平成25年は、伊勢神宮(神宮)が20年に一度の式年遷宮の年です。出雲大社も60年に一度の式年遷宮の年です。今年は例年に増して伊勢、出雲ともに多くの参拝者でにぎわっているとか
私は今月の11月23日、24日の連休に出雲大社へお参りにいってまいります。
そこで、あまり小難しく考えず、自然に自分の中に湧いてきた「なぜ、日本の皆様は伊勢神宮に参拝したくなるのだろう?」というところを自分なりに考えたことを書いておきたいと思います。
昨年は奈良のお寺巡りをしたのですが、その小旅行も出雲へ行く前にブログ更新したいと思います
『日本の心を伝える伊勢の神宮』 山中隆雄 著を参考に、自分なりに考えていきたいと思います。
(緑字は抜粋です わたしの言葉は◎です)
今から千三百年前に、『古事記』などの歴史編纂を命じられた第四十代の天武天皇が、伊勢の神宮は二十年おきに新しい建物にする制度を定められました。神宮の年中行事の最重要祭典は新嘗祭です。その祭典の二十年に一度の大新嘗祭が遷宮と考えてよいと思います。
人間生活に必要な「衣・食・住」について、神宮では「食」は毎年、新嘗祭で新しく蘇っているのですが、「居・住」は二十年に一度すっかり新しくするわけで、それが式年遷宮です。式年とは「定めの年」の意味で、二十年に一度と決めて行われるのです。
(天武天皇の皇后さまであった第四十一代の持統天皇4年に第1回の式年遷宮が行われ、今年で62回目となります)
◎式年遷宮をみても、一つのことを継続して行うことの大切さがわかると思います。千年以上にわたって政権が代わっても、時代が変わっても、天皇に対する国民の考え方が違っても、粛々と伝統が受け継がれ、毎日のお祭りの中で神宮において変わることなく行われています。そこに易経で言う不変、変易、簡易という自然に即した考え方もがあるのだと思います。変わらず受け継がれてきたことこそ人々の精神の軸、何事があろうと揺るがない強さであり、日本が発展するうえでの根幹・見えない基盤となったきたのではと思います。
生物から子へ生命を同じ姿で引き継ぐように、あるいは人間の身体の細胞は日々新しく生まれ、古いものと変わりつつ遺伝子を確実に受け継いでいくように、また、稲が同じ形で稔り、親と全く同じ姿で生まれ変わるように、それぞれの個体の永遠の命を維持するのと同じ自然の心と形で表しているのが遷宮です。
ピラミッドやパルテノン神殿も、永遠を目指して造られたはずですが、今は廃墟となりました。それに比べ神宮は今も神々しく輝き、日々の祭りが行われ、生き生きと存在しています。したがって、そこには深遠な思想があり、遷宮とは、社殿を新しくすることにより、国も生まれ変わり、国民も新鮮に清く明るく、日本の国が若返り、永遠の発展を願うという最大最高のお祭りと言えるのではないでしょうか。
◎私たちは清掃された場所や、空気のよい場所でいると、気分よく過ごすことができます。そして、明るい気持ちで行動できます。仕事や人生の活力にもなります。しっかり睡眠をとって身体の新陳代謝がスムーズに行われると、朝、気持ち良く目覚めることができますし、体も心も軽く楽しい一日、活力ある生活を営むことができます。神宮で日々行われるお祭り、式年遷宮や新嘗祭による神宮の清い空気を纏うことにより(ご参拝すること)、私たちも精神や魂、心身を清く明るいものにさせていただいているのでしょう。
第58回(明治42年)の遷宮の時のことです。その当時、神宮は国が運営していました。そのときの内閣を代表して、芳川顕正内務大臣と田中光顕宮内大臣の二人が明治天皇に、神宮の建築様式について掘立柱などの古風の様式を近代的に改め、また檜材の確保の問題も含めて遷宮の際に意識の改革を具申したところ、陛下は許されず、「我が国の固有の建て方で、昔の古いことを知り、祖宗が質素な中に起臥あそばされたということなど神宮を通して、我が国建国の基を知るのであるから、永久不変のものでなくてはならぬ」と仰せになり、第58回式年遷宮以後も、そのままの様式を踏襲されたと、『明治天皇紀 第十』や日野西博 著『明治天皇の御日常』でも知ることができ、神聖な天祖の地の美風を尊ぶ陛下の御心を教えられ、感動したことが忘れられません。
◎世は西洋文明を取り入れるのに躍起になっている明治時代です。上記の具申に対して何が大切かを説いた明治天皇の御言葉は腑に落ちました。変化は世の常なれど、変えてはならぬものがある。何を変えて、何を変えてはならないかを、過去を鑑み、未来を見据えて、今、より正しい道を選択する決断が必要になります。私たちは神宮や出雲大社、全国各地に散在する神社に対して、このような悠久の昔から変わらない目に見えない根本というものを感じ、感謝するために参拝に足を運ぶのかもしれません。
また遷宮では、これらの建築物を新しくするのと同時に、神様の御装束(おんしょうぞく)や神宝(しんぽう)も古式のまま新しく調達されます。装束とは「飾り立てること」で、衣服、装飾品など、遷御の儀式に用いる品々の総称です。神宝とは神様の調度品で、紡績具、武器、馬具、楽器、文具など、全部で二千五百点になります。これらが確実に調製され、次代へ継承されることにより、日本の技法が脈々と伝わっていくわけです。
◎遷宮では、全てを新しく生まれ変わらせるわけですが、技法、技術、そこに流れる精神は古と寸分変わらないものを伝承していく・・・本当に素晴らしい伝統を伝えるシステムだと思います。
日本人がなぜ神宮(お伊勢さん)や出雲大社など神社へお参りにいくのか そのような壮大なテーマは私には分かりませんが、私自身は、一つに、まず日本という精神文化を脈々と受け継いでいただいている見えない力への感謝と畏怖、一つに、その心でご参拝することによる謙虚さの再確認、一つに、神聖な、清澄な、凛とした空気に触れることで新しく清い自分に生まれ変えることが、お参りにいきたくなる、突き動かされる理由なのかもしれません。
そして、それを自分の生活に活かすことではないかと思います。
そんな気持ちで、出雲大社へお参りに行ってきたいと思っています
久しぶりの長~~~~いブログにお付き合いいただき、ありがとうございます