二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

内省検討~心はワクワクに向いているか?!~

2012年02月27日 | 言葉のちから 心のちから

本日、金沢は雪。もう少し寒い日が続くようです。

桜の開花も遅れるということだしね。

何が公か私か分かりませんが、なかなか忙しい日々が続いています。そんな時、いろんな出来事の中で、いろんな心が湧き出てきます。

ワクワクするような、楽しく、興奮するような、積極的な心もあれば、不安や自虐的な消極的な心までいろいろです。私もいろんな心がその出来事のたびに湧き上がってきます。誰でもそうだと思いますが、明るい面と、その逆の面を併せ持っていますよね。

日常生活の中で、常に積極的な心で、自然に過ごすことができればいいのですが、なかなかできません それを繰り返すことが成長なのかもしれませんが…。日々、その心の凌ぎ合いということがあると思いますが、自分と出来事(他人)との関係と、もう一つ、第三者的に、自分の心を常にチェックする視点も大切かなとも思います。

 内省検討 

  日常の人生を生きる際に、どんな些細な人事、世事に対しても、
  いま現在の自分の心が積極的かしらん、消極的かしらんということを
  厳格に第三者の心になって、常に検討することが必要なのであります。

  そして、少しでも自分の心の中に消極的なものを感じたならば、
  断然、その心を追い出してしまわなければいけない。
  己の心の中にあるものは、己の心を明るく、朗らかにするもののみ、
  という心がけが必要なんです。

  『中村天風 一日一話』  中村天風財団[編]

自分は自分でしかないのですけど、自分の中にはまだまだ眠っている 貯蔵してある 無限の可能性という資源が有限だけど、ほぼ無限に存在するのだと自分で思いこんでいます。

その資源を発見し、掘り起こし、活用するのも、しないのも、自分の心なんでしょうね

そして、その行動を起こす原動力が、ワクワクするような、楽しい、嬉しい、幸せを感じる「積極心」なのだと思います。

今日もワクワク、積極的に、いくぞいね

 
二葉鍼灸療院 田中良和

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星稜高校野球部 冬季練習へ 2月の巻

2012年02月25日 | 高校野球

2月11日(土祝 建国記念日)、午後からは行事が詰まっていましたので、午前中に星稜高校野球部冬季練習をみてきました。

今年の2月は全国的に気温が低いようです。2月に入って雪がよく降ります。

サッカーグランドを除雪中 本日は天気はいいのでランニングするのためかな

昼食時に野球部スタッフとグランドを見てきましたが、膝上くらいまで雪が積もっていました。「雪踏みせないかんあ~」とか話していました。グランドで出来るようになるのは少し先のようです。

星稜高校野球場は、場所的には、山と山の狭間、いわゆる谷のところにグランドがあり、ここを境に山側は雪の量が違ってきます。

         

  練習風景です

  来年度から神奈川大学で頑張る酒井君

さてさて、選手たち、グランドへ出たらどんな活躍をしてくれるか楽しみです。

開幕戦は和歌山への遠征のようですね。確かに北陸では無理かもしれません。

短い時間でしたが、選手の体の動きやキレに少し安心しながら、足らない所も感じながら、全体の動きを見ることができて良かったです。

あとは選手が何を思い、何を考え、大きな目標に向け努力しているかということです。その辺りはしっかりミーティングなどで確認、そして自覚がなされていると思います。


私が尊敬する仕事人のお一人が松下幸之助さんです。

松下さんは、何かを成し遂げる、何かを生み出すために大事なのは熱意だと言われています。いくら知恵や知識があっても(あるに越したことはないですが…)結局のところは熱意だと言われています。

ハシゴを考え出すのは…
たとえば、”何としても二階へ上がりたい”という熱意があれば、ハシゴというものを考えつくんです。
ところが、ただなんとなく”上がってみたいな”と思うくらいでは、そこまではいかない。
”どうしても、何としてでも上がりたい。自分の唯一の目的は二階に上がることだ”というくらいの熱意があった人が、ハシゴを考えついたと思うのですね。

もちろん、その人の才能が非常に優れているからハシゴを考え出せる、という場合もあるでしょう。が、いくら才能があっても”それほど二階へ上がりたいとは思わない”というのでは決してハシゴを考え出せませんよ。

と、松下幸之助さんは仰られます。

この話は、私がミーティングで話をさせてもらう時に、よく話すことです。私は話すと長いので選手にはちょっとヒンシュクかもしれませんけど そーいえば3年生を送る会で私の物まねを披露してもらったK君も「この松下さんの話」を言っていたな~と思いだします。

ちょっと話はそれましたが、この身体的には、基本練習、基礎練習のこの時期に、心は情熱と信念に裏打ちされた熱意をマグマのように燃え滾らせることが大切なのです。プレーする時もそうなのですが、この時期にその心の習慣を身につけておくことが、最後まであきらめない、自分のプレーを追究し続ける 心 を形成し、どんな辛い状況でも甲子園へ出場するという強い意志を養う 心 を生み出すのだと思うのです。

心に思い浮かべることが形となって世の中に、人生に現れます。心を養うと精神力が鍛えられ、自然に自分の力を発揮することができると思いますね。

選手たちは…いい目をしていました 大丈夫でしょう

そんなことを思った練習でした。で・す・か・ら・星稜高校野球部の練習を見ると、自分の心が刺激されるのです。そして、自分の仕事の熱意にも繋がっていくんです。

午後からもずっと練習を見ていたかったのですが、午後から私の仕事関係で、岡田直樹参議院議員の国政報告会に出席しなければならず、その後、同じ鍼灸師で、酔耀会の勉強仲間である後輩先生の送別会があったので、午前中でお暇したのでした~。

さ~て、春になったら選手たちはどんな花 を咲かせるか楽しみです

 二葉鍼灸療院 田中良和

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ある雪の日の夕日

2012年02月24日 | 日常

北陸らしい雪雲が空一面に張り巡らされ、雪がちらつくある日

車を走らせていると、雪がやんだかと思ったら後方から急に金色の光が差し込んできました

ちょっと車を止めて、しばしボーっとただみつめ、その後に撮影

私は朝日より、夕日の素晴らしい景色に出逢うことが多いようです。

「終わりは始まり」ですしね、夕日は好きかもしれません。

ちょっとした日常の一コマでした

 

二葉鍼灸療院 田中良和

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第50回加賀・三策塾(学術研修会) 参加

2012年02月24日 | 鍼灸

2月5日(日)、毎月第一日曜日に開催される学術研修会に参加しました。


 第50回 加賀・三策塾 

 日 時:平成23年2月5日(日)  午前10時~正午
 会 場:石川県立盲学校
 内 容:①統合医療と鍼灸マッサージを考える‐国民医療たるべき保険診療とともに‐
     
      ②鍼灸業界・学会・医療など最新ニュースと報告

 石川県鍼灸マッサージ師会 常盤会長 ご挨拶

予定では「鍼灸医療安全対策マニュアル」の通読を行う予定でしたが、内容①のディスカッションの部分が非常に盛り上がったので、本日は業界や学会の報告やお知らせに若干の時間を使用し、ほとんどを「統合医療と鍼灸マッサージを考える」というミニ討論会に内容を変更しました。

大きい勉強ではできない臨機応変さが、この加賀三策塾のいいところでもあります。しかし定期的に行う実技や課題をないがしろにしているわけではありません。今回は鍼灸マッサージが日本や世界ではどのような立場におかれているか、医療の中で鍼灸マッサージは今後どうなっていのか、などの意識づけを行うための研修内容となりました。

