かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

朝日町資料館/旧朝日村役場(三重県三重郡朝日町)

2013-11-29 | 三重の近代建築

富田界隈の建築探訪を終え、次なる目的地三重郡朝日町に向かいます。近鉄富田駅から桑名方面へ二駅目の伊勢朝日駅で下車、駅のすぐ西隣りの東芝三重工場の敷地に沿って旧東海道を500mほど下ると右手に朝日町役場があります。役場のすぐ東側には旧朝日村役場の建物が保存されており、現在は朝日鵜村資料館として活用されています。

資料館の案内板によると、大正5年に朝日村役場として建てられ、新庁舎に移る昭和39年まで町役場として使われていました。外観は和洋折衷、瓦葺きの屋根や懸魚付きの玄関など和風色が強いデザインながら、ペンキ塗りの下見板張りの外壁が洋風テイストを感じさせます。1階が事務室、2階は議場として使われ、当時の地方の役場庁舎の特徴をよく伝えています。

この後、同じ大正年代に建てられた朝日町公民館縄生分館を訪ねましたがすでに取り壊され、新しい公民館に建て替えらていました。(う~ん、残念!)


◆朝日町資料館(旧朝日村役場)/三重県三重郡朝日町大字小向872
 竣工:大正5年(1916)
 構造:木造2階建
 撮影:2013/11/17
 ※国登録有形文化財


■建物西側正面





■玄関脇に登録有形文化財のプレートが掲げられています



■建物南側





■資料館の西隣にある住宅の年代物の煉瓦塀


富田界隈散策(三重県四日市市)

2013-11-27 | まち歩き

近鉄富田駅の東側、旧東海道から現在の東海道(国道1号線)界隈を散策しました。


■旧東海道沿いの廃業した昭和な商店(富田)



■看板の崩落具合が過ぎ去った時代を語ります



■戦前物件と思しき下見板張りの洋風住宅(富田)



■富田浜病院の門と煉瓦塀(富田浜町)





■アミカン本社近くの橋のアールデコな親柱~橋は架け替えられている模様(東富田町)





■国道1号線の東側には戦前の古い町屋が残っています(東富田町)



■銭湯の鈴木湯~偶数日は営業、奇数日は休業です(東富田町)





■国道1号線沿いの硝子店の琺瑯看板(東富田町)



■国道1号線沿いの廃業した商店(魚屋?)の鯛と蛤の面格子(東富田町)

(撮影:2013/11/17)


明治天皇御駐輦跡(三重県四日市市)

2013-11-24 | まちかどの20世紀遺産

近鉄富田駅からアミカン本社へ向かい旧東海道を歩いていて、富田小学校の校門脇で「明治天皇御駐輦跡」という石碑を見つけました。天皇が一時その土地に滞在することを「御駐輦」と言いますが、石碑の横にある案内看板によると、明治元年(1868)旧東海道を明治天皇が京都から東京へ向かう際に、御休息されたのがこの場所ということです。

当時ここには広瀬五郎兵衛という人の屋敷があり、明治天皇が御休息の際、富田の焼き蛤をご賞味され、その後三重県に行幸の際には必ず立ち寄られ、4回にわたりこの場所で御休息されています。よっぽど富田の焼きはまぐりがお気に召されたのか、広瀬五郎兵衛さんにとっては大変名誉なことですが、なにせ明治天皇ですから、その接待たるや並大抵のことではなかったでしょう。

天皇が御駐輦になった場所は日本各地にあり、特に旧街道の宿場町などでは史蹟として記念碑が建っているのを良く見かけます。名門旅館やホテルなども、天皇が宿泊された部屋を特別室として当時のまま保存している例も多いようです。 


■旧東海道沿いに建つ記念碑



■すぐ脇にある富田小学校の校門(歩行者専用門)はレトロなデザインですが、竣工年代は不明です



(撮影:2013/11/17)


旧東洋紡績富田工場原綿倉庫(三重県四日市市)

2013-11-23 | 三重の近代建築

アミカン本社から東海道を桑名方面へ北上、JR関西本線の富田駅のすぐ東側にイオンモール四日市北があります。その敷地内に歴史を感じさせる煉瓦造の倉庫が5棟並んで建っています。現在のイオンモールは、東洋紡績富田工場の跡地を利用して建てられたもので、その当時を偲ぶ原綿倉庫が取り壊しをまぬがれ、簡易保育所や飲食店として再利用されています。

