かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

日本橋/日本橋川(東京都中央区)

2017-10-18 | 近代橋めぐり

日本橋川にかかる明治期のルネサンス式アーチ型石橋で、五街道の起点とされました。慶長8年(1603)最初に橋がかけられ、以来20回以上のかけ替えの末、明治44年(1911)に現在の橋になりました。

意匠設計は辰野金吾の永遠のライバル妻木頼黄。当時辰野を中心とする建築家グループが、日銀をはじめ主要施設の設計をまかされ着々と実績を上げていました。官僚建築家の重鎮妻木は、そんな辰野に対抗する思いもあったようで、日本橋の設計に全力投球したようです。妻木がこだわった高欄を飾る獅子や麒麟の造形は見事な出来で一分の隙もありません。

妻木の思いがこもった日本橋ですが、橋の上に覆いかぶさるうに走る首都高により、往時の姿は見る影もありません。現在首都高の老朽化にともない、日本橋の景観を取り戻すべく高架部分を地下化する案も取りざたされています。「高架か地下か?」議論は分かれるところですが、わたし的には空の広がる日本橋が戻ることを願っています。


■日本橋の上を通る首都高は、ある意味現在の東京の象徴的風景かもしれません




 
■鋳鉄製の灯柱の下には東京市のマークを前足で押さえる獅子が鎮座します
 

■橋中央の灯柱には一対の麒麟 獅子、マツ、エノキのレリーフ
 

■橋の中央にある「道路元標」



■高欄の麒麟の装飾



■日本橋/中央区日本橋一丁目~日本橋室町一丁目
 竣工:明治44年(1911)
 設計:樺島正義・米元晋一 意匠設計:妻木頼黄(獅子と麒麟の装飾)
 施工:不詳
 構造:石造二連アーチ(御影石)高欄付
 撮影:2017/08/11
 ※国指定重要文化財


中川運河・名古屋港の近代化遺産(5)~名古屋港跳上橋/旧1・2号地間運河可動橋(名古屋市港区)

2015-04-04 | 近代橋めぐり

今回の港区中川運河~名古屋港めぐりもいよいよラストです。

 港橋から埋め立てられた運河沿いを東へ向かうと、堀川と中川を結んでいた運河の堀川の出口のところに、旧1・2号地間運河可動橋(跳上橋)が見えてきます。この橋は昭和2年(1927)、綿花の輸入取扱会社が鉄道可動橋として建設したもので、鉄道廃線後は橋を上げた状態で保存されています。設計製作は現役最古の鉄道可動橋として知られる旧四日市港駅鉄道橋(国重文)を手がけた、可動橋の第一人者山本卯太郎。国内で現存する可動橋はわずか7橋(そのうち跳開は4橋)で、旧1・2号地間運河可動橋は現役ではありませんが、市内では唯一の現存する跳上橋です。

 現在橋は上がったままの状態で固定され、もう開閉の様子を見ることはかないませんが、昭和初期の名古屋港の運河の雰囲気を伝える土木遺産として、これからも時を刻んでいくことでしょう。


◆名古屋港跳上(なごやこうはねあげ)橋(旧1・2号地間運河可動橋)/名古屋市港区入船1-6~千鳥2-4地先
 竣工:昭和2年(1927)
 設計:山本卯太郎
 施工:山本工務所
 構造・形式:鋼PG(跳開=上部CW/カウンターウエイト式)
 撮影:2015/03/21
 ※国指定登録文化財 


■運河の堀川口に架けられた名古屋港跳上橋を西側より望む



■4径間の桁橋のうち、向かって一番右側の1径間が可動桁になっている



■旧四日市港駅鉄道橋と同タイプの山本工務所・山本卯太郎の銘が入ったプレート
 


中川運河・名古屋港の近代化遺産(4)~港橋(名古屋市港区)

