一週間とはあっと言う間に過ぎる、この頃という訳ではないが、いつからか、そう感じるようになった。
時の流れのなかにある私の心は真新しい発見や好奇心が躍動するスリルなど、味わい尽くしたはずではなかろうに、何もかもが当たり前のように思える満腹感から、表面層だけをふんわりと生きているような感覚に陥ってしまうのだろうか、さて、それは分からない。
にもかかわらず人生はそこで何を私に語りかける。
私は胸のうちを静かにし、じっとその人生の声を待ち、またその用意されているものを眺めるのだが、水を手ですくうような甲斐のない動作の繰り返しのなかで無効率な動作にも思えるもののなかにすら、何かを待つ、信じて待つ。
何もない訳ではない。
だが、きっと私は何も分かっていない。
だが、分かっていないことすら分かっていないと言う訳でもないだろう。
目に見える大きなものよりは目に見えぬような微かものを尊く思っているのだ。
確かなものより、不確かなもののなかに成長の糧を見出そうとしているのだ。
そして、まだまだだと一人微笑むのである。
不必要なものはないと思う感謝がじんわり身体に染み渡る。