かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

鏡岩水源地旧エンジン室・ポンプ室(岐阜県岐阜市)

2010-10-31 | 岐阜市周辺の近代建築

岐阜市建築散歩~その6

岐阜公園の東、金華山の北側長良川左岸の鏡岩水源地に戦前に建てられた岐阜市の水道施設が現存しています。
岐阜市が上水道の給水を開始した昭和5年(1930)に建てられたエンジン室とポンプ室で、昭和47年頃まで現役で使用されました。
どちらの建物も日本瓦の切妻屋根に隅石張り、壁には長良川の自然石を積み上げ、山小屋風の外観になっています。
現在エンジン室は水の資料館、ポンプ室は水の体験学習館にそれぞれ生まれ変わり、岐阜市の水道事業を紹介する施設として再利用されています。


◆鏡岩水源地 水の資料館・水の体験学習館(旧エンジン室・ポンプ室)/岐阜市鏡岩408-2
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:鉄骨造平屋
 撮影:2006/09/23
 *国登録有形文化財




奥がポンプ室、手前がエンジン室~水源地内は広々として見学しやすいよう整備されています



◆水の資料館(旧エンジン室)
 岐阜市の水道の歴史の紹介や水源施設の機器類、施設模型などが展示されています



正面入り口とその横の窓はアーチ状に統一され、茶色の自然石を積んだ外壁に白の御影石の隅石がアクセントになっています
切妻屋根を壁から突き出た木製のすじかいが支える、水源地の施設としては異色の山小屋風意匠で、楽しい外観です




側面は丸と四角の窓が二段に並び、ラチス構造の鉄骨が外付けになっているのが特徴



◆水の体験学習館(旧ポンプ室)
 長良川と水との関係を体験学習できる施設



旧ポンプ室は鉄骨を内側に設置したスッキリとした外観





連続した丸窓は当時流行の表現派の影響でしょうか?
昭和のモダンデザインの息吹がこんなところにも感じられます





◆国登録有形文化財として登録され岐阜市の貴重な近代化遺産として保存活用されています

 


 


旧加納町役場(岐阜市)

2010-10-24 | 失われた建物の記憶

岐阜建築散歩~その5

岐阜駅の東南、徒歩10分程の旧中山道沿い、新築住宅も目立つ旧加納宿の住宅街の一角に、過去からタイムスリップしてきたような古い洋館がひっそりと建っています。
元々は大正15年(1926)に加納町役場として建てられたもので、最後に岐阜市学校給食会によって使用された後、数年前から空家になっており、現在は老朽化による耐震強度の問題で立ち入り禁止のロープが張られています。

この旧加納町役場の建物は、鉄筋コンクリート造りの町役場としては最初期のもので、設計は岐阜市ではおなじみの近代日本を代表する建築家で当時京都帝国大学建築学科教授の武田五一が担当しました。
武田は10代を岐阜市で過し、その縁もあってか岐阜市周辺で多くの建物の設計に携わっています。現在も市内には旧加納町役場の他、名和昆虫研究所記念館・博物館、昆虫碑、旧岐阜商工会議所美江寺支店が現存しています。

同時期に建てられた重厚な左右対称の岐阜県庁舎に対し、非対称の彫塑的なモダンなデザインで、アールヌーボーやセセッシヨンを日本に紹介した武田らしい自由闊達なデザインです。
外観は軽快なスパニッシュ風に仕上げていますが、凸凹の白壁にアーチを架けた玄関ポーチを張り出し、縦長の窓と半円形の大窓を設け、武田好みのセセッション風味付けも施しています。
内部は当時流行の表現主義に和風を併用した、いかにも武田らしい意匠に仕上がっています。


◆旧加納町役場/岐阜市加納本町1-16
 竣工:大正15年(1926)
 設計:武田五一
 施工:大林組
 構造:RC造2階
 撮影:2010/09/26
 *国登録文化財



建物全景~旧中山道沿いに北面して建っています

当初は白色に塗られていたであろう外壁は、長年の風雨にさらされ灰色に変色し、
窓枠は錆びほうだい、何とも古色蒼然としたたたずまいは、このままホラー映画の舞台になりそうな雰囲気が漂う。



