かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

伴華楼(揚輝荘北園/千種区法王町)

2009-09-30 | 名古屋の近代建築

■伴華楼(揚輝荘北園内)/名古屋市千種区法王町2-5-21
 竣工:昭和4年(1929)
 設計:鈴木禎次、竹中工務店
 施工:竹中工務店
 構造:木造2階
 撮影:2009/9/21
 ※名古屋市有形文化財

揚輝荘は、松坂屋の初代社長伊藤次郎左衛門祐民によって開設された別邸。
敷地は一万坪の規模を誇り、昭和14年頃の配置図には洋風の伴華楼・聴松閣の他、日本庭園には茶室をはじめ多数の日本建築や、テニスコート・温室・弓道場が描かれています。
現在敷地は名古屋市に寄贈され、北園と南園に分断されましたが、都心部では貴重な庭園緑地として一般に公開されています。

伴華楼は、尾張徳川家から移築した座敷と茶室に、近代建築の巨匠、鈴木禎次設計の洋間を増築、「バンガロー」をもじって伴華楼と呼ばれました。
揚輝荘北園には伴華楼のほか、茶室の三賞亭、白雲橋、豊彦稲荷、円形野外ステージなどが現存しています。
南園には揚輝荘座敷と聴松閣が現存していますが、現在整備中で公開が楽しみです。




■伴華楼全景




■うろこ状の板貼りに石積みのハーフティンバー風外壁が、山小屋風の別荘らしい雰囲気を演出
 





■市松模様の煙突デザインが秀逸
 



■伴華楼玄関






 


■内部見学も可能(要予約)


旧昭和塾堂(愛知学院大学大学院歯学研究科棟)千種区城山町

2009-09-28 | 名古屋の近代建築

■旧昭和塾堂(愛知学院大学大学院歯学研究科棟)/名古屋市千種区城山町90
 竣工年:昭和5年(1935)
 設計:黒川己喜、尾鍋邦彦
 施工:志水組
 構造:鉄筋コンクリート造地上2階、地下1階、塔4階

愛知学院大学の西側の城山八幡宮の境内に、変わった形の塔が建っています。
八角錐の望楼のような塔を持つ建物は、青年の精神修養教育の施設としてつくられたもので、上から見ても横から見ても「人」という字に見えるように配置されています。
洋風建築に和風を加味した独特のデザインで、東山の給水塔とともに、本山、覚王山界隈のランドマークとして歴史的景観に寄与しています。
戦後は愛知学院大学歯学部研究棟として使われています。



■城山八幡宮の森の中にそびえる旧昭和塾堂



■城山八幡宮の高台に立地(案内図左下)



■八幡宮側の入り口



■西側(姫池通側)入り口
斜面に建つため1階部分が地下になり実質2階建











■塔屋正面全景(人の字のまたの部分が玄関)
塔の4階には神殿が設けられた



■塔頂部の望楼~丸窓が和の雰囲気



■玄関正面



■玄関側面~大きなアーチ窓が印象的



■玄関を中心に入母屋屋根の翼部が左右に開く





愛知学院大学楠元学舎第1号館(千種区楠元町)

2009-09-27 | 名古屋の近代建築

■愛知学院大学楠元学舎第1号館(旧愛知中学校本館)/名古屋市千種区楠元町1
 竣工:昭和3年(1928)
 設計:佐藤三郎
 施工:西村工務店
 構造:鉄筋コンクリート2階
 *国指定登録有形文化財


城山八幡宮のこんもりした森のすぐ東側に愛知学院大学があります。
キャンパスの正面の入り口には、大学案内のパンフレットの表紙にぴったりのツタの絡まるクラッシクな西洋建築がどーんと言った感じで建っています。
渋い茶色のスクラッチタイルの外壁に、玄関窓の連続アーチと2階部分までの列柱を配した外観は、現代的なビルが建ち並ぶキャンパスでは、歴史の重みを感じさせる貴重な存在です。
時代が変わった現在だからこそ、この建物が持つ重厚な存在感は輝きを増し、これからも学生の記憶の中にしっかりと刻まれていくに違いありません。