大正期の貴重な産業遺産が、地域の人たちが利用する施設として再活用されている姿は、近代化遺産の保存活用のまさにお手本と言えるでしょう。


◆旧東洋紡績富田工場原綿倉庫/三重県四日市市富州原町221-2
 竣工:大正6年(1917)
 構造:煉瓦造平屋建
 撮影:2013/11/17
 ※国指定登録有形文化財


■国道1号線JR富田駅前の信号から延びる道路沿いに建つ5棟の旧レンガ倉庫







■イオンモール側から見た建物~様々な商業施設によって再利用されています



■道路に面した妻側上部に、紡績工場時代の「〇富」マークがうっすらと残っています



アミカン本社事務所・正門・煉瓦塀(三重県四日市市)

2013-11-20 | 三重の近代建築

夏の暑さに町歩きをずっとさぼっていましたが、気が付くといつの間にか秋を通り越して初冬の気候になっていました。これは急がねば真冬になってしまう!ということで本格的な冬が来る前に、今回は久しぶりに近代建築探訪に出かけてまいりました。

五月の連休に三重県四日市市を訪ねましたが、今回はその時取りこぼした市の北部、富田界隈の近代建築を訪ねました。近鉄富田駅を下車、国道1号線(東海道)を四日市方面へ向かうと、富田浜方面に分岐する旧道沿いに長い煉瓦塀と塔屋付きのモダンなタイル貼りの建物が見えてきます。アミカン(網勘)本社の建物で、創業は漁網の生産を始めた寛政6年(1794)までさかのぼります。


■東海道から赤い煉瓦塀と塔屋が目に入るので、お目当ての建物がすぐに発見できます
 



◆アミカン本社事務所/三重県四日市市富田浜元町1867
 竣工:昭和前期(昭和2~3年頃?)
 構造:木骨コンクリート造2階建、塔屋付
 ※国登録有形文化財

■建物隅にアールを施し外壁はスクラッチタイル貼りとモルタル洗出しで仕上げ、縦長窓が並ぶ当時流行の表現主義風のデザイン。
特に塔屋がランドマーク的役割を果たしていてかなり目立ちます。


    



◆アミカン本社正門/竣工:昭和前期/構造:コンクリート造/※国登録有形文化財




◆アミカン本社煉瓦塀/竣工:昭和前期/構造:煉瓦造/※国登録有形文化財
 


 

■敷地の裏側道路沿いに戦前築と思われる古い建物と通用門が残っていました





(撮影:2013/11/17)

 


70年代のミステリーツアー(2)~国内の本格ミステリーにはまる

2013-11-13 | 

1970年中学入学の頃から海外の本格ミステリーに目覚め、創元推理文庫から出ていた戦前の古典的名作を読み漁った。ちょうどこの頃、1971年(昭和46年)~1973年(昭和48年)にかけて、戦後の第2次文庫ブームが到来、講談社文庫、中公文庫、文春文庫、集英社文庫などが創刊された。国内ミステリーもこの時期に続々文庫化され、横溝正史(金田一耕助シリーズ)、高木彬光(神津恭介シリーズ)、鮎川哲也(鬼貫警部、星影龍三シリーズ)、江戸川乱歩、土屋隆夫など本格ミステリーの巨匠たちの作品も文庫で読めるようになり、病は膏肓、ミステリーとロック三昧の日々は続くのであった。

70年~80年代に読んだ作品は、もはや古典になってしまったが、ぼくのお気に入りの国内のミステリーをあげてみた。

■獄門島/横溝正史
■刺青殺人事件/高木彬光
■黒いトランク/鮎川哲也
■影の告発/土屋隆夫
■不連続殺人事件/坂口安吾
■虚無への供物/中井英夫
■匣の中の失楽/竹本健治
■占星術殺人事件/島田荘司
■バイバイ、エンジェル/笠井潔
■江戸川乱歩の短編


       

 


