かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

泉麻人の僕のTV日記/泉麻人

2016-09-24 | 

 9月19日、脚本家の松木ひろしさんがお亡くなりになりました。松木さんは1960~80年代に活躍された脚本家で、クレージーキャッツの「無責任シリーズ」に代表される喜劇映画や、数多くのTVドラマを執筆されました。 
 僕は70年代中学生の頃にTV放映されていた石立鉄男が主演した一連のシリーズが大好きで、特に「おひかえあそばせ」「気になる嫁さん」「パパと呼ばないで」「雑居時代」あたりは毎回楽しみに見ていた記憶があります。これらの石立ドラマの脚本を書いていたのが松木ひろしさんだということは、だいぶん後になって知ったのですが、僕が中学の頃夢中になったドラマの脚本家の訃報に接し、過ぎ去った青春と昭和という時代にしばし思いをはせることになりました。 

 そこで今回ご紹介する100円古本は、1960~80年代のTV番組をこれでもかとばかりにしゃぶりつくす「泉麻人の僕のTV日記」です。ぼくと同世代の泉麻人さんとは、TV全盛期の昭和40年~50年代に見た番組がほとんどかぶるので、この本で取り上げられているあんな番組やこんな番組、「見た見たあ~」と思わず懐かしくてほくそえんでしまいます。
 もちろん、石立・松木のシリーズは「石立鉄男シリーズの魅力」というタイトルで、このシリーズの大ファンだった泉さんが思い入れたっぷりに熱く語ってくれています。僕はこのシリーズは主演の石立鉄男はもちろん、相手役の女優さんや脇を固める共演陣も印象に残る役者さんばかりで大好きだったので、このあたりもしっかり手当してくれているのは嬉しいところです。
 
僕の大好きだった松木・石立ドラマベストを紹介すると~
〇「S・Hは恋のイニシャル」’69~主演は布施明で準主役で石立鉄男が出ていました。このドラマは僕が小5の時初めて夢中で見た大人向け恋愛ドラマで、今でも主題歌はしっかり覚えています。当時売れっ子の女優陣が多数出演していましたが、僕は伊東ゆかりしか知りませんでした。(この当時は酒井和歌子が大好きでした)

〇「気になる嫁さん」’71~メグ役の榊原ルミが可愛かった。ばあや(家政婦)役の浦辺粂子が「リキ坊ちゃまあ~」と呼ぶ声は今も脳裏に焼き付いています。リキマルの部屋に貼ってあった、映画「大脱走」のバイクに乗るスティーブ・マックイーンのポスターがカッコよくて、岐阜のポスター専門店まで買いに行ったのを覚えています。

〇「パパと呼ばないで」’72~”おい、チー坊”のフレーズでおなじみです。子役の杉田かおるはこの作品でブレイク。

〇「雑居時代」’73~とにかく大原麗子目当てで見てました。この後のサントリーオールドのCMも良かったなぁ~。 

 「僕のTV日記」は昭和35年~50年代の泉さんの記憶に残るTV番組とその時代背景もふくめて、泉さんならではの軽妙なタッチで書かれています。泉さんは幼少時から子供向け番組はもちろん、大人向けの歌謡番組やホームドラマなどもしっかり見ていて、その細部にわたる記憶力もずば抜けていますが、さらに記録も残しているのはすごいの一言です。、泉さんならではのテレビに対する熱い思い入れが詰まった一冊です。


特に僕が好きな目次タイトルの一部をあげておきます。
同世代の方は下のタイトルだけで思わずにんまりできるはず

・カレー好きの少年ジェット
・チャコちゃんの胸
・忍者ごっこの頃
・オリンピックとエイトマン
・ウルトラ元年
・カラーテレビが来た日
・欽ちゃんとカレーソフトめん
・60年代の大晦日テレビ
・青春学園モノの研究
・小川ローザの時代 
・時間ですよとお荷物小荷物
・栗田ひろみの話
・力石徹の死
・ゲバゲバ元禄
・23時以降のおピンクゾーン 
・プレガールの誘い
・アグネス・ラムの「ホッ」
・「麻美・木之内・大場」時代
・正月とカレー
・ピンクレディーの時代
などなど・・・昭和のあの頃がテレビ番組を通じてよみがえります。

■泉麻人の僕のTV日記/泉麻人/新潮文庫/1994年/440円
 


名城大学農学部付属農場本館/旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製作所本館(愛知県春日井市)

2016-09-22 | 尾張の近代建築

8月の朝日新聞愛知地方版に「戦争遺産を訪ねて 戦後71年」という記事が連載されました。愛知県に残る戦争遺産を紹介する特集なのですが、そのなかの旧陸軍造兵廠鷹来製作所(鷹来工廠)の記事を見て、以前に訪れすっかりブログにアップするのを忘れていていたことに気づきました。

訪れたのは10年ほど前になるので、このブログで紹介するにあたり現存確認のため再訪しようと思っていたのですが、そのままになっていました。新聞記事には写真も掲載されていたので、わたしの訪れた10年前と同様の状態で現存しているのが確認できました。

鷹来工廠は、1939年に創設された名古屋陸軍造兵廠鳥居松製造所(鳥居松工廠)に続き41年に創設されました。戦時中は第1~第8工場まであり、九九式小銃の実弾や風船爆弾などを製造、地元や中部地方を中心に学徒や女子工員、女子挺身隊員ら4千人が動員されました。

現在も残る建物本館は地下1階、地上2階建の鉄筋コンクリート造りの全く装飾の無いモダニズム建築で、大きな庇のある玄関の上に時計塔を設け、その下には旧陸軍のマーク星印の跡が今も残ります。
また戦争当時から空襲を避けるため屋上に植物を植え、カモフラージュしていたそうで、現代の屋上緑化の先駆け的存在といえる建物です。
戦後その役目を終えた造兵廠の建物は、名城大学農学部として再利用され、若い学生たちの学び舎として幸せな余生を送っています。


■ズラリと並んだ縦長の窓や文字盤の残る時計塔、突き出した庇の玄関などに昭和初期のモダニズムの香りが感じられます



■旧陸軍の☆マークの跡が残る時計塔~針の無い文字盤は終戦で時が止まっているかのようです



◆名城大学農学部付属農場本館(旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製作所本館)/愛知県春日井市鷹来町菱ヶ池4311-2
 竣工:昭和16年(1941)
 構造:RC造2階建、地下1階
 撮影:2005/10