それぞれの主張を持つ鍼灸の団体が、各々の考え方で勉強して資質を高め、患者さまや医療のために尽力することはいいことですし、今後も大いに研鑽しあっていけばいいと思います。しかし残念なことは、鍼灸マッサージの置かれている立場というものを第三者の目から、他医療者の目から、行政の視点から、世界戦略の視点から、あらゆる視点から見て現状を判断している方々が少ないことは歪めない事実です。

そんなことに小さな石を大海に投げるがごとく、小さいところから意識を変えていこうということで、この話をさせて頂きました。…させて頂きました ということは、私が資料をもとに話をさせて頂いた次第です。微力ながら


           写真は少し小さめに

第一部は、ある雑誌に「統合医療の未来」と題して、東北大学名誉教授日本統合医療学会 副会長を務めておられる仁田新一 先生の記事が掲載されていました。内容を読んで考えさせられましたので皆さんに紹介することにしました。
記事の内容としては、私の師匠である東洋医学研究所 所長の黒野保三先生に教えて頂いていることが多かったので、私は「フ~ム」と理解できたのですが、これからの鍼灸マッサージの展望、あるいは、大きな流れの一つとして意識しておかないといけないと感じたのでした。

勉強する皆さんに正確な状況を提示して、勉強する人が、汗を流した人が、自分の仕事を発展させ、流行ることができる業界や団体になっていかないといけないという思いもありますしね。

第二部は、同じ雑誌に「訪問マッサージの現状」として、訪問マッサージを中心に保険請求の問題を、私たち施術者(請求者)と保険者の請求者に対する最近の対策の具体例について掲載されていたので紹介しました。
医療費適正化という御旗のもと、現在、石川県では特定の保険者ですが、厳しく保険請求の審査が行われ、締め付けが厳しく鍼灸保険診療が難しくなっているケースや現状が多々あり、タイムリーな話題であったので、今後どう対応していったらいいのかということも含めてディスカッションのお題目とさせて頂いたのでした。

いろんなディスカッションができ、いい御意見もあり、出席された先生方には有意義な時間となったことと思います。提案者が微力なもので皆さんに助けて頂き、いい研修会の内容になりました。
この日は雪も多く、私の車はFRですから尻を右に左に振りながら会場に到着いたしました 雪にもめげず参加して頂いた会員の方(金沢医療技術専門学校の生徒さん含め)は本当に勉強熱心ですよ。本当に。

何か一つでも得るものがあれば勉強したかいがあるというものです。皆さん私の話で何か得て頂いたかな~と心配しながら…

この日は、午後より(社)石川県鍼灸マッサージ師会の公益社団に向けての会議があります。やっぱりマグロのように泳ぎを止めない私の一日です。疲弊しないようにワクワク動き回ってます

二葉鍼灸療院 田中良和

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「ウォーキングのすすめ」 平成24年2月 東洋医学研究所コラム

2012年02月18日 | 東洋医学研究所 コラム
東洋医学研究所のコラムが更新されました

 『ウォーキングのすすめ』 

      二葉鍼灸療院 院長  河瀬美之 先生(名古屋市港区)

      『ウォーキングのすすめ』 研究所コラムはこちらをクリック!



2月の担当は疼痛疾患に対する鍼治療を研究されている河瀬先生です。

今月のお題は、ウォーキングです。歩くことです。コラムの内容は、最新の運動に関する研究を紹介しながら、「痛みの改善」「脂質代謝(脂肪を燃やすこと)」「心肺機能の改善」「生活習慣病の改善」「脳の活性化」「具体的な運動方法」などになっています。

ウォーキングにしろ、ランニングにしろ、今、運動が注目されています… でも、運動ってなぜ注目されるかというと、簡単に言うと運動しないからです。もともと人間も動物、「動くもの」です。その体が運動をしなくなったため、様々な身体機能が低下し不都合が生じてくるわけです。

現代の文明は様々なものを発明、創造してきました。人間の脳はもともと「楽をしたい」方に働くということも言われています。現代の生活様式をみると、掃除にしても、洗濯にしても、食事にしても、通勤、通学にしても日常生活が「便利」になり、身体運動を要せずして短時間に目的が達成できるようになっています。これも人間の脳が編み出した「快適な生活」なのだと思います。
もしかして、「楽をしたい脳」が生み出した生活なのかもしれません。運動するところと言えば指先くらいですしね

そんなことで、生活の中から運動が減少したことにより、フィットネスジムや健康教室に「運動」を求めて、運動後に感じることができる爽快感(ストレスからの開放)を求めて、せっせと通われるのだと思います。


コラムに出てきます「ミトコンドリア」という細胞内小器官があります。生物の教科書の細胞の絵の中に楕円形の中に二重線が蛇行した模様が書かれた、あれです。分かって頂けたかな~
この「ミトコンドリア」は(以下はミトちゃんって書きます)全身の細胞すべてに存在し、特に活発に新陳代謝を行う部分、よく働く部分に多く存在します。筋肉の細胞、脳の細胞、肝臓の細胞、腸の粘膜細、皮膚の細胞などなど、よく働く部分に多く存在します。

何をしているのかというと、細胞が、あるいは身体全体が、様々な刺激に対応し身体を動かすためのエネルギーを生産しています。いわゆる身体のエネルギー発電所です。もうひとつ重要な働きがあります。原子力発電所の報道で電気がどうしてできるのか理解出来た方も多いと思いますが、ミトちゃんもエネルギーとともに体熱を生産します。ミトちゃんでは脂肪や糖分、それに酸素を原料としてエネルギーをつくります。そのエネルギー変換率は約40%であり、残りの60%は体熱となるようです。人間の細胞は熱もちゃんと利用しています。原子力発電所では、この熱を冷却するために水辺に建設する必要があるのです。

話がこんがらがってきましたが、何を言いたいかと言うと、運動をして筋肉が増加すれば、ミトちゃんも増加します。エネルギーに満ち、体も心もホカホカした身体ができるんだ~と想像できませんか


アメリカ、イリノイ州にネーパーヴィル203学区という地域があります。そこのある高校での取り組みが「0時限体育」です。これは、普通の授業を行う前の朝の時間に体育の授業を行うというものです。体育と言っても、走るのです。タイムを計測して、最大心拍数の80~90%の拍動を目標値として走ります。この取り組みを継続して行ったところ何が起きたか…

非常に健康になったこともさることながら、生徒たちの読解力が格段に上がり、成績が上がり出したのです

また、TIMSS(国際数学・理科教育動向指数)というテストがあり、このテストは1994年以降、4年ごとに行われているそうです。1999年には、世界38カ国、23万人の生徒が受験し、アメリカからは5万9千人が参加しました。初回にはシンガポールやアジア地域に惨敗したのだとか。
この年のアメリカの平均は理科が18位で、数学が19位でした。驚くべきことは、ネーパーヴィルの生徒たちの平均は、理科で第1位、数学で第6位となったことでした。
すべて運動の効果とは言えないまでも、運動することによって脳や身体の様々な部分が刺激され、いい方向に変化するということだけは言えるでしょうね。


ここ日本、時は幕末期。日本が大きな変化を迎えようとしていた大事な時期、日本各所に、この国を思い、この国の行く末に思いを馳せる幕末の志士が熱い空気をつくっていました。自分の思いを実現するため、勉強し、優れた人物に会う必要がありました。そのためには「長距離を歩く」必要がありました。
かの坂本竜馬は、土佐藩を脱藩したときも、土佐から四国山地を越え、京を通って江戸まで歩いて来ています。
幕末当時は、高名で、博学な学者は諸藩に散在しており、学ぶ意欲のあるものは「歩いて」諸藩をめぐりました。
吉田松陰は、その典型的な人物です。学問を修めるため、長州からまずは長崎、熊本という九州へ遊歴を行い、その後、江戸に出て、奥羽に足を伸ばしています。

