カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

今日も少しだけ書いた。

2014-07-04 13:06:13 | Weblog

 
 {誓いを超えた誓いへ}



 私は未だかつて、彼ほどに自分の死期を知る人を知らなかった。彼は完璧なほどに素晴らしい最後を自ら整え、魂とともに愛の生命を生き抜いた。それは美しすぎるほど美しく、神々しくあり、神に見守られたものであったに違いない。私はそれをどうしても疑えないのだ。

 彼はカルカッタのマザーテレサの施設プレムダンで働いていた。私は95年から彼を知り、彼に助けられてきた。彼がいつどのようにしてプレムダンに来たかは誰も知らない、なぜなら、彼は「喋らない誓い」を立てていたヒンドゥー教のサドゥー{修行者}であった。

 きっと何かがあり、プレムダンに来たことであろう、もしかすれば、最初は行き倒れて運ばれた患者だったのかもしれない。しかし、私の知る彼はいつもワーカーのように、患者たちの世話をしていた。それも誰もが嫌がるような仕事も嫌な顔一つ見せず、寡黙に行っていた。その姿には誰もが敬意を示した。シスターたちですら、そうであった。患者たちからは「サドゥーババ」と呼ばれていた。「ババ」とはベンガル語で「父」と言う意味である。

 その彼が歳を重ねていく上で病気にもなり、働けなくなったが、それでも、他の患者たちは彼への尊敬の念を無くすことは決してなかった。

 今年二月半ば、サドゥーは様態がかなり悪くなり、自らアイルランドのNGO「Hope」の病院に入院することを望み、入院した。私はそれを知り、彼を心配していたが仕事の忙しさを言い訳に見舞いには行かなかった。

 それから二週間ぐらい経った頃、サドゥーがプレムダンに戻ってきたことを知った。しかし、その退院は病状が良くなっての退院ではないことを知り、私と彼を知るボランティアたちは確信した。サドゥーは「死ぬためにプレムダンに帰ってきた」ことを。

 その後、彼はプレムダンでカトリックの洗礼を受けた。名前はジョセフメリーである。彼が洗礼を受けたと言う、その意味は安易に想像できるものではないが、彼自身が間近に死を覚悟していることを誰もが感じたであろう。彼はヒンドゥーのサドゥーとしての誓いを超えて、永遠の誓いの中へ、その時歩もうとしていた。

 3月12日の夜マザーハウスのアドレーション後、友達のイタリア人神父から、サドゥーの様態がかなり悪いので会いに行った方がいいと知らされた。翌日木曜でボランティアは休みだった。朝ミサを終えてから、私は一人でプレムダンに向かった。ミサの間やプレムダンに行く道すがら、私はサドゥーとの思い出を一つひとつ思い出しては目頭を熱くし、祈っていた。

 プレムダンに着き、最初サドゥーに会った時、彼だと分からなかったほど、顔を膨れていた。彼は苦しそうに息をしながらも、私と目をあわし、時に私の言うことに頷いてくれたり、今朝のミサでは心配でずっと祈っていたと言うと、彼は昔のような優しい笑みを浮かべたりもした。会話の中で私もカトリックなったことを告げたりもした。

 お互いに長い年月をかけてカトリックになったが、サドゥーの場合は命をかけた永遠の誓いへと向かう洗礼でもあるのだろう、それは神さまが彼を絶え間く抱きかかえているのが目に見えるようだった。私はまた来ることを告げて、プレムダンを去った。

 午後に私のゴッドファーザーのジムとゴッドマザーのジョアンとの食事会があった。そこで普段プレムダンで働いているジョアンにサドゥーのことを聞くと、サドゥーは一昨日喋ったと言うことだった。彼が喋れるとは、にわかには信じられない話であった。しかし、彼ももうサドゥーではなく、カトリックの信者であるからサドゥーになった時の誓いを守らなくても良くなっているのである。だから、数十年ぶりに彼は喋ったのである、ベンガル語、ヒンドゥー語、英語も喋ったとのことだった。

 彼は死を前にして、語らずにはいられなかったのか、何かを言い残したかったのか、私には確かなことは分からない、しかし、ただ分かるのはサドゥーは死への準備をしていることだけである。もう彼にはあまり時間がなかった。ジョアンはサドゥーが今日まだ生きていると思えないくらいに一昨日は様態が悪かったと話していた。

 3月15日土曜日、私は駅の仕事が早く終わったのでサドゥーに会うためにプレムダンに向かった。そこで初めて彼の声を聞いた。その声はまだ音を出すようになってからままならない不憫さもあり、簡単な言葉しか発することが出来なかったが、私がはっきりと理解できるものであった。

 彼にいつから喋ることを止めたのかと聞くと、うまく返事が出来なかったのだろう、右手の指先で3と7と書いたのだった。彼は何と37年間も話すことをしなかったのである。想像できるであろうか、例え神さまとの誓いとは言え、そんなに長い間不自由な生活になることが分かりながら、誓いを守り続けることが果たして可能なのであったのだろうか、いや、信じなくてはならなかった。その証明者であるサドゥーが目の前にいるのである。

 私には到底理解しがたいが、誓いを破ることなく己の真理に生きた男の神々しさに畏敬の念を抱くしかなかった。

 サドゥーには現在シュシュババンの院長であるシスターポリタ{以前は長い間プレムダンの男性病棟の責任者}にもサドゥーのことを昨日の午後に伝えたことを知らせた。

 その時、彼女もサドゥーが話したことを知ると、とても驚いていた。そして、彼女もサドゥーに会うに行くと言っていたことをサドゥーに話すと、彼は仰向けに寝たベッドの上で、人差し指を天にさし、天国で会うと示した。

 それは「もう間に合わない」と言う意味だと言うことが瞬時に分かった。サドゥーはすでに分かっていた。シスターポリタはもしかするとプレムダンに来る時間がないかも知れないと・・・。シュシュババンの院長とは、世界から集まってくる物資の処理から養子縁組、そして、子供たちの世話とその管理など計り知れないほどのハードワークである。

 だが、私は言わざるを得なかった「シスターポリタは忙しいけど、たぶん、来ると思う。彼女もサドゥーのことをとても心配していた」と伝えた。

 しかし、彼は優しく微笑んでいた。それを知っただけで十分ですと言葉に出さずに微笑みにそれを現していた。

 サドゥーはその時すでに分かっていたのである、自分の死ぬ時を。それも逃げも隠れもせず、落ち着き払った心で、死を受け容れる覚悟をしていたのである。

 この日プレムダンを離れる時サドゥーにこう言った。

 「明日はホーリーだから、駅の仕事はお休みなんだ」

 彼はとても愛くるしい顔で微笑んだ。ホーリーとはヒンドゥー教徒のカラーの祭りで色を他人つけあったりする、そして、中にはドラッグ入りのラッシーなどを飲んだりする者がいたり、狂乱状態にもなったりする者もいるので、駅の仕事は危険な状態が想像され、毎年休みにしている。これをインド人と一緒に楽しむボランティアもいるが、レイプされたりした者もいた。

 サドゥーはホーリーは色付けらたり大変だからねと言う感じでの微笑みであった。それがほんとうに人懐っこくて美しい微笑みだった。

 「サドゥー、月曜日にまた来るからね」と私は微笑み返した。


 
コメント
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