二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

小さな力だけが大きな変化へとつながる

2008年10月31日 | 言葉のちから 心のちから
最初から大きく動かせなくても、少しずつ動かせばやがて…

「箸よく盤水を廻す」という言葉があります。

盤水とは、大きなお皿やお盆の中に水をはった状態です。その水を箸でかき廻したとき、最初のうちは箸の周辺だけしか水は動きません。しかも、小さな箸に比べて水の量は多いので、抵抗もかかって廻すのがとてもつらいはずです。

しかしながら、それでも廻し続けていると、やがて水の回転は周囲にどんどん波及し、皿にはった水全体が大きく廻りだします。

最初は、まったく効果がないという小さな力でも、やがて周りを巻き込むことで、大きな影響を及ぼすようになるということを示しています。

自分を変え、そして周囲を変えていく様子をとてもよく表した言葉です。最初はどんなに小さく平凡なことでも、その平凡の積み重ねがいつしか非凡を招きます。

それは、よいことばかりでなはなく、悪いことについても同様です。

『鍵山道場 人間力を磨く法則』 鍵山秀三郎 著


平凡な私にとりましては、心に留め置かなければいけない言葉です。

平凡なことは、とかく地味であり、成果がなかなか出ないものですが、それを信念と情熱を持って続けることが大切なのだということでしょう。

私の師匠は40年間、ハリの研究(臨床、基礎)一筋です。今もです。来年は傘寿のお祝いであるというのに、いまだその情熱は衰えることを知りません。宇宙から流れてきているような無限の鍼灸医学にかける情熱です。思うだけでなく、実践の中から真実を掘り起こしていかれます。無から有を生むというのでしょうか。

まだまだ、この道では芽が出たくらいの私ですが、平凡なことを情熱をもって継続してやっていきたいと思いました。 

平凡なことをコツコツやれることが、非凡なのかもしれませんね。

二葉鍼灸療院 田中良和
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星稜 練習試合 もうすぐ1年生大会

2008年10月30日 | 高校野球
10月26日(日)、久しぶりに星稜野球部の練習試合に行ってきました。あいにくの空模様で、途中、雨が強く降りましたが、両校の選手の日頃の心がけが良いのか、最後まで試合ができました。

練習試合

  星稜県立工業(石川)


第一試合は1年生チームが行い、第二試合はレギュラーチームが行いました。2試合ともにいいゲームができたと思います。

11月1日より1年生大会が始まります。今年の1年生の特徴は何と言っても投手でしょう。それぞれ違う個性をもった力のある投手が3人います。まだまだ、荒けづりだし、自分の才能をまだまだ内に秘めている感じがあります。この3人がそれぞれ力がついてくれば、プロではありませんが三本柱になると、私の期待も膨らみます。



もうすぐグランドから離れ、冬のトレーニングの時期に入ります。今年は私もいろいろ深く考えさせられた年でしたが、選手も何かをつかんだと思います。”何か”を持って冬のトレーニングに入るのと、持たないで入るのとはスタートラインが違ってきます。

選手には、グランドで動き回ることができる、「今」の時期に”何か”を掴んで、高い目標とモチベーションで単調練習の冬に力をつけてほしいです。



私も、さらにさらに勉強です

二葉鍼灸療院 田中良和
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芋を洗う ~松下幸之助さん~

2008年10月29日 | 言葉のちから 心のちから
まずは、私がお芋さんを洗ったわけではありませんのであしからず。

◎芋を洗う

このごろはあまり街中では見受けなくなったが、それでも、ときどき思わぬところで、昔懐かしい芋洗いの風景にぶつかることがある。

大きな木桶に芋をいっぱい入れて、その桶の縁に上がりこんだ若者が二本の丸太棒でヨイショヨイショとかきまわす。その力に押されて、芋は上から下へ下から上へ、そして右に左にと移動して、大芋小芋とりどりの姿が、現われては消え、消えては現われてくる。

上にあるものとても、いつまでも上にいるとはかぎらない。また下の芋も、いつまでも下積みでいるとは限らない。やがては上にあがってくる。下におりてくる。

何だか人生の縮図みたいである。人の歩みには大なり小なり浮沈がつきまとう。上がりっ放しもなければ、下がりっ放しもない。上がり下がりのくりかえしのうちに、人は洗われ磨かれていくのである。だから、たまたま上にいたとて、おごることは少しもないし、下にいたとて悲観する必要もない。要は、いつも素直に、謙虚に、そして朗らかに希望をもって歩むことである。

おごりの気持ちや悲観の心が出てきたとき、芋洗いの姿を思い出すのも、また何かの役にたつであろう。

『道をひらく』 松下幸之助 著より


私は芋洗いというもを見たことがないが、情景は想像できます。自然の理、原理原則を芋洗いで表現されています。いつでも素直で、謙虚で、朗らかに、希望をもってんん~大事なことです。