■学校建築特有の横長の建物





 
■大きなアーチが特徴の玄関車寄せ


 



■当時流行の表面がざらざらのスクラッチタイルが渋い
車寄せの装飾も見所



■付け柱の柱頭飾り



■玄関内部~廊下の入り口はアーチがきってあります




■建物東側~右端は新築部分





■門や塀にもアールを付けた当時のデザインがうかがえます


名古屋地方気象台本庁舎(千種区日和町)

2009-09-23 | 名古屋の近代建築

地下鉄の本山駅を下車して北へ10分ほど歩き、住宅街の急な坂を上ると白い塔とドームのある建物が見えてきます。
大正から昭和にかけて流行ったセセッション風の幾何学模様の装飾のある塔は、観測用の機器を設置するためのもので、現在も風向、風速の観測が行われています。
現在も使われている大正時代の気象台は全国的にも希少で、少しでも長く現役でがんばって欲しいものです。

■名古屋地方気象台本庁舎/名古屋市千種区日和町2丁目
 竣工:大正12年(1923)
 構造:鉄筋コンクリート造1階建







■周囲の影響を受けないように観測用の機器は高い塔に設置されています
 大正~昭和にかけて多用された幾何学模様のモチーフは近代建築の見所のひとつ


■玄関ポーチの鋳鉄製の飾りにもひし形を発見


気象台のある高台を西に下ると、次の目的地の愛知学院大学です。



名古屋市東山植物園温室前館(千種区田代町)

2009-09-22 | 名古屋の近代建築
動物園に隣接して東山植物園があります。
家族連れでにぎわう動物園とは対照的で、静かな環境の中で緑に囲まれてゆっくりと散策できます。
広い敷地には多くの種類の草花や樹木が植えられていますが、やはり植物園のシンボル的存在は全面ガラス貼りの大温室です。
開園当初からの温室前館の5棟は、名古屋市内に現存する最も古い鉄骨造の建造物として、国の重要文化財に指定されています。

●名古屋市東山植物園温室前館(国指定重要文化財)/愛知県名古屋市千種区田代町字瓶杁1-41
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:名古屋市建築課・大倉土木
 施工:北川組・大倉土木

