かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

旧刈谷浴場/旧田鶴の湯(愛知県刈谷市)

2012-12-16 | 西三河の近代建築

刈谷市郷土資料館(旧亀城小学校)の前の通りを東へ向かうと、通り沿いに昔ながらの商店が残る銀座、新栄町に出ます。
この界隈は名鉄刈谷市駅から北に500mほどの距離で、戦前から刈谷市の中心として栄えた地域ですが、現在市の中心はJRと名鉄の刈谷駅周辺に移っていて、刈谷市駅周辺はちょっとさびれた旧市街の風情が漂います。

そんな新栄町の古い商店街の一角に残る、上天温泉と同じ1920年代に建てられた湯刈谷浴場を訪れました。市内で唯一残る現役の銭湯ということでしたが、10月8日訪問時は完全に閉店状態で、玄関の上にあった温泉マークと刈谷浴場の屋号はペンキで塗りつぶされていました。
刈谷浴場は銭湯界では知る人ぞ知る超有名な銭湯らしく、ネットで検索すると銭湯マニアの方々の訪問記が多数ヒットしますが、少なくとも昨年(2011年)の5月頃までは営業していたようです。
在りし日の刈谷浴場の姿→http://blogs.yahoo.co.jp/nao104to3ko/4355936.html

刈谷浴場は上天温泉と同様、当時としては珍しい最新の鉄筋コンクリート造の銭湯ですが、現在の建物は大幅な増改築を受けており、竣工時の面影はほとんどありません。
特徴的な無国籍風デザインのファサードも昭和27年に増築されたもので、竣工時の外壁はほとんど隠されて上部が少し見えるだけになっています。

ところで刈谷市内で大正末~昭和初の4年の間に2軒のRC造の銭湯が建てられたのは果たして偶然でしょうか?
刈谷浴場に関しては設計者は不明ですが、上天温泉を設計した大中肇がどこかでかかわっていたと考えるのが自然なような気がします。
今となっては、竣工当時の刈谷浴場が見られないのは非常に残念です!


◆旧刈谷浴場(旧田鶴の湯)/愛知県刈谷市新栄町6丁目6
 竣工:大正12年(1923)
 構造:鉄筋コンクリート造地上1階
 撮影:2012/10/08


■昭和27年(1952)に増築された木造のファサード部分は、銭湯らしい豆タイル貼りの無国籍風デザイン



■タイルがかなり崩落しており建物の行く末が案じられます。脇のドアのタイル模様はどこかイスラム風?
 


■温泉マークの透かし彫りが入った欄間風の窓



■タイル貼りのファサードの奥に竣工時の鉄筋コンクリート造の建物が残っています



■竣工時の外壁に残る幾何学模様の装飾





司町の洋館(愛知県刈谷市)

2012-12-12 | 西三河の近代建築

刈谷市郷土館の前でちょっと気になる洋風住宅を見つけました。
コンクリートの塀で囲まれた広い敷地の中の建物は、装飾もなくいたってシンプルな外観ですが、歴史を重ねた建物だけが醸し出す独特の雰囲気が建物全体から漂っています。
白く塗られた木製の窓枠や小屋裏換気用のガラリ、門周辺のモダンな造りから戦前、昭和初頃の竣工と思われますが詳細は不明です。
 
 
■門の両脇の壁はアールがつけてあり、表現主義風のモダンなデザイン。


■北側道路から望む~深い切妻屋根と二つ並んだ換気用ガラリ、白い窓枠が洋館らしい演出です。



■窓枠は木製で白色に塗られ、窓の大きさや分割の仕方がそれぞれ違うのが面白いところです。





■こちらの窓は縦長で、両開きタイプのようです。


刈谷市郷土資料館/旧亀城尋常高等小学校本館(愛知県刈谷市)

2012-12-09 | 西三河の近代建築

名鉄刈谷市駅のすぐ西、旧上天温泉と竹内産婦人科のある御幸町からさらに北西へ向かうと、刈谷城跡のある城町があります。
刈谷城跡のすぐ東側にある亀城(きじょう)小学校の校舎の南側に、大中肇の代表作として知られる旧亀城尋常高等小学校本館が刈谷市郷土資料館として再利用され保存されています。
大中の作品は表現主義的作風で知られていますが、この建物は大中肇流の表現主義を体現したもので、彫の深い装飾が施された「かたまり感」のあるデザインは、まさに大中ワールド全開です。
また旧本館の東側にあった講堂は、旧本館よりもさらに装飾性の強い大中流表現主義の代表作と言えるものでしたが、惜しくも1986年に取り壊されました。
在りし日の講堂の姿が白半建設さんのHPでご覧になれます→http://www.hakuhan.com/profile2/

