かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

旭サナック本館/旧旭兵器製造本社事務棟(愛知県尾張旭市)

2015-02-28 | 尾張の近代建築

 名鉄瀬戸線旭前駅で下車し、北へ200mほどの所に旭サナック株式会社があります。この会社の敷地内に昭和14年に建てられた事務棟が残っています。元々は工作機械の製造を手がけていた大隈鐵工所が、機銃弾を製造するための工場をこの地に建設、大隈鐵工所旭兵器製造所として開設後、旭兵器株式会社となりました。

 現存する建物は木造2階建、屋根は寄棟造、鉄板葺、当初は外壁を下見板張としていましたがが、現状はモルタル吹付に変更されています。戦前期の洋風を基調とする事務所建築の好例で、平成15年に耐震補強が施され国の登録文化財に指定されています。


■工場敷地が傾斜地のため道路より高く、敷地外からでは外観全体が撮影できませんでした


◆旭サナック本館(旧旭兵器製造本社事務棟)/愛知県尾張旭市旭前田新田洞5050
 竣工:昭和14年(1939)
 施工:北川組
 構造:木造2階建
 撮影:2015/01/25
 ※国登録文化財 

 


在りし日の旧尾張瀬戸駅舎と瀬戸記念橋駅舎(愛知県瀬戸市)

2015-02-22 | 失われた建物の記憶

 今回は10年ぶりの瀬戸訪問でしたが、平成13年(2001年)初めて訪れた時に健在だった旧尾張瀬戸駅と記念橋駅の姿を紹介します。平成13年当時の旧尾張瀬戸駅舎はまさに取り壊し寸前、すでに駅機能は東側に新築移転された現駅舎に移り、玄関は閉鎖され駅移転の看板が建っていました。

 なんとか最後の姿を見ることができたのは幸いでしたが、現在は2005年に開館した瀬戸蔵ミュージアム内2Fに、旧駅舎や隣接していた集積所が再現されています。せともので栄えた大正~昭和の時代の瀬戸の町の様子が、多様な展示物とともに紹介されています。

 またすぐ東側の記念橋の北にあった、日本初の省営バス路線の記念橋駅舎も取り壊され、現在は同じ位置に名鉄バスの記念橋バス停が設置されています。バス停の傍らには「省営バス発祥の地」の記念碑が建てられ、かろうじて当時を偲ぶよすがになっています。


◆旧尾張瀬戸駅舎~名古屋鉄道 瀬戸線/愛知県瀬戸市山脇町
 竣工:大正15年(1926)
 構造:RC造2階建
 ※2001年取り壊し建て替え


■解体直前の旧駅舎(2001年撮影)
 かつては1階に待合室と売店、2階に喫茶・食堂が開設されていた



■オーダーを配した玄関ポーチが特徴的



■待合室内のタイル張りの柱



■瀬戸蔵ミュージアム内に一部復元展示された旧駅舎



■待合室内には昭和34年当時の時刻表や運賃表も再現されている
当時の終着堀川駅は、瀬戸線が栄町まで乗り入れた昭和51年廃駅となった
現在も大津橋南詰に廃駅となった大津町駅に降りる階段が残されている











瀬戸電車両モ754号を展示




■旧瀬戸記念橋駅~昭和5年(1930)日本初の省営バス路線、岡多線(岡崎~多治見間)の駅として開業。
撮影当時(2001年)はJR東海バスの記念橋駅として営業中で、みどりの窓口もあった。
写真の駅舎は昭和5年開業時のものと思われ、2004年周辺の再開発に伴い取り壊された。



■蔵所橋から瀬戸記念橋駅方面を望む(2001年)



■撤去前の蔵所橋(2006年)~奥に見える建物は瀬戸蔵。現在橋は撤去されています。


瀬戸の琺瑯看板

2015-02-17 | まちかどの20世紀遺産

瀬戸の町歩きで3枚の琺瑯看板が採集できました。
たった3枚ですが、最近の絶滅寸前状態ではまあこんなものでしょうか。
それでも「山種オープン」と「づつうにノーシン」の2枚の新種が採集できたのは収穫でした。
「ごきぶりホイホイ」はすでに採集済みですが、やっぱりいつ見てもゴキブリがリアルでインパクト大です・・・

ところで、わたしは「山崎証券」については全く聞いたことがなかったので、ちょっと調べてみました。
山崎証券沿革~山崎種二商店として証券業を開始(S8)→山崎証券に商号変更(S19)
→東京証券取引所正会員(S24)→名古屋証券取引所正会員(S33)→山種証券に社名変更(S40)
→その後合併を繰り返し、現在はSMBCフレンド証券になっています。
山種証券は創業者の山崎種二の名前から取ったもので、商品名の「山種オープン」のネーミングもなるほどとうなづけます。

