「またやっちゃったよ」と彼は苦笑いをしながら、私に近くに来た。
以前にも何度も書いたことのあるカレーの列の一番最後に並ぶおじさんである。
「どうしたんですか?名古屋の兄さんのところに行ってたんじゃないですか?」
「いや、また絡まれてさ・・・」と両手の拳の傷をさすりながら彼は笑う。
「やっぱり駄目なんだよ、オレはこういうことになっているんだよ。ちゃんと名古屋に帰ろうと荷物のカートもあったんだけど、横浜で飲んでいたら絡まれてケンカになって三日前まで留置所に居たんだよ」
「あらあら、そうなんだ。じゃ、年末年始とずっと留置所に居たんですか?」
「うん、46日間居たよ。クリスマスには鳥の足が一本出て、正月にはミカンが一個出たよ」
「そうですか・・・、温かいお正月だったすね」と私が言うと冗談はもうやめてくれよと言わんばかりに彼は照れ笑った。
話を聞けば、もう二年前の夏と同様に飲んでいた居酒屋で絡まれて、それでも最初はずっと我慢してたが殴り合いのケンカになってしまったとのことだった。
相手は肋骨を折りまだ病院に入院中らしい。
しかし、先にケンカを売ってきたのは相手で検事には「あなたも最初は随分我慢していたんだね」と慰められたようだ。
相手は店の戸を閉める木の棒を取り出し、おじさんの背中なども殴ったらしい、「まだ背中は痛いんだよ」と言っていた。
彼は不起訴に三日前になり、山谷に帰ってきた。
「もうちょっと温かくなるまで入れていてくれたら良かったに」と相変わらず彼は冗談を言って笑う。
「もう本当に気を付けてね。いつか死んじゃうよ」
「うん、死んだら線香をあげてくれよ。ここに来なくなったら死んだと思ってくれ」
「分かったよ。じゃ、そうなったら隅田川に線香を流すから」
私がそう言い終わると彼は大笑いをした。
そして「運命なんだ。オレはいつもこうなるんだ」とまた大笑いした。
私には彼の運命などは分からない、そして、彼のほんの一部分しか知らない、彼も彼の運命など知る由もないはず、ならばその運命などは運命ではない筈である。
彼には自責の念があるだろうが、そこにはやり直したい気持ちが疼いているからこそのそれだと言えよう。
そして、私にそれをもしかしたら知ってほしかったのか。
どうしようもない自分のことでも微笑みを持って接してくれる私を信頼してくれていたことも私には感じられる。
嫌なことも笑い飛ばして微笑むことにより、彼は楽になりたかったかもしれない。
「運命なんだ。オレはいつもこうなるんだ」と苦笑うしかない底にある苦しみをバカにしたり見捨てたり、どうして出来るのであろうか。
彼は私である、そう思えて仕方がなかった。