玄関正面~ポーチの上部にうっすらと右から「加納町役場」の文字が残る



アーチをつけた縦長窓と半円形の大窓が外観にアクセントをつける

 


建物東側~縦長の窓が並ぶ



西隣に建つ小屋~コンクリートの下に煉瓦が見えます



旧加納町役場の案内板

「岐阜市が誇る歴史的建造物」の建て看板も設置してあるところを見ると、
旧中山道加納宿の拠点施設として再生活用される日もそう遠くは無い?と思われます。


じゅうろくてつめいギャラリー/旧十六銀行徹明支店(岐阜県岐阜市)

2010-10-20 | 岐阜市周辺の近代建築

岐阜市建築散歩~その4

岐阜市一番の繁華街、柳ヶ瀬の南、徹明通に古典様式の重厚な建物があります。
岐阜貯蓄銀行本店として昭和12年に建てられたもので、その後昭和18年から十六銀行の徹明支店として使用されましたが、平成17年柳ヶ瀬支店に統合され廃店しました。
現在は岐阜空襲にも残ったこの貴重な歴史的建物を再利用して「じゅうろくてつめいギャラリー」を開館、市民の展示スペースとして無料開放されています。

◆じゅうろくてつめいギャラリー(旧十六銀行徹明支店・岐阜貯蓄銀行本店)/岐阜市徹明通1-3
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:西村建築事務所
 施工:竹中工務店
 構造:RC造3階
 撮影:2010/09/26
 *岐阜市都市景観重要建築物





◆正面ファサードは戦前の銀行建築らしい古典様式を採用、2階分のオーダーの上にはクラッシクな装飾が鎮座しています。



◆建物西側~銀行らしい重厚なつくり



◆正面玄関~内部は吹き抜けで中2階に設けられたギャラリー(回廊)の木製手摺が見えます

 

 


岐阜信用金庫美江寺支店(旧岐阜商工会議所美江寺支店)/岐阜市

2010-10-17 | 失われた建物の記憶

岐阜市建築散歩~その3

 岐阜県総合庁舎の南、今小町交差点に何の変哲も無いフツーのビルがあります。全国どこでも目にする地方の銀行の支店らしい無味乾燥な四角い箱型の建物ですが、この建物が大正13年に建てられた事実にはちょっと驚きます。

 大正末から昭和にかけて、機能を重視した直線と平面で構成された新しいスタイルの「モダニズム建築」が都市部から全国に広がっていきますが、この建物は地方都市での比較的早い建設の例と言えるかもしれません。ちょうど同じ頃に建てられた岐阜県総合庁舎や岐阜県教育会館と比較すると、そのシンプルで機能的なデザインが良く分かると思います。

 設計はアールヌーボーを最初に日本に紹介し近代建築史にその名を残す武田五一です。武田は名古屋高等工業(現名工大)の教授を務め、東海地方には縁が深く、岐阜市内にも名和昆虫記念館・博物館や旧加納町役場が現存しています。


◆岐阜信用金庫美江寺支店(旧岐阜商工会議所美江寺支店)/岐阜市今小町20
 竣工:大正13年(1924)
 設計:武田五一
 施工:大林組
 構造:RC造3階
 撮影:2010/09/26
 ※取り壊し確認(2014/09/07)


■細部の装飾などは一切無く、歴史様式の持つノスタルジーやレトロ感は皆無
建築ウォッチング的には見所は少ないのでちょっと面白味にかけるかも


■縦長の連続窓が唯一時代を感じさせます
鉄とガラスとコンクリートで作られた直線的でシンプルなデザインは、平成の現代の街角にも違和感なく溶け込んでいます






■現在の岐阜信用金庫美江寺支店
残念ながら旧建物は取り壊され、2013年11月に新築オープンしました。
岐阜に現存する武田設計の建物が無くなっていくのは寂しい限りです。
このところ岐阜教育会館も取り壊され、岐阜の近代建築の行く末が心配です...