司馬遼太郎『世に棲む日々(一)」には、次のように書かれています。

「どのような旅をしたか。

むろん暗いうちに提灯をかかげて城下を発った。械ヶ坂(かせがざか)というところで夜明けを迎え、そのあとはほとんど休みなく歩き、途中、数えきれぬほどの峠を越えて、夕刻、四郎河原という第一日目の宿泊予定地に辿りついたというから、四十八キロ(十二里)歩いている。はじめての旅で勢いたっていたからでもあるが、この当時、東海道を旅する者は一日七里(二十八キロ)というのが常識だったから、ほとんど無茶と言っていい激しさである。

が、激しく歩くことが、道中経済の一つであった。貧者ほどそのようにして歩いた。全行程において一晩でも、二晩でも宿泊費を切り詰めねばならなかった。

途中、立小便をする。その時間は二百歩の損がある。松陰はいつもその損を取り戻すため、そのあとほとんど駈けた。しかし、走りはしなかった。武士というものは走るものではないとしつけられている。


坂本さんや吉田さんのような幕末の熱い思いを持つ志士は、この長い距離を歩くことによって、さらに志高く、そして、さらに深く練っていったのかもしれません。

「歩く」ということは、筋肉がつき、体力がつくだけではなく、脳も、心も、身体を全体的に刺激し、思わぬ健康効果が現れるということです。

文武両道と昔からよく言われますが、最新の科学もそのことを証明しています。運動しているけど勉強できないのは、そこに「志」がないからだと思いますね。
どうぞ歩いてください。歩いて心身を活性化してください。疲れたら鍼灸治療を受けてください。さらに健康になったりして

ぜひ東洋医学研究所コラムをご覧になり、ご自身の生活に活かして頂ければ幸いです

二葉鍼灸療院 田中良和
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佐久間 勉 海軍大尉という人物 ~二の巻~

2012年02月15日 | 言葉のちから 心のちから
海軍大尉 佐久間 勉というあまり名は知られていませんが、立派な人物の生き様、死に様から多くを学ばせて頂いています。 続きです。

 素晴らしい行いは、国という枠を超え、時代という時間を超え、多くの人々に影響を与えるのだと思います。そんないくつかの反響をみていきたいと思います。

 アメリカでは…

 昭和三十一年、「ニューヨーク・タイムズ」記者で、ピュリッツアー賞受賞作家、米国海軍兵学校出身の軍事評論家ハリソン・ボールド・ウィン氏による、その著書「海戦と海難」の中に「日本六号潜水艇の沈没」として章を設けて佐久間艇長の遺書を紹介し、「佐久間の死は、旧い日本の厳粛なる道徳、サムライの道、または武士道を代表したもの」と強調したのである。
 このことによって、カリフォルニアの高校教科書「リーダーシップ」の項にこの佐久間艇長の行為が引用された。



 平成10年4月に佐久間大尉の出身地である福井県三方町で行われた「佐久間艇長遺徳顕彰祭」において、英国大使館付武官であるロバートソン大佐が以下のようにスピーチされました。

英国大使館付武官ロバートソン大佐のスピーチ

 今を去る88年前、広島湾において、第六潜水艇が遭難し、その結果、悲惨にも佐久間艇長以下乗組員すべてが殉職した事故について、皆さんはよくご存じのことと思います。

 私も潜水艇乗りの海軍大佐であり、これまでに3隻の異なった潜水艇長をした経験がありますので、私は今から88年前に広島湾の第六潜水艇内において、佐久間艇長と艇員がいかに卓越した勇気と献身的責任感を示したかが、特によく理解できると信じております。

 われわれ潜水艇に勤務するものは、潜水艇勤務上準拠すべき安全規範を樹立するのに貢献して、尊い犠牲となられた初期の人々の勇気とお手本に、多大の恩恵をこうむっているのであります。それらは「良き潜水艇乗りの処置」として知られているものであり、さらにそれらは、種々の過ちや初期のころの機器の欠陥などから、水中で安全に操作する方法を学んだ。あとの世代の潜水艇乗りの必須知識となっているものなのであります。

 今日、海中に全没したら3か月以上の間、浮上しないでいられると考えられています。私が艇長をした原子力潜水艇では、このようなことはごくありきたりの行動でした。われわれが機器の安全性と信頼性の上に立ってこのようなことができるという事実は、これらを可能にした佐久間艇長のような先人たちの、勇気とお手本があったればこそなのであります。

 この意味におきまして、私が佐久間艇長の勇気と職分意識と献身的責任感の驚嘆すべきお手本を、いくら高く賞讃してもし過ぎることはありません。艇長と艇員の最後は必至、という最悪の事態において、艇長がとった処置行動は、単に潜水艇のみならず、世界中の危険な職業に勤務するすべての人々の規範として存続しているのであります。

 日本では、佐久間艇長をはじめとするこれら国際的に認められている英雄たちを大きな誇りとしておられます。皆さんが今後とも永く引続いて艇長を奉賛され、その卓越した模範的遺徳を顕彰されるようお祈りいたします。

 どうもありがとうございました。



 世界では、日本国内では…

内外に与えた感動

 六号艇員の立派な最後に関する報道は、艇長の遺書の内容とともに、4月21日から翌日にかけて世界中を駆け巡り、各国の人々、特に海軍軍人に深い感銘を与えたのであった。中でも、その数年前の潜水艇沈没事故に際し、悲惨な乗員の最後を経験していた英仏両国海軍からは、さすがに日本海軍軍人は立派であるという賛辞が早々と寄せられた。このほか、ドイツ皇帝、トルコ皇帝、イタリア海軍大臣など多くの各国代表が、続々と弔意を表されたのであった。

 言い遅れたが、六号潜水艇沈没の悲報に憂愁に包まれていた日本国内は、艇長の遺書によって事の次第を知り、朝野をあげて艇員の立派な最後を賞讃したのである。

 この内外に与えた大きな感動は、やがて義えん金募集の声となってこだまし、その総計は約5万6千円の多額に達した。(明治40年当時、米一升が16銭、100銭=1円の時代)そこでそのうち2万5百円ずつを等分に遺族に贈り、残りの2万1千円をもって呉市河原石の鯛宮神社境内に記念碑を建立した。これは高さ19mのれんが石造りの円柱塔であり、大正元年(1912)年11月29日に除幕式が挙行された。



 また、佐久間艇長以下14名の乗組員は、平時の殉職ということで進級もなく、また靖国神社へ祀られることもありませんでした。決まりとはいえ、このような方々も国のため尽力されたのだからお祀りすべきではないかなと思いますね。

 素晴らしい心とそれに裏打ちされた行動のできる先達が存在した「日本」に生活させて頂いていることに誇りを持って、人生を歩んでいきたいと思いました。


佐久間大尉、乗組員の方々に敬礼

~追伸~

 私の幼馴染であり、鍼灸師であり、酔耀会(鍼灸勉強会)仲間である、

  ヤスイ先生(ヤスイ鍼灸接骨院)のブログ
 
 にも、佐久間 勉 大尉のことが書いてありますのでご参考にしてください。
 精神や心の面で同質の感覚を持つ先生です。


二葉鍼灸療院 田中良和
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佐久間 勉 海軍大尉という人物 ~一の巻~

