かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

美濃橋(岐阜県美濃市)

2011-05-29 | 近代橋めぐり


全国で現存する大正期の吊橋はわずかに3橋しかなくいづれも中部地方に集中しています。
美濃橋(大正5年/長良川)は、桃介橋(大正11年/木曽川)、白川橋(大正15年/飛騨川)と並び大正期に架橋された現存する近代吊橋のひとつで、大正5年の架橋は現存最古、平成15年には国の重要文化財に指定されました。
完成当時は全国でも最大級の吊橋(全長114.2m)のひとつで、岐阜の長良橋より上流に架けられた最初の永久橋として地元の人々の生活を支えてきました。

清流長良川にかかる美濃橋は、赤く塗られたトラスと中国の寺門を思わせる白く塗られたコンクリートの主塔が、小倉山の緑に映えて美しい景観をつくりだしています。
橋の周辺の河原はバーベキューやデイキャンプが楽しめる憩いの場になっていて、春から秋にかけてたくさんの人でにぎわいます。
100年前に架けられた古い吊橋は、美濃市の歴史的景観をつくる貴重な近代化遺産として、四季折々の美しい姿で市民の生活に潤いを与え、当時と変わらぬ姿で訪れる人々を迎えてくれます。

◆美濃橋(長良川)/岐阜県美濃市曽代字城下1-1
 竣工:大正5年(1916)
 構造:吊橋(鋼トラス補剛)
 撮影:2007/04/29
 ☆国指定重要文化財


  



小倉山の緑に吊橋の赤と塔の白が映えます(左岸より)



河原では大勢の人がバーベキューなどで休日を楽しんでいます(右岸より)


 



    
中国風?主塔のアーチの上に「橋濃美」(左岸)、「しばのみ」(右岸)とそれぞれ右から書いた銘があります



現在は人、二輪車専用ですが昭和40年代まで小型車が通行していました


マンホール紀行(2)~愛知県日間賀島

2011-05-25 | ご当地マンホール紀行

三河湾に浮かぶ日間賀島(愛知県知多郡南知多町)は愛知県民なら誰でも知っている観光スポットで、海水浴のほか新鮮な魚介類を求めて多くの人が訪れます。
特にタコとトラフグは島の名物で、数年前に家族で民宿に泊った時には、丸ごと一匹のゆでだこと山盛りのシャコが出てきたのにはびっくりしました。(シャコが数十匹単位で山盛りになっていると見ただけで圧倒されます)
島は歩いて一周できるくらいの大きさで、平坦地がほとんど無く、車が通れない細い坂道が多いため、原付バイクがやたら多かった記憶があります。(後に原付保有率全国一という事実を知り納得)

私が家族で訪れた時は子どもたちの海水浴がメインでしたが、新鮮な海の幸に舌鼓を打ち、のどかな島の風景に癒されて楽しい休日を過すことができました。

 





マンホールにもタコとトラフグのツーバージョンがあります
どちらもバックにはスイセン(町の花)とカモメ?が描かれています

 






 


マンホール紀行(1)~岐阜県下呂市

2011-05-24 | ご当地マンホール紀行

日本全国津々浦々、どこの町の道路にもあるマンホール、ほとんどの人が気にも留めず通り過ぎますが、これがなかなか面白い。
人が入れるマンホールはもちろん、やっと手が入るくらいの小さなフタから側溝のフタまで、大小形も様々ですが、自治体の数だけオリジナルデザインのご当地マンホールが存在します。
名所旧跡、名物、特産品、市の花、市章などをデザイン化したカラフルでユニークな当地でしか見られないマンホール、
知らない町を訪れた時にはちょっと足元に目を落として路上にある色々なフタを探してみてください。町歩きの楽しみが倍増します。


岐阜県下呂市は三名泉にも数えられる有名な温泉まちで、マンホールも観光地にふさわしくユニークです。

 


下呂温泉には白鷺が温泉に導いたと言う開湯伝説が残っています
「いい湯 いいまち 下呂のまち」と言うキャッチコピーが温泉地らしい





温泉に浸かって気持ちよさそうなカエルくん(頭から湯気が出ています)
なぜカエルかって? もちろんゲロゲ~ロ
土産物店にも大小様々なカエルがあなたをお待ちしております