建物の構造は、柱や梁、外壁を鉄筋コンクリート造、屋根は瓦葺きの木造とした鉄筋コンクリート造の初期の構造で、1920年代(大正末~昭和初)の愛知県の地方都市では多く見られる手法です。
屋根を木造の瓦葺きにするのは理由があり、現代では鉄筋コンクリート造のビルの屋上は平面(陸屋根)なのが当たり前ですが、当時は防水技術が未発達で工事が大変だったため、費用も安く工期も短くできる従来通りの瓦葺きの屋根が採用されたようです。

建物の平面は南側に教室、北側が廊下の「片廊下式」と呼ばれるもので、現在の学校もほとんどがこの配置になっています。
直接関係のない話ですが、学校の教室は冬場の南の窓側はぽかぽか天国、北の廊下側はツンドラ地帯で、まさに席替えが運命の分かれ道だったのが思い出されます。(わたしの時代は暖房が無かったので、冬場の席順はみんなの一大関心事でした)

◆刈谷市郷土資料館(旧亀城尋常高等小学校本館)/愛知県刈谷市城町1-25-1
 竣工:昭和3年(1928)
 設計:大中肇
 施工:岡本宇吉・杉浦惣太郎
 構造:鉄筋コンクリート造地上2階
 撮影:2012/10/08
 ※国指定登録有形文化財


■外観は左右対称凹型で、正面中央に玄関車寄、両翼は屋根の妻面を見せ手前に張り出し強調するバロック建築風



■東翼妻面外観~軒、柱頭、腰壁などにシンプルな幾何学模様の装飾を施す。
柱を強調したデザインで、2階部分には亀城の「キ」の文字が浮き彫りになっていて、大中肇の遊び心を感じます。





■正面玄関車寄~中央の小さな二つの窓がかわいい



■玄関入口~ホールの奥に見えるのは中央階段



■旧本館の説明立て看板と登録有形文化財のプレート



■玄関ホール~鉄筋コンクリート構造を示す柱を結ぶ天井の大梁が良く分かります



■中央階段~親柱のデザインに注目
 


■中央階段吹き抜けと東側2階廊下を望む



■中央階段照明



■2階廊下~大きな窓の上部には欄間を設け採光・換気に配慮しています



■東階段
 


■当時の教室が再現された展示室



■黒板にも装飾が



■昭和30年代の再現展示~最近の昭和ブームで昭和30年代の暮らしを展示する郷土館・博物館が多くなりました



■懐かしの「昭和のおもちゃ」コレクション



今回昭和3年に建てられた旧刈谷小学校本館を訪れて、小学校が白くて四角いトーフ建築になる前の、まだ学校建築に生き生きとした個性が存在した大正~昭和という時代の良さをあらためて感じました。
最近は公立の小中学校も個性のある校舎が増えてきたようで、鉄筋のトーフから木造に建て替えるケースもあるようです。
時代は繰り返すとはよく言ったもので、経済性と効率性重視ではなく、子ども(人間性)重視の校舎がこれからもどんどん増えて、現代版旧亀城小学校のような個性的な小学校の校舎も増えると良いですね。 
ちなみに私の通った小学校は戦前に建てられた木造校舎で、玄関の丸窓やワックスの匂いのする古い板張りの廊下、木製の手摺のある広い階段などが大好きで、卒業と同時に鉄筋の校舎に建て替えられた時はすごく残念で、寂しかったのを今でも良く覚えています。

 

 


旧上天温泉(愛知県刈谷市)

2012-12-02 | 西三河の近代建築

今回は7年ぶりに愛知県刈谷市の近代建築を訪れました。刈谷市の主な近代建築は、大正~昭和初めにかけて刈谷を中心に活躍した大中肇という建築家が設計したもので、刈谷市郷土資料館(亀城小学校旧本館)、旧上天温泉、竹内産婦人科医院が現存しています。

名鉄三河線刈谷市駅を下車、駅前のロータリーから西へ3分ほど歩いた御幸町に旧上天温泉があります。現在はファサードから脱衣場部分まで建物一部が現存していますが、建物の外観だけを見てこれが85年前に建てられた銭湯だと分かる人はまずいないでしょう。建物正面のデザインはかなり個性的というか、インパクトがあります。ファサードはゆるやかな半円を幾何学的に分割した窓で覆われ、建物上部中央には小さな塔屋がちょこんと飛び出ています。この手法は半円や塔をモチーフにした当時流行の表現主義風デザインを取り入れたもので、当時の地方都市刈谷では超モダンな銭湯だったと思われます。

