フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

野外コンサートの思い出

2007-08-29 22:38:39 | ハロプロ2007
先週だったかと思うのですが、何故ハロプロは野外公演をやらなくなったのか?というスレが狼にありました。
言われてみれば、確かに最近はハロプロ関係の野外公演って聞かなくなりました。スレによると、ハロプロ関係として最後の野外公演は、2005年8月の松浦亜弥姫路城公演(ゲスト・メロン記念日、W)。娘。では、2003秋ツアーファイナル鹿児島公演。この鹿児島公演は、なっちにとって最後の娘。公演でした(安倍なつみ卒業公演は、翌年のハロプロライブだった)。

姫路は自分も行ったので、なんか懐かしいですね。そうです、懐かしいと感じるくらい野外はご無沙汰なのです。そんな野外にはこんな思い出があります。


私事なんですが、実は初めて観た娘。コンサートは、2001年8月の宮城県多賀城市公演でした。五期オーディションの前日です。ヲタの言う「黄金の9人」によって行われた娘。コンサートは、2001年夏から初秋にかけての僅かな期間のみですので、今に思えば貴重な物を観られたと納得出来ますが、観た当時は大変な思いでした。

何しろ当時はミニモニ。ブーム真っ只中。地方公演とあってヲタよりも一般人が圧倒的に多い。前のブロックから順番に規制入場をさせたはいいが、コンサート慣れしていない客が多いため列の動きが非常に悪く、更に一番後ろの方のブロックだった自分は、炎天下に公園の広場みたいな場所で待つ事一時間。周りの家族連れも表情がウンザリしていました。
しかも、入口近くでまずローソンチケットなどの機械発券チケットをメンバー写真入りチケットに交換するサービスなどをやってたため、ここでまた混雑。
やっとチケットをもぎってもらい中へと思ったら、橋を渡り更に奥にある公園に向かうという長距離。チケットもぎりの後の荷物検査の最中についに開演。ピースが流れ始めました。
周りの一般人客は怒り心頭で、結局荷物検査自体なしくずしになりフリーパス。走りながら橋を渡り、公園に入り適当な場所で位置確保を。と思ったら、ここでは指定されたブロックに入ってください!と係員がロープで四角に仕切られたブロックを指さします。
私は構わずに後ろの空いているエリアに入りました。そこには、踊りたいヲタが多数固まっていました。

とりあえずステージは?と前を見ても、ステージは遥か彼方。しかも、芝生の広場で傾斜もなく平坦なため、人に隠れてステージがよく見えません。
仕方なしにモニタを見ようとしても、昼公演故に光の反射でよく見えない始末。
もう私は諦め、曲に合わせてPPPH打ったりする事に専念しました。自身初の娘。コンサートとはいえ、前月に行われていた代々木でのハロプロコンサートを観ていたし、娘。ミュージカルも行っていた、つまり娘。単独コンサートは初参加なだけでしたので、ある程度はノリは掴めていました。私の周りにいた女の子ファン達も、見えないステージに神経を使うのは諦め、私や前で踊るヲタ達が展開する応援方法(と言っても、オーソドックスな掛け声やPPPH)を真似し始めました。
今に思えば、踊りたくて固まっていた前のヲタ集団も、見えない故に仕方なく暴れていたのでしょう。
こうして、大会場=見えない という図式から、ヲタ芸という物が後に流行り始める訳でした。ホール公演中心な現在、ヲタ芸が過去形なのは当然の流れです。


見えない、暑い、と悪い事づくめなコンサートは、確か一時間半ちょっとで終わりました。その内、カントリー娘。ココナッツ娘。のゲストコーナー、各娘。ユニットのコーナーを除いた、娘。としてのステージは何分だったんでしょうか?
私が、娘。コンサートは断固として「昔より吉澤体制の二年間が面白い!」と言い切るのも、こうした体験が根底にあったからなのでした。

今はさすがに事務所もこんな殿様商売公演はしなくなりましたが、だからこそ現在のハロプロで野外公演観てみたいです。本当は吉澤さんがいる内に娘。で一度やって欲しかったところですが。

夏は雨の心配もあるし、秋は台風があります。春あたりに、星空の下でハロプロ祭的な野外コンサート観てみたいなと思いながら、あの日の多賀城娘。公演みたいなのはもうゴメンだなと思う晩夏の夜でした。

今回のBGM 星のダンスを見においで / 谷村有美
コメント
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