■温室前館全景
 中央の大温室を中心に5棟の温室が一直線に配置されている 

■入り口脇の重要文化財指定プレート


■中央ヤシ室
 背の高い熱帯の樹木が栽培されているので天井が高く、カマボコ状の傾斜がついている




■中央ヤシ室入り口


■前室(A~E)の背後にはF~Jの温室が増築され、世界の植物めぐりができる


■熱帯の樹木が生い茂る中央ヤシ室


■開園当初からの植物も健在


■当時は珍しかった電気溶接によってつくられた鉄骨


■洋風庭園らしい雰囲気が漂う


■開園当時のまま残る豆タイルによるタイル画


■中央ヤシ室側面


温室を見た後は植物園をゆっくり散策しながら星が丘門へ。
東山公園は地下鉄の東山公園駅すぐの動物園正門と、星ヶ丘駅が近い植物園の星が丘門があるので、公園の通り抜けができて非常に便利です。
 この後は地下鉄に乗って本山界隈の近代建築をめぐります。
 ~~~To Be Contineu~~~

東山動物園の近代建築(千種区田代町)

2009-09-21 | 名古屋の近代建築
連休でにぎわう東山公園を訪れました。
東山公園には動物園と植物園があり、昭和12年(1937)の開園以来現在も多くの人々に親しまれています。
私も子供のころは親に連れられ、最近では自分の子どもを連れて、親子二代で大変お世話になりました。
連休中日の今日も、大勢の家族連れで檻の前は黒山の人だかりですが、私のお目当ては開園当時から現在も残る動植物園の近代構造物です。

○東山動物園/昭和12年(1937)開園/施工:北川組

■正門を入るとすぐに開園当時からの中央噴水があります。
 公園工事に携わった北川組の130年記念誌に、当時の工事関係者がこの噴水の前で記念撮影した写真が載っています。


■古代池の3体の恐竜模型も当時のまま残っています。
 70歳を超えた下の恐竜は歳には勝てず、手の骨折をなんとか木で支えながらがんばっています。






■ペンギン島


■北極熊舎


この他にもライオン舎など改修はされていますが、基本的な構造は開園時のままの施設が多数現存しています。
昭和、平成と70年の時を刻んできた動物園ですが、今度私が訪れる時は孫を連れて親子3代になっていることでしょう。

僕の昭和歌謡曲史/泉麻人

2009-09-13 | 
■僕の昭和歌謡曲史/泉麻人/講談社文庫/2003年
 定価571円→買価105円



 著者の泉麻人氏とは歳がひとつ違いで、昭和40年~50年代の同時期に青春時代を送っているので、彼の書くエッセイは親しみやすく、大好きな作家のひとりです。
 「僕の昭和歌謡史」も我が青春時代の思い出の歌謡曲がほとんど網羅してあり、私たちの世代には、まさに「かゆいところに手が届く」エッセイになっております。
 著者の幼少時代の昭和36年から30代前半の平成元年にわたりヒットした、昭和を代表する歌謡曲を当時の世相も交えながら軽妙な語り口で語ってくれます。また見逃せないのが、おまけ的に著者好みの歌謡曲をとりあげた「マニアのためのボーナストラック・この歌についてもひと言いいたい!」のコーナーで、その知識たるや「すごい!」のひと言です。とにかく昭和30年~50年代の音楽、TV、ラジオ、出版関係を語らせたらこの人の右に出るものはなく、ヒット曲にまつわるエピソードも思わず「あった、あった」とにんまりしながら大きくうなずいてしまいます。
 昭和の名曲とともに読者の青春時代も思い出させてくれる、昭和と言う時代への熱い思いが伝わる著者ならではの名エッセイです。

つんつんツノダのテーユー号

2009-09-09 | まちかどの20世紀遺産

皆さんはツノダのテーユー(TU)号と言う名の自転車をご存知だろうか?
最近古い自転車屋さんで、テーユー号のホーロー看板を見つけ、ツノダの懐かしいCMソングがよみがえりました。
ツノダは愛知県小牧市に大正14年に創業された老舗の自転車メーカーですが、昭和30年代生まれの私たちの世代にとっては、あの「♪つんつんツノダのテーユーごー♪」のTVCMソングは忘れられません。
このCMソングは昭和25年頃からラジオで流れていたようですが、子供向けのサイクリング車のTVCMが昭和40年代に放映されるや、その親しみやすいメロディーと歌詞で、CMソングはたちまち子どもたちの間に広まりました。
いかにそのCMソングのできが良かったかと言うと、あれから40年たった今でもフルコーラス歌えてしまうと言う事実がそれを証明しています。
ちなみに私の覚えている歌詞は
「♪つつんつツノダ、つつんつツノダ、つつんつツノダのテーユーごう~
 ママとパパ、アナタとワタシ、キミとボク、みんな~つんつんツノダのテーユーごう~♪」というもので、
「つつんつツノダ」と「つんつんツノダ」のフレーズはもう何も言う事はありません。

 


