Nonsection Radical

撮影と本の空間

一人歩きを楽しめば

2017年04月20日 | Weblog
駅などで観光案内パンフなどを手に取ると、ガイドブックとしての役割りはほぼ神社仏閣紹介と食い物ガイドで占められている。
”顧客”の要望に答えると、結局興味のあるこの2点に絞られるというわけなのだろう。
これってほとんど江戸時代と変わらない動向でしょ。
書店で売っている本も変わらない。
となると、そういう”売り”がない街は”客”を呼べないわけだ。
逆に、そういう”買い”がない街に”客”は行かないわけだ。
つまらない話だ。
どうして何もないことを楽しもうとしないのだろうか。
というか、何もないわけがない。
何も見つけられないだけなのだろう。
ほら、よくさぁ、「さりげない写真」なんて”評”することがあるじゃない。
それって何も見つけられませんでしたって告白しているようなものじゃない。
そんなんじゃ物事を楽しむことなんてできないでしょうに。
かといって安易に観光地や名物に飛びつくってのも芸がないし。
何か意味を見出さないと意味がないと思うのって意味がない気がするんだけど。
意味がなくても楽しむっていう気持ちの解放感を味わった方が楽しいのに。
ずっと撮影を続けている動画は、街並みの記録なんだけど、そういう”素材”を楽しむのって案外海外からの視聴者の方が得意なようで、「何もない」動画を楽しんで見ていることがメールやコメントから読み取れる。
実は撮影をしている方も、「何もない」街並みを楽しんでいるし、そこに様々な驚きや発見を毎回しているんだよね。
そういうのって「一人遊び」みたいなもので、何をしているのか周囲はよくわからないけど、本人はすごく楽しいってのがあるじゃない。
つるんでワイワイガヤガヤ遊び歩くだけでは楽しめない街歩きってのを手に入れないと、ガイドブック通りの行動で終わってしまうよ。
でもそいういう街歩きのガイドってなると、ものすごく不親切で大多数の人には不評を買うだろうけど。
ま、そういう楽しみはほんの少数の人だけが味わえばいいわけだから・・・



若宮通り
東京都日野市高幡
撮影 2017年4月6日 木曜日 11時20分
コメント
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