2015-04-01 | 近代橋めぐり

 地下鉄名港線の終点名古屋港駅の南にあるガーデンふ頭には、名古屋港水族館、遊園地、ポートビル、南極観測船「ふじ」などがあり、休日ともなると大勢の家族連れ、カップルなどで賑わいます。その名古屋港駅の2番出入り口すぐのところに、昭和モダンな親柱が目につく港橋があります。初代港橋は現在のガーデンふ頭がある1号地埋立地と2号地埋立地との連絡橋として明治39年に架橋されました。木製の橋だったため老朽化が早く、昭和11年3月コンクリート製の永久橋に架け替えられました。現在の港区役所周辺で昭和12年に開催された汎太平洋博覧会のために整備されたもので、平和橋とともに博覧会当時の面影を残す貴重な遺構です。

 当時港橋の下には運河が流れていたのですが、現在は埋め立てられ橋の東側は公園になっています。その時に橋は撤去されたのですが親柱と欄干はその後当時の姿に再建されました。船の出入りが激しかった当時は、屋台や船員のためのバーが軒を連ね、港橋周辺も大変な賑わいだったようです。現在はガーデンふ頭方面に向かう人たちが時おり通り過ぎるだけで、港橋だけが戦前の賑わった街角の雰囲気を伝えるだけになってしまいました。


■港橋全景(東側)~かつての運河は埋め立てられ、公園になっています



■昭和のモダニズムが薫る親柱~昭和11年竣工の銘板が掲げられています


 


■分離帯のフェンスも橋の欄干に合わせたデザイン


◆港(みなと)橋/名古屋市港区入船
 竣工:昭和11年(1936)
 構造:鋼桁
 撮影:2015/03/21
 ※撤去後高欄のみ再建 


中川運河・名古屋港の近代化遺産(3)~中川橋(名古屋市港区)

2015-03-29 | 近代橋めぐり

 中川口閘門からすぐ下流、名古屋ガーデンふ頭の大観覧車の脇に赤いアーチ型の橋が見えます。中川運河最下流に設けられた中川橋で、昭和5年(1930)に架橋されました。戦前のアーチ形式の鋼橋のなかでも、万年橋(東京)、枝光橋(福岡)と並ぶ現存最古のブレーストリブ・タイドアーチで、歴史的にも価値の高い近代土木構造物です。

 訪問時はちょうど橋の架け替え工事(平成29年開通予定)の真っ最中で、現中川橋は上流に移設され、下流側に仮設の橋による迂回路が開通していました。名古屋市のHPによると、現在の中川橋を再利用した架け替え工事ということで、現在の橋を仮設橋脚へ移設(横取り)し橋の基礎となる橋台を構築後、現橋を元に戻す予定のようです。その際アーチ橋部分のみでは道路幅が狭いため、現アーチ橋は金城ふ頭方面(下流側)に設置、新たに築地口方面(上流側)に橋(非アーチ橋)を架け、計約30mとなるように整備されます。

 今回の架け替え工事は橋を丸ごと新しく架け替えるのではなく、橋台の耐震工事の後、拡幅箇所は新たな橋桁を架設し対応するという工法を採用し、現在の中川橋はそのまま残されることになりました。戦前の近代化遺産を市の財産として保存再利用するという名古屋市の取り組みは素晴らしいもので、名古屋市長の河村さんはじめ、関係者の方々の英断と努力に拍手です。

※横取り工法とは~
・移動させる橋をスライドジャッキでジャッキアップ
・既設橋台と仮設橋脚の間にH形鋼のレールを設置
・橋をスライドジャッキで支えたまま、水平ジャッキのアームを伸張して横スライド
・この手順を繰り返し、仮設橋脚まで移動し仮固定


■横取り工法で仮設の橋脚まで移設された中川橋(上流の中川口閘門側から望む)



■現在は金属製の仮設橋台に固定されています



■下流側迂回路の仮橋から望む



■戦前に造られた橋脚の耐震工事がすすめられています(一部石積みの部分が歴史を感じさせます)