世界の皆様がこのような気持を持ち人生を歩めば、戦争や貧困なんて起きないのかもしれません。いや、どのような状況でも上記のような気持ちが持てれば”今が幸せ”と思えるのかもしれません。

まだまだ私の体にも皮がたくさん付いています
しっかり人生にもまれ、キレイになるまで磨いていかないとね

二葉鍼灸療院 田中良和
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東洋療法試験財団 学術講習会 参加 2

2008年10月28日 | 鍼灸
芦野先生の講演は、今までの、あはき法(法律)の歴史や、整体やカイロ、足裏マッサージなど無免許手技療法という法律上は違法である業種がなぜこのように世の中にはびこってしまったかという話であり、そのきっかけになった裁判、メディアの対応、さらに柔道整復師による免許外施術についてのお話がありました。



参考になったところを書いていくと~

~芦野先生の言葉引用~
○昭和22年に制定された「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」では、第1条冒頭に「医師以外の者で」とし、あん摩、はり、きゅう業を法的に医業の一部と位置づけることで、免許者に限り医業の一部を解除した各施術の業を許すとしたのである。従って、1条の各行為のみが法律上の施術となるため、これらを一括し「施術行為」、各免許者を総称して「施術者」という。

一方、国が公認しない種々の民間療法は、医業の一部とはならないため「医業類似行為」と総称され、法12条で「何人も、例え1条の施術を許されていても、医業類似行為を、業としてはならない」と規定している。
~引用終了~

鍼灸マッサージは医業であって、医業類似行為ではないということです。時々、鍼灸マッサージは医業類似行為だと勘違いされる方もいますが、法律にしっかりと規定されています。また、これを「医療類似行為」という間違った言い方をするからややこしくなるということでした。

法律の字句を、国語的に解釈するのではなく、法令用語として的確に判断することが大切だということです。例えば、「少年」というと国語的には「男の子」、法令用語では「19歳以下の子供」となります。また、日本では法律によらない官僚の通達・指導で行政が行われることがあるので、話がさらにややこしくなるとのことでした。世の中、単純、分かり易い、がいいですよね。

~引用~
○昭和35年の無免許電気治療の最高裁判決が誤った報道(新聞各社)により、危害を与えなければ医業類似行為を業と出来ると解釈された。→無免許あん摩・無免許指圧(カイロ・整体等)も医業類似行為と誤解され、この最高裁判決の誤報を根拠に拡がってゆく。

○医業類似行為のうち各種手技療法に関しては、法施行後に厚生省が調査を委託した東京医大・藤井尚久教授の答申書によって、カイロプラクティックが科学的な学理に基づいていることから、それを中心に各種の整体療法などは按摩やマッサージと同質に認められ、昭和30年それらは「指圧」の総称で施術行為に加えられた。~中略~従って、法律上の「指圧」とは、按摩と医療マッサージ以外の手技療法の総称で、単なる押圧や浪越氏の指圧療法のことではないので注意して欲しい。
~引用終了~

浪越氏とは、テレビ出演により指圧療法を一躍有名にした浪越徳治郎先生のことです。そのテレビ出演で指圧のイメージが定着してしまったことが、無免許者の違法な行為に困っていた厚生省にとっては都合がよく「カイロは按摩マッサージとは違うので、指圧とは異なるもの」と昭和45年に回答してしまい、以来カイロや整体は法律規定外のものとしてお墨付きを得てしまいました。

しかし、これは国語的な解釈であり、法律ではカイロや整体は「指圧」であり、免許を持たない限りできない施術行為なのです。「どこどこの認定」「外国のカイロの学校の認定」「どこどこのオステオパシーの認定」など言い出したきりがありませんが、都道府県知事、あるいは現在では厚生労働大臣の認可を得た免許がなければ本来は施術行為はできません。これは、巷に溢れる足裏マッサージや体に対して施術を行うすべての行為に対してです。すべて違法なのです。

新聞やテレビなどメディアの影響力というのは大きいです。間違いもあるかもしれませんが、正しいことを記事、報道してほしいと思います。巷に横行する整体やカイロ、足裏マッサージなど無免許者問題にしてもしかりです。これが資本主義経済、利益優先主義なのかもしれません。

私たち、免許者も無免許者を非難するばかりではなく、自分たちに医学的知識が足らないのではないか、技術的には患者さんのニーズに対応できているか、さらに人間的には施術者として、また、いち社会人としての行動ができているか考えなければいけないな~とお話を聴きながら思っていました。