外観のデザインもさることながら、旧上天温泉のもう一つの特徴は、当時の銭湯としては全国的にも珍しい鉄筋コンクリート造という最新の構造を用いていたところです。昭和の初め頃は、関東でよく目にする入母屋造りの和風銭湯が一般的で、洋風の外観の銭湯もほとんどは木造でした。わずかに関西では浴室のみ鉄筋コンクリート(脱衣場は木造)の銭湯は見られたようですが、銭湯をすべて鉄筋コンクリートで造ったのは当時としては大変珍しかったようです。関東大震災(大正12年)以後、学校や役所など公共の建物は鉄筋化が急速に進められましたが、昭和2年に地方都市の銭湯をすでに鉄筋で造っていた大中肇という建築家、どうもただ者ではないようです。

■大中肇とは~
愛知県刈谷市を中心に活躍した建築家。熊本県で生まれ福岡県立工業学校建築科を卒業、八幡製鉄所に就職後、明治42年愛知県営繕課建築技手になる。県営繕課では初期のRC造による学校建築など公共建築に多くに携わり、刈谷中学(大正7年)や刈谷高等女学校(大正13年)の設計・監督をしたのが縁で刈谷とのつながりができ、県営繕課を退職後刈谷市内に大中建築設計事務所を開設。大正13年から昭和10年代までに刈谷を中心に、碧南、東浦町などで多くの設計・監督に携わり、特に表現主義風のデザインが特徴。
※代表作品~亀城小学校本館・講堂、上天温泉、竹内産婦人科医院、山中従天医館、刈谷高等女学校、刈谷中学校、小高原小学校、富士松村役場など

■表現主義とは~
歴史主義からモダンデザインへの流れの中で生まれてきた新しいスタイルのひとつで、日本ではドイツ表現派の影響を受けて、大正9年(1920)に分離派というグループが生まれ、1920~30年代にかけて表現主義は公共建築を中心に瞬く間に建築界を席巻しました。


◆旧上天温泉/愛知県刈谷市御幸町1丁目215
 竣工:昭和2年(1927)
 設計:大中肇
 構造:RC造1階建、塔屋付き
 撮影:2012/10/08


■建物は凸形で天井の中央部分を高くして、換気と採光のための高窓を設けています



■壁面のアーチ部分には右から「上天温泉」の文字が浮き出ています



■壁面の随所に幾何学模様の装飾が施されています
 

 


岡崎信用金庫資料館/旧岡崎銀行本店(愛知県岡崎市)

2012-05-23 | 西三河の近代建築

岡崎建築散歩~その8

 岡崎の近代建築探訪もいよいよ最後、トリを飾るのは岡崎信用金庫資料館(旧岡崎銀行本店)です。建物は国道1号線厚生通南2丁目の交差点を北へ入った所、人通りも少ない静かな旧東海道沿いの角地に、大正6年に建てられた赤煉瓦と白御影石のクラッシクな銀行建築がひっそりと建っています。
 
 設計はこのブログでも毎度おなじみ、当時名古屋高等工業学校教授鈴木禎次。鈴木は明治39年名古屋高等工業建築科(現名工大)の教授として赴任、大正11年退官後も名古屋に建築事務所を構え、愛知県内に数多くの作品を残しており、三河地方でも半田の中埜銀行本店や旧中埜家住宅などの作品が現存しています。
 
 建築様式としては、古典様式にゴシックを加えたクイーンアン様式を基にしたフリー・クラッシクと呼ばれる様式で、東京駅に代表されるいわゆる「辰野式」の銀行建築です。鈴木禎次は辰野金吾の教え子で、師匠の白の御影石と赤煉瓦で構成する「辰野式」の特徴を基本にしながらも、時代の流れに敏感に反応し、当時流行のセセッション様式を随所に取り入れ一味違った作品に仕上げています。


◆岡崎信用金庫資料館(旧岡崎銀行本店・旧岡崎商工会議所)/愛知県岡崎市伝馬通1-58
 竣工:大正6年(1917)
 設計:鈴木禎次 
 施工:志水組
 構造:煉瓦造2階建(内部はRC造により補強)
 撮影:2012/04/29
 ※国登録有形文化財
 


■南側正面外観~赤煉瓦と白御影石が特徴の「辰野式」、塔やドームが華やかな印象を与える



■正面玄関周り
 玄関上部には古典様式の円柱を配置するが、セセッション様式を取り入れた細部は簡略化され平面的な幾何学的デザイン



■南東角外観~辰野式の特徴である塔を頂く



■南面西側外観~2階窓上部のアーチとキーストーンは当時流行のセセッション式デザイン



■西面外観~西側玄関が資料館の入り口として使われている




当日は休館日で館内の展示が見られないのは残念でした。(資料館詳細→岡崎信用金庫資料館HP

東三河の豊橋と西三河の岡崎は、近代建築の質と量でも東西の横綱です。
今年の7月には東公園に昭和初期に建てられた本多忠次邸が移築され公開される予定です。
スパニッシュ様式の瀟洒な洋館で邸内の見学も可能とのこと、これは私的には必見です。
次回は本多邸見学がてら、ゆっくり岡崎の町を散策したいものです。
(今回はちょっと欲張りすぎて一日自転車こぎの強行日程で大変でした) 