◆中川(なかがわ)橋/名古屋市港区築三町~西倉町
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:鋼ブレーストリブ・タイドアーチ
 製作:大阪鉄工所
 撮影:2015/03/21 


中川運河・名古屋港の近代化遺産(1)~平和橋(名古屋市港区)

2015-03-22 | 近代橋めぐり

今回は名古屋市港区の中川運河~名古屋港周辺に残る近代化遺産を訪れました。

まず最初の目的地は、地下鉄名城線港区役所駅で下車、駅のすぐ北側にある港北公園です。
この港北公園一帯は、昭和12年(1937)我が国初の国際的博覧会として開催された名古屋汎太平洋平和博覧会の会場になった場所で、海外から29ヶ国が参加、57のパビリオンが建ち並び、会期78日間で総入場者数は480万人は、戦前の博覧会としては日本最多を記録しています。

博覧会のために堀川と中川運河を結ぶ水路に架けられたのが平和橋で、水路が埋め立てられ港北公園がつくられた時に平和橋はそのまま江川線の陸橋として生き残りました。
現在博覧会当時に建設されたパビリオンはほとんど現存せず、博覧会名にちなんで平和の二文字をとって名付けられた平和橋だけが唯一博覧会の跡をとどめる貴重な建造物で、名古屋市の認定地域建造物資産に認定されています。
(他には旧迎賓館の蘇山荘が東区の徳川園に移築され現存しています) 


■平和橋全景(東側)~橋の下を東西に流れていた水路を埋め立て、そのまま公園にしたのが良く分かります


■会場跡地に造られた港北公園~花壇の中央には、博覧会開催の歴史を伝える説明板が設置されています



■「名古屋汎太平洋平和博覧会と平和橋」の説明板~当時の会場や平和橋の様子が写真付で良く分かります
わたしの世代は博覧会と言えば大阪万博が印象に残っていますが、
戦前に東京ではなく名古屋で国際的博覧会が初めて開催されたのは興味深いところです。



■会場案内図



■博覧会ポスター



■博覧会宣伝用の年賀はがき



■博覧会会場のパビリオン(当時の絵はがき)
 


■親柱は当時流行のアールデコ風のモダンデザイン(北東側)



■広いテラス状の橋詰(北東側)



■桁に製作者の銘の入ったプレートがあります



■西側全景





■北西の親柱~橋名(漢字)と竣工年のプレートが別々に設置された珍しいタイプ



■昭和十一年十月竣工の銘が入る



■橋の下の車止めも高欄の支柱に合わせた丸みをつけたデザイン


◆平和橋(へいわばし)/名古屋市港区港栄1 
 竣工:昭和12年(1937)
 施工:石原治郎 
 構造:RC・鉄 
 撮影:2015/03/21
 ※名古屋市認定地域建造物資産 

 




末広橋梁/旧四日市港駅鉄道橋(三重県四日市市)

2013-07-24 | 近代橋めぐり

かなりアップが遅れましたが、(^_^;) 5月の連休の近代建築めぐりもいよいよ最後の三重県四日市です。
四日市は2006年以来2度目の訪問で、今回は画像の更新と現存確認を中心に、時間が許せば前回取りこぼした物件も訪問したいところです。

まずは近鉄四日市駅でレンタサイクルをゲットして(100円で一日乗り放題)、前回時間の都合で割愛した四日市港方面に向かいます。
四日市港にある2件の重要文化財のうちの1件、まずは末広橋梁です。
末広橋梁は現役で最古の鉄道可動橋で、昭和6年(1931)埋め立てられた末広町と千歳町の間の千歳運河に架けられました。
訪れた日は橋は跳ね上がったままの状態で、実際に橋が下りて列車が通る姿を見られなかったのは残念でした。


◆末広橋梁(旧四日市港駅鉄道橋)~千歳運河/三重県四日市市末広町~千歳町
 竣工:昭和6年(1931)
 設計:山本卯太郎
 製作:山本工務店
 構造・形式:鋼プレートガーダー(跳開)
 撮影:2013/05/04
 ※国指定重要文化財