長~~~~くなりましたが、まだまだ内容の濃い、勉強になる話を聴講できたと、快晴で野球日和の富山で思ったのでした。

二葉鍼灸療院 田中良和
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東洋療法試験財団 学術講習会 参加 1

2008年10月28日 | 鍼灸
10月19日(日)、天気、晴天。東洋療法試験財団と富山県鍼灸師会が共催で、学術講習会が行われましたので参加してきました。前日は、同じく富山県高岡市で8月に行われた(社)全日本鍼灸学会北陸支部学術集会の役員で集まり、反省会&打ち上げが19時半からありましたので、土・日、連続で富山に行ってきた、ということになります。

≪内 容≫
 ◎「リスク管理」 安全な鍼灸臨床の実現のために
    講 師:明治国際医療大学 加齢鍼灸学ユニット
        (全日本鍼灸学会 研究部 安全性委員会)
        江川雅人 先生

 ◎「無免許の手技療法はなぜ増え続けるのか」
    講 師:前厚生労働教官 横浜医療専門学校 
        芦野純夫 先生




江川先生のリスク管理の話をおおまかにまとめると~
①鍼灸の安全性に関する文献調査
 鍼灸治療での有害事象(事故)について、神経障害や気胸、お灸に関する文献考察と、有害事象の症例は、医師により西洋医学系の雑誌に報告されることが多く、今後は臨床における過誤が、鍼灸師にフィードバックされるシステムが必要とのことでした。

②鍼灸臨床におけるインシデントレポートの導入の試み
 インシデント…重大な事故に至る可能性がある事態が発生し、なおかつ実際には事故につながらなかった潜在的事例のこと。 いわゆるアクシデントの前段階のことです。これを2008年2月に起こった新千歳空港における無許可滑走事故の事例や、明治国際医療大学におけるインシデントレポートを導入した試みを話して頂きました。

意識するのと、しないのとでは事故の発生自体に差が出てくるだろうと思いました。私も日頃気をつけていることと、無意識になっていることがあり、反省しました。やっぱり勉強して刺激を受けないといけませんね。

③鍼抜き忘れの防止の工夫
 アンケート結果による、どこの部分の鍼抜き忘れが多いかなど、そして、それを防止するためのアイデアなどを話して頂きました。

④安全な鍼灸手技に関する考察
 米国ではCCAOM(現NCCAO)が提唱した衛生的な鍼施術方法が、カリフォルニアをはじめおおくの州で採用されているが、日本も日本独自の安全性に関する問題点を見出して、より安全に患者様に鍼灸治療を受けて頂くべきだというお話でした。

日々勉強、日々新たにですね。勉強会や講習会へ行き、一つでも得るものがあれば参加したかいがあるというものです。

二葉鍼灸療院 田中良和
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二宮尊徳さんの教え 2

2008年10月26日 | 言葉のちから 心のちから
サブプライムローンに始まる米国発の金融恐慌が大きな世界の社会問題となっています。もはや世界恐慌が始まっているということも言われており、年末から来年にかけて恐慌が日々の生活に実感するまでになってくるとの予測もあります。

日本を代表する金融機関が、焦げ付いたサブプライムローンをつくりかえた金融商品を証券としてもっており、その総額は15兆円にのぼります。これだけにとどまらず数百億円単位で日本あちこちの年金運用団体や業界ごとの共済組合なども分散して保有しているとも言われています。合わせて23兆円。このお金はほとんど返ってこないと思ったほうがよさそうです。困るの誰でしょうか。

サブプライムの問題はことの始まりで、各国、とくに米国の自分本位な金融制度、また資本主義経済、グローバル経済という名のもとに行われてきた偏った経済の仕組みの歪みが矯正される時がきそうです。

そこで、二宮尊徳さんのお言葉

☆多く譲れば多く返ってくるのが天理である

”世の中で富者が、みんな足ることを知らずに、飽くまで利をむさぼり、不足を唱えている。それはちょうど大人が湯ぶねの中に突っ立って、かがみもせずに、湯ぶねが浅すぎるぞと、怒鳴るようなものだ。望みにまかせて湯をふやせば、小さな子は湯に入れなくなる。だから自分が、かがまないのが間違いなのだ。

この間違いさえわかってかがみさえすれば、湯はたちまち肩まできて自然と十分になるだろう。世間の富者が不足を唱えるのは、これと何ら変わりはない。

この湯ぶねが、大人がかがんで肩につき、子供が立って肩につくのを中庸とするように、百石の者は五十石にかがんで五十石の余財を譲り、千石の者は五百石にかがんで五百石の余財を譲る。これを中庸というべきだ。もし町村で一人この道をふむ者があれば、人々はみんな分を越えた過ちを悟るだろう。

