Nonsection Radical

撮影と本の空間

日本に理性も知性もない

2009年05月20日 | Weblog
某月某日
新種のインフルエンザ騒動でいろいろと問題点が現れてきた。
新聞を見てもテレビを見ても(ラーメン屋で)、言う事(書く事)みんな違う。
satoboは「岩戸隠れ」の間にもようやく新聞だけは見る「元気」が出てきたが、情報が錯綜し、三木たかしの葬儀報道にも影響され(笑)、何がなんだかさっぱりわからず(by笠木シズコ)、おまけに在所(田舎)でもインフルエンザ患者発生との報道で、少し今回のインフルエンザ(なぜインフルと略すのか誰か説明して)騒動を調べてみようと思った。
で、知ったのがこのサイトなのだが、少し巷の報道とは趣が異なっている気がする。
新聞等のコメントに出てくる「専門家」の話は、よくよく吟味すると異なっているのだが、ましてや厚生労働省の某大臣(元国際政治学者=自称)の発言はお役所的で場当たり的対応なのだが、そんなものを読んでいても「いったいどうすりゃいいの?」という一国民(satobo)の疑問には応えてくれない。
その原因はやはり「お役所仕事」としての設備しか揃えていない現状が浮き出てくるのである。
日本にもカタチ上はこのような感染症に関する専門機関というのが作られているが、そこには「重要性」ということよりも「カタチだけ」そろえるという日本伝統の思想が幅を利かせていて、カタチはあるが、人員も予算も情報もすべてが不足している。
だから大方の情報はもっと有意義な活動をしている海外機関からの情報を受け流しているだけなのだが、それさえも十分でない。
だからテレビなどではハッキリ発言する(それも期待通りの)「関係者」のコメントが重宝されるのだが、それが有益なものかはその発言だけではわからない。
しかし一般人はそのコメントを真に受け(ざるをえない)、やれマスクの買い出しに列を作るだの、感染者を犯罪人扱いするだの(どういう法的根拠で感染者を「強制隔離」したのだろう)、右往左往しているわけだ。

で、現代の「黒死病」は防げるのか?
もちろん黒死病はたとえである。
それぐらいの大きな騒ぎになって(して)いるという意味だ。
ウソかほんとか神戸あたりでは人の外出が減ったというし、多くの人がマスクを着用している(らしい)。
で、感染は防げるのか?
玄関にイワシの頭を忘れていないか?
お祓いもした方がイイのではないか?
ついでにお札ももらってきた方がイイ。
なぜなら病院関係者の間でも対処の仕方の情報がまちまちらしいのだ。
そうなると頼れるのは有史以前からある呪術しかあるまい(笑)。
実際、ほとんど呪術的と言っていいような情報さえもまかり通っている。
多くが高等教育を受け、大学進学率も5割を超そうという国が、インフルエンザの「効果的な」対処法というのを正しく受けられないというのは(パニック)どう考えてもおかしいだろう。
今回のインフルエンザウイルス以前の流行でなぜ今回のような「騒ぎ」を国民は起こさなかったのか?
なぜ今回だけこうも騒ぐのか?
致死率は大して変わらないのに・・・

物事を判断する能力という点で、日本人は欠陥があるんじゃないの?
こんな事で、生き馬の目を抜くような世界経済の荒波を渡り合っていけるのか?
コロンブスがアメリカ大陸を「発見」して時を置かず、アメリカ大陸の「風土病」であった梅毒が日本に伝播したことからわかるように(なにがわかるというのだ=笑)世界はつながっているのだから、統一した情報で対処する「知性・理性」ぐらい身につけておくべきなのではと天岩戸から思うのでR。

天岩戸は居心地がよくて抜け出せそうもない(笑)。
コメント (6)
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