 

 

 

 

 

 

 


タルヤ雑貨店(岐阜県関市)

2011-05-21 | 中濃の近代建築

本町商店街に昭和7年創業の古い雑貨店があります。
私の子供の頃、昭和40年代くらいまではどこの町にも「〇〇銀座」などと言うネーミングの商店街があり、地元の人々で大変にぎわっていました。
雑貨店をはじめ、洋品店、金物店、履物店など多くの専門店が軒を並べ、母に連れられよく買い物に行ったものでした。

時は流れ、買い物の中心は大型スーパーや各種量販店、コンビニなどが主流になり、昔ながらの商店街はすっかりさびれてしまいました。
タルヤ雑貨店のような昭和の暮らしを支えた商店が街角から姿を消し、後に残るのはコンビニだけというのは非常に寂しい限りです。

◆タルヤ雑貨店/関市本町6-23
 竣工:昭和7年(1932)
 構造:木造2階
 撮影:2007/03/04

 



2階の窓ガラスに右から書かれた屋号が時代を語ります
隣のタイル貼りの商店もかなり古そうです

 

 


須田写真館(岐阜県関市)

2011-05-18 | 岐阜市周辺の近代建築

 地方の町で洋風建築と言えば、役場や組合事務所、銀行、郵便局など公共性の高い建物がほとんどですが、比較的どこの町でも洋館建てになっている確率が高いのが、医院、薬局、写真館です。
 外国から入ってきた最新の知識や技術、道具を扱うこれらの職業には、町の人々が建物を一目見てそれと分かるステイタス性の高い最新の洋風建築がぴったりだったのです。
 特に写真館は一般にカメラが普及する昭和40年代頃までは、家族で写真を撮ってもらう晴れの場として、町の人々に親しまれてきました。写真館と言えばレトロな洋風建築が定番ですが、そんな町の写真館も手軽に撮影、プリントできるデジタルカメラの登場ですっかり影が薄くなってしまいました。
 
 関市の須田写真館は大正11年築の洋風建築で、外装をリニューアルして現在も大切に使われています。大正、昭和、平成と時代の記憶を刻んできた古い写真館は、これからも町の人々の思い出を次の時代に引き継いでいきます。

◆須田写真館/岐阜県関市西門前町1
 竣工:大正11年(1922)
 構造:木造3階
 撮影:2007/03/04


 

 


十六銀行関支店(岐阜県関市)

2011-05-15 | 失われた建物の記憶

 刃物の町として古くから栄えた関市の中心部を東西に走る本町筋は、戦前から商店が建ち並ぶ町のメインストリートとして賑わいました。現在は郊外に大型スーパーや量販店が建ち並び、どこの地方都市でも見られる旧市街地の寂れた商店街と言った風情が漂い、人通りもまばらです。
 
 そんな本町筋に面して建つ十六銀行関支店は、本町商店街に活気のあった昭和の時代を代表する建物です。昭和15年竣工ということで、昭和初めまで銀行建築に良く見られたオーダーや古典様式の装飾はすっかり姿を消し、現代建築に近いモダニズム建築ですが、角を塔屋風に高くして外壁は茶色のタイルとコンクリートに分割し変化をもたせています。

◆十六銀行関支店/関市本町1-4
 竣工:昭和15年(1940)
 構造:RC造2階
 撮影:2007/03/04

※平成22年7月に関支店は移転、店舗は取り壊された後、関商工会議所になっています。 

 





1~2階の間のコンクリートの縁取りや玄関上のキーストーン風の垂直線に様式建築の名残が感じられます

 


関市の小さな橋めぐり

2011-05-11 | 近代橋めぐり

近代建築を訪ね歩いていると、町の中を流れる小さな川には必ず近代に造られた小さな橋を見つけることができます。
長い年月で銘板もはがれ、橋の名称や竣工年も判然としないものも多いですが、大正~昭和20年代頃までに架けられた橋は、親柱や欄干のデザインに当時流行の建築様式を採用しているので、それぞれの橋に個性があります。
一級河川の立派な橋はもちろん見ごたえがありますが、名もない小さな橋も決して手を抜くことなく、当時流行のデザインでしっかり造りこまれているので、どこの町にでもある小さな古い橋をめぐるのもまた楽しいものです。