70年代のミステリーツアー(1)~海外の本格ミステリーにはまる

2013-11-11 | 

ぼくが初めてミステリーというものを読んだのは、小学5年生くらいの時だと記憶している。学校の図書館でポプラ社から出ていた山中峰太郎版の名探偵ホームズシリーズ『まだらの紐』を読み、とにかく面白くてハマってしまった。図書館にあるホームズ全集を読みつくし、同じポプラ社の南洋一郎版「怪盗ルパン全集」へとなだれ込んだのだが、こちらのシリーズは図書館の蔵書が少なく、親にねだってかなりの冊数を買ってもらった。この時代の小学生で、ポプラ社の児童向けのホームズ、ルパンシリーズで読書やミステリーの面白さを知った人はかなり多かったのではないだろうか。かくゆうぼくもこのシリーズでミステリーが大好きになり、中学生になって翻訳物ミステリーにどっぷりとハマってしまうきっかけになったのだった。

中学生になると本屋で見つけた創元推理文庫に夢中になった。創元推理文庫はミステリーを「本格推理小説」、「法廷物・倒叙・その他」、「スリラー・サスペンス」と大きくジャンル分けしているのだが、ぼくは特に「本格物」と呼ばれる謎解きを主体としたミステリーに強く惹かれた。文庫の背表紙にある本格物の目印「帽子の男と?マーク」を頼りに、名作と呼ばれる作品を手当たりしだい読んでいった。エラリー・クイーン、ヴァン・ダイン、アガサ・クリスティー、ディクスン・カー、すべて戦前1920~30年代頃に出版された、まさにミステリーの古典と言える作品ばかりなのだが、これが無茶苦茶面白かった。

この時代の本格ミステリーは、名探偵(懐かしい響きだなあ~)が犯人のトリックを超人的な推理で看破し、犯人を言い当てるというお決まりの展開と思われがちだが、決してそういう作品ばかりではない。斬新なトリックなどなくとも、探偵が純粋な論理と推理だけで謎を解き、犯人を割り出していく思考の過程が楽しめる、まさに知のエンターテインメントと言える作品にこそ本格物の神髄がある。一見解決不可能な難解な謎が、探偵の論理のアクロバットで、最後に解き明かされるときに感じるカタルシスは本格物の醍醐味で、本格ミステリー愛好者にはこれがたまらないのだ。

ぼくたち読者も探偵と同じ手がかりが与えられ、解決に至る推理比べが楽しめる作品(読者への挑戦状があるクイーンの国名シリーズ)などは、ちりばめられた何気ない伏線に注意しながら読み進めるのだが、犯人にたどり着いたためしがなく、結局最後の大団円での探偵の推理披露で、見事に騙された悔しさと快感に浸るのがこれまた楽しい。現代の洗練されたミステリーと比べると、あまりにベタな展開で古色蒼然とした感はまぬがれないが、閉ざされた空間で起こる連続殺人事件をめぐる犯人と探偵の知の攻防は、クラッシックの名曲を聴くようで、時代を超えても色褪せない様式美が堪能できた。


中学~高校の時に読んだ創元推理文庫から、印象に残ったぼく好みのベスト10をあげてみた(順不同)

■Yの悲劇/エラリー・クイーン
■オランダ靴の謎/エラリー・クイーン
■グリーン家殺人事件/ヴァン・ダイン
■僧正殺人事件/ヴァン・ダイン
■樽/F・Wクロフツ
■皇帝のかぎ煙草入れ/ディクスン・カー
■黄色い部屋の謎/ガストン・ルルー
■赤毛のレドメイン家/イーデン・フィルポッツ
■毒入りチョコレート事件/アントニイ・バークリー
■アクロイド殺害事件/アガサ・クリスティ

1976年にハヤカワ・ミステリ文庫が創刊され、創元推理文庫版では読めなかった名作が読めるようになったときは嬉しかった。特にクリスティーの作品はほとんどが網羅され、「そして誰もいなくなった」を初めて読んだ時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。


■70年代文庫で出版された、古き良き時代の本格探偵小説黄金期の作品たち。
        


 


反射率0.39/ヴァンゲリス(1976年)

2013-11-08 | 音楽・オーディオ

ヴァンゲリスと聞いてすぐピンとくる人は少ないだろうが、1980年~90年代、映画『炎のランナー』や『ブレードランナー』、『南極物語』などのサントラを手がけた音楽家と聞けば、たいていの人は思い当たるに違いない。特に『炎のランナー』は名曲で、ビルボードのアルバム/シングルチャートの1位を獲得しているのだが、全編インスト曲のアルバムで全米1位になったのはこのアルバムだけである。

