Nonsection Radical

撮影と本の空間

男は弱っちく出来ているのだから

2009年05月25日 | Weblog
某月某日

福岡伸一さんの「できそこないの男たち」の話ではないが、もともとオスという生物はメスに比べて弱っちく出来ているらしい。
ストレスの耐性はメスよりも劣るが、文明というものが男に鎧を着装させ、野蛮な世界へと放り出しているので、潰れてしまう男は大変多い。
最近では、ノ・ムヒョン氏が死んだが、こういう場合でもたぶん夫人は死んだりしないだろうな。
そこが男のか弱さである。
鎧を脱いだ男は、まとっていたものが地位や名誉、欲望、強がりであったことに気づいたときに、裸では生きていけない弱さにさらされる。
その弱さを認める強さはない。

未開の地(西欧社会から観てだが)で暮らす男はあまり働かない。
男が強いのは力だけなので、力仕事を受け持ち、その他の仕事は女がする。
男の出来るのは種まき(子作り)と刈り取り(狩猟)だけなのだろう、本来。
それが男の出来る限界なのだろうが、鎧を着た姿がかっこよく見えるものだから、無理をするのだろうな。
でもそんな無理な姿は、同じ世界の者(男同士)では通用するのだろうが、女には、あるいは犬や猫には通じない。
通じないのにそう思って欲しいと思う男の浅はかさ。

男はもっと本性を現し、弱っちく生きるべきなのだ。
気持ちとは裏腹にカラダは正直だ。
カラダが「アカン」と訴えるのは、それが自然の反応だからだ。
無理をしてでも元気を出したいとカラダが欲するときまで、無理をせずにおとなしく休んでいるのがオトコの「養生」であることをsatoboは学んだ。

今日の画像はchoseiさんへのお見舞いの花。
以前に使った画像ですけど、こんな可憐な写真がsatoboも撮れたのですねぇ。
添い寝してはあげられないけど(笑)、satoboがしてもらったように見守らせていただきます。
コメント (5)
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引きこもりからの脱出

2009年05月24日 | Weblog
某月某日
このところ平日仕事以外は土日にかけてずっと家で引きこもり、主に寝て過ごしていたのですが、さすがにこれはマズいと思い、外出する事にしました。
本当は土曜日に出かけるつもりでしたが、やはり寝てしまい、本日となりました。
気分を変えようと部分的には伸びてはいないが(汗;)髪を切りにいく事にしました。
しかし店内を覗くとあいにく待っている人が・・・
satoboは待つのが嫌いなのでロッテリアで時間をつぶし、再びお店に出向くと、さらに人が増えています。
このお店、satoboが行くと客が増えるというジンクスがあるので、結構な事だと待つ事にしました。
続々と来店する人が増え、お店の事を考えて、また次に行く予定があったので、「またきます」と言って出てきました。

その足で電車に乗って都内某所の写真展へ。
会場に着くと、まだ開場前でした。
開場時間を間違えたようです。
それでも見せてもらいお話を聞いていたら、kansukeさんが登場。
satoboは写真を見たらすぐに姿を消すつもりでしたが、kansukeさんのお話が楽しくて長居をしてしまい、そろそろおいとまを腰を上げると胸の振り子さん登場。
写真展の展開の情報交換を行っていると、ますます人が増えてきます。
やっとこさ楽しい話に区切りをつけて駅へ。
上野のアメ横へ。
ちょっと実物が見たい商品があって人ごみの中を歩いたのですが、残念ながら発見できず。
時間を見るとかなりヤバイ。
そう、引き返して再び床屋さんへ行かないとならないのです。
電車を乗り継いで、やっとこさ床屋さんのある駅に着いた時には閉店間際。
無理を言っては悪いと、そのまま引き返し、来週出直す事に。

自分が時間にルーズなために、結局やらなければならない事が出来ず、結構へこんでしまった。
出歩く体力はまだないようで、すっかり疲れてしまった。
というわけで写真は撮らず。
コメント (3)
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何も考えてはいけない

