昨日は山谷の炊き出しを終え、食事をし、ロザリオの祈りをしてから家路に向かった。
電車のなかでは遠藤氏の「走馬燈」を読みふけっていた。
地元の駅に着き、駅前の旅行会社で先週カルカッタまでの飛行機代を聞いていたので、とりあえず、予約を入れようと思い伺った。
そこで予約だけにしようと思っていたがチケットを買った。
チケットは実は初めてオープンチケットではないものを買った。
90日のFixである。
エアーインディアで手数料などを含めて9万円ほどで済んだので大助かりである。
それも往路は一区間1000円で変えられるのであるから、もし何かがあった場合、それで帰れることも可能なのだ、今までどうしてそれにしなかったのかがまったく悔やまれるくらいである。
チケット買うなり、何か緊張してきた、それは少しシュンとするような感じだった。
それは93年に初めてカルカッタに向かった時に感じた緊張のそれが経験を重ねても、まだ底辺に潜んでいるようである。
今回は無事に帰ってこれるのかどうか、そんな不安が私には拭い去れないのだ。
だが、これも浮き沈みし右往左往もし、決して不安だけではなく、向こうの友達に会える喜び、マザーの傍に行ける喜びなどが、何よりも打ち勝つ時も来るのである。
しかし、基本的に私は小心者であり、臆病者である。
だからこそ、私はあらゆるものを敏感に感じようとするところもある。
そして、そのなかには傷付くことを恐れて、足踏みする私もいて、またその私を乗り越えさせようとする私もいる。
もちろん、分からない未知の私も居る訳であるが、そこでまた未知の私に出会いたいと望む私もいる。
分かっている私すらに疑問を持ち、その対話を楽しむようにする、答えが一つだけの私ではないのである。
弱い私も私。
冒険を望む私も私。
私を知る、私と出会う旅に出るのだ。
次のカルカッタではどんな出会いがあるのだろうか、それを思えばワクワクもするのである。
だが、分かってもらえるだろう、あんとのしばしの別れはほんとうに辛いのである、このことは書くことも辛くなるので、ちょっと心の倉庫に大事にしまっておくことにする。
出発は1月5日、帰りはサクラの咲く頃。