この前炊き出しのために白髭橋を渡り、炊き出しを配る場所まで向かう途中に一人のおじさんがワンカップの酒瓶を前に転がし酔い潰れていた。
彼はズボンは小水で濡れていた。
その彼にあとでカレーを持ってくるからと伝え、私はその場を去った。
カレーを配り終え、彼のもとに戻ると、彼はまだ横たわったまま寝ていた。
寒さのためにだろう、お腹を折るように身体を丸め寝ていた。
まだかなり酔っていた、そのままでは酔いも覚めず、とにかく、暖かいうちにカレーを食べてもらおうと彼を起こすと、彼の手にはしっかりと財布だけは握り締めていた。
それだけは盗まれないようにしていたのだろう、またそれだけ盗みの多いことも知っていたのだろう、彼は皮の厚い手でしっかりと財布を握り締めていた。
辺りには尿臭が漂っている、冷たいだろうがそのことは彼は何も言わず、ただありがとうと言うばかりであった。
そして、田舎から米を送ってもらうから、ぜったいあなたがあげるから、と目もまだ開けきらぬ酔いのまま、ただ感謝の言葉を口にし続けた。
私は良いからカレーを食べてと、彼を起こし、どうにか腰を据えると、彼はまたありがとうと言い、尿臭漂う手を差し出した。
私は彼としっかりと握手をした。
私はカルカッタのボランティアのオリエンテーションの時や、その他でもマザーのことを話す時に、良くマザーが日本に初来日した時、山谷に来て、路上で酔い潰れた人たちを見て、マザーが何を言ったかを質問する。
すると、大体の答えは「働かないで、そんな酔っ払って!」または「汚い・・・」と言うものだった。
私は答えを教える。
マザーは「どうしてこの人はそんなに酔わなくてならなかったのか・・・」と言い、その人の心の孤独を思いやったことを伝える。
ここでマザーを愛していると思いながらも、にもかかわらず、まったくマザーと逆の心を持つ自身に気が付くのです。
もちろん、誰もがマザーがしてきたことが簡単ではないことを知りつつもです。
マザーの心の焦点はいつも目の前の相手の心に当てているのです。
もちろん、尿臭便臭や身体をうじ虫にむしばられている臭いは酷いものであったろうが、マザーにはそんなことは関係ないのである。
マザーは他に類を見ないほどの肯定的な人でした。
そのマザーを私たちのうちに生かすためには、私たち一人ひとりはまずどうすれば良いのだろうか、その問いをあたため続けていく必要があるのだろう。