2009年05月23日 | Weblog
某月某日
どこかの公立高校で一旦は廃止した制服を再び復活させて受験率向上を目指すというニュースがある。
同校現役学生はどう思っているんだろうね。
制服なんかかっこわるくて、バカバカしくて、こんなものに縛られていたら自由が満喫できない、着るものぐらい自分で判断できる、と思って入学した人もいるだろうに・・・。
そんな人らの考えは尊重されないのが教育というものだ。
自ら目立たず騒がずみんなと一緒。
それが昔からの「ムラの掟」なのだ。
それがまだ21世紀の近代先進国脱亜細亜一等国に受け継がれているのにはビックリ仰天である。
「問題」なのは子供自身がそれを望んでいるのだ。
道理でイケテナイ格好のヤングが増えるわけである。

制服はお金がかからない、などと間違いをいう人がいる。
まるでカルテルを結んだような高額商品である。
いまどきガキに何万円も出して服を「買ってやる」のが異常だと言えるのは、就職時に吊るしの安いリクルートスーツに身を包む「オトナ」の姿を見れば判断できるだろう。
チラシを見て期間限定の安売り商品をユニクロに週末買いに出かける姿を見ても同様だ。
ちなみに今週末のユニクロ土日限定は「スポーツカジュアル」です。
お早めにお出かけください(笑)。

成熟社会で規定してはいけないのは、発想の道が閉ざされるからだ。
発想は自由な環境から「多く」生まれる。
何でもそろっていて、もう新たな事を考える余地がないと思える成熟社会で、さらに進歩して行くにはアイデアしかない。
モノ作りに限界を迎えたアメリカで、何かを売ろうと考えた末、残っていたのが金融商品であったとsatoboは考えている。
売るものはもうないからお金を売りましょうというわけで、この商売は上手くいっていたが、結局実体はないので夢を売るだけで終わってしまった。
もっともそのおかげで、モノを売って儲けたお金がある国から、ごっそりと巻き上げる事が出来たのだが。
で、売るものがなくなりつつある日本である。
これまでは他の国では売っていなかったものを創り出し、たんまりと儲けていたのだが、今ではニーズ諸国(死語)と同じものしか作れないし、売れない。
当然価格はそちらの国に合わせざるを得ない。
賃金もそちらの国と同様に・・・

トヨタのQC運動などすでに壊滅しているのではないかと思う。
だって非正規社員が品質向上に励むわけないもの。
「カイゼン」などというものは向上しようと言う気持ちから生まれてくるのだけど、自分の立場が向上しそうもない人がタダでアイデアを持ち寄るワケがない。
それはトヨタだけでなく、あらゆる産業で言えるのではないか?
非正規社員が会社を良くしようと思う気持ちはない!
当然であるのは現在の雇用状況を見ればわかるだろう。
でも、アイデアというのはある意味「数打ちゃ当たる」で、そのアイデアをだす人間の数が減ればヒットする数も当然減る。
正規社員であっても「余裕」などない。
余裕から幾多の新しいものが作られてきた事を忘れた。
だから日本の産業は落ちぶれたのだ。
韓国や中国と同じものしか作れないのだ。
というよりあちらの方が現在では「数打ちゃ当たる」方式で、変なものを作り続けている。
そのパワーがまだアチラにはある。
でもコチラにはない。

で、制服の話ですが(笑)、
決まった事に従いたい、みんなのと同じがいい、自由がカッタルイとヤングが考えたら、そこから新しい発想が生まれるだろうか?
せいぜいプチ工夫で差異をつけるぐらいで満足なのだろう。
それではなり行かないんだよ、もう。
よのなかの「オトナ」というものは、自分の範疇でしか物事を考えられないので、自分が理解できない事は「無いこと」にしようとする。
おまけに「オトナ」は結構嫉妬深い。
自分が管理できない事は権力で潰してしまう力を持っている。
でもその「オトナ」にもう「アタマ」は無い事がわかったら・・・
従うだけバカバカしい。

