Nonsection Radical

撮影と本の空間

4月24日 金曜 管理者

2015年04月24日 | Weblog
管理している者は、自分は何を管理しているのかわかっているし、何が出来て、何が出来ないのか把握している。
その範囲の中で、必要な事を行なって行けばいいのだし、出来ないところは出来る人間に任せればいいとわかっている。
だから打ち合わせをしても、的確な対応が出来るし、時間もかからない。
当然そこに感情の入る隙はない。
そもそも仕事に関して感情で判断したり、左右されては周りの迷惑だ。

しかし、管理していると思っているだけの者は、自分の管理している範囲がわかっていないし、出来る事と出来ない事の判断がつかない。
誰かに任せても、任せた範囲が曖昧だし、任せてやらしたことが自分のやった事として混同する。
だから打ち合わせをしても、的確な対応など出来ないし、時間だけが無駄に過ぎて行く。
感情が先立ち、仕事ははかどらない。
そもそも仕事に関して感情で判断したり、左右されるので周りは迷惑だ。

どちらであっても不思議と組織は成り立って行く。
もちろん「結果」は大きく異なる。

リクルートスーツがややヨレてきたこの頃。
”新人さん”は、キチンと管理者から基本的な知識と技術と仕事の進め方、責任範囲を教えてもらっているのだろうか。



湊2丁目の街並み 3
東京都中央区湊2丁目
撮影 2014年8月11日 月曜日 14時00分
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4月23日 木曜日 後始末

2015年04月23日 | Weblog
大阪を出て行く後始末をシュクシュクと行なう。
何を持って行き、何を処分するのか熟慮はせずに区分する。
出来るだけゴミとなるものを残さないようにするだけ。
そんな気分になるのも、これから”話題”になっていくであろう総理大臣談話に関して話を聞いた事も関係するのか。
そもそも戦後に生まれた世代がどうしてずっと昔の事でケンケンガクガクしなければならないのか。
ジイさんバアさんの世代がやらかした事が、今の、そしてこれからの若者に何の関係があるのか。
原因はたったひとつ。
あとあとまで遺恨を残すような事をジイさんバアさんたちがやったからだ。
良い悪いの問題ではなく、遺恨を残すような事をしたのが悪い。
相手に対して、そんなことをいつまでも・・・と言う事ができないのは、我が身を振り返って、戦後何十年とか、原爆投下とか、はたまた何回忌法要とか、過去を振り返ってばかりいるのだから、人間とはそういうものだと自分に対するように他人にも接することで理解出来るだろう。
当時の日本人は、自分らのする事が遺恨を残して、孫子の代まで影響するなどとは考えずに行動した結果が、現在まで続く周辺国とのいざこざとなっているのだ。
だから当然、その”とばっちり”を受けている現代人は、「ったくよ~、クソジジイクソババアどもが余計な事しでかすからこんな眼に遭うんじゃねえかよぅ」と憤るのが正しい反応である。
けっして総理某のように、祖父の汚名を晴らすなどと思うのは勘違いも甚だしい。
ジイさんが余計な事をしたから、困難な舵取りをしなくちゃならないんだと怒るのが正しい政治思想である。
ところが現代人であっても、自分らのジジババがしでかした余計な事に眼を向けず、今更原爆投下に対して怒るのが間違いであるかのように、過去にやられた事を持ち出してくる周辺諸国に怒りの矛先を向ける人がいる。
例に挙げたように、それは自分たちの行なっている事に弓を引く行為である。
どちらも過去のジジババがやっちまった事でエライ目に合っているのだ。
だからこそ遺恨を残すような事をやったヤツらを責めるべきなのだ。
仕方なかったんだと言われても、それで納得出来るようなもんじゃないだろう。
お互いにそういうものなんだから。
ただ、現代人も心しておかなくてはならないのは、「今」自分らが何かをやっちまったら、それが将来の人達にまで遺恨を残す事になるという事だ。
そう心得て行動しないと、結局将来の人から「ったくよ~、クソジジイクソババアどもが余計な事しでかしてよ~」と言われるはめになるのだ。
心して引っ越しの後始末をしないと。



大垣駅前商店街 1
岐阜県大垣市高屋町1丁目
撮影 2014年12月23日 火曜日 11時20分
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4月22日 水曜 振り回す人