 


旧額田郡物産陳列所(愛知県岡崎市)

2012-05-22 | 西三河の近代建築

岡崎建築散歩~その7

 旧額田郡物産陳列所は現在旧公会堂の裏手(北側)に隠れるように建っていますが、竣工当初は旧公会堂の北側、現在せきれいホールの建つ位置に南向きに建てられていました。昭和36年勤労会館(現せきれいホール)建設に伴い、現在地に北向きにして移築されました。

 建物外壁は公会堂と同じようにコーナーや窓廻りを枠取りした横板張りですが、東西と正面両翼の妻面にハンマービーム(注:1)を用い、スティックスタイル(注:2)を基調とした軽快な外観になっています。 

(注:1)中世イギリスの小屋組みで用いられた壁面の頂部から室内に突き出た短い梁。室内はより高く開放的になる
(注:2)アメリカの住宅様式で、本来は構造体である木骨(軸組)を化粧として建築物のファサードのデザインに取り入れたもの 
 

◆旧額田郡物産陳列所/愛知県岡崎市朝日町3-36-1
 竣工:大正2年(1913)
 設計:吉田榮蔵(愛知県土木技手)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/04/29
 ※国重要文化財

 〈参考資料〉岡崎市郷土館パンフレット
 






■公会堂のルネサンス様式とは対照的なスティックスタイルを採用
 切妻屋根の妻壁の半円アーチや持送り、四葉のクローバー型の採光窓などかなりおしゃれな外観です




旧額田郡公会堂(愛知県岡崎市)

2012-05-20 | 西三河の近代建築

岡崎建築散歩~その6

 六供浄水場から南へ、岡崎市民会館の前を通り伝馬通りを東へ向かいます。国道1号線沿いに建つ岡崎市役所東庁舎のすぐ東側に、国の重要文化財に指定されている旧額田郡公会堂と旧物産陳列所があります。 旧額田郡公会堂と物産陳列所は岡崎市郷土館として再利用されていたのですが、今回訪れてみると老朽化のため平成22年から閉館になっていて、内部の一般公開は中止になっていました。

 建物内部が見られないのは残念でしたが、重要文化財に指定された建物だけに保守管理がしっかりとできているためか、外観は比較的良い状態で維持されているようでした。内部の修理や耐震補強なども早急に行い、国民の財産である重要文化財として末永く保存活用する手立てを望みたいと思います。


 
■中央玄関扉に貼ってある郷土館閉館のお知らせ



■隣接する作業棟(旧看守室)~規模を縮小して写真パネルや棟札などが展示されていました


 建物は木造平屋建、桟瓦葺で講堂を中心に全面中央に玄関を設け、東西両翼に控室と貴賓室を張り出したE字型平面で、大正2年創建時の姿をとどめています。大正から昭和初期にかけて、全国各地で大きな集会施設が建てられました。規模は違いますが大阪中央公会堂(大正7年)や名古屋市公会堂(昭和5年)もこの時期に竣工しており、一地方都市の旧額田郡公会堂は大都市と比べてもかなり早いものであったと思われます。
 
 この時期地方の本格的西洋建築は珍しく、施工にかかわった地元の大工や左官、石工が、細部にわたり忠実に西洋の様式を取り入れようと試行錯誤し、情熱を注いだ姿がルネサンス様式の建物から伝わってきます。特にポーチ周りや妻のレリーフ、内部の漆喰塗りの天井飾りや舞台のアーチなど、当時の左官職人の匠の技が随所に光ります。このような国内最初期の郡立の公会堂、物産陳列所建築がそろって現存する例は極めて珍しく、門柱も当時の姿のまま残っています。 

◆旧額田郡公会堂/愛知県岡崎市朝日町3-36-1
 竣工:大正2年(1913)
 設計:吉田榮蔵(愛知県土木技手)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/04/29
 ※国重要文化財




■中央には半円形の妻がのる玄関ポーチ、両翼前面の妻壁には三角ペディメントを設ける



■玄関ポーチ周りにも軒蛇腹や手摺飾を設け洋風意匠を演出



■中央玄関正面の櫛形ペディメントにはスタッコのレリーフ装飾、講堂部分の寄棟屋根には棟飾の金物が巡る
 


■西翼の旧貴賓室~軒下は漆喰塗、窓上端より下を横板張り、窓より下の腰部分は竪板張りにし、窓廻りやコーナーをフレームで枠取ります





■東翼の旧控室~切妻前面の三角破風を強調したペディメントに施されたレリーフ(浮彫り)





