Nonsection Radical

撮影と本の空間

自分史の中の歴史

2014年08月29日 | Weblog
広島の土石流被害の報道の、地元の人のインタビューで「これまでこんな被害はなかった」などと語るのは、他の災害などでも同様の話なんだけど、ホントかな?って悪魔の心を持つ身としては思ってしまう。
いろいろなサイトで、古い地名にはその地区での歴史が隠れていると指摘されているが、今回の場合も、その旧地名から災害の起こりやすい場所だったのではないかなどと言われてもいるが、地形などは時代と共に変わってしまうので、一概にそうとは言えないのではと、やはり悪魔の心が騒ぐのである。
だから無視してイイとは言ってませんよ。
それよりも現実として、どのような地形の場所に開発の手が入り、どのように変わっていったのかを見た方が、わかりやすいのではないかと天邪鬼の心を持つ身としては考えるのです。
幸いな事に、「今昔マップ」というサイトに、広島市の地図も収められていたので、時代と共にどのように地形が変化したのかが読み解ける。
今回被害が大きかった八木3丁目あたりは1925年測量の地図では小原、植竹と呼ばれていたようだが、当時と比べて大幅に斜面が削られて開発されたわけではなさそうだ。
むしろ更に北東部の八木4丁目、6丁目あたりの方が山裾の斜面を住宅地に開発している。
ということは、住宅開発による地形の変化で地盤が弱くなったとは言い切れないな。
というよりも、土石流はもっと山の上の方から始まっている。
山の上にはゴルフ場があるが、これは峠の向こう側なので、ゴルフ場開発の影響はなさそうだ。
そうやって考えると、住宅開発が地盤を弱くしたと考えるよりも、広島県や他の中国地方にも多い「真砂土」という土地の影響が多いと考えるのが自然なのだろうか。
真砂土は花崗岩が風化してできたものだといい、水分を含まない時には摩擦が大きいが水分を多く含むともろく崩れる性質だと言う。
今回のような短時間で大量の雨が降った結果、地盤に雨がしみ込んで崩壊したと考えられる。
という事は、今後も今回のような豪雨があれば、同様の被害が予想されるという事だ。
こういう場所には有効な手だてはあるのだろうか?

最初の想定では、ひと一人の生きた時間の中での記憶というのは、たかだか半世紀、一世紀でしかなく、それを頼りに歴史を語る事はあてにならない、という事を語るつもりであったが、まったく違う筋書きになったのは「まあそんなもの」である。




油屋町ふれあい通り
長崎県長崎市油屋町
撮影 2014年3月22日 土曜日 15時25分
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