■自転車のスポークにTUのマーク

 


■テーユー号の分割式大型看板

 


■小屋の壁をホーロー看板で補強しているかのようです。
 私が中学生のとき乗っていた丸石自転車の看板もあります。
2009/8/23(江南市)

 

 


鳥居のマークは立○○お断り

2009-09-08 | まち歩き

 古今東西なぜか立小便のしやすい場所があるようで、この場所も尿意をもよおした人々をひきつけるオーラを発散しているようです。
 長年の攻撃にさらされた神社の石柱は茶色く変色し、隣の白い柱と比べるとその威力は一目瞭然、金属製の放尿お断りと鳥居マークの特注看板に町の総代の苦労がしのばれます。
 しかし神社の境内で立小便をするとは、世の中には神をも恐れぬばちあたりがいるものです。


2009/8/30(岐阜市)


将棋・碁盤専門店

2009-09-07 | まち歩き
 金華山の西側、稲葉神社界隈の昔ながらの街並みで「碁盤」専門店を見つけました。
 看板には王将、碁盤専門店、製造と修理「かめや碁盤店」とあります。
 まだ営業しているのかどうか分かりませんが、将棋や囲碁が庶民の娯楽の王道だった昭和の昔を物語るレトロな商店です。
 私が小学生だった昭和40年代は、将棋の駒や碁石はどこの家庭にもあり、子どもたち(特に男子)の室内遊びの定番でした。
 五目並べや本将棋葉もちろん、挟み将棋や山くずし(盤の中央に将棋の駒を山形に積み、音をさせないように駒を取る遊びで、駒の種類により点数が異なる)などの子供用のゲームは、外遊びができない雨の日にはトランプとともに私たちを楽しませてくれました。
 TVゲームが全盛の昨今、今の小学生が将棋やトランプに接する機会は昔に比べ少なくなってきました。
 どこでも手軽にみんなで遊べる昔ながらのゲームは、ネットなどを介して一人で画面に向かってするゲームにはない面白さがあり、仲間や家族との触れ合いをより深めてくれるような気がします。


2009/8/30(岐阜市)

石原美術(岐阜県岐阜市)

2009-09-06 | 岐阜市周辺の近代建築

 戦前の木造の町屋が残る米屋町の町並に、唯一当時のまま現存する明治~大正期の煉瓦造の洋館建築です。
 赤と白に分割された煉瓦の外見も特徴的ですが、内部にはステンドグラスや中国製のタイル、暖炉など当時のまま残されています。
 竹のステンドグラスの作風などから、設計意匠に武田五一が関与したのではないかと言われています。

■石原美術(旧日下部合資会社事務所)/岐阜市米屋町24
 竣工年:大正2年(1913)
 設計:武田五一?(諸説有り)
 構造:煉瓦造屋根裏付き地上2階、地下1階
 




■3階の屋根裏部屋の張り出した窓が特徴的。
 2階の縦長の窓の上部にステンドグラスが見えます。


■縦溝の入った大理石の柱にイオニア式柱頭をデザイン化した立派な玄関


■玄関ホール
 階段のデザインには明治~大正の洋館らしさが漂います。


■玄関ホールのステンドグラス
 館内には玄関ホールの2箇所のステンドグラスの外に、菊や藤、ツバメやフクロウなど多数のステンドグラスが現存しています。(1階は画廊のギャラリーになっており、玄関ホールの見学撮影は快く許可していただけました)

竹をモチーフにした和を感じさせる清々しいデザイン


渦巻き模様が特徴的なこれも和風のデザイン


 岐阜市は美濃地方の中心地として古くから栄えましたが、明治の濃尾大震災と昭和の大空襲で壊滅的打撃を受け、戦前の近代建築は数えるほどしか残っていません。
 石原美術はその中でも名和昆虫研究所記念館と並び洋館らしい雰囲気を持った建物で、岐阜市の貴重な明治~大正期の近代建築として、これからも現状のまま末永く保存活用されることを願います。

 

 


岐阜公園の近代建築(6)~忠節用水の樋門群

2009-09-02 | 岐阜市周辺の近代建築
岐阜公園の北に、昭和初期に建設された忠節用水の樋門が現存しています。

■第一樋門
 平成6年にロボットに似せた形に全面改修されました。
 昭和初期の貴重な近代化遺産として、当時の面影が残っていないのは非常に残念です。


■第二樋門
 玉石入り鉄筋コンクリート製の立派な樋門で、上部の制御室も当時のレンガ製のまま残っています。
 下部の鋼鉄製門扉を上下させ用水の水量を調節し、洪水の時は扉を閉めて岐阜市内への浸水を防ぎます。


■分水樋門
 上部のレンガ製の制御室を顔に見立てて「ロボット水門」と呼ばれているそうです。
 上部のツノに見立てた金属製の△は後からつけたもののようですが、ロボットの顔になかなか愛嬌があります。
 個人的には全面改修された第一樋門に比べ、オリジナルを遺した改造は近代構造物の保存方法として好感が持てます。