2012年02月14日 | 言葉のちから 心のちから
1月19日の金沢市鍼灸マッサージ師会 新春役員研修会で下沢広伸 金沢市議会議員からお話があった人物である「佐久間 勉 海軍大尉」の話に感動してしまったので、少し調べてみることにしました

 佐久間 勉 海軍大尉(国産初の第六号潜水艦艇長) 

 明治12年(1879)に生まれ、福井県三方町の出身です。幼いころから勤勉で、家計を助けるため教科書はすべて書きうつしていました。
 海軍兵学校に入った後、明治42年、30歳にして初の国産潜水艦である、第六号潜水艦艇長に就任しました。艇の開発に尽力されました。山口県沖での演習中に海水が流入し、潜水艦は海底に沈み、二度と自力で浮き上がることができないこととなった。佐久間艇長以下、乗組員14名は、最後まで自分の職を全うし、艇が引き上げられた時には、全員持ち場を離れず亡くなっていました。艇長以下乗組員14名の死に様は、日本もさることながら、世界中に感動を呼びました。
 佐久間大尉はこの事故で明治43年(1910)、31歳の若さでこの世を旅立たれました。


その感動の実話をお話させて頂きます


 明治43年4月15日 午前9時50分、第六号潜水艇は山口県新湊沖において半潜航実験の後、全潜航に入り海底沈座などの潜航訓練を開始した。しかし間もなく海水が浸入し必死の排水作業にも係わらず、佐久間 勉 艇長以下14名を載せた六号艇が再び自力で浮上することはなかった。

 翌16日に沈没した艇体が発見され、17日になって浅瀬に回航された。当時の潜水艇の性能から生存者の望みは無かった。

 問題は乗組員が帝國海軍軍人として相応しい死に方をしているか、という一点にあった。

 直近で英仏海軍に同様の事故があり、乗組員の醜態が世間に知られていたからだ。

  「よろしいっ」

 まさに絶叫であった。引き揚げられた六号艇の状況を検分した吉川中佐の絶叫は号泣に変わり、男泣きに泣き崩れた。

 艇長は司令塔に、機関中尉は電動機の側に、機関兵曹はガソリン機関の前に、舵手は舵席に、空気手は空気圧搾管の前に、14名の乗組員は全員それぞれの部署を離れず、艇の修復に全力を尽くし、従容として見事な最期を遂げていた。 

 その後、収容された佐久間艇長の遺体のポケットから39ページに及ぶ遺書が発見された。沈没後電燈が消えて、酸素は刻々と消費されていく。ガソリンによる瓦斯は艇内に充満し、おそらく部下は一人また一人と絶命していったことだろう。佐久間艇長はそのような環境の下、天皇陛下の艇を沈め部下を死なせる罪を謝し、乗組員全員が職分を守った事を述べ、沈没の原因・沈据後の状況を説明した後、公言遺書を記している。


『 佐久間 艇長 の遺言 』

 小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す,誠に申し訳なし。されど艇員一同死に至るまで皆よくその職を守り沈着にことを処せり。我等は国家のため職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は天下の士はこれを誤り以って将来潜水艇の発展に打撃を与ふるに至らざるやを憂ふるにあり。希くば諸君ますます勉励以ってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされんことを。さすれば我れ等一も遺憾とするところなし。


沈没の原因

 瓦素林潜航の際、過度深入せしため「スルイス・バルブ」をしめんとせしも途中「チェン」きれ依って手にて之れをしめたるも後れ後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり。


沈拒後の状況

 一、傾斜約仰角十三度位
 一、配電盤つかりたるため電灯消え,電纜燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり。
   十五日午前十時沈没す。この悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む。
 一、沈下と共に「メンタンク」を排水せり,灯消えゲージ見えざれども「メンタンク」は排水し
   終われるものと認む。電流は全く使用する能わず,電液は溢るも少々,海水は入らず
   「クロリン」ガス発生せず唯々頼む所は手動ポンプあるのみ。

  (后十一時四十五分司令塔の明りにて記す)

 溢入の水に浸され乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず。
 余は常に潜水艇員は沈置細心の注意を要すると共に大胆に行動せざればその発展を望む可からず。細心の余り萎縮せざらんことを戒めたり。世の人はこの失敗を以って或いは嘲笑するものあらん。されど我れは前言の誤りなきを確信す。

 一、司令塔の深度計は五十二を示し排水に勉めども十二時迄は底止して動かず。
   この辺深度は十尋位なれば正しきものならん。
 一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故。
   幸ひに本艇員は皆よく其職を尽せり,満足に思ふ。 我れは常に家を出づれば死を期す。
   されば遺言状は既に「カラサキ」引出の中にあり
   (之れ但私事に関すること,いふ必要なし,田口,浅見兄よ之れを愚父に致されよ)

公遺言

 謹んで 陛下に白す。我部下の遺族をして窮するものなからしめ給はらんことを。我が念頭に懸るもの之あるのみ。

左の諸君に宜敷(順序不順)
 斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将
 (気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
 小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜) 松村少佐(菊  小生の兄なり)
 船越大佐 成田鋼太郎先生 生田小金次先生

 十二時三十分呼吸非常にくるしい
 瓦素林をブローアウトせしし積もりなれども,ガソリンにようた。

 中野大佐

 十二時四十分なり


 遺書は「十二時四十分ナリ」と記して終わっています。この次の瞬間絶命したのだと思います。

 当時、事故に対する遺族への補償金などの支払規定はありませんでした。佐久間艇長の遺言は上奏され、勅命によって直ちに裁可されました。

 佐久間大尉以下乗組員14名の行動は、昭和二年以降終戦直後まで、「尋常小学校終身教科書六」の「第八科・沈勇」に掲載されていた。
 ところが、ただ唯一有色人種が白人に戦争で勝利し、人種差別撤廃を世界の場で公言した、日本が再起できないように、日本人の精神面から破壊を行うために、精神的支柱となるものはすべて、戦後、進駐軍(GHQ)により、日本人の前からは排除されました。修身における佐久間大尉の項目は削除され、潜水学校に展示保存されていた佐久間艇は解体されました。

 その修身の教科書 「沈勇」(戦前の小学校六年生用修身教科書より)には…


 明治四十三年四月十五日、第六潜水艇は潜航の演習をするために山口県新湊沖に出ました。午前十時、演習を始めると、間もなく艇に故障が出来て海水が侵入し、それがため艇はたちまち海底に沈みました。この時艇長佐久間勉は少しも騒がず、部下に命じて応急の手段を取らせ、出来るかぎり力を尽しましたが、艇はどうしても浮揚りません。その上悪ガスがこもって、呼吸が困難になり、どうすることも出来ないようになったので、艇長はもうこれまでと最後の決心をしました。そこで、海面から水をとほして司令塔の小さな覗孔にはいって来るかすかな光をたよりに、鉛筆で手帳に遺書を書きつけました。

 遺書には、第一に艇を沈め部下を死なせた罪を謝し、乗員一同死ぬまでよく職務を守ったことを述べ、又この異変のために潜水艇の発達の勢を挫くような事があってはならぬと、特に沈没の原因や沈んでからの様子をくわしく記してあります。次に部下の遺族が困らぬようにして下さいと願い、上官・先輩・恩師の名を書連ねて告別の意を表し、最後に十二時四十分と書いてあります。

