今夜も本をまくらに。

山歩きが好き、落語が好き、おいしい物が好き、中島みゆきが好き、
でもやっぱり活字がなければ生きていけない私。

ゆかり、できました。

2016年08月27日 | 「う」のひきだし
梅干し干しは土用と決まっていますが、連日の暑さは土用に負けていません。
レッツ!紫蘇干し。


5日間漬けて置いた紫蘇をよく絞って、パラパラとざるに広げてお日様に当てます。
陰にならないように、気がついたときに移動させます。


3日もするとパリパリになります。
日中はぱりぱりなのに、夕方になると湿気が戻るのかまたしっとりしますので取り込みは日中のパリパリの時に。


手で揉んでもパラパラと細かくなりますが、ここは文明の利器に助けてもらいましょう。


一瞬で粉砕してくれます。


何回か繰り返して、出来ました、ゆかり完成。


梅干し同様、殺菌作用があるのではないでしょうか。
お弁当にぱらぱら・・・


梅酢があれば簡単にできます。
梅酢が無い場合は・・・  来年は違うものを調合して(普通の米酢とか)試してみたいと思います。

昨夜から久しぶりに少しまとまった雨が降り、今日はずいぶんと涼しく、やっと普通に息ができる という感じです。
ちゃんと息ができるようになると、今まで放っておいた事柄をしようかなという気になります。

山とか?? ☜ 放っておいたのか??


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赤紫蘇のゆかり

2016年08月22日 | 「う」のひきだし
今年も畑に紫蘇がたくさん生えています。
青紫蘇はてんぷらにしたり刻んで薬味にしたりとたびたび摘み取って食べるのですが、
赤紫蘇は梅干しを付ける時にしか使いません。今年は梅干しを漬けなかったので(申年の梅干しは縁起がよろしい、と聞いていたのですが時期を逸して漬けずじまいです)日に日に大きく茂っていきます。

このままにしておくのももったいないので、ゆかりを作ることにしました。
しかしゆかりは、梅干しを作るときについでにできるもの、わざわざ作るにはどうするのだろう・・・
調べてみると、やはり梅酢がいるらしい。
・・・・ふふふ、以前梅を漬けたときに余った梅酢をとっておいたのが確かあるはず。


冷蔵庫の隅で出番を待っていました。最初は透明でした、色が濃くなっていますが問題ないでしょう。


なるべく軸を入れないように摘んで、洗って陰干しをしておきました。


塩を入れて(分量適当)ぐいぐい揉みます。かなり力いります。
すると紫のきれいな汁が出ます。汁をよくよく絞り、そこに先ほどの梅酢と


これも入れました。何に使おうと思って買ったのか、これは紫蘇が梅酢に漬かったもの。


よく混ぜたらジプロックに入れて、常に全体が汁に漬かっているように時々揺らしたりしながら冷暗所に一週間ほど置いておきます。
ここでカビが生えると大変なので、注意して。梅干しを付ける場合はここで色を付けるわけです。

赤紫蘇というとジュースを作るというのもありますが、私はなぜだかあの味がおいしく思えないのです。
薬だと思って飲めば飲めないこともありませんが、自分が飲まないとなかなか作れませんね。

あとネットで見ていましたら、赤紫蘇のテンプラもおいしいそうです。
今度やってみよう。





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戦場カメラマン沢田教一の眼

2016年08月17日 | 「本」のひきだし

ブクログより



沢田教一、1965年から1970年にかけてベトナム、カンボジアにおいて戦場に身を置き取材をしてきた報道カメラマンである。

沢田教一といえば、ピュリツアー賞を受賞した、幼子を抱いて必死に川を泳いで逃げる母親の姿「安全への逃避」をまず思い浮かべるだろう。
そのほかにも「敵を連れて」や「泥まみれの死」などで数々の賞を手にしている。

戦闘の合間に撮影された、ベトナムの町中の一コマや、アオザイを来た少女など、何気ない写真を撮ることで沢田がひととき安らいでいたのではと想像することは、ページをめくる私たちもほっとすることである。
常に戦闘の最前線に身を置き、緊張を強いられる毎日の中で、つかの間の安らぎであったことだろう。

目を背けたくなりような写真の数々と、サイゴンの田園風景や、無邪気な子ども達の写真、どんな写真であれ、その根底にあるものは、沢田の被写体に対するやさしさが感じられる。