古語に「一家仁なれば一国仁に興る」というのはこのことだ。よく心得なければならない。

仁というのは人道の極地であるが、この湯ぶねの湯のようなものだ。これを手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちのほうへ来るようだけれども、みんな向こうの方へ流れてしまう。これを向こうの方へ押してみれば、湯は向こうへ行くようだけれども、やっぱりこっちの方へ流れて帰る。
少し押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのだ。仁と言ったり義と言ったりするのは、向こうへ押すときの名前で、手前にかき寄せれば不仁となり不義となるのだから、気をつけなければならない。

古語に「己に克って礼に復(かえ)れば天下仁に帰す。仁をなす己による。人によらんや」とある。己というのは手が自分の方へ向くときの名前だ。礼というのは、この手を相手の方へ向ける名前だ。

だから私はつねづね、奪うに益なく譲に益あり、これが天理だと教えている。”

『世界に誇る日本の道徳力
     心に響く二宮尊徳90の名言』 石川佐智子 著


仁・義・礼などの教えを湯ぶねに例えて、分かりやすく言葉にされています。

「奪うに益なく、譲に益あり」、現在の社会通念としての経済の仕組みとは全く逆と言ってもよい考え方です。

お金や経済が悪いのではなく、それを使う者の心が映し出されているのが現在の社会ということも言えるのではないでしょうか。お金は便利で社会をスムーズに循環させるのには素晴らしいアイテムだと思います。しかし、これを目的とする人が多かったり、自分だけが…という人が世の中に多くいれば、現在のような社会になってしまうのではないかと思います。自分は…振り返って反省

東洋の、日本の物事の考え方、捉え方には素晴らしいものがたくさんあります。先人に学び、正しい、明るい未来を創っていきたいですね

二葉鍼灸療院 田中良和
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今日の言葉

2008年10月19日 | 言葉のちから 心のちから
昨日、高岡(富山)にて会議、そして、今日は富山で勉強会。そんな朝にパッと開いた本の言葉。

◎わたしたちの心の姿勢がパワー、勇気、親切心、共感といったものに彩られていれば、環境がそれらの思いに対応する状態を映し出すことに気づくでしょう。もし心がひ弱で批判的で、妬み深く、破壊的であるなら、環境がそうした思いに対応する状態を映し出します。

◎思考は原因、状態は結果です。ここに善悪の起源の説明があります。思考は創造的で、自動的にその対象と関わります。これが宇宙の法則、引き寄せの法則、原因と結果の法則です。この法則の認知と適用が始まりと終わりの両方を決めます。この法則に導かれて、どの時代の人間も祈りの力を信じるようになったのです。聖書は「汝が信じるままに、それをあらしめよ」と簡潔に表現しています。

『ザ・マスターキー』 チャールズ・F・ハアネル 著


思考が、心が、人生を創造する。今日もこの素晴らしい空のような気持で一日を創造していきま~す

二葉鍼灸療院 田中良和
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『食』 電子レンジで「チ~ン!」

2008年10月17日 | 社会
現代は、たいへん便利な社会です。便利なのは良いことですが、何でも便利が良いのでしょうか。便利とは「つごうがよいこと」です。自分の目的を果たすため都合がよく、楽をできること、これが便利ということでしょう。

前置きは、これくらいにして、さて、電子レンジは今やどこの家庭にも存在するかもしれませんが、電子レンジがどんなものか考えたことがあるでしょうかどのようなシステムで温めたり、解凍されたりしてるか理解されて使用していますか

そこのところを少し考えていきましょう

○「電子レンジだけは使うな…」

あるお医者さんからの質問です。「知人が同窓会に出たとき某大手電器メーカー幹部の旧友が『電子レンジで料理したものは食べるな』と耳元で言ったそうです。メーカーはよほど危険なデータを持っているのでは?」。海外からも同じ質問が来ています。不安は国際的に深く広がっているようです。

○実験動物は全部死んだ!

「国際自然医学会」会長で、自然医療の草分け森下敬一博士に尋ねるといわく「電子レンジで調理したエサだけを与えた実験動物はみんな死んでしまった」。明らかに電子レンジ加熱でエサに有害なものが発生したはず。普通の調理は火力による熱伝導で食物は内部まで加熱され、調理される。ところが電子レンジは原理からまったく異なります。

○照射食品と原理は同じ

マイクロ波とは、エネルギーを持つ電磁波の一種。波動が分子を揺らし熱を発生させる。火力による「煮たり」「焼いたり」「蒸したり」する加熱調理とはまったく異なる。似たものに照射食品がある。ジャガイモなどに放射線照射して発芽をとめたり、ハーブなどの殺菌処理をする。これに世界の消費者団体は真っ向から反対しています。理由は「照射によって、分子が破壊されたり、未知の有害物質が生成される」という。