■向かって左側にある小屋が操作室で、ケーブルで橋を巻き上げます





■山元工務所の銘が入るプレート





■近代化産業遺産認定の案内板



■千歳運河沿いの倉庫群~戦前のものと思われます



■すぐ西側に架かる臨港橋~こちらは道路用の可動橋で1991年製の3代目、油圧ジャッキで中央部を押し上げて開きます


山川橋/飛騨川(岐阜県加茂郡川辺町)

2013-07-18 | 近代橋めぐり

■山川橋(やまかわ)~飛騨川/岐阜県加茂郡川辺町中川辺~福島
 竣工:昭和12年(1937)
 構造:RCラーメン
 撮影:2013/05/03


川辺町の飛騨川に架かる山川橋は、川辺ダムの建設に伴い初代山川橋(吊橋)が廃止されたため、昭和12年二代目として竣工しました。
昭和58年上流に国道418号が通る新山川橋が開通しましたが、築後70年以上経った現在も地元の人々の生活道路として利用されています。
また川辺ダムの建設によりできたダム湖を利用して、山川橋の上流には川辺漕艇場が設けられ、国体や国際大会など多くの会場として利用されています。
<参考:飛騨川周辺地域の歴史的土木構造物
  

■この日も地元高校のボート部などの練習風景が見られました



■ダムによって水位が上がる前は長い橋脚が見えていました(川辺町HPより)



■東詰より望む



■西詰より望む



■「昭和十二年三月竣工」の銘板が入る親柱


多治見橋/土岐川(岐阜県多治見市)

2013-06-18 | 近代橋めぐり


多治見橋は国道19号線の弁天町交差点から南へ延びる県道15号線の土岐川に架かる橋で、すぐ下流の昭和橋とともに戦前から多治見の中心街の交通を担ってきました。
現在の橋は昭和12年竣工、明治13年の本格的な木橋建設以来5代目になり、昭和橋が改修されたたため戦前の面影を残す唯一の存在になっています。


◆多治見橋(たじみ)~土岐川/岐阜県多治見市本町4~本町5、新町1
 竣工:昭和12年(1937)
 構造:RC造
 撮影:2013/04/29


■多治見橋南詰より撮影





宮ヶ瀬橋/吉田川(岐阜県郡上市)

2012-09-25 | 近代橋めぐり

宮ヶ瀬橋は郡上八幡の町を東西に流れる吉田川に架かる橋では最も下流に位置し、県道319号線が通っています。
橋の北側は郡上のシンボル宗祇水や職人町、鍛冶屋町などの古い町並みがあり、すぐ上流の新橋とともに郡上観光の中心地として多くの観光客でにぎわいます。


◆宮ヶ瀬橋(みやがせ)~吉田川/岐阜県郡上市八幡町本町地内
 竣工:昭和11年(1936)
 構造:RC桁
 撮影:2012/09/16


■親柱はシンプルなデザインで上には橋灯が載ります
 


美登里橋/忠節放水路(岐阜県岐阜市)

2012-09-14 | 近代橋めぐり

霞橋の西側に昭和のたたずまいを残す橋がもう一つあります。
昭和29年竣工の美登里橋で、デザインは日本が高度成長期を迎える前の懐かしい昭和の雰囲気が感じられます。
建物も橋も昭和30年代くらいまでは、戦前のモダンなデザインを受け継いでいるものが多く、昭和40年代に入ると世の中の流れとともにそのデザインも大きく変わっていきます。

◆美登里橋(みどり)~忠節放水路/岐阜県岐阜市元浜町~東材木町
 竣工:昭和29年(1954)
 構造:RC造
 撮影:2012/09/02


■昭和29年竣工の美登里橋は、戦前の昭和の面影を残す最後の世代
    


霞橋/忠節放水路(岐阜県岐阜市)