2015年04月22日 | Weblog
今月末に一度関東に出向かなければならなくなったので、その計画を立てていたさなか、俺も一緒に行くと言い出す人ありけり。
どうぞ勝手にと思ったのだけど、”一緒”に行くと言い、連休スタートというのにクルマで行くとか言いだし、そんなバカバカしい事イヤだと言ったら安くあげるために割り引き新幹線で行くとか言い、最初から自分のカネで行く事を考えているので、いかに時間を有効に、いかに体調を考えてとプランを練っているのを、単にわずかなお金を惜しんで窮屈な行き方を選ばなければならない事に憤りを感じつつ、それでも折れてプランをたてるが、あれやこれやとどうでもイイ事を言って時間を浪費し、結局切符を手配する事もなく話を宙ぶらりんにして放置される。
金と時間を計りに掛けて、時には時間を選ぶという考えが、絶対にカネと言い切れる人に通用しない事に苛立ちがあるのは確かだ。

関西に来て”特徴”として感じた事は、言葉が多い事である。
とにかく意味もなくてもベラベラしゃべる。
それがコミュニケーションとして大変優れた作用をもたらす事に敬意を払いつつ、その結果無駄に時間だけがすぎ、何も決まらず、何も始まらず、誰も責任を取らず、最後の最後になってやっと落ち着くところに落ち着くという本来の民主主義的行為に対して、それでもなんとかなったからエエやん、と言えるほどには、振り回されるだけの身には納得のいかない気持ちがある。
エエやんと言えるのは、あくまでも振り回す側だけの話で、振り回される側は、どうせ落としどころがわかっているのなら、時間が重要なビジネスの場では、最初からそこへ向かえと思うのだけど、これもまた「関東」の論理であろうかとも思うのであった。
だから関東で仕事ができるのは嬉しい事なんだけど、だからといってコミュニケーションとしての時間の”浪費”を軽視してはウマくいかないという事も学んだので、そこはウマくやっていかなければと思う次第である。
が、お願いだからヒトの事は放っておいてくれ。
自分一人で十分ウマくやっていくから。
話がまとまらずに、何度も何度も何度も行き来するのなんか他人は良くても自分はイヤだから。




村松原,幸町の街並み
静岡県静岡市清水区村松原1丁目,幸町
撮影 2014年12月27日 土曜日 12時40分
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4月21日 火曜 購読誌

2015年04月21日 | Weblog
ちょうど読み終えた時に駅に着いた。
となりに座るサラリーマンおっさんがゴホゴホと咳をするので、立ち上がりがてら視線を向けると熱心に読書中。
何の雑誌かと思ったら「プレジデント」。
各駅停車に乗るしがないウダツの上がらなそうなオヤジがプレジデントかよぅ。
無理じゃネエのかぁ?
こちとらビッグイシューだぜ!!



中通り商店街 2
長崎県長崎市古川町,銀屋町,東古川町
撮影 2014年3月21日 金曜日 17時15分
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4月20日 月曜 地方局

2015年04月20日 | Weblog
朝の”台湾近海”の地震の件。
NHK東京からラジオ全国放送で1時間ずっと緊急放送。
たぶん沖縄地方も北海道地方も同じ内容。
それまでに全国一律で通常番組を放送していて、中断しての緊急放送だから、個別に放送を切り分けるという事ができない(しない)というのだろう。
”普通”に考えれば、情報が特に必要な沖縄地方は沖縄放送局が重点報道し、他の地方は、緊急事態では番組割り込みで報じれば問題ないはずなのに、ただひたすら東京から同じ内容の繰り返しで”様子見”報道。
その結果、いつもあるはずの地方のニュースや交通情報は”割愛”。
それが地方局を各地に持つNHKの”実力”。
その実力たるや、台湾の被害は伝えないし、九州南部の豪雨の情報もナシ。
ただひたすら東京から海岸には近づくな、注意して避難もしろと関西のリスナーに、そして関東にも、たぶん北海道にも流し続けるのみ。
複数の地方で多重の災害が起きた場合、各地方局は何の働きもしないという危惧が。
その程度に「公共放送」は踏まえておかねば。身を守るために。




五個荘竜田町の街並み 1
滋賀県東近江市五個荘竜田町
撮影 2014年12月13日 土曜日 14時45分
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