二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

輪島へ ~自然を満喫~

2011年05月30日 | 地球環境・大自然
母の実家を後にした水戸御老公一行は…とは、違いますが、母の姉のお家へ向かいました。

ここでは何が目的かと言うと、母のお姉さん二人の元気な姿をみることもそうなのですが、食料調達が目的なので~す お米や野菜、山菜、梅干し、その他もろもろ頂くのです。私の三大好物のジャガイモは外せないのですが


 ※ちなみに私の三大好物は~、鰯・明太子・ジャガイモです



 タケノコちゃんで~す



 母とその姉は、身支度をして山菜採りへ
 帰ってきた二人は納屋で山菜をキレイに、調理しやすいようにしています。

私は「ちょっと山の中へ散歩行ってくるわ~」

ということで、母姉さんのお家の裏にある獣道から山の中へ…




 
これ道 獣は通ってるっていう道をかき分けて散歩したのでした。久しぶりに歩いたって感じがしましたね。

山の上へ奥へ奥へ進んでいきました。


 竹とタケノコ、親子の写真で~す


 山水


 やっと道が開けて思う

  人があまり通らない、通ったことがない、道なき道を進むのは
  不安もあるが、好奇心をもかきたてる。  
  そして、道が不安定で、踏み場が分かりづらい時は、自分の足元を
  しっかりと見つめ、踏みしめていく必要がある。

  そこに道ができるのだと。次の人が通るための目印ができるのだと。
  次に自分が歩むための目印でもある。

  人が来た道を歩むことは、そんなに難しいものではないし、
  そこに明確な道がついていれば、何も感じることなく通り過ぎるのかもしれない。
  
  その道は確かに自分が歩んでいる道であるが、そこには好奇心なるものは
  大きく存在はしないな~。
  
  どちらの道が自分には合っているのか

  自然の道を歩くのも、人生を歩くのと共通するところあり。

なんてことを思いながら歩いていましたとさ。


 道がほぼなくなる所まで歩いたら、ため池を発見
 川の流れを辿っていったのだけどね。

人工的な音が皆無の場所なので、自然の音に耳を澄まして、しばし瞑想 自然の音を感じてみました。

近い鳥の鳴き声… 遠くの鳥の鳴き声… 虫の飛ぶ羽音… 木と木が風で擦れる音、葉と葉が風で擦れる音、水が流れる音、風が横ぎる音…、魚が飛び跳ねる音…

短い時間でしたが、自然と融合し、自然からのメッセージを感じ、自然の一部だという感覚を味わってみました

人工物に囲まれた現代社会では味わえない感覚、本来の生物としての感覚を感じることができて、何か気持ちよかったですよ。



 下界に降りて、散歩していたら近くの神社があったので参拝

鍼灸師仲間のY先生の影響か 最近、神社を目にすると自然に参拝してしまうんですよね。お伊勢さんはまだ一度も参拝したことがないので、今度行きたいと思っている、そんな思いもあるのかもしれませんね。

帰りは、ねぶた温泉で一っ風呂浴びて、大量の農産物を積んで金沢への帰路へついたのでした。

なかなか精神的にはゆっくりでき、肉体的にはハードな一日でした。

二葉鍼灸療院 田中良和
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日本人について考える ③

2011年05月13日 | 地球環境・大自然
日本という大地で生活する日本人ですが、自国から見るより、他国から客観的に、先入観なしに、日本人というものを観ると頷ける場合がけっこうあるかもしれません

それでは、パート②でも出てきた日本の開国当時で、色濃く日本が残っていた江戸末期へ時代を設定しましょう

1853年(安政三年)8月、日本に着任したばかりのハリスは、下田近郊の柿崎を訪れて…

「この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯である。それは装飾的なものに目をむける余裕がないからだ。それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけ食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりも良くて気持ちがいい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりも良い生活を送っているところはあるまい