琺瑯看板は名古屋証券取引所正会員に加入した昭和30年代頃のものでしょうか。
一枚の古い琺瑯看板から、過ぎ去った昭和を振り返るのも町歩きの楽しみの一つです 



■路地裏の板張りの壁の隅、消費者ローンの看板の陰でひっそりと生息する「山種オーオープン」を発見



■名古屋の市内局番がまだ二けたの時代。
名古屋支店の「中区南伊勢町」はかつて名古屋証券取引所のあった界隈の名称で、現在の栄3丁目あたりになります



■薬局の店頭で見つけた2枚
 
撮影:201501//25

 


昭和のにじむ地名案内板~Part3(愛知県瀬戸市)

2015-02-15 | まちかどの20世紀遺産

瀬戸市で見つけた琺瑯製の地名案内板です。
昭和40年代頃までに設置された思われますが、ブルーとオレンジの色も鮮やかです。

■スポンサーの「瀬戸信用金庫」が旧字体なのが時代を感じさせます


 


■こちらのスポンサー「第二サカエ」は美容院で、現在も銀座商店街に店舗が健在でした


瀬戸散策(4)~番外編

2015-02-14 | まち歩き

近代建築ではありませんが、わたし好みの昭和の哀愁が漂う物件をご紹介。
こういうディープなのに出会えるのが、まさに町歩きの醍醐味。


■一見普通の民家風の薬局



■家族計画の自販機の横には「ごきぶりホイホイ」のホーロー看板。「づつうにノーシン」も良い味で、昭和がにじむ・・・
 


■つげ義春的ムード満点の「丸根旅館」



■牛豚ホルモン専門店。営業中なのが嬉しい。せんまい店という屋号がまたよろしい。



■「学生寮 ときわ荘」~どんな学生が下宿しているのかしらん

撮影:2015/01/25


瀬戸散策(3)~街角逍遥編

2015-02-11 | まち歩き

瀬戸の古い町並みは、名鉄尾張瀬戸駅から東側、瀬戸川沿いの旧瀬戸街道を中心に広がっています。
細い路地を気の向くままに散策すると、懐かしい昭和の風景に出会えます。


■古い木造家屋が建ち並ぶ瀬戸川沿いの風景



■スクラッチタイル貼りの洋風住宅の奥に、ペディメント付の窓のある洋館が垣間見えますが、全容が見えないのが残念!



■路地に入ると塗籠造や下見板、スクラッチタイルなど様々なタイプの古い住宅が残っています









■瀬戸の町は歩くのが楽しくなる、まさに「昭和の隠れ里」







撮影:2015/01/25


瀬戸散策(2)~昭和商店街編

2015-02-10 | まち歩き

瀬戸の町には瀬戸川の南北に二つの古い商店街があります。
いわゆるアーケードのある昔ながらの「昭和の商店街」ですが、コンビニや大手チェーン店の進出、ライフスタイルの変化などで客足が遠のき、以前の活気はないようです。
古い商店街でも名古屋の大須のように元気なところはひとにぎり、地方の駅周辺の商店街はどこも同じような状況です。
気軽に立ち寄れる地元の商店街は、特に高齢者にとってはありがたい存在です。
これからの高齢化社会を見据えて、地域に根差した昔ながらの商店街の活性化が望まれます。 


■瀬戸川の南側、古い町並みのなかにある末広町商店街



■アーケードに並ぶ商店を冷やかすのも町歩きの楽しみです



■戦前からと思われる古い店舗が残っていました





■昭和の哀愁が漂う字体が泣かせます



■昔ながらの日本旅館も少なくなりました



■昭和の映画を支えた小さな劇場は役目を終えました




■こちらは瀬戸川の北にある「銀座通り商店街」
 銀座と名のつく商店街は全国いたる所で見かけますが、最近はシャッター通りと化したところも多いようです





■ドアやショーウインドウの幾何学的デザインと豆タイルが良い感じです
 店舗廃業後、お雛様の展示場所として使われていました

撮影:2015/01/25


瀬戸散策(1)~銭湯編

2015-02-08 | まちかどの20世紀遺産

名鉄尾張瀬戸駅の東側、瀬戸川沿いに拡がる瀬戸の古い町並みを散策しました。
戦前から陶磁器で栄えた瀬戸の街角の風景には、まだ懐かしい昭和の面影が残っていました。

まずは現役で営業中の銭湯を2軒見つけました。
町を歩いていて遠くの煙突を見つけると、ついつい引き寄せられてしまいます。
やっぱり現役の古い銭湯のある町はいいですね。


■日本鉱泉(銀杏木町)~入母屋造りの昔ながらの和風正統派銭湯です





■コンクリート塀の角にアールがつけてあるのが如何にも昭和モダンな雰囲気です



■定休日、営業時間の張り紙があり元気に営業中でしたが、4:30からの開店で入浴は断念



■蛭子湯(蛭子町)~浴場の上にさらに2階部分があるので3階建に見えます



■木造の銭湯でこれだけのものは、今ではなかなかお目にかかりません





■門柱にも昭和のモダニズムが宿ります



■両親と銭湯に行った遠い日を思い出す、懐かしい路地裏の風景

撮影:2015/01/25


瀬戸永泉教会礼拝堂(愛知県瀬戸市)