■東翼の控室脇にある通用玄関~持送りの金物は植物をモチーフにしたデザイン
 


■講堂内部~漆喰塗の大壁や天井飾り、演壇背後の壁面のドリス式円柱と楕円アーチ、小壁の花房飾りなどに左官職人の技が冴えます
 (撮影:2006/05)


 
■公会堂と同時に造られた門柱が今も残されています 


岡崎市水道局六供浄水場ポンプ室・配水塔(愛知県岡崎市)

2012-05-19 | 西三河の近代建築

岡崎建築散歩~その5

 八丁味噌カクキューを後にして市の北部へ向かい井田町の北部公会堂へ。ところが到着してみると公会堂は跡形もなく、きれいさっぱり更地になっていました。う~ん、やっぱり6年の月日は町の姿を変えるには十分ですね。今回早くも3件目の取り壊し確認になってしまいました。

 公会堂跡の更地を確認後南へ戻り、次に目指すのは水道局の六供浄水場です。浄水場は小高い丘の上に建っているので自転車での登りはかなりきついです。前回訪問はちょうど6年前、平成18年5月3日の連休中の祭日にもかかわらず正門は開いていて、インターホンで見学希望の旨を伝えると、事務所で所定の書類に住所氏名を記入した後、自由に敷地内での見学撮影ができました。今回もひょっとしたらという淡い期待もありましたが・・・
 
 浄水場入口に到着してまず目に入ったのは、前回訪問時にはなかった正門に続く坂の下の新たなゲートと、関係者以外立ち入り禁止の看板です。最近はどこの浄水場でも一般人の立ち入りを禁止していて、6月の水道週間など期間を限定して一般公開している施設がほとんどなので、今回はあまり期待をしていなかったのですが、やっぱりダメでした。六供浄水場も他の浄水場同様、ゲートにしっかりと鍵をかけ、とても入れる雰囲気ではありません。今回は早々に敷地内の見学はあきらめ、配水塔とポンプ室の現存を敷地外から確認して浄水場を後にしました。
 


■新たに設けられたゲートと立入禁止の看板~ゲートにはしっかり閂がかけられ人の気配もありません



■敷地外からポンプ室(向かって右)と配水塔を撮影



■時代とともに変わり行く町並みを見守り続けた古い配水塔、これからも市民の日常の風景としてずっと変わらずにいてほしいものです
 (撮影:2012/04/29)


◆岡崎市水道局六供浄水場ポンプ室/愛知県岡崎市六供町西二本木28
 竣工:昭和8年(1933)
 設計:市臨時上水道部(担当・黒木)
 施工:伊藤正次(請負人) 田中昌司(ステンドグラス)
 構造:RC造平屋建、一部地下1階
 撮影:2006/05/03

※今回は敷地内での撮影ができなかったため、前回訪問時に撮影した画像を使用しました


■ポンプ室全景
 外壁は薄茶色のタイル貼り、コーナーや軒先はすべて丸みがつけられ、窓の両脇の柱型やコーニスが垂直性や水平性を強調した表現主義的デザイン


 
■出入り口両脇の窓に設けられたステンドグラスと窓上部の葉紋のレリーフの装飾テラコッタ



■西側正面出入り口



■出入り口上部のテラコッタ


◆岡崎市水道局六供浄水場配水塔/愛知県岡崎市六供町西二本木28
 竣工:昭和9年(1934)
 設計:市臨時上水道部直営
 施工:伊藤正次
 構造:RC造
 撮影:2006/05/03


■配水塔全景
 屋根はドーム形で外壁下部は花崗岩板貼り付け、その上部はモルタル仕上げで大石貼りに見せた目地を切っています
 円筒形の塔の正面には角形の階段室が取り付き、最上部は半円形にして塔の上まで突出して垂直性を高める表現主義的意匠
 軒回りはコーニスをめぐらし、最上階には縦長の窓が一周して外観の特徴になっています



■配水塔出入口



■出入り口上部の銘板
 昭和9年4月28日 内務大臣山本達雄の銘が入る
 「汪水沾洽」は水が十分に潤うようにという意味らしい
 


八丁味噌カクキュー本社事務所(愛知県岡崎市)