と記しています。

欧米では工業が発展した頃より、雇う側と労働者など貧富の差が一段と増していたようで、労働者の待遇は悲惨だったようです。

オールコックは、日本の農村地帯を見るにつけ…

「肥沃な土壌と良い気候と勤勉な国民がここに在った」
「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑制については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕作された谷間を横切って、非常な豊かさの中で所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見ていると、これが圧政に苦しみ、苛酷な税金をとりたてられている土地だとは信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパには、こんなに幸福で暮らし向きの良い農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるを得なかった」


と記しています。

雇用者にやらされている時と、自分たちが率先して行い、幸福を感じている場合の仕事内容は、他の人からみると一目瞭然ですよね。

香港主教 ジョージ・スミスは長崎滞在中、大村湾に面する時津まで遠乗りに出かけた、その情景を…

「いっそう進んでいくうちに、切り立った山と海の景色から、肥沃な谷々のゆたかで緑濃い景観の連なりへと変わった。谷々は農作物が満ち溢れ、ゆるやかな斜面からさして高くない丘の頂きまで広がる米、ライ麦、アブラナによって覆われていた。杉や樅(もみ)に似た木が黄金色に輝く自然のほほえみの中に見事にはめこまれたエメラルドのように点在していた。椿、バラ、さらにはあるゆる種類の常緑樹が、行く手に花房のように垂れかかり、その多くは舗装のよい広い道の道幅いっぱいに広がっている。村人たちがあらゆる方角から現れて、好意のしるしを示すやら、お菓子とかお茶とか水を差しだすやらして我々を歓迎した」

と記しています。

読んでいるだけでも、美しい自然、その土地の中で生かされながら、勤労している民衆の姿が浮かんできます。また、非常に好奇心旺盛で、明るい感じも受けますね。

どこの国にも貧しい僻地というものはあるもので、東北縦断の旅の際、福島県の産地へ入ったイザベラ・バードは…

「私は日光出発以来、見てきた明白な貧しさ、真のきたなさと辛苦に対して、心の用意が全くできていなかった。しかし、私たちにとって、悲惨な種類の貧困とは通常、怠惰と酒びたりとに結びついている。しかし農民の間では、前者は知られていないし、後者は稀である。彼らの勤勉には限りがないし、安息日もなく、仕事が無い時に休日をとるだけ。彼らの鋤による農作業は、その地方を一個の美しく整えられた庭園に変え、そこでは一本の雑草も見つからない。彼らはたいそう倹約家だし、あらゆるものを利用して役立たせる。土地にたっぷり施肥するし、作物の輪作も知っており、進歩した農業技術から学ぶべきことがあるとしても、それはほんの少しである」

人の観方というのは自分の主観を入れるものです。アマゾン川奥地の原住民の生活を見て、「貧しく、汚い生活」と思っても。現地の人にとっては、自然に則した最高の生活なのです。

1857年、オランダ以外の欧米外交代表として初めて江戸入りするため下田を発ったハリスは、その道中で見た光景をその日の日記に…

「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ貧者も富者もない。―これがおそらく人民の本当の幸福の姿というものであろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以でるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本に見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」

と記しています。

日本人の幸福さ、正直さ、質素倹約ぶり、にも関わらず”足るを知る”不平、不満のない気持ち、そんな空気が、「日本を開国させてしまってもいいものか」とアメリカのエリートに考えさせてしまう、当時の日本人の空気ってすごいと思いましたね。

欧米と日本の労使関係の違いを、シーボルトと、司法省顧問をつとめたブスケの言葉にみると…

シーボルト  江戸参府の途中、中国地方の製塩業を見て…

「日本において国民的産業の何らかの部門が、大規模または大量生産的に行われている地方では、一般的な繁栄がみられ、ヨーロッパの工業都市の、人間的な悲惨と不品行をはっきり示している心身ともに疲れ果てた、あのような貧困な国民階層は存在しないという見解を繰り返し述べてきたが、ここでもその正しいことが分かった。しかも日本には計り知れない富を持ち、半ば飢え衰えた階級の人々の上に金権をふるう工業の支配者は存在しない。労働者も工場主も、日本ではヨーロッパよりも一層きびしい格式をもって隔てられてはいるが、彼らは同胞として相互の尊敬と好意によってさらに堅く結ばれている」

ブスケ  彼が書いた『日本人の住まい』という中で…

「都市にあっては、富裕階級の居住する区域は、わがアメリカにおけるほど明確なる一線を画していない。…ほとんどの都市に普通にみられることは、もっとも貧困な階層の居住する区域に近接して富裕階層の邸宅が建っている、という事実である。東京では、極端に粗末な小屋が櫛比して立ち並んだ町通りや横町があり、そこにはもっとも貧困な階層に属する人々が住んでいる。…しかしながら、このような貧民区域であっても、キリスト教圏のほとんど全ての大都市に見られる同類の貧民区域の、あの言いようのない不潔さと惨めさとに比較するならば、まだしも清浄なほうである。これは確かなことだが、日本の金持ちは、貧困階級を遠方に追い払ってしまうために、自分の邸宅の周辺を残らず買収しようなどとは、普通思わないのである。貧困階級が近くに居住したところで、いっこうに苦にならないからである。実際に、日本の貧困層は、アメリカの貧困層が有するあの救いようのない野蛮な風俗習慣を持たない」


と記しています。

日本では立場によっての厳格な線引きがあったとしても、その身の上を差別することはなかったようですね。100%ではないにしても、江戸時代末期から明治初期にかけては、そのような傾向にあったことは確かなようです。

明治初年に来日し、大森貝塚を発見したアメリカの生物学者モースは…

「なぜ日本人が我々を南蛮夷狄(なんばんいてき)と呼び来ったかが、段々判って来た。日本に数カ月も滞在していると、どんな外国人でも、自分の国では道徳的教訓として重荷となっている善徳や品性を、日本人が生まれながらにして持っていることに気づく。最も貧しい人々でさえ持っている」

と、日本人の優雅と温厚に感銘し、このような言葉を残しています。

これらを総合的に一言で、強引にまとめると、

「日本人とは、肥沃な大地、良好な気候、山紫水明の恩恵を天地から受けながら、その恩恵と正面から向き合い、活かし生かされる中で、その中から知恵を見出し、質素倹約、正直、助け合い、幸福感や道徳観などを自然と学び、その叡智を子孫に伝承することによって形成されてきた」

と、私見でありますが、考えてみました。

そうやって、日本人というもの考えていくと、東日本大震災での行動というのは、自然なことであり、戦後忘れさられていた何かを「今」取り戻す「時」に来ているのだろうと思います。

だいぶ長くなってしまいましたが、お付き合い頂き、通読して頂き、ありがとうございます

二葉鍼灸療院 田中良和
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日本人について考える ②

2011年05月13日 | 地球環境・大自然
日本人は日本の大自然によって形成される…そう考えると、今回の大震災において、これからもどんな被害や影響が出るのか見当もつかない、原子力発電の問題を考える必要もあるのではと思います。

福島第一原子力発電所の問題については、テレビや新聞、インターネットなど様々なメディアを通じて情報が流れています。そして原子力発電というものが、どういう仕組みでエネルギーを生むのか、そして、その大きなリスクは何なのかということも国民の知るところとなりました。

日本や世界をめぐるエネルギー関連事業や、その建設に関しての裏側をみるときりがなく、それだけで多量の文章になってしまうので今回は省かせて頂きまして、環境面から考えてみたいと思います。

現在も、海へ、大気中へ、放射性物質が漏れ出しています。漏れ出しているというか、原子炉が原因となる大惨事を防ぐため意図的に放出されています。土壌も海洋も放射性物質を希釈し、分解する力はあるのかもしれませんが、人間が創りだした毒を自然に垂れ流していいものかと思うのです。これは事故後のことだけでなく、正常に運転している原発に関しても言えることだと思います。

農業や漁業、畜産業の風評被害もあり、それで生計を立てている人たちには、ご苦労なんて簡単に言えないほどの苦痛を味あわれていると感じます。しかし、身体の中に入れ、食し、身体を形作る元となる「食」に関しては、確たる保障がなければ国民の皆さんが不安になるのも当然の成り行きでしょう。

原発は、これからの14基つくる予定だそうです。菅首相はエネルギー計画の見直しを発表しました。これは非常に大事なことです。また、今後、東海から南海にかけての大地震が起こる可能性も大きいようで、静岡県の浜岡原発の運転停止も決まったようです。ここもプレートが重なっているだけではなく、糸魚川・静岡構造線や中央構造線という大きな活断層もあり、非常に危険性の高い場所であるようです。

大自然を汚染してまでも、経済のため、裕福な生活のため、原発からのエネルギーが必要ですか
食べ物や水という人間の生命そのものを汚染するということは、自分を汚染するということですが、それでも原発からのエネルギーが必要ですか
300年も保管しなければいけない、放射性廃棄物を常に産む原発からのエネルギーが必要ですか
人の生命にどのような影響を与えるか解明されていない放射性物質を出す原発を、自身がガンや白血病になる、あるいは、子孫が奇形になるリスクを背負ってエネルギーを得る必要がありますか

ということを、自分自身に問うています。

話は少し変わって、

「祭り」は、今も各地で行われています。古の昔より続いている「祭り」が多いのではないでしょうか。「祭り」というと屋台…なんて何か、遊ぶことと繋げて考える人が現代には多いのかもしれません。しかし、「祭り」は、五穀豊穣を大自然に対して、祈り、感謝し、崇高する行事であり、命や魂、霊、御霊をなぐさめるものです。日本は八百万の神と言われ、どんなものにも神様が宿ると昔から言われています。常にその気持ちを忘れないように「祭り」を行っていたのではないでしょうか。日本人は、感謝と祈りを大切にする民族なのだと感じます。

米粒には7人の神様がいるって言われましたっけ 8人でしたか

原発の話に戻ってしまいますが、あのような大事故にも関わらず、原発建設予定地では、すべての工事がストップすると思いきや、「追加地質調査」という名目で発破作業が行われている所もあります。エネルギー計画の見直しが決定した現在はどのような状況かは分かりませんが…

それが、以前もブログで紹介した中国電力が計画を推し進める「上関(かみのせき)原発」(山口県熊毛郡)です。

この建設予定地は田ノ浦と言って、瀬戸内海国立公園内に位置し、昨年、名古屋で開催された”COP10”では、「生物多様性のホット・スポット」「世界遺産に匹敵する奇蹟の海」として注目を集めました。また、国の天然記念物で絶滅危惧種のカンムリウミスズメも棲息し、希少な海藻であるスギモクの群落も広がっています。この海域にしかいない生物も棲息が確認されているようです。この海域は海洋生物のサンクチュアリ(聖域)とも評されています。

そこへ、今回、大事故を起こしたような原発を建設するのです。建設が始まっているのです。海水を摂取して冷却水として使用し、処理されているとしても汚染された真水を再び海洋に流すわけです。生態系は保てますか誰が考えても分かることだと思います。

この地の海洋を挟んで真向かいに位置する祝島(いわいしま)の人たちは、全ての人と言っていいほどに、農業と漁業で生計を立てています。島民は島を挙げて大反対しています。中国電力側からの5億円超の漁業補償金を蹴ってでもです。今回の事故の被害で、三陸周辺の漁業や農業はどうなっているでしょうか
周辺住民が建設反対に反対するのは、子孫へ受け継いでいくべき大切なものがそこにあるから何だと思います。失うことによってたやすく回復できない、失ってはならないものです。

農業や漁業は国の生命線です。1億2千万人の命がかかっています。そうした産業に危険性を及ぼす原発は必要なのでしょうか 農業や漁業の安定、安全は国の防衛でもあります。食していかなければ人間は生き残っていけません。自国で、自国民の食べ物を賄えることができることは、防衛にも繋がります。

時は江戸末期、黒船来航以来、各国との和親条約、修好通商条約により開国を余儀なくされた日本には多くの外国人が訪れました。
その中の一人、カッテンディ―ケという人は…

