どうにかしようと思っても、どうにもならないことはある。
その地団駄を踏むような歯がゆさは私のもので、彼のものではない。
しかし、それは彼が現在感じているものの一部のようでもあるのだろう。
心は移るのである、がしかし、そこで自他の区別をしながら、変えられるものと変えられないものとを見極め、それを受け容れる勇気と静けさを必要とする。
心に傷を付けるようにして、そうしたことは何度も分かろうと試みてきた。
しかし、命に係わることとなると、それはやはり難解である。
先週の土曜日のカレーの炊き出しに久しぶりに顔を出した男性がいた。
彼は親、兄弟を激しく憎んでいた、いや、それだけではない、この世の中を憎みながら自己否定感強く生きていた。
彼は愛情を飢えながら生きざるを得なく、その生き方は痛々しいほど生きづらく映った。
しかし、穏やかな会話の時に時折見せる笑顔の奥底からは、彼が愛を完全になくしていないことも知っていた。
その日、私が挨拶をしても、彼は首を丸めて、私に一度も顔を合わせようとしてなかった。
何かどうしても気になったので、彼が二度目のカレーをもらうために並び、それをもらった後に、私は彼を引き留めた。
すると、彼の首にタオルが巻かれていることに気が付き、彼が話そうとするのだが、声はまったく出ずに、手振り身振りだけで意思を激しく伝えようとしてきた。
そして、彼は財布の中から折りたたんであった紙を広げ、それを私に渡した。
そこには彼の本名と病気名が記載されてあり、その病名は喉頭がんと書いてあった。
首に巻いた汚れたタオルが下がると気管切開されてあり、カニューレが見えた。
彼の声が出ないのが分かった。
そして、カニューレの周りから膿が出ていて、激しい悪臭を漂わせていた。
タオルにも膿が付いていて、しばらく、病院はもちろんのこと、何の消毒もしていないことが分かった。
私は病院や山谷にある無料クリニックの山友会に行くように話したが、彼は激しく拒否した。
がんだと言う絶望感、声を無くした絶望感、そのあまりの苦悩からか、怒りをあらわにし、それを激しく両手を動かして、言葉の代りに意思を伝えようとしていたが、彼の表情の方がより強く、その怒りと絶望感を私に伝えた。
彼の手話は私には怒りを除いて何も分からなかったと言っていいだろうが、しばらく、彼の怒り溢れる手振りを目の前で見ていた。
彼の痛みを感じながら見ていた。
彼は医師への不信とともにきっと病院も勝手に出てきてしまったのであろう、それが目に浮かんだ。
彼のような患者の場合、精神科医との連携があるべきところであるが、それは行われたのか、どうなのかは分からない。
ただ彼がカニューレから膿を出しながら、何の処置もしないままに新たながんの転移の可能{顎には赤い腫瘍があった}があるままで、彼は今日も苦しみのうちに路上生活をしているのだろう。
あなたは死にたい奴は死なせてやればいいと望むのか。
どうしようもない苦しみのなかにいる者はもっと苦しめばいいと望むのか。
そんなことは決してないでしょう、私と同じように彼の苦しみを思い、彼のために祈ることであろう。
無力であるが、決して無ではない、そこに神さまの救いを乞い願う姿は愛を育てていく糧となるだろう。