2012-09-12 | 近代橋めぐり

長良橋の南詰からホテル十八楼の前を通る岐阜街道(お鮨街道)の南側を流れる忠節放水路に、小さなコンクリート造の和風の橋が架かっています。
この辺りは昔、長良川の水運を利用した川港として栄え、現在も通り沿いには古い町屋が軒を連ねています。
昭和5年に架橋された霞橋は、古い町並みに合わせるように親柱が灯篭のような和風のデザインになっているのが特徴で、現在もきれいに化粧直しされて現役で使われています。

 

◆霞橋(かすみ)~忠節放水路/岐阜県岐阜市元浜町~今町
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:RC造
 撮影:2012/09/02 


忠節橋/長良川(岐阜県岐阜市)

2012-09-11 | 近代橋めぐり

忠節橋は国道157号線が長良川に架かる橋で、金華橋の下流、大縄場大橋の上流にあたります。
鋼材の調達が大変だった戦後、日本で初めて建設された鋼橋で、昭和19年に着工し昭和23年に完成しました。
形式は鋼製アーチ橋と呼ばれるもので、補強工事や柵の取替えは行われていますが、長良川に映える美しいアーチは当時のままの変わらない姿を今にとどめています。

◆忠節橋(ちゅうせつ)~長良川/岐阜県岐阜市忠節町~山吹町
 竣工:昭和23年(1948)
 構造:鋼トラス・タイドアーチ



■下流南詰より撮影(2006/09/23)



■下流左岸堤防道路より撮影(2012/09/02)


鍛冶橋/宮川(岐阜県高山市)

2012-09-03 | 近代橋めぐり

宮川に架かる橋では、高山陣屋の前にある赤く塗られた和風高欄の中橋が有名ですが、観光客や交通量の多さでは鍛冶橋に軍配が上がります。
橋の中央あたりの欄干の上に、手長、足長のブロンズ像が設置されていて、観光客人気の撮影スポットになっております。
また鍛冶橋の東側川沿いでは、かの有名な宮川朝市が毎日朝6時から12時まで開催され大変にぎわいます。

■鍛冶橋(かじ)~宮川/岐阜県高山市本町2丁目~下三之町
 竣工:昭和9年(1934)
 構造:RC造
 撮影:2012/08/18


■昭和9年10月竣功の銘が入った親柱(西詰下流側)



■現在の橋の親柱の脇に先代の橋の親柱が保存してあります


筏橋/宮川(岐阜県高山市)

2012-09-02 | 近代橋めぐり

高山市の中心部を南北に流れる宮川には、戦前に架橋された橋がほとんど残っていますが、高欄などは戦後になって改修を受けている橋も多いようです。
岐阜県近代化遺産総合調査報告書によると、上流から枡形橋(昭和7年)、中橋(大正14年)、筏橋(昭和8年)、鍛冶橋(昭和9年)、弥生橋(昭和12年)、連合橋(昭和6年)が現存しています。 

◆筏橋(いかだ)~宮川/岐阜県高山市片原町
 竣工:昭和8年(1933)
 構造:RC
 撮影:2012/08/18


■西詰から撮影~橋を渡ると三町伝建築です


■親柱には昭和8年12月架橋の銘があります



名古屋鉄道名古屋本線 木曽川橋梁(岐阜県羽島郡笠松町~愛知県一宮市)

2012-07-25 | 近代橋めぐり

木曽川橋のすぐ上流にある名鉄名古屋本線の鉄道橋で、木曽川堤駅と笠松駅の間に昭和9年に架橋され、翌昭和10年に新一宮~新笠松間が開業しました。

◆名古屋鉄道名古屋本線 木曽川橋梁/岐阜県羽島郡笠松町若葉町~愛知県一宮市北方町
 竣工:昭和9年(1934)
 構造:鋼ワーレントラス(下路)
 撮影:2006/10/08、2012/05/05
 

■右岸下流(岐阜県笠松)側より撮影~下流の木曽川橋と同様7連のトラス橋