 艇の引揚げられた時には、艇長飫以下十四人の乗員が最後まで各受持の仕事につとめた様子がまだありありと見えていました。遺書はその時艇長の上衣の中から出たのです。

 格言  人事ヲ尽クシテ天命ヲ待ツ。



 と書かれ、日本人の実践すべき精神的手本として書に、そして日本人の意識に残っていました。

 佐久間 勉 大尉の行動については、百人百様いろんな捉え方があると思います。

 私は、この31歳という年齢でありながら、生きる限界まであきらめず、チャレンジして、その場を脱しようとした精神力。また、もう駄目だと分かった時には、それは苦しかった辛かったと思うが、「どう死すか」を沈着に選択できた人間力、これは私にも、そして現代に生きるものにとっての一つの手本となると思いました。

 また、その佐久間大尉に心も態度も最後までついていった乗組員の覚悟と信頼は素晴らしいものだと思いました。

また、死と直面し、不安と恐怖に覆い尽くされた環境の中で、まず国家の長たる天皇陛下にお詫びをし、さらに当時、神なる存在であった天皇陛下にあてて、

 この事故を礎に、さらに潜水艦技術の向上を願うということ、
 乗組員が最後まで全力を尽くして職責を全うしたこと、
 乗組員が死した後の残された家族のことを心配し、その補償をお願いしたこと

この緊急時に、これだけ自分の国を思い、乗組員ばかりか、その家族のことまで思いを巡らすことが自分にはできるかな?と思いました。

 この遺書を読んだ時、佐久間大尉の話を聞いた時、自分が、もうすぐに死すという時に、このような状況判断ができるのかと驚嘆と感動をしてしまいました。これこそ、家庭で、学校で、職場で、自分の責任とは何なのか、他人や社会に対して正直で誠実な心の在り方、判断方法、行動とは何なのかということを、幼いころから身に沁みて教育されてきた現れだと感じました。
 
 この話は、私たちに目に見えない大切なものを教えて頂いているのだと思います。そして、佐久間大尉以下14名の乗組員に限らず、多くの素晴らしい先人が、たいへんな時代を乗り越え築き上げてきたからこそ、今の「日本」という国があることを心から感謝させて頂きました。

 今、日本は様々な問題に直面していますが、世界の多くの国と比較し豊かです。戦争もありません。日々の生活を自分がやりたいと心に思えば実現する可能性のある国です。いろんな不平不満はあるかもしれませんが、豊かです。

 この状況は当たり前ではないのです。
 
 では、自分の人生において社会に対する使命は何なのか、何をやることで世の中の役に立ち、自分を成長させられるのか、それぞれの立場で考えるきっかけになる話でもあると思うのです。

 佐久間大尉の話は、日本だけでなく世界でも称賛されました。少し長くなりましたので、そのお話は~二の巻~で、ちょっとだけ書きたいと思います。

では


二葉鍼灸療院 田中良和
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ちょいと帰宅する前に一杯~ホテル金沢へ~

2012年02月14日 | 日常
星稜高校野球部3年生を送る会で、少し気持ちよくお神酒が入った…ということで、もう一杯だけ飲んで帰りました。



場所は、都ホテルのお隣、

ホテル金沢 16階 
   トップラウンジ『ラズベリー』


ここで少し食べて、飲んで…一人で…二人で~ご想像にお任せします

でも、何か幸せな気持ちの時って、寝るのが惜しいな~なんて私は感じるんですよね。

ということで、さらにいい気分になり、夢に入ったのでした。


二葉鍼灸療院 田中良和



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平成24年 星稜高校野球部3年生を送る会 出席

2012年02月13日 | 高校野球
1月29日(日)、「星稜高校野球部3年生を送る会」に出席しました。

またブログ報告が遅れ気味です。気張って更新しないとね





午前中から忙しかったな~。そんな日の締めくくりは、星稜高校野球部3年生を送る会です。

3年生の顔を見ているといろんなことが思い出されてきます。ほぼ私の反省ばかりなのですけどね。最近は、鍼灸業界活動、IST(スポーツトレーナー連絡協議会)の活動、などなど様々な活動に首を突っ込み そんな言い方をすると叱られますが、いろんな仕事をさせて頂くようになり、なかなか常に選手の動きを観たり、ケアすることが難しくなっています。

結果が出ていないということは責任の一端はトレーナーにもあるわけであり、忙しくても、結果を出すトレーナーは結果を出しています。他の仕事で…なんてのは言い訳であり、まだまだ情熱や信念が欠如しているのだと思い、自分のケツを自分で叩いています。

「ここで、この治療をしたのは正しかったか」
「ここは、こっちの方も診なければいけなかった」
「こんなアドバイスが出来てれば良かった」
「夏の甲子園予選にベストに持っていくため、どのように心身面のアドバイスを…」

などなど、チームが、選手が、本当に悔いなく力が出し切れたかというと、昨年のチームはそうではなかったと私は思うのです。なんかこの繰り返しをやっているようです。でも、これが向上心へと結びついていくのだと感じます。今年のチームには昨年のチームよりさらに質の向上したトレーナーとしてのパフォーマンスを提供していくことが大切だと私の心が感じています。

そうでなくてはトレーナー失格ですね。

昨年のチームは、中日ドラゴンズへ入団した西川投手、二人エースと言ってもいいくらい活躍した大野投手を中心に、いいチームで攻撃力もありました。甲子園へ出場してもおかしくないチームでしたが、残念ながら出場は叶いませんでした。
彼らは大学で、社会人で花開いてくれることだと思います。
やっぱりゲームで勝ち、甲子園の頂点へ昇り詰めることが最重要課題ですが、それは高校生における課題であって、ここが最後ではなく、ここが始まりです。補欠の選手もレギュラーの選手も2年半の野球部生活で得たそれぞれの宝を元に、世の中に出て成功することで「あ~星稜野球部で良かったな」というようになって欲しいですね。

私はどうかな~まだまだ成功はしていませんが、いろんな縁の大切さ、自分の天職を発見出来て、それを仕事をしており、仕事を通じて高校野球と関っていられることは「星稜野球部で良かったな~」と思うのです。


会の中で、選手たちが自分の進路先とともに卒業にあたって一言をスピーチする時間があります。最近の選手たちは本当にうまいこと話すなと感心します。まあ、若干、話の長い選手もいましたが(人のことは言えないのですけども…)、チームメイト、監督はじめチームスタッフ、両親、学校など、2年半にお世話になった感謝の気持ちが込められており、さらに未来へ向けての希望なども感じられ、いつも感動させてもらっています。

若い選手と接すると、確かに自分の方が人生経験は長いのですが、純粋な面や、素直な面、いろんな若さゆえの前向きな部分が、私の刺激になるわけです。

監督、部長、副部長、コーチは1年、1年、選手を見送っていくわけですが、常にモチベーションを高く、そのチームにあった指導をしていきます。今年も、様々な工夫が行われ新生 星稜野球部が形成されていってます。私もそんな中の微力な一員として、縁の下で少し支えられるように頑張っていきます

星稜野球部3年生の皆さん、2年半お疲れさんでした
次のステージで、さらに大きなハードルを星稜魂で乗り越えてください





二葉鍼灸療院 田中良和
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平成23年度 石川県医療推進協議会 参加

2012年02月10日 | その他の活動
1月29日(日)、石川県医師会の主催で医療安全全国共同行動石川フォーラムと石川県医療推進協議会が開催されましたので参加しました。

私は、石川県鍼灸マッサージ師会として常盤会長とともに参加させて頂きました。

医療安全全国共同行動石川フォーラム

 日 時:平成24年1月29日(日) 午後2時~4時
 会 場:石川県医師会館 4階 研修室
 内 容:講演会 (演題)「命を守るパートナーズ‐病院と診療所の安全目標を実現しよう‐」
            (講師)上原 鳴夫 先生
                  医療安全全国共同行動企画委員会委員長
                  東北大学大学院医学系研究科 教授
     組織としての医療安全への取り組み
      ・石川県医師会、石川県歯科医師会、石川県薬剤師会、石川県看護協会




