Nonsection Radical

撮影と本の空間

複数の価値観を意識したら

2014年11月22日 | Weblog
ものの判断基準とか価値観ってひとつじゃないとイケナイわけじゃないんだよね。
でもなんとなく一貫していた方がいいとか思いがちじゃないですかぁ。
それでいて無意識に基準とか価値観って変えているんだよね。
たとえばサラリーマンのオッサンがいて、家族があるとして、そんなオッサンでも仕事中は勤め人としての価値観で働き、家では父親としての、あるいは家族として、夫としての基準で暮らして、休日にはご近所と地域の価値観で活動したりするのが普通でしょ。
でもそういう事って案外無意識で、だから時には価値観の切り替えができなくて、別の価値観を持って来て判断したりする事もありがちじゃないですか。
家族の間に会社での価値観を持ち込んで一席ぶったりして顰蹙をかうとかさ。
逆に会社に家庭での価値観を持ち込んで判断したりとか、人間関係に別の価値観を持ち込んだりとかさ。
一概にこういう事がダメだとは言えないけど、無意識である場合はマズい事が起きがちだよね。
わざと意識して別の価値観を持ち出して、別の道筋を示すなんてのがいいんだけどね。
でも事態はむしろ価値観の混同の方が多いんじゃないのかな。
それは判断基準とか価値観にたいして無意識だからじゃないのかな。
さまざまな基準や価値観が世の中にはあって、ケースバイケースで切り替えているんだと意識していないものだから、「俺の価値観はいつも変わらない」なんて勘違いして、「何言ってんだよ、コイツ」って目で、周囲から冷たい目で見られたりするんだろうな。
むしろ自分にたくさんの価値観が存在していて、それを自分は意識して切り替えるんだと思えば、ある場面でうまくないなぁと思った時にも、別の考え方が出来るんじゃないだろうか。
そういう意識変革が、なんて事じゃなく、もともと無意識であっても使い分けているんだから、ただそれを意識すればいいだけの事なんだよね。
意識していれば、「あ~今、変な価値観を持ち出してしまったなぁ」ってわかるじゃないの。
そして「こういう場合は、この考え方で行った方がウマくいくぞ」とかって”柔軟”に切り替えられるじゃない。
そういう考え方をしたら、頭が固いとか、何言ってんだかわからないとか、優柔不断だとか言われないんじゃないのかなと。




尾崎町1丁目の街並み 4
大阪府阪南市尾崎町1丁目,新町
撮影 2014年7月12日 土曜日 14時50分
コメント
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