撮影:2014/09/07


岐阜県教育会館(旧岐阜県教育会図書館)/岐阜市

2010-10-16 | 失われた建物の記憶

岐阜市建築散歩~その2

岐阜県総合庁舎の南西に、大正末期に建てられた一風変わった外観の近代洋風建築が現存しています。
長い間岐阜大学病院の建物と塀に囲まれ、建物の一部しか見ることができませんでしたが、岐阜大学の移転に伴いその全貌を確認することができました。
西側のコンクリートの建物は正面中央に丸形の屋根が突き出ているのが特徴で、愛知県刈谷市にあった依佐美通信所にそっくりな外観で、当時流行のドイツ表現主義風デザインが採用されています。
まさに時代を象徴するユニークな建物で、ぜひこのまま保存活用されることを願います。


◆岐阜教育会館(旧岐阜県教育会図書館)/岐阜市美江寺町2-1
 竣工:大正末年(1921~1925)
 設計:河村鹿市・佐藤信次郎
 施工:大林組
 構造:RC造2階
 撮影:2010/09/26
 ※取り壊し確認(2014/09/07)


〇建物北側~東西に全く外観の異なる建物が連結されています



〇西側建物~中央入り口のアーチ(現在は閉鎖)とその上部の円弧形に立ち上げたパラペットが特徴



〇大正~昭和にタイムスリップして、この空間だけ時が止まっているような
 何とも言えない怪しく不思議な雰囲気が漂います。
 さしずめ江戸川乱歩の小説に出てきそうな、「謎の研究所」といったところでしょうか。
 


〇当時流行の表現主義風のデザイン~まるで鉄仮面かロボットの頭です



〇西側壁面の装飾
 


〇表現主義を代表する依佐美送信所(昭和4年/愛知県刈谷市)
 残念ながら取り壊されました




〇東側建物~こちらの外観はいたってオーソドックスです

 

 




■現在の岐阜教育会館跡(撮影:2014/09/07)
右端の建物の隣(白いフェンスあたり)に建っていました。
岐阜を代表するモダニズム建築だったのに残念です.....合掌

 


岐阜県総合庁舎/旧岐阜県庁舎(岐阜県岐阜市)

2010-10-10 | 岐阜市周辺の近代建築

岐阜市建築散歩~その1

以前に岐阜公園の戦前の建物を紹介しましたが、今回は市内に残るその他の近代洋風建築を紹介します。
岐阜市は濃尾震災と戦災で、戦前の近代建築はほとんど失われましたが、旧岐阜県庁舎のある司町・美江寺町界隈には、戦災を免れた鉄筋コンクリート造りの建物がいくつか現存しています。

◆岐阜県総合庁舎(旧岐阜県庁舎)/岐阜市司町1
 竣工:大正13年(1924)
 設計:矢橋賢吉・佐野利器・清水正善
 施工:銭高組
 構造:RC造3階
 撮影:2010/09/26

 


◆建物正面~建物は正面玄関(南向き)を中心に東西「山」型に配置

 


◆建物西側~隣は岐阜大学病院移転後空き地になっています



◆正面玄関



◆正面玄関の大階段とホール
 

ホールの壁や柱、床、階段などに地元大垣市赤坂原産の矢橋の大理石がふんだんに使われ
 長良川の鵜飼、養老の滝、飛騨のアルプスを図案化したステンドグラスもはめ込まれています


福山龍馬 in グーフィー 

2010-10-09 | ありふれた日常

秋も深まり、各地で運動会や学園祭たけなわの今日この頃です

私の娘の高校も先日、文化祭と体育祭が行われました

3年生の娘は受験勉強もどこへやら、毎年恒例のマスコット作りに燃えに燃え

これが最後とばかり毎日遅くまで精を出しておりました

奮闘のかいあって、見事に娘のチームのマスコット「グーフィー」が優勝

高校最後のよい思い出ができたと大喜びでした




マスコット部門で見事1位に輝いたグーフィーの雄姿






新聞紙で固められたグーフィーの内側
娘の貼った「福山龍馬」が人気で、みんなが写メッていたそうです




 