生死にかかわる医療関係者の安全への取り組みは徹底しているなと感じました。また連携を持つことで、より臨床で起こりえるリスクを減らし、より安全な医療を目指すことを目的として多くの医療施設や団体がこの取り組みに参加しているようです。

患者や市民へより安全で安心な医療、より質の高い医療を提供して、信頼を向上させることを目的に今回の講演のような取り組みをされているそうです。

また、石川県看護協会の代表の方のお話では、看護協会としては会員、会員外に関らず、1年間で40~45回の安全に関する研修会を開いて、看護師として徹底して安全に取り組んでいるそうです。職業柄、当然でしょう~なんて思うかもしれませんが、このような普段の努力があって私たちも安心して入院したり、外来で通院した時に、看護師さんに身をあずけることができるのです。

翻って、私たち鍼灸師はどうでしょうか どれだけ安全に限らず勉強しているのでしょうか 患者さまが来院した時に「鍼灸治療はやりたいのだけど、どの治療院を選んでいいかわからない」と言われます。口コミの患者さまは別として、この辺りは今後、ハッキリと区別がなされてくるんではないかな~と思います。やっている人と、やってない人がです。
最終的には患者さまのためなのですからね~。私の周囲の勉強熱心な鍼灸師の皆さんは大丈夫だと思いますけども。


平成23年度 石川県医療推進協議会

 日 時:同上  午後4時~
 会 場:同上
 内 容:決議案の採択





小森 貴 石川県医師会 会長からの御挨拶があり、協議会が開幕しました。

この協議会は、石川県医師会を中心に、石川県歯科医師会、石川県看護協会、石川県柔道整復師会、石川県栄養士会、石川県針灸師会、石川県鍼灸マッサージ師会、石川県臨床衛生検査技師会、石川県理学療法士会、石川県病院協会、石川県保険医協会、石川県歯科衛生士会などの石川県の医療に携わる団体が、現在のわが国の医療政策について話し合う会です。今回は、意見発表はなく、事前に意見を医師会へ送り皆の意見を集約して、決議文を採択するという流れでした。

他の団体の意見を読んでいるとよく出てくるののが「チーム医療」「医療連携」です。

他の団体はいいとして、私たちがどうチーム医療として関っていけるのかということですが、チームを組む時、まず大切なのは共通認識、共通言語です。私たちの業界は他の医療団体と比較すると、ほんとうにバリエーション豊かだと思います。というのは鍼灸の方法にしても、考え方にしてもバラバラだということです。

鍼灸の治療方法がバラバラなのは、西洋医学に比べて数千年の長い歴史があり、また、そんな昔のデータなどは残っているはずもなく、文章ではなく口伝で言い伝えられたものも多く存在します。数千年前に記された古典を解釈して、それを重視し身体を診て治療する古典派。その古典派も長い歴史の中で、様々に分かれていきます。文化大革命や多くの戦争で失われた書物が日本にあり、日本の著名な鍼灸師の書籍ももっていき中国で再編纂して形成された現代中医学を行っている中医学派。解剖学や生理学を元に反応を診て治療部位を選択する現代派。またその折衷派。と様々な形が存在します。

これを一つに括ったり、一つにするのは無理ですね。それぞれが効果があるから今も続いているわけです。決してまやかしでも、幻でもなく、伝承されてきた経験医学が鍼灸医学、鍼灸医療なのですから、それはそれで大きな意味のエビデンスとも言えるとも解釈できるそうです。

それではチーム医療に加わっていくにはどうでしょうか。身体観や、診断方法が全く違うからと言って鍼灸治療ができないかというとそうではありません。その治療方法が100%かというとそうでもありません。鍼灸師だけ医療に入らず、自分らだけでやってくわ…そんなことで鍼灸師の未来はどうなのでしょうか。鍼灸医学、鍼灸医療に関しては、統合医療という分野で様々な研究が行われ、多くの先進国、新興国、途上国で鍼灸医療が行われているのが現状です。その流れの中で、日本の鍼灸師だけが「私たちだけで…」でいいのかな~といつも思います。
1000年後に評価されればいいわなんて言っていてもいいんでしょうかね。自分が生きているうちに多くの市民の皆さまに正しく鍼灸医学、医療を理解して欲しいと思います。

危機感があるのであれば、医療者と共通言語で話せる、様々な医療者と付き合い、情報交換をし、鍼灸医療の活かせる道を開いていく必要があるとも思うのです。鍼灸師にしてもそれぞれの役割がありますが、大きな流れに乗りつつ、自分の芯を忘れないことも大切かと思います。

えーっと何の話ししてたっけ

そうそうチーム医療の一翼を担っていくためには、広い視野と懐の深い探求心を持ち、勉強し、行動することが大切だということだと思うのです。私が思うに鍼灸の保険診療も区別化すればいいと思うのですね。方法はいろいろあると思いますが、要は患者のため努力した人が報いられる業界にしないといけないのではと思います。

あら~っ、長くなってしまった

いろんなことを感じ、いい勉強になりました。

さて、さて、この日はこれで終わりではなく、次なる目的地、都ホテルに向かったでごじゃった~


二葉鍼灸療院 田中良和
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和スゥイーツのお店 「つぼみ」 

2012年02月10日 | お気に入り
1月29日(日)、金澤翔子さんの書展を拝見した後、次の予定まで若干時間がありましたので、私のお気に入りのお店「つぼみ」へ立ち寄り、まったり和を感じながら読書をさせて頂きました。


 席から入口を見た風景


 席からお店の中を見た風景

ここのお店は、以前、お友達に紹介して頂いたのですが、それから私のお気に入りとなりました。なかなかゆっくりする時間がなくお邪魔することができないのです。最近はお忙しいようで、そんなに大きいお店ではないのもあり、そーっと覗くと「いっぱいだ」のことがよくあるわけです。


 磯辺焼きと~


 本甘酒を~

頂きました。

美味しゅうございました。

お店の空気や雰囲気など街の真ん中にあるとは思えないくらいゆったりと、ゆっくりと寛げます。私はですけど。だから、お客様の心情としては、繁盛して欲しい反面、忙しくザワザワして欲しくないな~なんて勝手に思うのです。

あっ、ちぃーと待てよ。それがファンとなるお客様の心情だとすると…いや~自分の体験が自分の仕事にも活かせる、いい勉強になりました。

この「つぼみ」さんは、材料にもこだわっています。バレンタインデーも近いですが、このお店の「抹茶生チョコレート」と「きなこ生チョコレート」は、これが絶品でございますですよ。酒好きの甘党である(酒好きは関係ありませんが…)私にとっては、口の中でフワフワ、スーッと融けるようなこのチョコレートはたまらんのです。

ブログにいらした甘党の、スゥイーツ好きの皆さま、一度食べてみる価値はあると思いますよ

ここの御主人とは、子どもさんが野球をやっているということで、お客様が少し引いた時には、野球談議に花を咲かせることもあります。

私の寛ぎの場所をお披露目しました。
そうそう、トイレの配置なんかも面白いですよ。


寛ぎの時間は過ぎ去るのが早いものです。次なる目的地、石川県医師会館へ向かったのでした


二葉鍼灸療院 田中良和
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金澤翔子 書展 ~ダウン症とともに~ 