もっと自由に、もっと明るくアタマを使っていかないとヤングは生きていけないよ。
なにもオトナに反発する必要はない。
無視すりゃいいんだ。
そして自分たちで好きな事をすればイイ。
それがこれからの社会を作ることになる。
もう日本は経済敗戦国なのだから。
戦犯はもちろん今の経営者たちオトナである。
責任を取らないんだよなぁ、これがまた。
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日本に理性も知性もない

2009年05月20日 | Weblog
某月某日
新種のインフルエンザ騒動でいろいろと問題点が現れてきた。
新聞を見てもテレビを見ても(ラーメン屋で)、言う事(書く事)みんな違う。
satoboは「岩戸隠れ」の間にもようやく新聞だけは見る「元気」が出てきたが、情報が錯綜し、三木たかしの葬儀報道にも影響され(笑)、何がなんだかさっぱりわからず(by笠木シズコ)、おまけに在所(田舎)でもインフルエンザ患者発生との報道で、少し今回のインフルエンザ(なぜインフルと略すのか誰か説明して)騒動を調べてみようと思った。
で、知ったのがこのサイトなのだが、少し巷の報道とは趣が異なっている気がする。
新聞等のコメントに出てくる「専門家」の話は、よくよく吟味すると異なっているのだが、ましてや厚生労働省の某大臣(元国際政治学者=自称)の発言はお役所的で場当たり的対応なのだが、そんなものを読んでいても「いったいどうすりゃいいの?」という一国民(satobo)の疑問には応えてくれない。
その原因はやはり「お役所仕事」としての設備しか揃えていない現状が浮き出てくるのである。
日本にもカタチ上はこのような感染症に関する専門機関というのが作られているが、そこには「重要性」ということよりも「カタチだけ」そろえるという日本伝統の思想が幅を利かせていて、カタチはあるが、人員も予算も情報もすべてが不足している。
だから大方の情報はもっと有意義な活動をしている海外機関からの情報を受け流しているだけなのだが、それさえも十分でない。
だからテレビなどではハッキリ発言する(それも期待通りの)「関係者」のコメントが重宝されるのだが、それが有益なものかはその発言だけではわからない。
しかし一般人はそのコメントを真に受け(ざるをえない)、やれマスクの買い出しに列を作るだの、感染者を犯罪人扱いするだの(どういう法的根拠で感染者を「強制隔離」したのだろう)、右往左往しているわけだ。

で、現代の「黒死病」は防げるのか?
もちろん黒死病はたとえである。
それぐらいの大きな騒ぎになって(して)いるという意味だ。
ウソかほんとか神戸あたりでは人の外出が減ったというし、多くの人がマスクを着用している(らしい)。
で、感染は防げるのか?
玄関にイワシの頭を忘れていないか?
お祓いもした方がイイのではないか?
ついでにお札ももらってきた方がイイ。
なぜなら病院関係者の間でも対処の仕方の情報がまちまちらしいのだ。
そうなると頼れるのは有史以前からある呪術しかあるまい(笑)。
実際、ほとんど呪術的と言っていいような情報さえもまかり通っている。
多くが高等教育を受け、大学進学率も5割を超そうという国が、インフルエンザの「効果的な」対処法というのを正しく受けられないというのは(パニック)どう考えてもおかしいだろう。
今回のインフルエンザウイルス以前の流行でなぜ今回のような「騒ぎ」を国民は起こさなかったのか?
なぜ今回だけこうも騒ぐのか?
致死率は大して変わらないのに・・・

物事を判断する能力という点で、日本人は欠陥があるんじゃないの?
こんな事で、生き馬の目を抜くような世界経済の荒波を渡り合っていけるのか?
コロンブスがアメリカ大陸を「発見」して時を置かず、アメリカ大陸の「風土病」であった梅毒が日本に伝播したことからわかるように(なにがわかるというのだ=笑)世界はつながっているのだから、統一した情報で対処する「知性・理性」ぐらい身につけておくべきなのではと天岩戸から思うのでR。

天岩戸は居心地がよくて抜け出せそうもない(笑)。
コメント (6)
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