Nonsection Radical

撮影と本の空間

キャッチボール

2016年10月26日 | Weblog
電車の隅の席に座ると、ドア脇に高校生のカップル(アベックともいう)がいて、健全な距離感を保ったまま会話をしていた。
すでに26時間以上寝ていないので、すぐにでも寝たいのだけど、楽しげな弾んだ声を聞くと、どうしても聞き耳を立ててしまう。
ジョシの声は時をかける少女の原田知世をもう少し透き通った声にした感じの心地のいいものだ。
一方のダンシは、どうでもいい、どうでもいいが明らかにジョシとの会話が楽しくて仕方ない弾んだものだ。
会話の内容から、ダンシは少し上級生のようだ。
話の内容などないに等しいのだが、それでいいのだ。
ただお互いの声を交わしあうことが重要なのである。
言葉のキャッチボールが二人の心をときめかせるのだから。
心の汚れたオッサンはすぐに邪心を抱くのだが、それでも物事の良し悪しはわきまえているので、コイツら絶対に手を握るぐらいで止めておいたほうがいいぞ、と勝手に線引きをする。
手を握るだけでドキがムネムネするじゃないですか。
もちろんそれ以上に接吻などすれば、さらにワクがムネムネするだろうけど、そうすると手を握ることのドキドキ感がなくなってしまうんだな。
高校生ぐらいの時には、あとあとの思い出のためにも手を握るぐらいでストップ性欲したほうがいいのだ。
ああ、どうしてあの時にやっておかなかったんだぁ、と後悔するぐらいが美しい思い出となるのです。
そう思うぐらいジョシの声は透き通った清涼飲料水のような爽やかさがあった。
そうなるとどんなツラ、ではなくどんな御尊顔をなさっているのかと拝見したくなるのだが、そんな夢のない行為に走るほどオッサンは愚かではない。
これまでどれほどそうやって煮え湯を飲まされてきたことか・・・
一般社会の中に原田知世はいないのである。
そんなのジョーシキさ。
オッサンはひたすらジョシの声を咀嚼し、妄想を膨らませて26時間の睡魔から逃れようとしたのだ。
しかし、ターミナル駅に着くと、二人の会話は止まり、床に置いたカバンを取ろうと二人は上半身を傾けた。
当然向かい合う二人の顔は近づき、ああそれ以上近づくと触れてしまうよと思わず声をあげそうになった。
幸いなことに二人の顔が重なることはなかったので、オッサンは胸をなでおろしたのだが、ジョシが顔を上げた瞬間、オッサンは拝んでしまったのだ。
えくぼのあるスゴくかわゆい子だった。
永遠のジョシである。
誰にも手さえも握らせない。
声も聞かせない。
彼女はオッサンだけのマドンナだ!と心で叫ぶが、あえなく二人は電車を後にしたのであった。
言葉のキャッチボールは許すが、手は握らせないぞ!



民家園通り商店会 2
神奈川県川崎市多摩区登戸
撮影 2016年9月9日 金曜日 15時20分
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