カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

クアトロ・ラガッツィ。

2014-07-11 12:30:32 | Weblog

 昨夜「クワトロ・ラガッツィ{天正少年使節と世界帝国}」上下巻を読み終えた。

 一冊500ページほどあり、とても読み応えのある素晴らしい本であった。

 ザビエルが1549年に鹿児島に上陸して以来、鎖国までの八十余年間に日本では世界に類のないカトリックの信者数が増え、また世界に類のない殉教者を出した。

 殉教者は幼子から老若男女数十万に及ぶ、その事実を改めて知ると、この日本にこれまでもイエスのカルワリオの苦しみを味わった者たちがいることに敬服せざるを得ない。

 この「クワトロ・ラガッツィ」は作者である若桑氏が資料をたぶん数百冊読み漁り、検討に検討を重ね、その信憑性の高い事実を提示したり、また日本の資料だけではなく、
当時の宣教師側からの資料との比較、そして、そこに疑問を抱いたり、時に彼女が裁判をそこで開き、ある人物の弁護をしたりするのもとても面白かった。

 遠藤氏に興味を持ち、「沈黙」から潜伏キリシタンものを読むようになり、戦国時代の小説も好むようになり、私自身がカトリックの洗礼を受けるという決意のもとで日本にどうキリスト教が入ってきたかに興味を持つようなってから、それを知るようになり、カトリックになり、最終的にこの「クワトロ・ラガッツィ」に出会えたことは導かれたものかも知れないと思わずにはいられない。

 ちなみにこの「クワトロ・ラガッツィ」には私のヒーローの一人ペトロ岐部のことは残念ながら出てこないが、「沈黙」のモデルフェレイラは出てくる。

 彼は天正少年使節の一人だった中浦ジュリアンと同時期に長崎で穴吊りの拷問を受けた。

 フェレイラは五時間で棄教したが、ジュリアンは六十歳の老体だったが五日穴吊りされ、そのまま殉教した。

 私には到底フェレイラを非難することなど出来ないが、ジュリアンの信仰に敬服するばかりである、もちろん、それは他の多くの殉教者にもである。

 その声を聴くことが出来ないが日本人のカトリックの一人として、やはり、聴きたいと意志は持っていたいのである。

 大きな歴史の波に弱気人間はのまれるしかなかったが、その中であれ、健気に生き抜く姿には人間の持つ何とも言えぬ神性があったのではないだろうか。

 今は遠藤氏の「宿敵・上巻」を読んでいる、またそれを感じようとしている。

 話は変わるが、台風一過の晴天を浴びて、私の緑のカーテンの朝顔は二階のベランダまで登って来ているその姿を私は飽きずに何度も見つめている。

 そこに植物の中にある健気さとその神性を見つけ出すように。

 
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