2012-05-16 | 西三河の近代建築

岡崎の建築散歩~その4

美合の県立農業大学校を後にして自転車は北西へ、岡崎城方面へひたすらペダルをこぎます。
普段自転車はよく乗っていますが、今回は変速機がないレンタサイクルなので、こぐ割にはなかなか進まず思ったより疲れました(汗)
目指すは名鉄岡崎公園前駅、愛知環状鉄道中岡崎駅のすぐ西、矢作川に近い八帖町にあるクキュー本社です。
八帖町には江戸時代の初期に開業した老舗の「カクキュー」と「まるや」があり、現在も特製の豆味噌(八丁味噌)を作り続けています。

昭和2年竣工のカクキュー本社事務所の建物は、敷地の東側正門に接して2棟並んで建っています。 
すぐ前が駐車場になっていて、訪れた4月29日は連休真っ只中ということもあり、たくさんの観光客の皆さんが車で訪れていました。 
建物は東面して南北に並んでいて、南側が事務所、北側が応接室や倉庫として今も大切に使われています。

外観は教会堂のように山型に中央が高く、濃茶色(八丁味噌の色?)の下見板と白く塗られた太い柱のコントラストが見る者に強い印象を与えます。
外部に見える太い柱は構造材ではなく、柱型に板を貼り箱型にしたもので、建物の縁取りやコーニスも白塗りにし、垂直線と水平線を強調したゴシック建築を思わせる力強いデザインになっています。
また事務所の西側には明治40年建築の味噌蔵が「資料館・八丁味噌の郷」として内部を改装し、一般に公開されています。
本社事務所、本社蔵(資料館)はカクキューのHPでご覧になれます。

◆八丁味噌カクキュー本社事務所/愛知県岡崎市八帖町往還通69
 竣工:昭和2年(1927)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/04/29
 ※国登録文化財 
 









愛知県立農業大学校講堂追進館(愛知県岡崎市)

2012-05-13 | 西三河の近代建築

岡崎の建築散歩~その4

正門を入ってすぐ左手、追進資料室の南側に愛知県立農業大学校講堂「追進館」があります。
建物は北側を正面として建つ東西に長い木造平屋建で、正面中央には切妻屋根の玄関ポーチが張り出しています。
外観はシンプルな追進資料館に対して、下見板の外壁を濃茶色、玄関ポーチと窓枠や横框を白色に塗り分けてあるため、濃淡のコントラストが印象的で、軽快でモダンな外観に仕上がっています。

◆愛知県立農業大学校講堂追進館(旧愛知県追進農場講堂)/愛知県岡崎市美合町並末1-2
 竣工:昭和10年(1935)
 設計:愛知県建築部営繕課
 施工:坂田組
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/04/29



■北側正面外観~正門を入ってすぐ左手、追進資料室の南側に建つ



■切妻屋根の玄関ポーチ~両脇の柱は一見太く見えるが、L字型に配した3本の柱の間に羽目板を入れ1本の太い柱に見せている



■妻壁の中央にはガラリ(通風のためブラインド状の桟を固定したもの)風の装飾と両端に幾何学装飾が施される


 
■向かって右手の柱の看板には、連続テレビ小説「純情きらり」ロケ地の表示があります
 岡崎はNHKの朝ドラ「純情きらり」(2006年放送)の舞台になり各地でロケが行われました(主演:宮崎あおい)
 →純情きらりロケ地ガイド



■北東側外観~屋根は切妻の頭を切った半切妻形状



■南東側外観~濃茶色と白色のコントラストが印象的で、当時流行の表現主義風のデザイン



■講堂内部~東側の窓から撮影
 室内には張り出した柱と山形トラスが一体となった架構部分が露出している
 一番奥(西側)のステージ裏には天皇巡幸の際に使用された貴賓室も残る
 


愛知県立農業大学校追進資料室(愛知県岡崎市)

2012-05-12 | 西三河の近代建築

岡崎の建築散歩~その3

旧愛知二中講堂の現存確認後、東へ向かい美合町にある愛知県立農業大学校を訪れました。
農業大学校の前身は国立愛知種馬所(明治43年)に始まり、その後愛知県種畜場(大正12年)、追進農場(昭和9年)、戦後になって追進営農大学校(昭和45年)を経て昭和59年に現在の県立農業大学校に至っています。
名鉄美合駅のすぐ西側にある農業大学校のキャンパスには、追進農場時代に建てられた追進資料室(旧教室)と追進館(講堂)が現在も大切に保存されています。


◆愛知県立農業大学校追進資料室(旧愛知県立農業大学校教室)/愛知県岡崎市美合町並松1-2
 竣工:昭和16年(1941)
 設計:愛知県建築部営繕課
 施工:坂田組
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/04/29
  