放射線のγ(ガンマ)線は、やはり電磁波の一種。マイクロ波との違いは周波数が高いということだけです。電子レンジ加熱調理は、基本的に照射食品と同じです。ミクロレベルの分子破壊、未知物質の生成…。それは、電子レンジで調理した料理を食べると直感します。なんともいえまずい。

○動物はレンジの水は飲まない

電子レンジで加熱した水と、普通の水を並べておくと、動物はけっして電子レンジの水を飲まないという。本能で危険を直感するのでしょう。「食物の細胞分子を破壊する」と指摘するのは栄養士の東城百合子氏。「もとの分子が切れてしまうと、料理を食べたとき分子は反動的に体内の酸素をつかみ、切れた分子をつなぐため、体の中は酸素欠乏を起こします」。「それが病気やガンの原因になる」という。

電磁波ですら世界に何万と有害論文がありながら、政府も企業も、いまだ認めようとしない。莫大な利益損失につながるからです。電子レンジにも同じことがいえるはず。かれらは”不都合な真実”は徹底的に隠蔽します。「実験動物が死んだ」事実は、何か有害なものが生成されたことを示します。

『知ってはいけない!? 消費者に隠された100の真実』 
                      船瀬俊介 著より


電子レンジの過熱は、マイクロ波により分子を振動させ熱を発生し調理します。その際、今ある正常な分子の状態を切断してしまいます。どんなに栄養価の高い食品でも、健康に良い食品でも、調理した時点で、見た目は変わらないが、まったく違う食品に変化しているということです。

タンパク質も糖質も、脂質も、そしてビタミンやミネラルもです。ましてや未知の物質が生まれるという。人より体の小さい動物実験でこんな状態です。これが蓄積したらどうなるのでしょう。小さい動物の死だからと侮ってはいけないんじゃないかと思います。

もとの分子が切断されてしまうと、体内に入り酸素とくっつき、体内が酸素欠乏状態になるということです。身体はエネルギーにより動きます。約60兆全ての細胞がそうです。そこにはミトコンドリアというエネルギー&熱(体温)発生装置があり、ここで糖質や脂質またはタンパク質をエネルギーに変換して人間を動かしています。その際に大きなエネルギーをつくるための必須アイテムが酸素です。酸素が欠乏すれば細胞が不活性となります。また、分子が破壊されるわけですから、ミトコンドリアでエネルギー&熱を作る際の影の力持ちである、ミネラルやビタミン、そこから生成されるシトクロムや、またコエンザイムQ10などの補酵素もうまくできなくなります。

そうなれば…身体の元から不健康になっていくのは目に見えます。

よく電子レンジを使われる方や販売に携わっている方はビックリするかもしれませんが、このような事実があるのも真実です。信じる信じないは別ですが

「電子レンジのチンは ”お経の終りに鳴らすチ~ンだ”」と言っている人もいます。いわゆる「ご愁傷様です」ということです。

昨今、中国からの輸入食品の農薬や毒物混入、輸入米による汚染米流通が世間を賑わしていますが、実は身近なところにも、意識しないところで「食」の不安、健康への不安因子が存在するということです。

健康をつくるのは、手間暇かけた、愛情のこもった手作りの温かい料理なのでしょう。そんな生活のできる社会に向かっていくと信じたいと思います。

二葉鍼灸療院 田中良和
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斎藤一人さん・・・面白い人!

2008年10月17日 | 言葉のちから 心のちから
先日、浅野川氾濫チャリティー100km歩行大会で「銀座まるかん」の販売店の方もスタッフとして参加されており、歩行者が少しでも元気になって頂けるようにと商品をもってきておりましたので、少し拝見。

この会社の創業者が斎藤一人さんです。1993年から長者番付トップ10に11年連続で入るという経歴の社長さんです。

名前は聞いたことありましたし、本屋さんでも名前は拝見したことありましたが「怪しいんじゃないの…」と食わず嫌いをしてました。これも縁なんでしょうね~、そのスタッフの人の話を聞いていて、すこし興味を持ち本を購入し読んでみました。

感想…「オモロイ人

○この時ツキがぐわぁーっと飛んで来ます!