今回は刃物で有名な岐阜県関市にある小さな橋めぐりです。
刃物の町として700有余年の歴史がある関市ですが、昭和の面影を残す町の中心部には関川と吉田川が流れています。
その小さな川に架かる昭和モダンな橋は、当時の町の様子を伝えてくれます。


◆吉田橋(昭和5年)/吉田川
 欄干はスチール製に改装されていますが、親柱は当時のまま鉄柵に囲まれ保存されています
 


◆大門橋(昭和4年)/吉田川
 橋は架け替えられ「大門橋」の銘が入ったモニュメントと当時の親柱が保存されています
 


◆萬代橋(昭和5年)/関川
 同じ道路に架かる吉田橋と親柱は同じデザイン、てっぺんに半球が載っています
 


◆関川に架かる橋
 銘板が失われているため詳細は不明ですが、他の橋と同様昭和5年前後の竣工と思われます
 親柱と欄干のデザインがそれぞれ異なりますが、どちらも親柱にタイル製の市章が埋め込まれています
 


こちらの橋は市章のほかにブルーのモザイクタイルを帯状に廻しています
 

 

 


天ヶ橋(岐阜県多治見市)

2011-05-08 | 近代橋めぐり

JR中央本線古虎渓駅のすぐ北側に、大正15年に架橋された天ヶ橋(あまがばし)があります。
古虎渓駅の利用者の為の人道橋で、すぐ下流の城嶺橋同様、道路の下をアーチが支えていますがこちらは鋼製です。

◆橋の向かって左側が中央本線(トンネルが見える)すぐ手前が古虎渓駅



◆緑の渓谷に赤と白のコントラストが美しい



◆親柱はコンクリートが削られボロボロ状態、竣工年や橋梁名が書かれた銘板が無いのは残念





◆歩行者専用なので幅も狭く安全の為金網フェンスも取り付けてあります



◆天ヶ橋(あまがばし/庄内川)岐阜県多治見市市之倉町
 竣工:大正15年(1926)
 形式:鋼ブレーストリブ・アーチ(2ヒンジ、上路)
 撮影:2011/04/29

 

 


城嶺橋(愛知県春日井市~瀬戸市)

2011-05-05 | 近代橋めぐり

城嶺橋(しろがねばし/昭和12年竣工)は春日井市にあるJR中央本線定光寺駅から庄内川を挟んで対岸の瀬戸市に架かる橋で、駅から定光寺への参拝路になっています。
山の緑を背景にしたコンクリートの三連アーチが美しく、参拝路らしく高欄や親柱、橋灯も和風意匠で統一されています。


◆城嶺橋全景(下流側より)~三連のリブアーチと柱が渓流と緑に映える



◆瀬戸市側より望む~渓谷の崖に張り付くように定光寺駅を列車が通過します



◆春日井市側より望む~橋を渡ってまっすぐ進むと定光寺に向かいます



◆和風意匠の親柱や橋灯が楽しい
  




◆城嶺橋のたもとに建つ廃墟と化した元観光旅館千歳楼
 平成15年に廃業後閉鎖され、心霊スポット→集う若者→不審火による火災→廃墟化というコースをたどり
 現在窓ガラスは割れ、火災の跡も生々しい、まさに栄華を極めた老舗旅館の夢の跡です
 


◆城嶺橋(しろがねばし/庄内川)愛知県春日井市玉野町~瀬戸市定光寺町
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:田島治身(愛知県技師)
 形式:RC開腹アーチ(リブ+柱)
 撮影:2011/04/29

 

 

 

 

 

 


中央線高架下の赤煉瓦

2011-05-04 | まちかどの20世紀遺産

愛岐トンネル群見学の帰り道、定光寺~高蔵寺間の中央線の高架下にでレンガ造の橋脚を見つけました。
高蔵寺~多治見間が開業した明治33年当時のものと思われますが、堅牢なイギリス積みの赤煉瓦に隅石を配したジョージアン様式で、当時コンドルなどイギリス人建築家に好んで用いられました。

