山谷MC{MCとはマザーテレサの修道会の略}のクリスマス会には400人ぐらいのおじさんたちが来てくれた。
一時は800人ぐらい来ていた時もあったが年々おじさんたちは少なくなってきている。
この日500人分のプレゼントとお弁当を用意していたので、余ったものをミサが始まる前まで浅草方面に自転車に乗って配りに行った。
土曜日の炊き出しは白髭橋でカレーを配るボランティアと自転車に乗って浅草方面を回るボランティアとに分かれて行われる、私は毎週白髭橋の方に行っているので自転車に乗って浅草方面に行くのは久しぶりだった。
いつも決まった場所に決まったホームレスのおじさんが居るとのことだったが、私は歩いている一人のホームレスにあった。
「お弁当食べませんか?」
「・・・・」
「良かったら食べて。今日はクリスマス会があったからプレゼントもあるんだよ。毛糸の帽子やカップラーメン、ビスケットや下着もあるから、どうぞ」
「あっ、こんなに。ありがとう」
「良かった。こちらこそ、もらってくれてありがとうね。{身体を}大事にね」
彼は疲れたビニール傘を杖のようにして背中を丸めて下を向いて歩いて行った。
背中に背負っているバックは随分前に紐は切れたのだろう、そのところを無造作にぐるぐると結び直されていた。
冬の寒さのなか、どこに行く当てもなく歩くその後ろ姿は孤独そのものであった。
私は「メリークリスマス!」とは言えなかった。
彼には何にも関係がない言葉を明るい口調で言ったところで、それが何になる、それが愛になると言うのか、それよりもこの彼に愛と言うものを伝えようとしているのか、その言葉は。
ただこちらの都合でその言葉を彼に使うのであれば、彼をまたどこかに、世の中の端っこよりも端っこに押しやってしまうものではないのか、そう思えてならなかった。
マザーは言う、「貧しい人たちは神さまである」と。
ならば、神さまに対して、もっともっと謙虚でなくてはならない、もっともっと愛さなくてはならない。
それゆえ、私は私の放つ言葉に十分気を付け、態度はなおさらのことである。
それは祈りとともにあるべきである。
私は彼の後ろ姿を見て、祈らずには居られなかった。
何も出来ないが、せめて、この胸を痛め、祈ることしか出来なかった。
これも私のうちに愛を生まれさせてくれる有り難い私のクリスマスプレゼントであった。
なんだか暖まりました。
世の中、誰もがクリスマスを祝えるとは限りません。
私も、たった一人のクリスマスです。