この宇宙には、携帯電話、テレビ、ラジオ、無線などなど、数多くの電波が飛び交っています。たとえば、六チャンネルを見たいときには、テレビのチャンネルを六番に合わせます。このとき、テレビは六チャンネルの電波を受けるだけではなく、テレビからも「六番の電波はここに入ってください」という電波を出しています。

テレビから「六番ですよ」という電波が出ているから、テレビは六番の電波を受け取ることができるのです。

「ツイてる」という言葉も、それと同じです。
「今日、車こすれちゃってさ。でも、ほんのちょっとですんだから、ツイてるよ」
と言ったとき、最後の「ツイてるよ」という言葉から電波が出て、この宇宙を駆け巡ります。
すると「ツキ」が、「この人のところだ! それ行け!」
と言って、ぐわぁーっと飛んでくるのです。

ところが、「ツイてない」と、「ツイてないから、ツイてないって言ってんだ」と。
それでもいいです。でも、「ツイてない」という言葉から出る電波が、不運を呼んでしまう。
だから、たとえ、戦乱の世に生まれたとしても、
「俺、ツイてるよ。みんな弾に当たって死んだけど、俺には弾が当たらなくて、こうして生きていられる」と言ってみてください。この言葉を口にすれば、あなたはどんどん自分の「ツキ」に気づいてきます。すると「ツキ」の扉の間口が広がり、どんどん「ツキ」に気がつく回数が増え、とてもハッピーになります。

この幸せの波動が、あなたに成功を運んでくるのです。

『斎藤一人 変な人が書いた驚くほどツイてる話』斉藤一人 著


すごく前向きだけど、「~しなければならない」という強制的な話ではなく、しかし、的を得ている話です。自分の思うように環境は変化するとでも言いますか、自分の思うように人生がつくられる、そう感じました。明るい波動しか伝わってこない本でした。

自分の心の持ち方、考え方、捉え方で、いかようにも自分の心理というものは変化させることができ、その後の行動も、周囲も、人生も、そのように形づくられていくのでしょうね。

六チャンネルの話はすごく分かりやすい例えですね。でも、これが宇宙の原理なんでしょう。

これからは、
   「ツイてる」で人生を歩んでいきましょう


二葉鍼灸療院 田中良和
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第119回北信越高校野球大会

2008年10月14日 | 高校野球
第119回北信越高校野球大会が新潟県で10月11日~13日、18日~19日の予定で開催されています。1回戦、星稜は新潟商業と対戦です。今大会は春の選抜高校野球大会への出場を占う大会です。

星稜新潟商業 1回戦 10月12日(日)悠久山野球場(新潟)

  新 潟 401001000 6
  星 稜 020101000 4


石川県大会の優勝を勢いに突っ走るかと思っていましたが、残念ながら敗戦となりました。本当に残念。これも我が身に受け止め、なぜ負けたのか、もっと選手の能力を引き出すことができなかったか、反省し、次に繋げていきたいと思います。

夏に全国で勝てるチーム目指し、選手たちは更に努力するでしょう。最後に歓喜の涙で締めくくれるように、私はより勉強し技術を磨いていきます。

悔しい~ すべては自分の内面にありです

二葉鍼灸療院 田中良和

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金沢城周辺 ぶらり歩き 2

2008年10月14日 | 日常
金沢城公園を久しぶりに、ぶらり散歩しました。

金沢城公園は整備されており、現在は河北門をつくるため工事中のところもありました。いろいろ作っていき、兼六園とともに観光の目玉になっていくのかな~なんて思いながら歩いていました。

ここで、憩いの場を発見私は長年、金沢にいながら行ったことがなかった本丸跡、一番高いところにあるのですが、ここが自然林が残っていてすごく気分がいいのです。こんな市街地に自然林が樹生しているところがあるんだな~と思いました。タヌキなんかも出るそうです。

アカマツやクロマツなど植樹されたものもありますが、自生しているものが意外に多く、素晴らしい森があるんだなと、何かすごい発見をした気分です

金沢城公園へ行かれたら、是非行ってみてくださいね

☆金沢城公園 



☆城壁 
 いつも、すごい技術だな、芸術だなと見ています。緻密に計算されて組み立てられている城壁は凄いですね



☆金沢城にある自然林 



  太陽のシャワーが森へ降り注ぐ


☆本日一番の感動 スダジイの大木
 樹齢400年以上というから関ヶ原の戦いくらいからここに根を張っているということですね。感動です。木(氣)に触れて話して来ました




☆久しぶりに会った友人を激写
 「どうしても撮ってくれ」とせがまれたので、撮ってあげました。しっかりポーズもきめてくれましたよ



心もからだもリフレッッシュ 大自然に感謝

二葉鍼灸療院 田中良和
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金沢城周辺 ぶらり歩き 1

2008年10月14日 | 日常
久しぶりに休日に時間ができ、体育の日であり、すばらしく天気も良い。これは自分の身体も動かしてやらないといけないと思い、朝、卯辰山の頂上に車を止め、大内先生の結婚式を拝見しがてら、金沢城周辺を散歩してきました。