2015-02-07 | 尾張の近代建築

 旧蔵所交番から瀬戸川沿いの道路をにさらに東へ向かい、宮脇橋から南へ入ったところに木造下見板張りの小さな教会建築があります。明治33年に創建された瀬戸永泉教会礼拝堂は、西側に玄関ポーチを設けた木造平屋建、切妻造桟瓦葺の建物で、現在の外観は昭和5年に改修された当時の面影をとどめています。

 屋内天井部分の小屋組みは、洋風建築に見られるトラス構造と和小屋の構造が組み合わされた和洋折衷で、創建当初の明治時代の古い形式がそのまま残されています。愛知県下では、名古屋市東区のカトリック主税町教会礼拝堂(明治37年)とともに、現存する明治期の教会建築として貴重な存在です。


■瀬戸川沿いの南側道路からさらに一本南に入った旧道沿いに北面して建つ



■建物北西より望む



■上部が半円の上げ下げ窓と、玄関上の六角形のステンドグラスは、昭和5年の改修時のもの





■門の脇に設置された国登録文化財の掲示板



◆瀬戸永泉教会礼拝堂/愛知県瀬戸市杉塚町5番地
 竣工:明治33年(1900)/昭和5年(1930)改修
 構造:木造平屋建
 撮影:2015/01/25
 ※国登録有形文化財

 


案内処・集い処らくちん/旧瀬戸警察署蔵所交番(愛知県瀬戸市)

2015-02-04 | 尾張の近代建築

 丸一国府商店から瀬戸川沿いの道を東へ向かうと、記念橋南の交差点にタイル張りの和風の小さな建物が建っています。すぐ東隣りには記念橋交番がありますが、この建物は元々昭和14年に交番として建てらたものです。反り返った切妻の屋根と唐破風の玄関は、伝統的な寺社建築を思わせる外観で、当時としてもかなり珍しい近代和風建築の交番でした。
 
 建築当初は現在の位置から道路を隔てた西側の蔵所町にあり、蔵所交番として蔵所ミュージアム建設(平成17年開館)のため現在地に移築されるまで現役の交番として使われていました。現在建物は建築当時の外観を保ったまま移築復原され、観光案内所「案内処・集い処らくちん」として再活用されています。


■建物北面~特徴的な外観を残したままきれいにリニューアルされ、観光案内所として活用されています



■建物西面



■建物南面~手前の平屋部分は移築復元時に増築された模様



■建物東面~隣は記念橋交番です



■蔵所交番として現役だった頃の外観(平成13年撮影)



■正面妻壁の中央、大屋根の鬼瓦、玄関のむくり屋根に警察の桜のマーク(旭日章)が掲げられています



◆案内処・集い処らくちん(旧瀬戸警察署蔵所交番)/愛知県瀬戸市末広町1丁目
 竣工:昭和14年(1939)
 構造:木造
 撮影:2015/1/25


丸一国府商店/旧丸一商店(愛知県瀬戸市)

2015-02-01 | 尾張の近代建築

 名鉄尾張瀬戸駅の東、瀬戸川に架かる窯神橋のたもとに、天守閣のような望楼がひときわ目を引く近代和風建築があります。この建物は明治5年創業の瀬戸でも老舗の陶器店で、瀬戸電が堀川まで延長された明治44年に丸一商店の陶器部として建てられたものです。元々丸一商店は、明治4年の廃藩置県で失業した犬山藩の武士たちが、藩主から家臣救済のため貸与された資金で起業したのが始まりで、丸一の屋号も犬山藩主成瀬家の家紋に因んだものです。いわゆる「武家の商法」というやつですが、陶器販売のほか印刷業などいくつかの事業を手がけ、なんと6年後には主君に全額返済したというのですから大したものです。

 建物全体は2階建の町屋建築に望楼を載せた形で、犬山城の天守を模したものと伝えらています。平成15年の道路拡張工事にともない、保存のため曳家、改修が行われ、1階は耐震壁などの補強が施され旧状をとどめませんが、2階以上は創建当初の外観を復元保存しています。


■外観南面~向かって左の白い土蔵造りの建物は店舗増築部分



■店舗の1階は改変が大きいが2階より上は旧状を保つ
 曳家改修時に古写真をもとに創建当初に近い外観に改修され、2階窓前面にも格子が復元された



■4階部分の望楼~東面の鉄製の手摺は創建当初のもの
 望楼の正面に大きく書かれたマルイチのマークに、創業者の犬山藩士たちの思いが伝わります



■平成13年訪問時の外観~この外観が瀬戸の往時をしのぶランドマークとして保存されたのはなによりです


◆丸一国府商(旧丸一商店)/愛知県瀬戸市榮町41
 竣工:明治44年(1914)
 構造:木造2階建一部4階建
 撮影:2015/01/25