2012年02月10日 | 日常
今年は日本海側の各地で大雪です。それも記録的な大雪です。地球温暖化んん~って感じですね。金沢はそんなに雪は多くありませんが、久しぶりに底冷えする寒さがやってきております。



 今年は70~80cm級のツララがよく見られます。

  

1月29日(日)、患者さまのおススメもあり、金澤翔子さんの書展を見に行ってきました。

この日は…も、忙しい一日でしたので、スタートくらいはゆっくりと心を落ち着けてスタートしたいな~という思いもあり、午前中、金沢市の加賀料理 金沢石亭さん横にある国際交流サロンで開催している彼女の書展を見に行ったわけです。

いや~でも開催の最終日だったのでついてましたね。





  
 
上は、国際交流サロンです。日本の昔のお家ですね。廊下などを歩いているとなんだか心地良く、懐かしい感じがします。国際交流にはもってこいの日本家屋です。いいな~と素直に感じました。ここで書展をやることで何やら書がさらにひき立っていたように感じられました。


最近はあまりテレビも観る時間もないので、ダウン症の女流書道家 金澤翔子さんのことは全く知りませんでした。ここ数年、いろんなテレビなどに出ているそうです。(彼女の詳しいプロフィールはこちら…ちょっと拝借させて頂きました)YOU TUBEで動画などを見せて頂きましたが、本当に素直に真剣に、そして精魂込めて書に向かっている姿は感動しましたし、私もハッと感じたところがありました。

彼女はダウン症に生まれ、5歳から書を習い始めました。お母様が金澤蘭鳳さんと言って書道の先生であり、何か翔子さんに身につくものをと始められたそうです。翔子さん含め5名から始めた書道教室も現在では150名を教える教室になっているとか。

彼女の作品は、鎌倉にある建長寺京都の風神雷神図屏風のある建仁寺などでも書展を開催されたそうです。
また、NHK大河ドラマ「平 清盛」の題字も彼女の作品だそうですね

ハンディキャップを持って生まれてくる皆さんに仕事をさせたり、芸術をさせると、びっくりするくらい集中して、きっちりと仕事や作品をこなし、作っていくと聞きます。多くのことはできませんが、一つのことに対しては、本当に素晴らしい才能を発揮するようです。

翔子さんの書を見ると、「絵みたいやな」「動き出しそう」「立体感がある」という感覚を私は受けました。特に書や絵が分かるわけではないですが、その作者の気持ちと言うか、心から発する波動のようなものは感じることができる…んじゃないかな~なんて思ってます。

いくつかの作品の中で、私が「素晴らしい」と感じたのは、奥の部屋に展示してあった「夢」という作品と、「一期一会」という屏風になった作品でした。そして小さい作品でしたが「根」でしたね。とくに「夢」は、純粋に、そして、思い続ければ「夢」は叶うんだよという声が聞こえてきそうな作品でした。

外は寒く冷たい空気に満たされていましたが、心と体のあちこちに温かい炎が点火された感じで、心の中からホワ~ッと温めてくれる、そんな感覚に浸った時間を過ごさせて頂きました。

人の純粋な思いから生まれたものは、こうも人を感動させるんだな~と、心の奥の方から感動させて頂きました。

これからも、金澤翔子さんには頑張って頂きたいですね。そして、彼女の書展が開催されるなら再び行ってみたいです。

いい時間を過ごさせて頂きました。情報を教えて頂いた患者さまに感謝です。


二葉鍼灸療院 田中良和
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中和医療専門学校 新年交歓会へ行く

2012年02月09日 | その他の活動
1月22日(日)、私が卒業した鍼灸の専門学校同窓会の新年交歓会に参加しました。

一応、専門学校の同窓会役員もさせて頂いておりますし、アトラクションの司会も頼まれていましたので参加したわけです。

実はこの日、午前に、石川県鍼灸マッサージ師会の理事会、午後から、業権対策の講習会が金沢でありましたので、どっちにしても忙しい一日だったんですけどね。

始発に乗り込み名古屋へ…

乗り込むやいなや、少ない人数の乗客の中、昨年まで鍼灸マッサージ師会の事務として勤務して頂いたUさんと鉢合わせ 関東にいる御親戚の方のお見舞いだとか。知ってる人に偶然会うと何か得したような気持ちにあるのは私だけでしょうか


 第22回 中和医療専門学校 新年交歓会 

 日 時:平成24年1月22日(日)  午後1時~4時30分
 会 場:名鉄グランドホテル 11階 柏
 主 催:中和医療専門学校同窓会
 内 容:講演会 (演題)「日本のスポーツは何処へ向かっていくのか
                   ~ぎふ清流国体から見えてきたもの~」
            (講師)西脇 勝己 様
                 (財)岐阜県体育協会 競技スポーツ担当 課長補佐
                 ぎふ清流国体推進局 競技力向上対策課 課長補佐
      宴 会



 会場の様子

 
 本日ご出席の東洋医学研究所の面々


 山田 同窓会長のご挨拶


 右田 中和医療専門学校 校長のご挨拶




 講師の西脇様

よ~く見ると、どこかで見たことあるような~、どこでお会いしたのかな~と思っていたら、大学を卒業して2年、体育教師として中和に務めていた先生でした。私が在学中お世話になった先生だったのです。
「お久しぶりです」とお互い、挨拶。偶然ですな~これも。



  
 パワーポイントで分かりやすく説明されていました

講演の内容を箇条書きにして書きますと…

☆日本のスポーツを変えていこう。10年で大きく変化するだろう。

☆子どもたちのスポーツ環境を整えていく。
 ・単一スポーツだけではなく、いろんなスポーツを行う。
 ・スポーツによるコミュニケーションづくりを行う。
   例えば学校の水泳にしても、日本は各学校にプールが一つであるが、ヨーロッパは
   地域に一つ大きく立派なプールがあり、そこを利用する。そこに大人と子供、社会
   とのコミュニケーションができる。
 ・子どもの体力は、「すごく出来る子」と「出来ない子」に極端に二極化してきている。

☆運動生理学的には、1~5歳は基本的な運動を行う基礎づくりの時期。また12歳までが運動を学習
 するために最適な時期。
 ・欧米では、この最適運動学習期にナショナルチームクラスよりさらにレベルの高い指導者を
  あてるようにしている。
 ・サッカーや水泳では、その傾向にあるが日本ではまだ旧態依然とした指導者が成長期の子供
  のスポーツを指導している。

☆フランスでは柔道の指導者には300時間に及ぶ講習が行われ認定される。

☆よい指導者とは、「きき上手」であり「ほめ上手」である。
☆子どもたちをスポーツでバーンアウト(燃え尽き)させない。小さいころから激しく、厳しく
 行うと、そのような傾向に陥りやすい。
☆中体連、高体連は、子どもたちを正しく指導できるような指導や、指導者を育成すべきである。
 でなければ…。

☆国体の選手強化をするためには、選手を集めなくてはいけない。しかし、そのためには就職先などもお世話する必要がある。多くの企業の方にご協力頂いた。その際、ただ競技力があるだけでは、国体のための単なる埋め合わせになってしまい、企業の方に御迷惑になる。地域や企業も「この選手に就職してもらってよかった」というようにしなくてはいけない。だから選手の就職を世話する場合は、その人の人間性をみる。人間性の乏しい方は、いくら技術があっても選手としてご遠慮して頂く。

☆ぎふ清流国体は、国体にかける費用を約160億円で計上している。箱モノは一切つくらない。既存のものを使う。この費用は過去最低の予算である。

☆トレーナーとして鍼灸師さん、柔道整復師さん、マッサージ師さんに国体でもお願いしたいのであるが、ドクターとの関係で上手く調整がとれない所がある。しかし、必要とされている分野であるので、国体の際には力となって欲しい。