気分もよく、いろんなことを考えることができました。小さな発見などもあり、ツイてる一日でしたよ

☆卯辰山より金沢をみる



☆落着きを取り戻した浅野川


二葉鍼灸療院 田中良和
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結婚式

2008年10月14日 | 日常
13日(月祝 体育の日)、結婚式と言っても、私の結婚式ではなく(実はまだ独身で~す)、同業者で勉強仲間の大内先生の結婚式をのぞいてきました。私は出席はしなかったのですが、「神前結婚式で尾山神社で行うから、時間があったら見にきてください」と大内先生から誘われ、本当に散歩がてら拝見してきました。

少し幸せをおっそわけして頂きました。

へえ~尾山神社の隣に金渓閣という披露宴などを行う式場もあるんだな~って、尾山神社は何回か来ているけど、初めて見たような気がします。無関心というのは怖いもんだ。

65億分の1人という、素晴らしい、奇跡の出会いに感謝ですね。二人が末永く幸せになり、さらに鍼灸治療に磨きがかかることを祈ってきました。

帰りに尾山神社でお参り、そして、途中の尾崎神社でもお参りしてきました。お参りの内容は、ただただ、「ありがとうございます」です。本日の気持ちの良い青空、小さな幸せに感謝の1日でした。ありがとうございます







上の写真、尾山神社は、加賀藩初代藩主 前田利家公とお松の方を御祭神として祀ってある神社です。



尾崎神社は、尾山神社から歩いて5分かかるかかからないかという近くに建立されている神社で、天照大神、東照大権現(徳川家康)、三代藩主 前田利常公を祀ってある神社です。

二つの神社は毎年、初詣に参拝するのですが、今回は、その前にお参りさせて頂きました。すごく気持ちの良い一日でした。感謝

二葉鍼灸療院 田中良和
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マハトマ・ガンディー

2008年10月12日 | 社会
本名は、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディ―、マハトマとは”偉大な魂”という尊称です。インド国民だけでなく、世界の彼を尊敬する人々によって、マハトマ・ガンディーと呼ばれています。

イギリスがインドを力ずくで奪ったのだから、インド人もそれを力ずくで奪い返してもよいではないか。このような質問が、しばしば若い愛国者たちから彼に投げかけられた。これに対するガンディーの回答は、明解にして確信に満ちていた。

―「あなたは手段と目的との間にはなんら相関関係はないと信じていられるようだが、それは思い違いもはなはだしい。そうした思い違いをするものだから、宗教的と思われていた人たちまでが、とんでもない罪を犯してきたのです。私が大海を渡りたければ、船を使ってはじめて海を渡ることができるのです。その目的のために馬車を使ったのでは、馬車も私も、たちまち海底の藻屑となることでしょう。手段を種にたとえ、目的を樹にたとえることもできます。目的と手段の間には、種と樹のあいだにあるのと同じ冒しがたい相関関係があるのです。悪魔の前にひれ伏したのでは、神への礼拝から受けるのと同じ結果は得られるとは思えません。ですから、もしある人が『自分は神を礼拝したいが、悪魔の手段をもって礼拝してもよいか』などと言おうものなら、それこそ愚の骨頂と見なされましょう。われわれは、まさに、蒔いたものを収穫するのです。」―

こうしてガンディーは、いかなる暴力手段や欺瞞に訴えても、目ざす独立さえ達成できればよいとは考えなかった。目的と手段は、本来、それぞれ切り離して別々に考えられるべきものではなく、目的はそこに至る手段の集大成であるはずである。それ故、目的が崇高であればあるほど、正しい手段が要求される。

『人類の知的遺産 64 ガンディー』 森本達雄 著より


やはり、人々のことを思い行動してきた人の言葉には重みがあります。さて、昨今の世界を見回すとたいへんな状況になってきています。

ここ数日を見ても、グルジアではまだロシアの支配が続いており、パキスタンでは自爆テロで50人が命を失いました。アフガニスタンではNATO軍とタリバンが戦い100人以上の命が失われています。報道されているだけでこれだけの人が亡くなっているのです。タリバンは始めからあった組織ではなく、地下資源を巡りアフガニスタンを支配しようとした国(現在、タリバンが戦っている国)が作った組織です。戦争をするには武器が必要です。さて、どこからその武器はやってくるのでしょうか。戦争で儲けている人がいるということでしょう。こんなものを商売にすること自体、目的も手段も間違っているんだと思います。

お金は大切です。もし、お金がなくなったら物々交換になってしまいます。お金を否定するということは、例えば、タクシーに乗るのにカボチャ5個と交換、自動車を買うのに牛一頭を持ってくる、極端に言えばそうなると思います。こんな生活は私にはできません。お金も目的と手段が大切であり、その人の心しだいで善にもなるし悪にもなるということでしょう。