その後大正期に入る頃から煉瓦は耐震性に劣ることが判明し、構造材としての地位を鉄筋コンクリートや鉄骨に譲り、煉瓦の構造物は次第に姿を消して行きます。
しかし鉄筋コンクリート構造が主流になった1920年以降も、赤煉瓦の持つ独特の質感と美しさは表面を覆う化粧財という形で生き残り、鉄筋コンクリート構造を覆う化粧タイルとして100年以上を経た現在も使われています。(ちなみに我が家の玄関ポーチのアーチにもFRP製の化粧煉瓦が使われています)

日本古来の神社仏閣や茅葺屋根の民家などは日本人の心の中の原風景と言えるものですが、私たちは明治になって欧米から入ってきた赤煉瓦のある風景にもどこか居心地の良い懐かしさ(ノスタルジー)を感じます。
赤煉瓦のある風景は、すでに古き良き日本の風景のスタンダードとして日本人の心に刻まれているのかもしれません。

 




 

 


旧国鉄中央線・愛岐トンネル群(愛知県春日井市)

2011-05-01 | まちかどの20世紀遺産

4月29日(昭和の日)の祝日、春日井市の愛岐トンネル群(旧国鉄中央西線廃線跡)の一般公開がありました。
今回はJR定光寺駅から岐阜県境までの4基(3~6号)のトンネルが対象で、たくさんの見学者でにぎわっていました。

◆愛岐トンネル群(旧国鉄中央西線廃線跡)とは~
明治33年(1900)に開通した国鉄中央線の高蔵寺(愛知県春日井市)から多治見駅(岐阜県多治見市)間には、昭和41年(1966)まで使用された廃線跡に13基の開通当時のトンネル(愛岐トンネル群)が現存しています。
昭和41年の廃線後、これらのトンネルは庄内川の渓谷沿いの深い緑に包まれ長い間人々から忘れ去られた存在でしたが、平成18年(2006)に地元市民により発見され、貴重な近代化鉄道遺産として保存再生委員会が設立されました。
現在はトンネル群を含めた廃線跡を保存し、豊かな自然と近代化産業遺産が共生する散策路として整備再生するため、愛知県下で初めてのナショナル・トラスト運動が展開されています。


◆定光寺駅に一番近い3号トンネル(76m)下流側入り口
 110年の時を経てイギリス積みの赤レンガトンネルがよみがえりました



◆3号トンネル上流側入り口
 山側に当時の古レールを利用した落石防止用鉄柵が設置されています



◆4号トンネル(75m)下流側入り口~馬蹄形なのが良く分かります



◆4号トンネル上流側入り口~トンネルの真ん中ににょっきりと木が生えています



◆5号トンネル(99m)下流側入り口
 入り口脇のピラスター(壁柱)に補強用の三角形のウイング(翼壁)が取り付けてあります



◆入り口のみならず坑道内部も総レンガ積みです



◆5号トンネル上流側入り口



◆6号トンネル(333m)下流側入り口~今回公開された愛知県内最後のトンネル



◆アーチを形成するレンガ(迫石・せりいし)の中心には楔になるキーストーン(要石)がはめ込まれています



◆6号トンネル上流側入り口~4基のトンネルでは一番長いトンネルを抜けると見学の終点です



◆廃線跡の散策路から庄内川が望めます


実は今回は庄内川に架かる戦前の橋を見に来たのですが、偶然通りかかった定光寺駅周辺の賑わいに愛岐トンネル群の一般公開を知りました。
見学受付には長蛇の列ができ、鉄ちゃんらしき中高生グループから家族連れ、年配のご夫婦まで、老若男女たくさんの見学者で大賑わいでした。(ちなみに見学料100円也)
今回は昨年の秋に続く一般公開ということで、愛岐トンネル群の近代化遺産として認知度も地元の人々に浸透してきたようで、皆さんお弁当持参で思い思いに自然のなかの廃線跡の散策を楽しんでいました。