 
■愛知県立農業大学校の正門


 
■正門を入るとすぐ右手にある案内図~現在地のすぐ上(北側)に資料室(旧教室)、南側に追進館(講堂)があります



■緑に囲まれた広大なキャンパス


 
■キャンパスの片隅の木立の中にひっそりと建つ追進資料室


 
■建物西側正面
 大正から昭和初の学校建築らしい木造下見板張りのシンプルなデザインで、戦時中に建てられたこともあり外観はいたって地味目です。
 屋根瓦は完全に和風ですが、窓枠を白く塗り、妻側にガラリ(通風口)を設け、腰板や下見板の間に塗り壁を入れることで変化をつけ、洋館らしさを演出しています。



■建物南東側からの外観



旧日清紡績針崎工場竜城学園講堂/旧愛知二中講堂(愛知県岡崎市)

2012-05-09 | 西三河の近代建築

岡崎の建築散歩~その2

駅前の服部記念館の現存を確認、岡崎駅東口前の道路を南へ向かい日清紡績針崎工場を目指します。
左手にファミリーマートがある針崎の交差点に到着、工場の入り口があるはずですが、そこには工場らしき建物は影も形もありません。
ファミリーマートがあるので場所は間違いないはずですが、6年前とあまりに風景が変わっているので、最初はとても同じ場所とは思えませんでした。
工場跡地は建売住宅の分譲地になったようで、道沿いには新築の住宅が立ち並び、中学校や健診施設なども建設中のようです。

交差点を左折して分譲住宅の方へ進むと道路沿いに案内板があり、住宅地のはずれの公園の一角に旧第二中学講堂の表記を発見!
いやあ~ ここまで来たかいがありました。
工場敷地内に保存されていた旧講堂は取り壊しをまぬがれ、分譲住宅地の片隅にその姿をとどめていました。



 
■2006年訪問時は上のような煉瓦造の古い倉庫や、木造のこぎり屋根の工場が広大な敷地に広がっていました。
(左端にファミマの看板がちょっとだけ確認できます)


 
■2012年4月29日現在の針崎の交差点~信号から向こう側一帯が日清紡の針崎工場でした
 交差点を左折して進むと左手には分譲住宅街、右手には建設中の中学校があります


 
■分譲地の中にある「春咲れんが公園」(針崎工場の煉瓦建築にちなんでのネーミングか?)を抜けると、住宅地のはずれに古い講堂らしき建物が見えてきます



■新築の住宅が立ち並ぶ一番奥に明治40年築の講堂がひっそりと建っていました



この講堂は明治30年に創立された愛知二中(現岡崎高校)の講堂として明治40年に戸崎町に建てられました。
その後、学校が明大寺町に移転、大正14年に日清紡績が講堂を買い取り針崎工場内の現在地に移築され、昭和23年からは工場付属の竜城学園の講堂として、体育の授業や式典などに利用されました。
建物は木造平屋建、寄棟造り桟瓦葺で、西面に玄関ポーチを設け、東面に奉安室として使われた後室が付きます。
外壁は下見板張りで縦長の上げ下げ窓を並べ、木骨部分の色を淡いピンク色に塗り分けてハーフティンバー風に仕上げて、明治の洋館らしい外観になっています。
現在は岡崎市の管理となっていますが、建物はかなり傷んできているので、早急に補修し末永く地域の文化財として保存されることを願います。


◆旧日清紡績針崎工場竜城学園講堂(愛知県立旧愛知第二中学校講堂)/愛知県岡崎市針崎町字カンジ46
 竣工:明治40年(1907)
 構造:木造平屋建
 撮影:2012/04/29




■建物西側正面~立ち入り禁止のロープがはられています


■建物北側と南側の屋根にはドーマー状の換気口?が付く



■櫛形アーチの入口上部には欄間が施され、破風には側面まで垂れ飾りが周る

■玄関ポーチ鬼瓦~太陽のようなデザイン






服部記念館(愛知県岡崎市)

2012-05-06 | 西三河の近代建築

■岡崎の建築散歩~その1

GWを利用して6年ぶりに岡崎を訪れました。
まずは名鉄東岡崎駅の岡崎市観光案内所でレンタサイクル(無料)をゲット、自転車の機動力を生かして東岡崎→JR岡崎駅周辺→ 県立農業大学校(美合)→岡崎市中心街~北部と一日で近代建築ローラー作戦を敢行しました。
今回は6年前に訪れた建物の現存確認と画像の更新を中心に、若干ですが前回カバーできなかった物件も探訪できればと思い岡崎駅目指して自転車を走らせました。

