話すだけ話すと彼は彼自身のなかの話しのまとまりを私が彼の話しを聞く時間内、それは私が去ろうとするその瞬間に無理やりに押し込めるように終えようとする、それは私に一種嫌われないように無意識的に話しをまとめ上げるのであった。
話す相手が居るだけで独り言にならぬ孤独からの解放を生み出したかったのだろうか。
そうせざるを得ない連続が彼の話しを作り出していたのだろうか。
その過程にはどんな孤独があったのだろうか。
彼のように相手のことをまったくと言って良いほど気にせず話す者の特徴は、それだけ誰からも相手にされずに独り言が常に多いように思われる。
そこから人は精神的に発病する者もあれば、どうにか彼のようにギリギリにところで持ちこたえながらも回りに迷惑を掛け続ける者もいるだろう。
だが、私にそんな思い込みは何ら意味を持たない、なぜなら、ありのままの彼の話しを聞くと言うことからズレを生み出してしまうだろう。
分かっていることを分からなくして、また彼の心に照準を合わし、私は私の腕の場所、足の場所、無意識に動かしています指先、表情にも気を付け、彼の前に立つことで平和の道具になろうと努めるのであった。
次の週、私は彼の姿を公園のトイレの前で見つけると声を掛けた。
「彼は食べれた?」
「いや、そんなことはオレは良いんだよ」
と言って、ほんの数メートルの距離だったが、彼は舗装された道があるのに私にいち早く近づきたかったのだろう、草むらのなかを横切り、私に近づいてきた。
私のその彼の行動に私への依存度の高さを見たが、それはまた彼の渇き、孤独の深さを同時に見たのであった。
「教会と同じやり方で行こうと思うんだ。新聞紙をさ・・・」と行き成り話し始めたが、また良くその話しが飲み込めなかったが、彼はまたゴミ拾いのことを言い始め、結局は教会のように良いことを私もしたいと言うことがおぼろげながら伺えた。
それから、彼とはまたMCの施設の前で会った。
そこでは彼は発泡酒の缶を持っていた。
彼は親のこと、次男のこと、最後に生まれた娘のこと、奥さんのこと、兄たちのこと、弟のことなど話していた。
次男のことは話すのであるが、長男のことは一度も口にしなかったので、私はずっと彼との会話中、「それで」「そうか」「そうなんだ」ぐらいの相槌しか言わなかったが、「長男はどうしたの?」とだけ聞いて見ると、彼は両目に手をあてて、「長男のことを・・・、これは絶対誰にも言わない・・・。長男には酷いことをしたんだ。長男のことを言われると辛いんだ・・・」と言い、目頭を急に熱くした。
しかし、何があったかはまったく言わなかった。
彼の兄は事故死、大阪で階段から落ちて死んだらしい、その死体を受け取りに行くように父親に言われたが断った。
母親はガンで亡くなった。
父親ももう亡くなっている。
兄から父親が死んでから会ったが、その時、父親の遺言のような言葉を受け取る。
その言葉は「絶縁」だった。
彼は60歳、いつから路上生活していたかは話さない、ただ以前はサラリーマンだったと言う。
あきらかに親を憎しみ、特に父親を激しく憎んでいた。
彼の家族への思い、罪悪感などは何も言わなかった。
それを思い考えると到底生きれない苦しみを生むのかもしれないとも感じた。
ただ父親への恨みはどうしても拭いきれない深い深い傷として、呪いのように彼にまとわりついているように思われた。
話しの間、彼は私から発泡酒の缶をなるべく見られないようにずっと尻の後ろの方に隠し持っていた。
{つづく}