二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

「当たり前のこと」なんて、どこにもない

2008年10月02日 | 言葉のちから 心のちから
「いってきます」玄関の戸が閉まったとたんその場にしゃがみこんだ。

体力自慢の夫が体の不調を訴え、軽い気持ちで受けに行った検査で難病が発見され、緊急入院したのは半年前のことだった。

いったい夫はどうなるの?私たち家族はどうなるの?当たり前にこのまま続くと思っていた毎日が、突然音をたてて止まった。自分のよく見なれた世界から突然空気の薄い別の世界に、いきなりぽつんと置かれたような心細さ、苦しさが襲ってきた。

それから半年は、自分が家族の前で笑顔でいることだけに神経をそそいだ。夜は心細さに足が震えだし眠れなくても、会社では普通に働き、子供を送り迎えし、食事を作った。子供をだっこしているふりをして、本当は自分が子供にしがみついていることで、なんとか正気を保っているような状態だった。そんな日々の中で、夫が退院。自宅療養の時期を過ごし、少しずつ普通の生活が送れるようになった。

以前は大嫌いだった、混んだスーパーでの日曜日の買い物にふたたび家族揃って出かけられた日、車に戻る駐車場で排気ガスに巻かれながら、ありがたさに涙が出て止まらなかった。

「高速道路の運転がしんどい」と、運転ができなくなっていた夫が再びハンドルを握って長距離を運転した日は、後部座席に子供と座っていられる自分にありがたくて泣けた。

そして、ついに夫が復職する日が来た。朝起きて、スーツに着替え、会社に行く。当り前だと思っていた光景。その姿に感謝して泣く日が来ますよ、と占い師に言われたとしても決して信じなかったと思う。でも実際、夫が会社に出かけたとたん、私はその場にしゃがみ込んでしまった。
人生で当り前のことなんて、何に一つない。
たとえば仕事に行けること、子供が無事に学校から帰ってくること、すべてが人生の一大事。

当たり前なんて考えてしまったら、もったいなさすぎて罰があたる。毎日、毎日が神様からの贈り物。奇跡の繰り返しだ。

無くしてから「そういえば、毎日贈り物が届いていたんだ」なんて気がつくなんてもったいない。自分がいったい毎日どれだけ贈り物を受け取っているのか、ちゃんと分かっていれば、それだけで感謝の気持ちがあふれてくる。

「当たり前」なんて、どこにもないのだから。

『大切なことに気づく24の物語』
 読むだけで人生がうまくいく「心のサプリ」 中山和義 著より


太陽が昇るのが当たり前、朝起きることができるのが当たり前、朝食が用意されているのが当たり前、学校へ行けるのが当たり前、仕事ができるのが当たり前、家族がいるのが当たり前、日頃「当たり前」だと思っていることは皆、神様が与えてくれた贈り物なのだということを本より再度、学ばせて頂きました。

だから、何事にも感謝の気持ちを忘れないことですね。

先日、私のところにC型慢性肝炎(肝硬変)で通院されていた、大切な患者さんがお亡くなりになりました。あの世に旅立たれる前日まで往診に行かせて頂きました。貴重な体験でした。

最後は、肝性脳症で意識もなかったのですが、ご家族もやれるだけやってあげてくださいとのことでしたし、医学的にどうこうではなく、患者さんもご家族も納得できるかたちで(治療者のエゴではと悩む時もありますが…)旅立ちの時を迎えて頂きましたことは心から良かったなと思います。

毎日出会う、すべての患者さんがそうなのですが、今回の貴重な体験をさせて頂いた患者さんにも本当に勉強させて頂きました。心から、私が師匠から教えて頂きました鍼灸治療を主軸として、病気にならない体づくり、入院するような大病を患わない体づくりを目指して国民の健康に尽くしていきたいと心新たにさせて頂きました。

患者さんに治療するのが「当たり前」ではなく、患者さんに感謝をして、その責任を果たせる鍼灸師になることが医療に携わるものには大切なことなのだということも勉強させて頂きました。ありがとうございます。

私の大切な患者さんの、心よりのご冥福をお祈りしたいと思います。

二葉鍼灸療院 田中良和
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする