二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

2014 建国記念の日 に日本を感じる

2014年02月12日 | 日常

2014年2月11日の祝日、建国記念の日に「日本」を感じましたのでブログに書かせていただきます。

現在、ロシアのソチにて冬季オリンピックが開催されています。若干、寝不足の感はありますが、スポーツ好きな人にとっては心地よい疲労感かもしれませんね

さて、様々な選手が、日本人選手が競技に出場し、自分のパフォーマンスを発揮されています。その中でも、私が印象に残ったのは、女子モーグル上村愛子選手でした。

  ソチ~

彼女の滑りと、競技後の満面の笑みと流れ落ちるダイヤモンドのような涙に感動しました。
スポーツトレーナーとしてみる身体の動きというより、一般視聴者として、身体の軸がぶれていない美しい動きをしているところに感動しました。よほどのメンタル面の鍛錬と身体トレーニングを重ねてきたことが30秒ほどの滑りの中で伝わってきました。

そして何より、競技後のあの笑顔と涙に感動しました。 悔いなく、自分のパフォーマンスを発揮できたことの表れであり、監督、コーチ、トレーナー、栄養士など競技に直接かかわる人たち、また、旦那さまや家族、多くの支援してくださる皆さまへの感謝の気持ちが一気にあの笑顔と涙に表れたのではないかと感じました。

それを彼女の競技後のインタビューで確認することができました。報道では今回のオリンピックは自分のためにというところを強調しているような表現があったように思いますが、彼女の言葉の端々には支援、応援していただいた方への感謝の気持ちと、それに応えることができたことへの幸福感が漂っていたと思います。
そして、メダルをとれた、とれない、判定がどうのこうのということは書きませんが、上村選手のやってきたことは無駄ではなかった。そして、結果は大事だが、そこへ辿りつくまでの過程(プロセス)にこそ価値があるということを強く感じました。

上村愛子選手の行動、言葉にスポーツマンスピリッツとともに、「日本」、日本の精神を感じました。

話は変わって、先日、患者様や周囲の人たちが「あの映画、いいぞ~」ということで、『永遠の0』を観に行ってきました。

まず感動しました。少し私の目頭が・・・

主人公の孫にあたる健太郎が、祖母の死の時に、祖母にはもう一人結婚していた人がおり、その方は戦死されたということから、その祖父の足跡をたどっていくというストーリーでした。
まず、宮部久蔵の部下であった皆さんに話を聞いていくわけですが、この皆さんの心意気が素晴らしかった。戦争に限らず物事にはいろんな捉え方があるのだけれど、宮部の心遣いや思いやり、信念を体感した部下の皆さんの、原点を忘れない行動、恩義に対して感動しました。私たちが忘れてはならないことだと思いました。

宮部さんのような方は、戦時中、おいでになったかもしれませんが稀ではあったと思います。あの大きく強烈な時代の流れの中、その流れにただ流されることなく、人間として己が正しいと思った信念を貫きとおした行動にも深く感動しました。それが、家族や妻、国、若者や後輩の将来を心から思う気持ちなのだろうと思います。映画の中でも、「それが今で言うなのかな」という言葉が印象的でしたね。

そんな宮部久蔵の生き様、また、部下の恩義や信念、その心を受け継ぐ孫の素直さや純粋さに、「日本」や日本の精神を感じました。

また、私がこの映画でもうひとつ感じたのは、零戦のパイロットとして素晴らしい感覚をもっていた宮部さんが、太平洋戦争のきっかけになったと言われる真珠湾攻撃を行った際です。宮部さんは「この作戦は失敗であった」と言っていたと思います。そう、宮部さんが言う通り、真珠湾には空母や戦艦はほとんど停泊しておらず、停泊しているのは老朽化した戦艦だけだったそうです。アメリカ軍は日本軍が真珠湾を攻撃することを事前に知っていたわけです。ハワイには知らされていなかったようです。

「日本の奇襲攻撃だ!」「いくらなんでも汚いと思わないか!!」とアメリカ軍が国民に知らせたとしたら、そりゃ~どこの国民でも頭に来ます。それまでアジアへの参戦に反対、消極的だった世論が、逆に参戦しようと、強く後押しすることになります。これは日本の攻撃をアメリカが世論の逆転のため利用したものだったのです。

戦後、60年以上が経ち、私たちは戦勝国のプロパガンダや、その情報で日本に様々な理不尽な要求をしてきている国々の話を間に受けるのではなく、事実に基づいた本当の近現代史を知るべき時に来ていると思います。そのために、あの国や、かの国の虚偽の話を利用させていただけばいいのです。

日本が開戦に至る理由は多くあったと思いますが、日本が国際連盟において人種差別撤廃条項を盛り込むように提案し却下されました。第1次大戦前からアジア各国は欧米の植民地として支配を受けていたわけです。日本が東南アジアに進駐するまで100年~300年間もの支配を受けてきたわけです。人種差別撤廃をうたうことは人として生きる世界としては当たり前のことです。そのきっかけを日本軍がつくったわけです。
大東亜戦争は、アジアに駐屯するイギリス、アメリカ、オランダの軍と戦っていたのであって、現地のアジア人と戦っていたのではなかったことを理解しておかなくてはいけません。

また、ABCD包囲網も大きな要因でした。A(アメリカ)、B(イギリス)、C(中国:国民党軍)、D(オランダ)による海上封鎖です。石油をはじめ生活物資を輸入に頼っていた日本としてはなすすべがなく、日本の外国にある資産も凍結されてしまいました。その状況たるや私たちが推し量るには想像もつきませんが、その様な時代の空気の中、決断を迫られました。
後に、GHQ総司令官、マッカーサー元帥はアメリカ議会、また、回顧録において、「日本は、国民を守るための自存自衛のための戦争であった」との立場を残しています。

私が本当に言いたいのは、そんな中、日本と同盟条約を結んでいた東南アジアで唯一、欧米に植民地とされていない国がありました。タイ王国です。日本と同様、長年にわたり代々の王家が国のトップにおられます。
タイは、ABCD包囲網が敷かれる中、唯一、生ゴムや綿などの全量を日本へ輸出してくれました。また、同盟条約を帰結していた関係でタイにも爆撃が始まりましたが、タイも米欧に対して毅然と宣戦布告をされました。また、戦後、GHQにより占領されていた日本の債務を軽減してくれたばかりか、日本の子どもたちが可哀そうだということで、「像のはな子」と「タイ米10トン」をプレゼントしていただいたのです。

タイでも多くの自然災害が起こっています。また、現在はお国の内情で政情が非常に不安定となっています。
私たちが忘れてはならないのが、このような恩義だと思います。そのような歴史をしっかりと学び、世界や心からお世話になった国々に還元していくことだと思います。先人が培った日本精神を忘れてはいけないんだと思います。しつこいですが受けた恩義を忘れてはいけないのだと思います。

近現代史を歪曲して、自国のナショナリズムを煽り、相手を馬鹿にする国より、このような素晴らしい国がアジアにあるのだということを覚えておくことが必要です。経済も大事ですが、このような恩義、忠義、正しい精神を重視する姿勢こそ、これからの人と人が融和していく国際社会に必要なことだと感じます。

詳しくは、『 ひと目でわかる 「アジア解放」時代の日本精神 』 水間政憲 著 (PHP研究所)をご興味のある方はご覧くださいませ。著者の感情や私見ではなく、事実がしっかりと調査されまとめられています。そんな本に「日本」や日本精神を感じました。

建国記念の日とは、日本書紀に記されている、日本の初代天皇であった神武天皇が即位された日を記念したものだそうです。

日本の精神、日本人の心は、いろんな形で受け継がれていると私は信じております。
そんなことを建国記念の日に感じてみました。

 

  二葉鍼灸療院 田中良和 

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第95回全国高等学校野球選手権記念大会(夏の甲子園大会) 回想 トレーナー帯同記 3

2014年02月01日 | 高校野球

さて、2014年も2月に入ってしまいましたが、第95回全国高等学校野球選手権記念大会へ出場した星稜高校野球部の試合を振り返って、このテーマのブログを締めくくりたいと思います。

今大会は、初出場で初優勝した群馬の前橋育英高校はじめ、スター選手は少なかったもののレベルの高い大会であったと感じました。特に準々決勝(ベスト8)の戦いであった、鳴門花巻東  明徳義塾日大山形  前橋育英常総学園  富山第一延岡学園 の試合は、全て1点差のゲームで、うち2試合が延長戦にもつれ込むという混戦でした。

見ごたえのある好ゲームが続き、今大会の野球レベルの高さを物語っていたと感じました。そして、ベスト4には東北から2校が残りました。この時、星稜高校が決勝戦に進んだ夏のことを思い出しました。智辯学園、帝京、そして北陸から敦賀気比と星稜が残っとったな~と回想しました

 

試合に向かう阪神交通のバスの中をそっと見てごらん&到着、そして球場へ&試合前

 

 

林監督&鹿屋捕手

 

さて、星稜高校の試合です

 

 

 大会第3日目 第一試合  2013年8月10日(土)  試合開始8時  阪神甲子園球場  快晴 

        一 ニ 三   四 五 六  七 八 九  計 
  星 稜  0 0 0  0 0 1  0 0 4  5

  鳴 門  0 0 0  0 1 0  8 3 X  12

今大会は、星稜にとって6年ぶり16回目の夏の甲子園進出でした。星稜と球史に残る名勝負を演じた和歌山県代表の箕島高校、久しぶりの甲子園の開会式に顔を出した松井秀喜君が最後の夏で対戦した明徳義塾高校と、対戦して欲しいな~と思う高校が多く出場していました。

しかし、しかし、まずは1回戦です。それも徳島県代表の鳴門高校は8回目の出場といえども、2012年春、夏、2013年春、そして今年の夏と4季連続で甲子園へ出場している強豪です。星稜は2007年以来、久しぶりの甲子園出場でしたので、侮れない相手であることは確かでした。

星稜は1回にチャンスでしたが、先取点をものにできませんでした。その後は、相手投手の板東君の上手いピッチングにタイミングを狂わされ、なかなか塁に出ることができませんでした。

星稜エース岩下君は、立ち上がりから「少しかたいな~」と思っていましたが、こちらはコンパクトに鋭くスイングしてくる相手打線に対して、ランナーを塁に出しながら、我慢のピッチングが続きました。

5回に鳴門打線につかまり1点を先制。しかし、6回表にランナーを2塁において丸山君が三塁キャンパスを破る同点タイムリーを放ちました。その後が続きませんでした。相手投手は最少失点で、落ち着いて点を取られた後を対応していました。

7回には、相手打線のツボにはまり、連打で8点を献上してしまいゲームの流れはほぼ鳴門のほうへ行ってしまいました。この時点で9対1。 たいへんな試合になってしまいました。ここでピッチャーは岩下君(2年)から室木君(3年)に交代しましたが、流れを止めることができずに8回に3点をさらに献上。12対1となりました。ここで、ピッチャーが室木君から畑中君(3年)へ交代しました。1安打は打たれましたがキッチリと最後を締めくくってくれました。岩下君12安打9失点、室木君1安打3失点、畑中君1安打0失点という内容でした。
岩下君はきっと、この辛い経験を糧に、これからの厳しいトレーニングを乗り越えて、体力的にも精神的にも大きくなって、2014年、再びこの舞台に帰ってきてくれるでしょう。私もしっかりサポートするべく自己研鑽しなくてはと誓うのであります

9回表、最終回となりました。私は3塁側ベンチのすぐ上の席で観戦していたのですが、「ここでもう一ドラマ演じてくれ」「次に繋がる回にして欲しい」と思っていました。その思い、それは応援する補欠の選手たち、保護者の皆様、星稜高校の野球を観に来ていただいている皆様、また、テレビやラジオで応援して頂いている皆様、そんな全ての方々の思いが最後の回の攻撃に繋がったことと思います。
途中、投手から野手にまわった岩下君がレフト前ヒット、代打の1年生梁瀬君がライト前ヒット、1・2塁から大野君が左中間へタイムリーヒットで1点返し、打席は1番キャプテンの北村君にまわってきました。彼は本当に1年間キャプテンとしてチームを苦労してまとめあげてきました。そして、3年生の部員には強い団結力が生まれ、今回の甲子園出場の原動力となりました。そのトップが最後に魅せてくれました。

打った瞬間ホームランとわかる左中間スタンドへの3ランホームランでした。(大会第14号)
感動しました 鳥肌が立ちました 時すでに遅かったですがスタンドは感動の渦でした
彼が、そしてチームの意地が最後に一矢、そして後輩達に繋げる最後の攻撃だったと私は感じます

その後は、得点差もあり、相手投手の板東君も落ち着いたピッチングをしていたこともあり、後続を断たれて、2013年 石川県代表 星稜高校の夏は終わりました。

宿舎のホテルAPに帰り、最後のミーティング。私もトレーナーとして一言、お話をさせていただきましたが、言葉がつまり何も出てきませんでした。年齢を重ねると涙線どんどん緩んできます

「おまえら最高や

それしか言えませんでした。

ミーティング後は何か脱力感満載でしたので、もう一泊させていただき、翌日、甲子園球場でお土産を買って帰ることにしました。

最後はみんなで、オシオキだべ~

       

来年もまた、この高校野球の聖地へお邪魔することを心に誓いました。

お世話になったホテルの皆様へ感謝の言葉~

    甲子園バックスクリーン後方にあるスサノオウ神社へご参拝

今回の反省点や改善点、気づきなどをさらに発展させ、私もトレーナーとしてさらに高みを目指します。選手のためにさらに精進していきます。それが私の、選手たちや患者さまに対する責任であり、使命であり、自分自身の成長に繋がるんだ と、心新たに前進していきます よろしくお願いしま~す

 
大会期間中、選手たちを金沢から甲子園まで、練習へと運転していただいた北陸交通のバス運転士、川渕さん ありがとうございました~

 

   二葉鍼灸療院 田中良和

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