今朝5時前あんに起こされた。
普段は起きないだろうこの時間に起きたのはいくつかの起因がある。
一つには昨夜は休肝日だったので酒を飲んでいなかったこと、もう一つは連日のワールドカップの観戦のために5時に起きていたためである。
またワールドカップも終わってしまったので、運良く目覚めたら、あんと一緒に朝焼けを見に行きたいと思っていたところもあるからであろう。
それに週末だけに関わらず、あんとゆっくりと会話しながら散歩がしたかったのである。
もうセミの声も聞こえ始め、夏真っ盛りになり、お日様が上がり始めると黒柴のあんには暑すぎて、外に出かけるのを嫌がるのである。
また私には夏の早朝の涼しさは子供の時にラジオ体操に行く時の思いやクワガタ採りに行く時の楽しみなどを未だほのかに感じさせる匂いをかぐことができ、何ともノスタルジックな思いに包まれる。
普段起きない時間に見慣れた街を歩けば、ただまだ目を覚まさない街は非現実のようなものにも見えて、私の脳にも、あんの脳にも普段は感じない何かを感じさせる。
特にそれを感じるのは未だ人気のない駅前である、あんはこの駅前がずっと何だか怖いらしく歩きたがらない、これでは駅で主人を待つ忠犬ハチ公にはなれないと今朝は駅前を歩いた。
やはり苦手な駅前はあんは注意深く警戒しながら緊張して歩いていた。
私は「大丈夫!大丈夫!ガンバレ!ガンバレ!」と忠犬ハチ公になろうとは思っているはずもないあんを励まし、京王線と南武線の駅前を歩き、そのまま多摩川に向かった。
河原に出れば、一晩呼吸をした草たちの吐息が涼しい風に乗り、心地よく感じられる。
やはり早起きは三文の徳だと、分かりきっていることを分かり直した。
オレンジ色の朝日には会えなかったがオレンジ色の朝焼けが待っていた。
あんは久しぶりに歩く場所だったので楽しそうにクンクンしていた、それは駅前を歩く緊張感からの解放、自由の獲得のようであった。
散歩から帰ってきて、仕事までまだ時間のある私は二度寝する、読書しながら睡魔を待ち、それに身を委ねるのが何とも気持ち良かった。
そう言えば、昨日書こうと思って忘れていたことがあった。
ドイツ優勝が決まり、すぐにドイツ人の親友のグレッグに祝勝メールを送った。
私には彼が喜ぶ姿が容易に目に浮かぶ、昨夜の彼のビールはとても美味しかっただろう。
その彼から聞いたのだが、彼がカルカッタに滞在していた数年前にアルゼンチン代表はマザーハウスを訪問したそうである。
ボランティアたちはメッシを見たいと思っていたのが、そのメッシはあまりに人が多くなってしまうことを警戒して来なかったらしい、それでボランティアは残念がったと言うことだった。
何度目かのカルカッタだったか忘れたが、私がカルカッタに滞在していた10数年前、日本代表もカルカッタに来ていたことがあった、その時私は行かなかったが数人の日本人のボランティアは親善試合の応援に行った。
しかし、やはりアルゼンチン代表のようにマザーハウスの訪問をすることなどなかった。
ちなみにマラドーナも2008年12月にマザーハウスを訪問している。