今日は毎週日曜日に行く調布教会で知人の方にコーヒーを御馳走になった。
お話があるとのことだった、それは私がマザーハウスでの洗礼を受けたことを調布教会の小雑誌に書かないかとのことだった。
私はもちろん二つ返事了解した。
私の頭の中にはずっと私にカテキズムを教えてくれたダニエルの言葉が生きている、それは教会の一員になること、コミュニティーとしての家族になることである。
私には苦手なこの啓示であったがダニエルからの願いに私は「NO」とは言いたくない思いがずっとあった、それが私を動かしてくれたように思う。
また私の洗礼のことはクロードアンヌの知人がカトリック新聞の記者が取材をするとのことだったが、それが流れ、またそれが形は違うが作り直されたのかなとも思っている。
不思議な繋がりはやはりあるものなのだ。
私に答えることが出来る限りのことは答えて行きたい、それはマザーが神さまに対して「NO」と言わなかったそれの数万分の一でも私は行いたいと誓うように思い続けているからである。