西脇様には、熱く語って頂きました。その後、若干の質疑応答の時間がありあましたので、私が石川県スポーツトレーナー連絡協議会(IST)での取り組みや、国体に向けての目標など、石川県でのスポーツ選手に対する医療者団体の取り組みとして、質問というより、状況説明をさせて頂きました。
今年の講演会も勉強になりました。私にとってはタイムリーなお話でしたので。


 葛谷理事長 乾杯のご発声



 ご来賓としてご挨拶される 一般社団法人 生体制御学会 名誉会長 黒野保三 先生

黒野先生は鍼灸マッサージ師の明るい未来について話されていました。やはりお話を聞くだけで勉強になります。15年先の医療や鍼灸を取り巻く状況を視てのご挨拶でした。

 
 アトラクションで司会を務めるのは…

本日の出席者は約80名。若干少なめでしたが、楽しい時間でした。


 最後は、18階のレストランで役員反省会


来年は、さらにいろいろと行事が重なるかも…と、もう来年の心配をしているのでした。
まあ、成るように成るさ


二葉鍼灸療院 田中良和
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はせ 浩 新春国政報告会 参加

2012年02月09日 | その他の活動
1月21日(土)、診療の合間を抜け出し、馳 浩 先生の国政報告会に参加しました。

(社)石川県鍼灸マッサージ師会の一人として、常盤会長、杉田副会長、宮川組織局長、林相談役とともに出席しました。

 はせ 浩 新春国政報告会 

 日 時:平成24年1月21日(土) 午後3時~4時すぎ
 会 場:ANAクラウンプラザホテル 3階 大宴会場 鳳




大勢の人でしたね~。大宴会場が満員でした。
県議会、市議会議員、富山からの議員さんが駆けつけていましたね。




 皆さんに活動報告する馳先生

なぜ馳 先生と書くかと言うと、私が星稜高校1年生の時、1年間だけ古典のしていたわけです。その後、長州 力 率いる新日本プロレスに入門されたので~す。


 乾杯のご発声は 山野之義金沢市長

山野市長の横におわすは、根上の御老公か~

この会場を訪れている人は、政治に、政治家に何らかの期待を持って来ているわけです。またいろんな目的があるから参加しているわけです。会社でも、団体でも何か事を行う時は、行政や政治家の力が必要になる時があります。私たちの団体もそのために参加しているわけです。馳先生にも国政の場に、いろんな形で鍼灸マッサージ業界の訴えを届けて頂いています。

これから私たちの業界も厳しい時代に突入する…している…でしょう。広い視野と奥行きのある「ものの見方・捉え方」を持って対処していかなくてはいけない時代なのでしょう。厳しくなるというのは鍼灸の保険(療養費の給付)のことです。しかし、鍼灸マッサージ医療を受けやすくするこのシステムは、患者さまのためにも守っていかなくていけません。いくら不当な扱いを受けたとしても訴え続けていかなくてはいけません。そのためにはいろんな力が必要なわけです。そのために会の活動をしているわけです。また、このような場に出席しているのですね。

まあ、最後は自分の覚悟と決断で、自分で自分を守って、攻めていくことが本道なのですが。


これだけたくさん参加者がいると知っている方々も、チラホラと目に着きました。医療関係の方、患者さま、星稜高校関係、星稜野球部OBと、ペコリ~ペコリ~とご挨拶させて頂きました。

今年に入って、昨年よりさらに動き回ってま~す。なんだかな~

気力と体力が続く限り、動き回りまっせ 
明日は始発で名古屋へ行かなくては~。なかなか忙しい週末です


二葉鍼灸療院 田中良和
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平成24年 金沢市鍼灸マッサージ師会 新春役員懇親会

2012年02月03日 | 鍼灸
1月19日(木)、下記のように行事が開催されました。パート2です


 金沢市鍼灸マッサージ師会 新春役員研修会・懇親会 

 日 時:平成24年1月19日(木)  午後6時30分~7時20分(研修会)
                      午後7時30分~9時   (懇親会)
 会 場:金沢ニューグランドホテル 3階 バラッツオ

 研修内容:「金沢市の福祉行政~健康に関する取り組み~」

        (講 師)金沢市役所 福祉健康局 健康推進部 健康総務課
                               課 長  加藤 実 様

        「私の教育についての考え」
 
        (講 師)金沢市議会議員・当会 顧問  下沢広伸 様

 懇親会:
      ご来賓 (金沢市長)                 山野 之義 様
           (石川県議会議員)             下沢 佳充 様
           (金沢市議会議員)             下沢 広伸 様
           (石川県立盲学校 校長)         松原  清 様
           (石川県鍼灸マッサージ師会 副会長) 岩田 昌弘 様
           (全日本鍼灸学会 石川県鍼灸研究会) 中田 和宏 様


~懇親会~

ご来賓の皆さまからのご挨拶、そして、金沢市鍼灸マッサージ師会役員の今年の抱負を30秒でまとめてスピーチという具合に進行していきました。

司会はここ数年、私が務めていましたが、本年より若手の先生に譲りました


 常盤会長 ご挨拶



 
 ご来賓 山野市長のご挨拶


 下沢市議会議員 ご挨拶


 石川県鍼灸マッサージ師会 副会長 岩田昌弘 様 ご挨拶


 全日本鍼灸学会 石川県鍼灸研究会 代表幹事 中田和宏 様 ご挨拶


 松原 清 石川県立盲学校 校長 乾杯のご発声
 って、これ乾杯の写真ではないですけど~
 なかったので、この山野市長の挨拶写真で間に合わせました




 様々な公務のお忙しい中、若干遅れてご参加された下沢県議会議員 ご挨拶


 こちらもお忙しい公務の中、ご参加頂いた山野市長が、高校の先輩でもある下沢県議の
 ご挨拶を受けて、もう一言話されてました


 会長、副会長、以下理事、そして相談役に至るまで今年の抱負&一言
 その代表写真は、総務部長 安井先生。私とは幼馴染です
 この業界でばったり30年ぶりに再会


 最後はみんなで集合写真を撮ろう
 ということで、市長も、県議も、市議も、最後まで残って頂けました。
 来賓の皆さまが最後までご参加頂けましたので、司会の太田、藤田の両若手先生の
 ミッション成功ですな~

 お酒とバタバタで、写真がボケていることは御容赦ください。
 もしかして、目を細めるとハッキリ見えるかも~ ○○○○かい


 二次会、行くんけ~
 行くぞいね~

   
 若手からベテラン相入り混じり二次会

二次会の会場はマクリハニッシュという木倉町のバーです。ここは仲間のМ先生に紹介してもらいました。私もたま~に行きます。
なかなかいいバーですよ。お店の雰囲気も、マスターもいい人ですしね。

役員の先生方には、平日の忙しい時間に、診療を休んで出席して頂きました。鍼灸マッサージ師だけで、市民権を得られるならいざ知らず、鍼灸マッサージの保険にしても、何か事を行う時にも、役所の方々や議員さんの力が必要になるわけです。そのために私たちはこういう団体だよということをアピールしておかなければいけませんし、お互い協力していかなければならないのです。そのためにこういった行事を行います。

どうせやるんなら、心は楽しくやらないとね 私自身の心や身体にも、その方が気持ちいいわけです

そんなこんなで、今年の役員研修会&懇親会は、楽しく幕を下ろしたのでした~
さ~て、何時に帰宅したのやら


二葉鍼灸療院 田中良和 
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