「日本の農業は完璧に近い。その高い段階に達した状態を考慮におくならば、この国の面積は非常に莫大な人口を収容することができる」

と日記に記しています。

また、オールコックという人は…

「自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない」「江戸近郊の農村では、いたるところに熟練した農業労働と富を示す明らかなしるしを見かけた」

と日記に記しています。

さらに、ハリスという人は…

「私は今まで、このような立派な稲、またはこの土地のような良質の米を見たことがない」

と日記に記しています。

3年間、長崎商館長を務めたメイランも…

「日本人の農業技術はきわめて有効で、おそらく最高の程度にある」

と言っています。

まとまりのない話ですが、強引にまとめると、

「日本人とは、大自然への畏敬の心と他人を敬う心を持ち、天地の恵みにより形成されてきた」

と私見ではありますが、考えてみました。

長くなっていますが、興味を持たれたかたは、もう少しお付き合いをお願いします

それでは、パート③へ

二葉鍼灸療院 田中良和
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日本人について考える ①

2011年05月13日 | 地球環境・大自然
東日本大震災の復興は、予算や資金面から、インフラ面、自然環境、農業、漁業、原子力発電所も含めた環境面、避難所生活を強いられている人たちの生活、心や身体の問題、多くの問題が山積であり、出口がまだまだ遠く感じられます。

そんな中、被災した人々を救おうと、世界からもそうですが、多くの日本人が救援物資や義援金を出して、自分のできる活動を行っています。

瓦礫の山を自衛隊やボランティアの人たちが撤去して頂いています。あるいは避難所生活をしている人たちの支援を行う人もいます。津波や地震によって破壊された原子力発電所で命がけで最悪の事態を避けるため、日夜働いて頂いている作業員の人たちもいます。

被災された方々は、プライバシーもない、思い通りにならない生活を強いられていますし、住み慣れた土地を離れなければならない人たちもいます。家族や親戚の人たちと、辛いお別れをした人たちもたくさんおいでになります。そんな中にあって、被災者であるにも関わらず、自分より辛い他の人たちのことを気づかっている人たちもたくさん報じられています。

他の諸外国では、大きな災害にあった時には、街は暴動や破壊、略奪などで見ることも耐えない光景になるようです。救援物資も奪い合いです。でも、日本では、皆で助け合い、そして、協力していくことが普通であり、当たり前なのです。

日本人とは何か素晴らしい力を秘めているな~と思うのです。金持ちだ、権力があるという力ではありません。私たちのDNAに受け継がれた何かがあるんではないかと思うのです。
日本に住む外国の人たちにも、この大震災で素晴らしい活動をされている皆さまもたくさんおいでになります。私は思います。日本という風土の中で、日本人の本当の人情に触れ、親しんだ人たちは皆、日本人ではないかと思うのです。これは私が思うだけですから。日本人というより、地球人とでもいいましょうか。人は皆、人間という意味においては平等ですからね。

さて、そんなことで「日本人って何だ」というのを私の切り口で、ちょっと考えてみたいな~と思います。

大震災の避難所に天皇、皇后両陛下はじめ皇族の皆さま方も被災した国民を、お見舞いに行かれている姿が報道されています。有り難いことです。
日本という国は、2千年余の長きにわたり天皇が国民の安寧を願い、祈り、治めてきた国です。簡単に言ってしまってはいけないのかもしれませんが、天皇は昔から民の幸せを願い祈るのを仕事とされています。このように長きにわたり、政権や時代が変わっても、国を根本的に治める人(天皇)が変わらないという国はありません。それくらい尊い存在なのです。

