病院の廊下には音もなく静まり返っていたが、何かを語りだしたいのものたちがその痛みにうずきながらも、夜のとばりに従い、ただ沈黙せざるを得ない空気が漂っていた。
私たちはまたバブルーのところに戻ろうとしていた。
ふと廊下の汚れきったガラス窓から室内にいるバブルーの姿を見た。
「マリア、見て。バブルーを・・・」
私たちはバブルーの一挙一動をじっと見つめた、彼は何と一人で起き上がりベッド上に座り、そして、ベッドから降り、ベッド下に置いてあった、トイレに行けぬものが使う洗面器に何の痛みを感じずに普通に身体を動かし、用を足していた。
私は思わず苦笑いしながら、疲れた溜息を吐き出すように「バブルーは大丈夫だろ。ちゃんと一人で出来るんだよ。昼間のバブルーはどうだった?」とマリアに言った。
「そうなんだ、昼間は身体を動かすにもたいへんで、一人で立ったり歩いたりはまったく出来ない状態だった・・・」
そう言いながら、マリアは少しショックを受けていた。
「大丈夫だよ、バブルーは。ほんとうはどうにか身体は動かせるんだよ。ただいろいろとしてくれるから、それに甘えることを覚えただけだよ。ちゃんと賢いしさ。一人でどうにか出来るんだよ」
汚れきった窓の向こうのバブルーはもうベッド上に何ら障害もなく戻っていた。
私はマリアに期待した、バブルーのズル賢さに騙されても、何があっても差し伸べるその愛の手は変えないことを。
小さいことかも知れないが、それを意識して本心から許すことにより、その愛は輝きを失わない。
こうした助けた相手に騙される経験を数々味わってきた私と違って、マリアの心境はかなり複雑だったであろう、だが、現実を見てほしかった。
何よりもマザーも同じような経験を想像を絶するほど味わってきたことを自身の今の苦しみのうちに見出してほしかった。
なぜなら、そこでマザーは必ず慰めを与えてくれるからであり、生きたマザーとの出会いがあるからである。
「さぁ、バブルーに挨拶をして今日はもう帰ろう」
「うん・・・」疲れ切った顔ににわかに安堵の色を伺わせ、マリアは答えた。
バブルーの前に行き、今日はもう自分たちは帰ると伝えると、バブルーは何が欲しいあれが欲しいと言い始めたので、今日はもう何もない、ここでは特別扱いはしない、ときっぱりと断った、心のうちのどこかではバブルーの甘えを制する思いもあったであろう。
バブルーは私の言うことをなくなく聞きいれたその情けない顔をした表情を見ると、どうしても憎めない男としか思えなかった。
それから、周りの他の患者たちに声を掛けながら、その病室を出た。