ぼくが初めてヴァンゲリスを知ったのは1975年頃、イエスのリック・ウエイクマンの後任として取りざたされた時で、イエスの大好きだったぼくは、それをきっかけにマルチキーボード奏者の彼の音楽に興味を持つようになった。今回紹介するアルバムのタイトル反射率(Albedo)とは、「惑星や非発行体の反射力」のことで、『Albedo 0.39』とは地球のことを指す。このタイトルとジャケット写真を見ればヴァンゲリスの指向する音楽性はおおよそ想像がつき、その当時のぼくはイエスと同じプログレとしてこのアルバムを聴いていた。

ヴァンゲリスの音楽の特徴は、シンセサイザー、キーボード、ピアノはもちろん、ドラムス、パーカッションなど多彩な楽器をすべて一人で演奏し、スタジオでの多重録音で一枚のアルバムつくりあげてしまうことで、ひとつのテーマを基に緻密に構成した、シンフォニックで壮大なスケールの作品が展開される。
現在は喜多郎やエンヤ、エニグマなどと同じニューエイジミュージックとして認知されているようだが、もともとロック、ジャズ、クラッシク、ポップスなど様々な要素を取り入れたノンジャンルな音楽性が特徴で、76年にリリースされた当時、このアルバムはぼくにとってまさにプログレッシブな一枚だった。


■反射率0.39/ヴァンゲリス(1976年)
ヴァンゲリスのアルバムの中では最も印象に残るジャケット。ソリッドでSF的なデザインは出色のでき。



金沢監獄正門(愛知県犬山市明治村内)

2013-11-06 | まちかどの20世紀遺産

明治村には八高正門のほかにもう一つ煉瓦造の門が保存されています。明治40年に金沢監獄がつくられた時の正門で、赤煉瓦に白い花崗岩の帯状装飾は八高正門と同じ意匠で、東京駅を設計した建築家の辰野金吾が好んで用いたことから「辰野式」と呼ばれ、明治期の洋風建築の定番です。

金沢監獄の設計者は山下啓次郎。ジャズピアニストの山下洋輔はこの人の孫にあたり、明治時代の五大監獄と言われた、千葉、鹿児島、奈良、長崎、金沢監獄の設計に携わっています。監獄以外に手がけたものは2邸だけという、まさに最初で最後の監獄建築家というわけです。(参考:建築探偵東奔西走/藤森照信)
また村内には正門と一緒に、金沢監獄の中央看守所と監房の一部が移築されています。

◆金沢監獄正門/愛知県犬山市大字内山1番地明治村内
 竣工:明治40年(1907)
 設計:山下啓次郎
 構造:煉瓦造

■両脇に立派な2階建の看視塔を設けた外観は、西洋の城郭のようで、とても監獄の門とは思えない風格が漂う。




 

■金沢監獄中央看守所/明治40年(1907)



■八角形の中央看守所からは五つの舎房が放射状に配置されていたが、現在は第五舎房の一部だけが移築復元されている
 


NHK朝ドラ「ごちそうさん」のロケ地~明治村(愛知県犬山市)

2013-11-04 | 明治村散歩

わたしの地元犬山市にある明治村は、一か所に明治~大正にかけて建てられた様々なタイプの和風・洋風建築が移築保存されているので、近代を描いたドラマなどのロケ地としては最適で、これまでにもたくさんの映画、テレビドラマの舞台として使われています。

このブログでも以前、映画「剣岳・点の記」のロケに使われた建物などを紹介しましたが、今回は現在放送中のNHK朝ドラ「ごちそうさん」で使われた明治村のロケ現場を紹介します。
ドラマはヒロインの実家である洋食屋の開明軒のある東京から大阪に舞台が移り、明治村のシーンも出番が少なくなりますが、これまで多くのシーンで背景に出てきた明治村の建物を紹介します。


■ヒロイン卯野め以子(杏)一家の住む近所の町並みとして使われたレンガ通り。
レンガ通り沿いに奥から、東松家住宅、京都中井酒造、安田銀行会津支店、札幌電話交換局、京都七条巡査派出所、京都七条停留所が並ぶ。
毎朝この通りを、め以子と開明軒に下宿している帝大生の西門悠太郎(東出昌大)が、本郷春見駅(京都七条停留所)まで歩いて通学していた。
 


■明治村内には京都市電として実際に使われていた明治期の車両が走っていて、京都七条停留所がめ以子と悠太郎が通学に利用した本郷春見駅の設定になっている
毎朝電車を待つ間め以子と悠太郎が話をするのだが、停留所
のベンチには必ず同じ紳士が新聞を広げて座り、二人の会話に聞き耳を立てているシーンが笑えた。



