時間を超える上映時間はあっという間に終わっていた。実際にプラモで作ったドイツ空軍のメッサーシュミットB109やハインケルHe111、ユンカースJu87スツーカとイギリス空軍のスピットファイアやホーカーハリケーンが入り乱れての空中戦は、実写映像さながらの迫力で、航空機ファンの小学生にはまさしく夢のような時間だった。

 映画の後に売店でホットドッグというものを生まれて初めて食べた。ホットドッグはパンにソーセージとキャベツを挟み、ケチャップを塗って電子レンジでチンしたただけのシンプルなものだったのだが、ぼくにとっては電子レンジ自体見るのも初めてだった。それで調理されたホットドックの味は、今見終わったばかりの映画とともに、ぼくにとっては生涯忘れられないものになった。

 映画の興奮も冷めやらぬ帰り道、Fくんが車に酔ってしまい途中の最寄駅の近くで降りることになった。F君は車から降りると、ちょっと寂しそうなほっとした表情でぼくたちに手を振った。そのあと車に揺られながらぼくも少し気分が悪くなってきた。今思うと普段クルマに乗りなれていないぼくとF君は、免許取りたてのお兄さんの大胆な運転と、食べなれないホットドッグの相乗作用で、すっかり車酔いしてしまったのだ。ぼくはせっかく乗せてもらったM君とお兄さんに悪い気がして、何とか自宅まで我慢した。ともあれ、生まれて初めての映画館での洋画体験は、映画とクルマに酔ったエピソードとともに、小学生最後の思い出として今も心に刻まれている。

 

■空軍大戦略
 公開:1969年
 監督:ガイ・ハミルトン
 出演:マイケル・ケイン、ローレンス・オリヴィエ、スザンナ・ヨーク、クルト・ユルゲンス他

監督のガイ・ハミルトンは007シリーズが有名で、キャストも当時の一流どころをそろえている。 
CGの無い時代の映画なので、空中戦は実機を使ってリアルに描かれていて、本来の映画の良さが味わえる。
40年ぶりにブルーレイをレンタルして見たのだが、空中戦は今見ても迫力満点。特に最後の大空中戦のシーンで大空を舞うメッサーシュミットとスピットファイアの姿は、非情な戦場ということを忘れるくらい、優雅で美しい。
この映画の登場人物に主役はいない。主役は大空を飛び交う英独の戦闘機なので、特に第二次大戦の航空機好きにはたまらない作品。