金融恐慌で世界同時株安となり社会や経済が混乱しています。このマネーゲームによって最終的に甚大な被害が及ぶのは一所懸命、真面目に一日一日を生活している人たちです。今でも多くの会社が倒産しています。つぶれないと言われた大会社もつぶれています。そして失業者が増え、株式大会社は、株主への配当、自社の保身のため、経営統合や大量リストラします。社員が路頭に迷い、その家族も同じ運命を歩みます。こんな社会でいいのでしょうか。

今回の金融恐慌の発端の米国のサブプライムローンにしても、前連邦準備制度理事会(FRB)理事長グリーンスパン氏も新聞に、破綻する7年前から今の状況は分かっていたことを話しています。米国政府は金融安定化法の成立を受け、総額7000億ドル(70兆円)の公的資金を用意し金融機関の不良債権を買い取る予定であると言います。しかし、お札の発行権はFRBにあります。FRBが米国政府にお金を貸し、政府はFRBに利子と元金を返済しています。その返済するお金は連邦所得税である税金です。そして、このFRBはニュースでよく名前が出てくる財閥が株を持つ100%民間銀行です。この仕組みを見ても何かおかしいと思ってしまいます。

お金は焼却したり、ゴミとして出さなければ必ずどこかにあるはずです。どこかにお金があるのに、不況になる、金融恐慌が起こる、私のない頭で考えるから混乱するのでしょうか今の世界の状況からみても、目的と手段は正しいものを選択しなければいけないということが分かります。特に世界や国を動かす人たちには心して欲しいのですが…

この不安な世界の状況にあっても、アジアや日本には素晴らしい考えや行動をしている方々がたくさんおみえになります。そこに共通しているのは精神、心、魂、躾、など一見関係ないようなことが、実はすべてに繋がりがあるということなのです。今のような世界の、日本の空気では、児童虐待や悲惨な事件などに歯止めが利かないかもしれませんね。まだまだ勉強することがたくさんあります。

自分と接する人に優しく対応する、挨拶する、掃除する、笑顔で話す、相手の良いところを見つけてあげる、何でもいいから身近な些細なところから、優しい空気に変えていけば、必ず世界は変わっていくと、私は信じています。

長くなってすいません

二葉鍼灸療院 田中良和
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今日は私の・・・回目の誕生日

2008年10月10日 | 言葉のちから 心のちから
昭和44年10月10日に生を受け、本日が39回目の誕生日です。やっぱり誕生日というのは特別な日ですよね。そこで誕生日について、自分なりに少し考えを巡らせたいと思います。

一人ひとりは大切です。
ひとりが不幸であれば、周りにその影響が広がります。
ひとりが幸せであれば、周りにそれが広がります。
あなたが幸せであることが大切なんです。
あなたが幸せでなければ、あなたの周りは幸せになれないのです。
あなたは大切な存在なのです。
あなたが生まれてきた確率を考えたことがありますか。
六四億人の人間の中で、お父さんとお母さんが出会う確率は六四億分の一と、お父さんの何千億の精子の中の一個と、お母さんの100万個の卵の中の一個とが出会う何千億分の一の100万分の一、合わせると10の31乗分の1、まさに天文学的数字!
そのたった一度の人生!
そういうことを考えると、自分がどれほどかけがえのない存在かということがわかるはずです。それがわかれば、自分を粗末にしたり、無関心で生きたりすることはできなくなります。
それを自覚すると、全く世界観が変わるでしょう。
自分の意識の変化によって、自分の周りの世界は変わるのです。
みんなの意識が変われば世界は一瞬にして変わるのです。

『生きる意味』 高木善之 著より


お父さんとお母さんを自ら選んで生まれてきたと私は思っています。そして、お母さんに生んで頂いた。これだけで天文学的確率の奇跡の出来事なんですね。

家族になる、親戚になる、やはり何かこの世に意味があって繋がっているんだと思います。何か自分にとっての成長になる存在として、家族があるのでしょう。

誕生日は、お父さん、お母さん、特にお腹を痛めて生んで頂いたお母さんに感謝を表現する日なんではないかと思います。昨今では、親と子をめぐる悲しい事件が毎日のように報道されています。本当に悲しいことです。それは、その親子だけの問題ではなく、自分の心の中を鏡として映している現象だと捉えると人事ではありません。すべて自分のこととしてこの国の人たち皆が考え、親子が家族が明るくなれる社会を作っていくための生みの苦しみの時期なのかもしれません。

私は2年前に父を亡くしましたので、本日は母に感謝を現わしたいと思います。

お母さん、生んで頂きまして、ありがとうございます

二葉鍼灸療院 田中良和
コメント (8)
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