日本という国の創造期のことを伝えるものに神話というものがあります。その神話を書き記したものが「記・紀」と言われる『日本書記』と『古事記』です。

その『日本書紀』の「天孫降臨の条」には…

≪「皇孫」に勅(ミコトノリ)して曰(ノタマ)はく「葦原の千五百秋(チイホアキ)の瑞穂の国は、是、吾が子孫(ウミノコ)の王(キミ)たるべき地(クニ)なり。璽皇孫(イマシスメミマ)、就(イ)でまして治(シラ)せ。行矣(サキクマセ)。宝祚(アマノヒツギ)の隆(サカ)えまさむこと、当に天壌(アメツチ)と窮り無けむ」とのたまふ≫

と書かれている。

意味は”その土地は、今、たくさんの葦が生えているようなところだけど、千五百年たてば、すばらしい理想の国となる。そのすばらしい国づくりに励んでいきなさい。そして大切な心をもって国づくりに励んでいけば、おまえの子孫と日本の国は天地が続く限り、永久に栄えていく、そういう国づくりをお前に頼む」と、アマテラスオオミカミがニニギノミコトに話されたというものです。

神話を信じる信じないということではありません。天皇も天地の運行と人が調和して生きる(または活きる)ことができるようにお祈りをされ、また人間は宇宙、地球の一部であるという事実があり、また、そこで起こる気象や出来事はこの天の運行に則って行われていることは避けようがない事実ですよね。実際、人間が創造する全てのものは地球の恩恵を受けているわけですから…

そうすると、人間は天地間、いわゆる大自然に生かされているということであり、日本人というのは、日本の大地、風土、気候など、この大自然からの恵みをベースにして成りたっていると思うんですね。

「日本人とは、日本の土地、風土、気候など大自然の運行によって形成されている」

と、私見ではありますが、考えてみました。

それを踏まえて、パート②へ行きたいと思います。

二葉鍼灸療院 田中良和
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『ミツバチの羽音と地球の回転』 上映会へ行く

2010年05月14日 | 地球環境・大自然
5月10日(月)、午前中の患者さまとの会話の中で、今日、ドキュメンタリー映画の試写会があるという話を聞きました。

その患者さまが行く予定でしたが、都合が悪く行けないとのこと。話を聞くと、活動を市民レベルから広げていきたいという映画監督の願いから、自主上映会を開いて頂けそうな方々を呼んでの試写会のようでした。

「ただでさえ忙しいから、自主上映会なんて無理ですね」なんて患者さまと話していました。監督がおいでになってトークもあるとのこと。その映画の題名と監督の名前を聞くと…

「代わりに行ってきてもいいですか?」と言ってしまいました。

上映映画:『ミツバチの羽音と地球の回転』
監   督:鎌仲ひとみ
会   場:常讃寺(石川県野々市町)

ミツバチと題名に書いてありますが、ミツバチハッチの映画ではありません(ちょっと古かった)。ミツバチは花から蜜を採りながら、同時に花の受粉も助けます。自然の循環の中で他者を助けながら、自分も生かされるという、自然の原理に即した存在の在り方。それがミツバチの意味するところです。

全体のテーマは「人類のエネルギー問題」と「自然との共存」だと感じました。

上映会の時に頂いた「公開直前 かわら版」より監督の言葉と、映画の4つの柱を書きます。

≪希望の共有へ≫
この映画の製作を始めてもうすぐ2年になります。この間、瀬戸内海に浮かぶハート型の島・祝島と持続可能な社会を目指して先を歩くスウェーデンをカメラと共に旅してきました。
エネルギーをより安全で環境によいものに変えたいと願う人々との出会いの旅でした。地域に根ざし、これからもそこで生きていこうと決意している人々です。
祝島では、先祖から続く海と暮らしを原発建設から守ろうと闘い、スウェーデンでは脱石油・脱原発にいち早く取り組んでいます。
「ミツバチ」はこの映画の象徴です。
花から蜜を採りながら、その受粉を助けます。自然の循環の中で、他者を助けながら自分も生かされるという存在のあり方。
そろそろ私たち人間も自然を壊すのではなく、自然と共に生きる道へとシフトする時がやってきたのだと映画をつくりながら感じています。
私たちはこれからどうすれば「ミツバチ」のような存在になれるのか、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