■東松家住宅(重要文化財)明治34年(1901)頃



■中井酒造(向かって左)/明治3年(1870)と安田銀行会津支店/明治40年(1907)



■札幌電話交換局(重要文化財)/明治31年(1898)
ドラマでは郵便局として使われ、前に置かれたポストの陰で室井(小説家志望でいつも開明軒で賄いを食べている)が、め以子と悠太郎の結婚話を立ち聞きする。



■京都七条巡査派出所/明治45年(1912)



■名古屋衛戍病院/明治11年(1878)
悠太郎が通う帝大の校舎の設定で、中庭で悠太郎と友人が話をするシーンが撮影された。



■宇治山田郵便局/明治44年(1909)~め以子と友人たちが話をしていたシーンに使われた。



■本郷喜之床/明治末(1910)頃~石川啄木が「一握の砂」を発表した明治43年、一家でこの床屋の2階に住んでいた。
ドラマでは室井幸斎の下宿先楠木理髪店として使われ、悠太郎が下宿先の開明軒を追い出された時、一時的に居候していた。

 


第八高等学校正門(愛知県犬山市明治村内)

2013-11-03 | まちかどの20世紀遺産

旧制第八高等学校の門が犬山市にある博物館明治村の正門として保存されています。八高は明治41年(1908)設立、翌年現在の名古屋市立大学山の畑キャンパスのある名古屋市瑞穂区瑞穂町に移転開校されました。

当時の旧制高校は簡単に言うと現在の大学の教養課程にあたり、帝国大学入学者のための予科教育機関としての役割が大きかったようです。旧制高校の中でも、明治期に創設された一高~八高までは特に「ナンバースクール」と呼ばれ、いわゆる地域のエリート校として特別の存在だったようです。ちなみに八高は現在の名古屋大学教養部に相当します。


◆第八高等学校正門/愛知県犬山市大字内山1番地明治村内
 竣工:明治42年(1909)
 構造:煉瓦造
 撮影:2006/08/13 


■八高の正門は脇門も含め4本の門柱からなり、赤煉瓦に白い花崗岩を帯状に配した、明治洋風建築によく見られるデザイン






現在八高の施設で残っているのは、明治村に保存されている正門のみですが、大正期の校舎と正門の様子が下のサイトでご覧になれます。
大正時代の名古屋第八学校→http://network2010.org/article/714


ブラザーズ&シスターズ/オールマン・ブラザーズ・バンド(1973年)

2013-11-01 | 音楽・オーディオ

オールマン・ブラザーズ・バンドは、その名の通りデュアン、グレッグ兄弟が結成したバンドで、アメリカ南部のカントリーやブルースをベースとしたサザン・ロックと呼ばれるジャンルの草分け的存在。このアルバムがリリースされた73年、ニューヨーク州で開催された野外ロックフェスの「サマー・ジャム」にはザ・バンド、グレイトフル・デッドとともに参加、12時間にわたる演奏が行われ60万人の観客を動員した。(ライナー・ノーツより)
サザン・ロックは70年代に最盛期を迎え、 レーナード・スキナード、マーシャル・タッカーバンド、エドガー・ウィンター・グループ、ZZトップ、など南部出身のグループがアメリカ・ロックシーンを席巻した。


■ブラザーズ&シスターズ/オールマン・ブラザーズ・バンド(1973)
このアルバムでビルボード全米1位を獲得、シングルカットされた『ランブリン・マン』も大ヒットし、70年代のアメリカロックシーンを代表するバンドとして一躍脚光を浴びた。
このバンドは野外コンサートなど「ジャム」での長いインプロビゼーションが聴きどころで、このアルバムでも7分を超えるインスト曲『ジェシカ』でのギター、キーボードにパーカッションが加わる演奏は圧巻。
ジャケットの表紙は、枯葉の中にたたずむ男の子と女の子で、アメリカの南部の田舎を彷彿とさせます。



■見開きジャケット内側は、バンドメンバーの家族や関係者の集合写真。
男女とも髪型はストレートのロングにジーンズという、いかにも70年代のファッションが時代を感じさせる。
そういえばぼくも大学時代は、長髪にジーンズという、「俺たちの旅」の中村雅俊を地で行くファッションでした。