沢田は常々悩んでいたという、「戦場で死体の写真ばかり撮っていたら、それに慣れてしまいそうな自分が怖い」または「撮影とは人の不幸につけ込んで、被写体の心の中に土足で踏み込むようなものではないのか」などと。
どんなに賞を手にしても決して手放しで喜べなかったといわれる所以だろう。「安全への逃避」のモデルとなった母親を捜して賞金の一部を後に渡しに行った、というエピソードもある。



戦場カメラマン沢田教一の眼 青森・ベトナム・カンボジア 1955-1970
斉藤光政
☆☆☆☆




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しょうらいさん、無事お帰り頂きました。

2016年08月15日 | 「田舎の行事」のひきだし
14日の朝食に牡丹餅を召し上がると


お昼はそうめんです。
味噌味の具の入ったつゆをかけておきます。
お供えして、ポンポン、ポンポン、お経をあげて人間もそうめんを頂きます。

そして3時ごろに頼んでおいた御餅をお店に買いに行きます。今晩の夜食用とお土産の御餅です。
御餅屋さんか、和菓子屋さんに買いに行きます。

そして夕ご飯の準備

夕ご飯は白いご飯(人間用の7分づきの米です)とおかず1品。
おかずも昔は決まっていたそうですが、今は畑でとれた野菜でこしらえます。
そしてまた、ポンポン、ポンポン。

人間もご飯を食べて、ちょっと休憩をして9時ごろからお送りする準備です。

夜食の買ってきた御餅です。これは牡丹餅ではなくあんこ餅です。浅漬けの漬物を添えて。


お土産の白餅。


お供えしなおして、今度は御詠歌を唱えます。御詠歌というのは仏の教えが5・7・5・7・7の和歌になっていて西国三十三か所のお寺にそれぞれ歌が付いています。ですので33番までありかなりの時間を要する最大イベントです。

独特の節回しで、隣の人につられたり、自分のが正しいと、ひたすら没頭して唱える人や、時々訳が分からなくなったり唱えながら笑えてきます。
本当は家族の誰も正しい節を知らないのではないかと思われます。

そんなこんなで、唱え終わるとお線香をもっていよいよ送りに行きます。
送りに行く場所は各家庭まちまちのようですが、我が家は神社の横の川にお線香を供えて送ります。
だいたい川に送りに行くのが多いみたいです。

そして本日15日、お寺に朝6時30分より施餓鬼参りをし、そのあと残っておられる人をお墓まで送って行って一応お盆の行事は終了です。


ところで、お椀についているのはお箸ですが

お盆前になるとこんな感じでどこでも売られています。

これをお椀に合わせて短く折って使いますが、近所の人が「うちは使い捨てにしてる」つまり割りばしの要領ですね。
また違う人は「うちは適当にばきばき折っててひとところにかためて置く」と言いました。「え~?ご自由にお取りくださいってか?」と大笑いをしましたが、各家のやり方を聞くのは面白いなと思いました。
我が家では毎回洗って使っていましたが、今年から真似して使い捨てにしました。

しょうらいさん、お腹いっぱい食べてゆっくりしていただけましたでしょうか。
また来年お待ちいたしております。


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田園発港行き自転車 上・下

2016年08月14日 | 「本」のひきだし



ブクログより

久しぶりの宮本作品、またしても上下巻の長編。
今回は、舞台は富山や京都らしい、いいですね。
しかしいきなりのミステリー、主人公は誰なのかな?この小説。

カガワサイクルという自転車メーカーの社長が九州に出張に行くと家族に言い置いて、富山のある駅で倒れ亡くなってしまった。

宮本さんに限りこういう題材は無いだろうと思っていたのに、社長は家族を欺いていたのですね。
それが発端で、するするといろんな人たちのつながりが出てくる出てくる・・・
こうも人の縁というものは不思議に鮮やかにつながっていくのか。
しかし不倫というものはどんな理由があれ正当化できる物ではないし、必ず不幸な人間を作るものだし、そこの点を曖昧にして、話を進めていくやり方に宮本さんらしからぬものを感じて、どうも話にのめり込めなかったのです。

人の縁というものを描くためには必要なテーマだったのでしょうか。



田園発港行き自転車 上・下 / 宮本輝

☆☆☆


お盆って考えてみたらとっても暇です。
しょうらいさんのお世話をするだけでよいのです。灯を絶やさぬようにと食事の用意です。
でも家を留守にすることはいけないのです、寂しがり屋なのかな・・・

今朝は6時からお坊さんのお参りがあり、昨夜は火の番で寝不足、ですから昼寝はいくらしてもいいのです。



しょうらいさん、朝食です。
6時のお参りに間に合うよう5時に起きて作りました。

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