 監督:鎌仲ひとみ



この映画の4つの柱
≪1.上関原発(かみのせきげんぱつ)建設計画≫
1982年に持ち上がった中国電力の原発建設計画。山口県熊毛郡上関町の祝島の真正面3.5キロにある田ノ浦という小さな湾を埋め立て、二基の原発を建てようとしています。
当時、中国電力は漁業補償金5億4千万円を何の説明もなく祝島漁業協同組合の口座に振り込んできました。それをすぐに送り返して以来28年間、祝島島民の9割は建設に反対し続けています。受け取らないままの祝島の補償金は、今年の5月には国庫に入り、国のものになってしまいます。
今年の1月29日に祝島では、補償金を受け取るかどうかを決めるために総会を開きましたが、多数決で受け取り拒否を決定しました。海を売らない!という決意は固いのです。

≪2.持続可能な社会をつくる≫
本当の意味での持続可能な社会を求めて世界中で模索が始まっています。スウェーデンでは、世界に先駆けて様々な取り組みがなされていますが、そのスウェーデンでさえ、持続可能な社会にはまだまだなのです。
しかし、スウェーデンにはビジョンがあります。「やがてなくなるものには投資しない」「環境を破壊せずに、使ってもなくならないエネルギーを選ぶ」という決意があります。
ではどうすればいいのか?それは「地域の資源」です。

≪3.先祖から続く祝島の海と暮らし≫
海上の要所として万葉集にも詠われた祝島には、千年以上続く祭り「神舞(かんまい)」があります。島の人々は遥か祖先の昔から今日まで海と共に生きてきました。祝島の人たちには、その海を子どもたちや孫たちに残さなければという強い意志があります。
島の高齢化によって漁業や農業での暮らしが厳しくなっても、原発に頼らず、無農薬のびわやびわ茶、海産物加工、養豚など島の産業で経済的に自立する取り組みが続けられています。

≪4.生物多様性のホットスポット≫
上関原発予定地の田ノ浦は絶滅が危惧される生物が多数生息しています。
周辺は、世界最小のクジラ・スメナリや世界的にも珍しい海鳥カンムリウミスズメが子育てをする海です。また、浅瀬には日本にしか生息しない海草なども存在し、豊富な海草の存在が、小さな魚たちが育つ場所となっています。
海洋生物学者たちは、瀬戸内海でも、ここにしか残っていない、破壊したらもう二度と取り戻すことができない生物多様性のホットスポットだと主張し、田ノ浦の自然を守ろうという機運が高まっています。



映画に出てくる祝島の人たちは、田舎に行ったら、どこにでもいそうな、おばちゃんやおっちゃん、お兄ちゃんです。自然と共に生活しています。現代文明が悪いと言っているのではなく、貴重な自然を潰してまでの繁栄は、これから未来に向け何をもたらすのか、ということを考えさせられます。普天間基地の問題にしてもしかりだと思います。

原子力発電はクリーンエネルギーなんかではありません。ウランという地下資源を使うのです。そこから出る廃棄物たるや、石油が出す二酸化炭素どころの騒ぎではありません。毒性は計りしれません。その処理をすべて六ヶ所村の核廃棄物処理施設で行うわけですが、2兆5千億円もの費用(税金)をかけておいて、いまだ満足に稼働すらしていません。その間にも高レベル・低レベル放射性廃棄物はどんどん出てきます。だれがこれを対処するのでしょうか私たちの子孫です。

子どもたちに貴重な自然を残し、自然と共存することを教えていこうとする祝島の人たちの行動は全く自然なことであり、これからの社会で重要になってきます。
そして、そんな純粋で、正直な、島民の人たちが、町議会での原発の議論を見守るシーンや、中国電力が海へブイを打つのを阻止するために(ブイを打たれると法的に建設にゴーサインが出る)、仕事を休んで一体となって毎日、阻止行動に出るシーンは、本当に心の底から憤りや虚しさを感じました。