岡崎駅前に到着して前回訪問時と風景が一変しているのに驚きました。
2006年に訪れた時は東岡崎駅周辺に比べいかにも寂れた雰囲気で、駅周辺には古い商店や工場が点在し、時代から取り残された地方の旧市街地といった風情でした。
あれから6年、駅前通りは再開発され、ここ数年で建てられたと思われる真新しいホテルや商業ビル、住宅などが整然と並び、以前のちょっと懐かしい昭和の駅前の町並みはすべてリセットされ、全く別の町に生まれ変わっていました。
駅前にあった古い飲食店や旅館などはすべて跡形もなく、以前訪問時に確認した昭和初期の洋館「犬頭館」や木造3階建ての清風軒も姿を消していました。



 
なんとかお目当ての服部工業の表札のかかった門を発見
敷地内の古い社屋や工場はきれいさっぱりなくなり「暮らしの学校」という
健康やスポーツ、料理、趣味などの講座が受けられる施設に変わっていました



2006年当時の服部工業の様子~古い木造の事務所奥に記念館の建物が見えます


 
現在の服部工業~新しい建物の奥に見覚えのある建物を発見
以前に比べると外観も塗りなおされリニューアルされている様子








◆服部記念館(旧服部工業株式会社事務所)/岡崎市羽根町字若宮30
 竣工:大正15年(1925)
 構造:RC造2階建
 撮影:2012/04/29

地方では比較的早い時期の鉄筋コンクリート造の事務所建築。
真四角の立方体形状の建物ですが、壁面の付け柱や軒下の装飾に簡略化された古典様式の意匠が見られます。


旧上横須賀郵便局(愛知県西尾市)

2011-12-19 | 西三河の近代建築

西尾建築散歩 その7~旧上横須賀郵便局

名鉄西尾線上横須賀駅の西100mほどの所に昭和元年に建てられた旧上横須賀郵便局が残っています。
木造下見板張2階建、本瓦葺の入り母屋づくりの和風の建物ですが、窓、玄関廻りは洋風意匠を取り入れています。
正面に玄関が二つ並んでおり、その間の小さな前庭を囲う鉄製のフェンスと扉に施された、当時の逓信省の〒マークを入れたアイアンワークが見所です。

◆旧上横須賀郵便局/愛知県西尾市吉良町上横須賀宮前74
 竣工:昭和1年(1926)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/25




地方の郵便局としてはかなり大きな建物で、玄関が二つあるのは郵便局用と住居用でしょうか





鉄製のフェンスの上に小さな〇に〒マークの飾りが付いています



こちらは門扉に大型の〒マーク


愛知県立西尾高等学校武道場/旧西尾中学校武道場(愛知県西尾市)

2011-12-12 | 西三河の近代建築

西尾建築散歩 その6~愛知県立西尾高等学校武道場/旧西尾中学校武道場

名鉄西尾線桜町前駅を下車、北西に住宅街を10分程歩くと愛知県立西尾高等学校があります。
前身は西尾町立西尾高等女学校(大正7年開校)で、大正15年に旧制西尾中学校として設立されました。
校舎は地元民の寄付でつくられ、設計は地元の大中肇と伝えられていますが、当時の校舎は建て替えられ現存していません。
唯一同時期の昭和4年に建てられた武道場が残っていて、窓などはサッシに改修されましたが、現在も当時のまま大切に使われています。
外壁は鉄筋コンクリート造、小屋組みは木造と鉄棒を組み合わせたクィーンポストトラスという、この時期の鉄筋コンクリート造建築によく見られた構造になっています。

建物は校舎の北東、東側のグランドに面した一番奥まった所にあり、わたしの訪問時もグランドでは野球の練習試合が行われていました。
グランド脇で武道場の写真を撮っていると、先生らしき人から「OBの方ですか?」と声をかけられ、近代建築撮影の趣旨を説明すると快く西高の名が入った特注の屋根瓦などの説明をしてくださいました。
先生の話からも唯一残る旧制中学からの古い武道場が、西尾高校のシンボルとして大切に使われている様子が伝わってきました。
歴史のある建物は人それぞれの思いがそこに寄り添っていて、またその建物に出会うことで新たな思いをそこからもらえる、そんな近代建築の良さを再認識した一日でした。


◆愛知県立西尾高等学校武道場(旧西尾中学校武道場)/愛知県西尾市奥新田2-2
 竣工:昭和4年(1929)、昭和58年改修
 設計:大中肇(伝承)
 構造:RC造+木造平屋
 撮影:2011/09/25


建物南側外観~屋根は本瓦葺の和風ながら外観はセセッション建築の影響を受けた洋風建築




建物北側外観




建物西側~右手に出入り口が設けられている






西側屋根の立派な鬼瓦には西高と學の文字が刻まれ
建築時の地元の人々の学校に対する思いが伝わります




軒瓦も西高の文字が入る特注品




南側屋根の鬼瓦