軍馬軍犬軍鳩慰霊碑(名古屋市中区三の丸)

2010-10-04 | まちかどの20世紀遺産

近代建築を求めて街歩きをしていると、建物ではないけれど「おっ、これは」という物件に出会うことがあります。

わたしが面白いと感じる基準は、まず古いこと。
明治、大正はもちろん戦前から昭和30年代頃までに造られた街角の構造物(橋などの土木工作物や記念碑、記念塔、看板など)はデザイン的に面白い。
まず最初に全体・細部の形をじっくりと鑑賞、その後それらが造られた時代背景に思いを馳せると、また新たな興味が湧いてきます。

今回は東海郵政局を訪れた時に遭遇したちょっと興味深い石碑を紹介します。
この石碑は東海郵政局の北、外堀に架かる本町橋(明治44年竣工)を渡った北東側の草原(くさはら)の奥に建っているので、通りからは見えにくく意識して探さないとまず通り過ぎてしまいます。
柵を乗り越え草むらの奥に足を踏み入れると、「軍馬軍犬軍鳩慰霊碑」と刻まれた石碑が人目を避けるようにひっそりと建っています。第三師団と刻まれた台座の上のほぼ正方形の石碑には、馬、犬(シェパード)と鳩が3羽レリーフの様に浮き彫りになっています。

この慰霊碑は戦前、三の丸にあった旧陸軍の第三師団が、戦争で使われ犠牲になった動物たちを供養する為、昭和14年この場所に建立したもので、現在は訪れる人も無くほとんど忘れ去られた存在になっています。
戦没者の慰霊碑は全国どこでも目にすることができ、わたしたちに戦争の記憶を伝えてくれますが、戦争で犠牲になった軍用動物の慰霊碑は珍しいのではないでしょうか。
戦争で亡くなった多くの人と同じように、死んでいったたくさんの動物たちに思いを馳せ、軍人さんたち自ら建立した慰霊碑の存在は、時代が変わってもその思いを確かに伝えてくれます。






向かって右奥の茂みの中に慰霊碑が建っています





木立の奥にひっそりと建つ慰霊碑





軍用に伝書鳩が使われた時代がありました(撮影:2010/05/05)


旧伊藤耳鼻咽喉科医院(昭和区御器所)

2010-10-03 | 名古屋の近代建築

名古屋市を南北に走る幹線道路、空港線の東郊通2丁目交差点のすぐ南側に、道路に西面してひときわ目を引くクラッシクな洋館が建っています。

元々は昭和の初に建てられた古い医院ですが、中央に立派な玄関ポーチを設け、茶色のスクラッチタイルを貼った左右対称の堂々としたファサードは、当時の「お医者様」の威厳を示すかのようで、住宅使用の洋館とは一味違った重厚な造りに仕上がっています。

数年前から空家になっているようで、幹線道路沿いの好立地だけに、いつのまにか取り壊されマンションや駐車場になるのではと心配です。今まで保存されてきた寛大なオーナーさんの気持ちが変わらないのを願うばかりです。


◆旧伊藤耳鼻咽喉科医院/名古屋市昭和区御器所1-9-9

 竣工:昭和7年(1932)
 設計:荒川惣七
 施工:三共工務店
 構造:木造2階建
 撮影:2010/03/14





空港線に西面した正面ファサード
大正末にライトが帝国ホテルで使いその後全国で大ブレイクした
当時流行のスクラッチタイルが重厚な雰囲気を演出しています





正面(西側)以外は下見板貼り





玄関ポーチは3方向に開放され人造石仕上げの持送り付き櫛型アーチが施されている
当初は玄関正面に階段が設けられていたが、道路の拡幅に伴い南側からのアプローチに変更された






玄関ポーチと2階屋根部分に銅版葺きの洋風ペディメントを設け
それぞれ中央に洋風花瓶形の棟飾りを付ける







右書きの医院名と旧字体の「医院」の文字に過ぎ去った時代を感じます





当時のままの木製の玄関扉






玄関ポーチ天井の照明
中央に花びらをモチーフにした幾何学模様があしらわれています