世の中、純粋で正直なものや、本当のことを言っている人たちがバカをみます。大企業やその利益に群がる、政治家、官僚、外資、間接的には大手メディアなど、自己の利益や目先の利益しか考えず行動しているところに富が集中する、そんな今の世の中の経済システムでいいのかということも考えさせられます。

大手メディアがおかしい例は枚挙に暇がありませんが、上関原発反対の署名は80万人以上のものが集まり経済産業省の役人に渡されました。その時は大手メディアは来ておらず全く報道されていません。しかし、八ッ場ダムを建設してくれ!という3万数千人の署名を渡す時には大きく報道されていたということです。何が違うのでしょうね

では解決策はないのか、それはスウエーデンの取り組みにあります。この国は2020年をめどに、エネルギーに関してはすべてを自然エネルギーに!を目指し、脱石油、脱原発に取り組んでいます。日本とスウェーデンでは経済規模も人口も違うから現実無理だと感じるかもしれませんが果たしてそうでしょうか。
映画の中でもスウエーデンの役人の人が、鎌仲監督のトークでも言われていましたが、日本は資源大国なのです。地熱(世界第3位の量)、風力、太陽光、海洋、水力、あらゆる自然エネルギーの宝庫なのです。それに意識を向け、やるかやらないか。それだけなのです。日本にはその資源も技術もあるのです。

国や役人や政治家を変えるのは難しいでしょう。できれば日本の電力産業のように独占状態ではなく、自由化することが自然エネルギー開発を加速すると思いますが、いろんな利権が結びついているので難しいでしょう。
郵政民営化なんて、国民の利益を外国へ垂れ流すような民営化をするのではなく、電力会社を民営化して、国民が自然エネルギーを使うかどうか選択できるようにすればいいと思いますね。スウェーデンのように。自然エネルギーは設備投資にお金はかかりますが、つくってしまえば資源はまったく必要ありません。地球が生きている限り無尽蔵です。ちなみに日本は年間で20兆円の石油を外国から買っています。

日本のこのような問題を解決するためには、まず真実を知ること、そして、その事実のもとに市民が熟成することが大切なのでしょう。

地球上の生物は、大自然の大循環により成り立っています。霊長類である人間も自然の一部であり、まったく例外ではありません。自然エネルギーという選択肢がありながら、どうして貴重な生物や自然環境を破壊してまで原発を建設しないといけないのか破壊した自然を人間が創れると思っているのでしょうか
田ノ浦を埋め立てるだけで祝島の生命線である漁業が大打撃を受けます。海が変わるからです。そして、毎分で19万立方メートルもの温水が海へ廃棄されます。これは原発で使う冷却水です。原発に引き込まれた冷却水は塩素処理され使用されます。そして、その海水は放射能処理してあると言われていますが、放射能汚染されてないと言えるでしょうかそんな海水(温水)が、再び海へ放出されるのです。
もし、それが安全だと言うなら、その排水口近くで、「安全だ」と言っている人が家族を連れて海水浴に行けば納得できます。できるでしょうか。そこで釣った魚を家でさばいて食べることができるでしょうか。世の中、矛盾だらけです。

未来に残して行きたいものは何なのかそんなことを考えさせられる映画です。

秋には劇場公開されるということです。是非、観て頂きたい映画ですね。また、自主上映会も受け付けているようです。「私の周囲の人に伝えたい」と思った方は、自主上映会も一つの手段かもしれませんね。

ちょっと熱くなり、長くなりました。なぜ、原発、核の話題に熱くなってしまうのか。
それは、私は鍼灸医療を仕事としているわけです。それは皆さまが健康で楽しく、笑顔溢れる人生を送って頂きたいためです。しか~し、放射能汚染された空気を吸い、水を飲み、そんな土壌で育った作物を食べ、そんな環境にいれば、いくら鍼をしても、灸をしても、病気など一向になくならず、放射能が増えれば増えるほど人々の健康状態は悪化していきます。そんなこともあり熱くなってしまうんですよね

『ミツバチの羽音と地球の回転』 おススメです 

長くなって、スイマセ~~~~ン

二葉鍼灸療院 田中良和
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