Nonsection Radical

撮影と本の空間

何も考えてはいけない

2009年05月23日 | Weblog
某月某日
どこかの公立高校で一旦は廃止した制服を再び復活させて受験率向上を目指すというニュースがある。
同校現役学生はどう思っているんだろうね。
制服なんかかっこわるくて、バカバカしくて、こんなものに縛られていたら自由が満喫できない、着るものぐらい自分で判断できる、と思って入学した人もいるだろうに・・・。
そんな人らの考えは尊重されないのが教育というものだ。
自ら目立たず騒がずみんなと一緒。
それが昔からの「ムラの掟」なのだ。
それがまだ21世紀の近代先進国脱亜細亜一等国に受け継がれているのにはビックリ仰天である。
「問題」なのは子供自身がそれを望んでいるのだ。
道理でイケテナイ格好のヤングが増えるわけである。

制服はお金がかからない、などと間違いをいう人がいる。
まるでカルテルを結んだような高額商品である。
いまどきガキに何万円も出して服を「買ってやる」のが異常だと言えるのは、就職時に吊るしの安いリクルートスーツに身を包む「オトナ」の姿を見れば判断できるだろう。
チラシを見て期間限定の安売り商品をユニクロに週末買いに出かける姿を見ても同様だ。
ちなみに今週末のユニクロ土日限定は「スポーツカジュアル」です。
お早めにお出かけください(笑)。

成熟社会で規定してはいけないのは、発想の道が閉ざされるからだ。
発想は自由な環境から「多く」生まれる。
何でもそろっていて、もう新たな事を考える余地がないと思える成熟社会で、さらに進歩して行くにはアイデアしかない。
モノ作りに限界を迎えたアメリカで、何かを売ろうと考えた末、残っていたのが金融商品であったとsatoboは考えている。
売るものはもうないからお金を売りましょうというわけで、この商売は上手くいっていたが、結局実体はないので夢を売るだけで終わってしまった。
もっともそのおかげで、モノを売って儲けたお金がある国から、ごっそりと巻き上げる事が出来たのだが。
で、売るものがなくなりつつある日本である。
これまでは他の国では売っていなかったものを創り出し、たんまりと儲けていたのだが、今ではニーズ諸国(死語)と同じものしか作れないし、売れない。
当然価格はそちらの国に合わせざるを得ない。
賃金もそちらの国と同様に・・・

トヨタのQC運動などすでに壊滅しているのではないかと思う。
だって非正規社員が品質向上に励むわけないもの。
「カイゼン」などというものは向上しようと言う気持ちから生まれてくるのだけど、自分の立場が向上しそうもない人がタダでアイデアを持ち寄るワケがない。
それはトヨタだけでなく、あらゆる産業で言えるのではないか?
非正規社員が会社を良くしようと思う気持ちはない!
当然であるのは現在の雇用状況を見ればわかるだろう。
でも、アイデアというのはある意味「数打ちゃ当たる」で、そのアイデアをだす人間の数が減ればヒットする数も当然減る。
正規社員であっても「余裕」などない。
余裕から幾多の新しいものが作られてきた事を忘れた。
だから日本の産業は落ちぶれたのだ。
韓国や中国と同じものしか作れないのだ。
というよりあちらの方が現在では「数打ちゃ当たる」方式で、変なものを作り続けている。
そのパワーがまだアチラにはある。
でもコチラにはない。

で、制服の話ですが(笑)、
決まった事に従いたい、みんなのと同じがいい、自由がカッタルイとヤングが考えたら、そこから新しい発想が生まれるだろうか?
せいぜいプチ工夫で差異をつけるぐらいで満足なのだろう。
それではなり行かないんだよ、もう。
よのなかの「オトナ」というものは、自分の範疇でしか物事を考えられないので、自分が理解できない事は「無いこと」にしようとする。
おまけに「オトナ」は結構嫉妬深い。
自分が管理できない事は権力で潰してしまう力を持っている。
でもその「オトナ」にもう「アタマ」は無い事がわかったら・・・
従うだけバカバカしい。

もっと自由に、もっと明るくアタマを使っていかないとヤングは生きていけないよ。
なにもオトナに反発する必要はない。
無視すりゃいいんだ。
そして自分たちで好きな事をすればイイ。
それがこれからの社会を作ることになる。
もう日本は経済敗戦国なのだから。
戦犯はもちろん今の経営者たちオトナである。
責任を取らないんだよなぁ、これがまた。
コメント
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